2019年10月18日 一部修正毎日新聞2019年10月6日付け東京朝刊の今週の本棚で、「
村上陽一郎・評 『プリンシピア 自然哲学の数学的原理 全3編』=アイザック・ニュートン著、中野猿人・訳」が掲載されているのに気付いた。管理人が注目したのは、その訳者の中野猿人というお名前であった。中野猿人と言えば、管理人が大学院学生であった1970年代に海洋学会でそのお姿を拝見していた潮汐学の権威である中野先生(当時、東海大学教授。2005年逝去。管理人の師ではないが、以下では先生と呼ばせて頂く)である。書評では1977年刊行の復刻版であることが明記されておらず、訳者の経歴などに言及されていないこともあって、中野先生ご本人が「プリンシピア」を訳されていたということに思いが至らず、同姓同名の人かと思ってと確認のためネットで調べた。
その結果、講談社の関連サイトの6月21日付け記事「
この夏、『プリンシピア』が大復刻。近代科学の始まりをとくと見よ」と題する記事で、42年ぶりにブルーバックスから3ヵ月連続刊行にて復刊されることとなった「プリンシピア」の訳者がまぎれもなく管理人が記憶していた中野先生であったことを確認した。
しかし、その
訳者紹介では、
1908年、佐賀県生まれ。1930年、東京帝国大学理学部天文学科卒業。1938年、東京帝国大学より博士号(理学博士)を授与される。中央気象台に奉職、気象大学校長などを歴任し、1968年、気象庁退官。東海大学海洋学部教授を務める。著書『潮汐学』『球面天文学』(古今書院)、『海の談話室』(講談社)ほか。2005年、97歳で逝去。(写真は『プリンシピア』翻訳中、1970年5月撮影。『海の談話室』より)
と記載されているだけであった。このため、以下で、先生の海洋学研究、日本海洋学会へのご貢献などについて紹介することにした。
参考
中野猿人 (1970): 海の談話室.講談社、pp.343.
宇田道隆 (1954): 日本海洋学の進歩の足あと.地学雑誌、63巻3号、p.139-144.宇野木早苗 (2005): 名誉会員中野猿人先生のご逝去を悼む.海の研究、第14巻第4号、p.549.フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』:中野猿人続きを読む
posted by hiroichi at 03:08|
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海のこと
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