2023年04月16日

地衡流平衡と地殻平衡(アイソスタシー)

1月21日の前回のブログ更新以降、国際学術雑誌投稿論文の査読、矢倉英隆さんが主宰するサイファイフォーラム(科学者のための科学の哲学フォーラム)での講演、JAAS日本科学振興協会のWG会合・会員交流会や幹事を務める国際津波防災学会津波防災対策検討分科会で内容を検討中の「地区住民による津波防災対策計画立案のための手引き」に関連する各種イベントへの参加などのため、ブログを更新する時間がないまま、ほぼ3か月が過ぎようとしている。

この間、2月25日に全国地学教育関係者Zoom交流会で令和5年度大学入試共通テストでの地学基礎および地学の問題についての意見交換に参加した。この交流会に参加した理由は、共通テスト②理科地学の海洋表層の大規模な循環に関する問題文中に、管理人の認識と大きく異なる「海洋全体ではアイソスタシーが成立しており,最下層の水平面に加わる圧力が一様になっている」という記述があるのに気付き、最近の高校地学の授業では海洋中の密度鉛直断面分布の説明で「アイソスタシー」という言葉を使っているのか否かを現場教員の方々に直接、確かめたいと思ったためであった。

管理人は、「アイソスタシー」は、地殻が上部マントルに浮かんでいる状態を説明する固体地球科学分野の概念であって、確かに上部マントルの十分に深いところ圧力は水平的に一様であるが、海洋底層水平面での圧力が一様であること(圧力の水平勾配がゼロであること)は「水平圧力勾配とコリオリ力が釣り合う地衡流がない」ことに対応しており、地殻の厚さ分布を説明する「アイソスタシー」と結びつけて理解することは大きな誤りであると考えていた。実際、Zoom交流会に参加していた現場教員からも、海洋分野で「アイソスタシー」を聞いたことがないとのことだった。

大学入試共通テストの問題は過去問として、受験生の目に留まる機会多い。このため、その記述に誤解を招く表現があれば、その影響は極めて大きいと考える。宿題が山積して、何かと気ぜわしい中、共通テストの設問内容に含まれる懸念の指摘を先延ばしにできないと考え、以下に詳細を述べることにした。
1.共通テストの問題と解説
令和5年度大学入試共通テスト理科②[物理 化学 生物 地学]の地学 第4問は大気・海洋分野の問題であり、その中のBが海洋分野の問題です(以下の画像を参照)。


問3は、問題文中の「海洋表層では地衡流としての循環が生じ」とあることから「地衡流」」に注目し、「地衡流とは、水平圧力傾度力とコリオリ力が釣り合うように流れる定常な流れであって、北半球では高圧部を右直角方向に見る向きに流れる」ということを思い出せば、容易に正解が得られます。以下の拙ブログ記事で図2を説明していますので、ご覧ください。
関連拙ブログ記事
2009年07月15日付け記事 表層海洋循環の成因

問4は、海水面の高さが中央部で最も高い南北鉛直断面における海水の密度の構造を推定する問題です。この問題を解く時には、問題文中の「最下層の水平面に加わる圧力が一様になっている」と記されていることに注目し、
・密度が一様な場合には、海面が最も高いところで最下層の水平面に加わる圧力が最も高くなる
・密度が深くなるほど大きい場合には、圧力は(各海水密度)×(その密度の海水の厚さ)の合計で表される
の2つのことを思い出すと、最下層の水平面に加わる圧力が一様になっているためには、海面が最も高いところで、密度が小さい(大きい)海水の厚さが最も厚く(薄く)なっている必要があることが推測できます。
「最下層の水平面に加わる圧力が一様になっている」ことは、「海洋全体ではアイソスタシーが成立している」ことではなくて、「最下層では流れがない」と考えていることと関係しています。このことについては、次節以降で説明します。

問5は、流速が同じ時に働くコリオリの力が、緯度には依存しない場合と、高緯度ほど大きい場合の違いについての知識を問う問題です。この問題は、太平洋や大西洋の亜熱帯域の西側には、いずれも西強い極向きの海流が流れるという「西岸強化流」の知識と、表層流速が速いほど、海面勾配が大きいことを知っていれば、迷わず正解できると思います
以下の拙ブログ記事で西岸強化流を説明していますので、ご覧ください。
関連拙ブログ記事
2009年08月02日付け記事 各大洋の西端に強い海流が流れる仕組み

2.アイソスタシーとは
アイソスタシーについての説明はWikipediaをはじめとして、いろいろなところで見ることができますが、ここでは、アメリカのThe Oceanography Society (海洋学協会)のウェブサイトで公開されている

Karp-Boss, L., E. Boss, H. Weller, J. Loftin, and J. Albright. 2009. Teaching Physical Concepts in Oceanography: An Inquiry Based Approach. Oceanography 22(3), supplement, 48 pp, https://doi.org/10.5670/oceanog.2009.supplement.01.

の日本語版「海洋学に関する物理概念の指導法 探究ベースの手法」
の第3章浮力、背景(p.25)で述べられている以下の説明を引用して示します。

物体が海水やマグマなどの液体中に浮く高さは,物体が受ける重力と浮力のバランスによって決まります。例えば,地球の地殻プレートは,アセノスフェア(岩流圏)の上に平衡状態(「アイソスタシー」(地殻平衡)と呼ばれる浮力平衡)で浮かんでいます。浮力の均衡が崩れると,新たな浮力の均衡に達するまで,物体は沈んだり浮かんだりします。この過程を 「アイソスタティック・レベリング 」と呼びます。アイソスタティック・レベリングの影響は,形成されたばかりの地殻が冷えて下の海嶺に重さを加えている(重力の力が大きくなっている)海洋中央部の海嶺付近や,最近大きな氷河が溶けた(重力の力が小さくなっている)大陸プレート上で見ることができます。地殻プレートの浮力平衡の変化は,そのプレートに関連する海岸に沿って海面の相対的な上昇または下降を引き起こします。

このように、一般にアイソスタシーとは、物体としての地殻プレートが浮力平衡している状態を表しています。したがって、物体ではなくて流体である表層の海水が重たい海水の上に浮かんでいる状態についてアイソスタシーが成り立っているという言い方は、アイソスタシーの定義、原理に照らし合わせると、不適切な表現になると思います。

3.地衡流平衡とは
上の問3の説明で、「地衡流とは、水平圧力傾度力とコリオリ力が釣り合うように流れる定常な流れであって、北半球では高圧部を右直角方向に見る向きに流れる」と述べました。黒潮などの海流は流れる道筋や速さが絶えず変動していますが、地衡流と同じように、水平圧力傾度力とコリオリ力がほぼ釣り合うように(ほぼ地衡流平衡がなりたつように)流れています。

例えば、北半球で海洋表層で海流が北向きに流れている時には、コリオリ力は東向きに働き、このコリオリ力に釣り合うように表層での水平圧力傾度力は西向きになります。このことは、海流の東側の海面が西側より高いことを意味しています。平均流速Vが1 m/s、幅Wが100 kmの黒潮が北緯30度を北向きに流れているところの東西の海面の高さの差Δhは、約1 mになります。なお、地衡流平衡はコリオリ力と水平圧力傾度力の釣り合いであり、どちらが原因でどちらが結果なのかを示していません。したがって、東側の水面が西側より高いところでは、水平圧力傾度力は西向きになり、それに釣り合うようにコリオリ力が働くために地衡流は北向きに流れるとも言えます。また、地衡流の流れが無いところではコリオリ力はゼロとなり、それに釣り合う水平圧力傾度力もゼロとなります。逆に、水平圧力傾度力がゼロのところでは、それに釣り合うコリオリ力もゼロとなり、地衡流流速もゼロになります。

4,海流を横断する鉛直断面内での密度分布
実際の海では、深度が深くなるほど密度が大きくなります。ここで、簡単化して、重い海水の上に軽い海水が重なる2層の海底が水平な海の上層を海流が北向きに地衡流平衡が成り立つように流れ、下層は静止している時の、東西に横切る鉛直断面での密度分布を考えます。

上層を海流が北向きに地衡流平衡が成り立つように流れているところでは、コリオリ力が東向きに働き、この力と釣り合うように水平圧力傾度力が西向きように、東側の海面は西側より高くなります。一方、下層は静止しているので、コリオリ力はゼロとなり、地衡流平衡から、海底での水平圧力傾度力はゼロ、つまり東側と西側の海底での圧力は等しくなっていなければなりません。そのためには、海面の高さに起因する西向きの水平圧力傾度力を打ち消す東向きの水平圧力傾度力が下層ではたらく必要があり、そのために下層の厚さは西側で厚く、東側で薄くなります(上下層の境界面の深さは、東側が西側より深くなります)。

以下、上に述べたことを、式で表します。今、深さHの海の表層に密度r1の海水があり、その下に密度r2 (r2 > r1)の海水がある2層の海で、幅Wの海流が表層を北向きに流れ、東側の海面の高さが西側よりΔhだけ高い場合で、下層が静止している時に、海流の東端の上層と下層の境界の深さheが西端での深さhwとどのように異なるのかを計算します。
このとき、海流の西端と東端での海底での圧力PwとPeは、各々
Pw = r1 (H - hw) + r2 hw 、
Pe = r1 (H + Δh - he) + r2 he
で表されます。下層が静止していることから、水平圧力傾度力はゼロであり、PwとPeが等しくなります。その結果、
Pe - Pw = r1 Δh - r1 (he - hw) + r2 (he - hw)
    = r1 Δh + ( r2 - r1)(he - hw)
    = 0
となり、このことから
he = hw - r1 Δh / (r2 - r1)
の式が得られます。この式は、海流の東端の海面の高さが西端よりΔhだけ高い場合に、海流の東端の上層と下層の境界の深さheは西端の深さhwよりΔhのr1 / (r2 - r1) 倍深くなることを示しています。海面の高さは沖側が1 m高い黒潮横断面で、r1を1020 kg/m^3、r2を1025 kg/m^3とすると、上層と下層の境界面の深さの差は、黒潮を挟んで約200 mになります。その観測例として、足摺岬沖黒潮横断面での水温分布図を示します。

黒潮水温断面.jpg

5.おわりに
私は見落としていましたが、「多層モデルにおける定常的な地衡流の性質」を議論する際に、流れがない海底境界層の状態を 'isostatic' と呼んでいる論文が1978年に公刊されていました。さらに、この論文を引用して、「深層は平衡状態において静止すること,すなわち ‘アイソスタシー(isostasy)' が成立することが示される」と述べている論文が2006年に公刊されていました。これらの論文を反映して、インターネットで公開されている海洋物理学の講義録の中には、海面の傾斜と水温躍層の傾斜が比例する(海面と水温躍層が作る圧力勾配が相殺する)ことをアイソスタシーとして説明しているものや、密度が変化する海での地衡流の説明で、「深くなっていくにつれ、密度による圧力勾配が海面水位による圧力勾配を打ち消して、地衡流は弱くなっていく(アイソスタシーの成立)」と述べている講義録もあります。また、2層の海での地衡流の説明の中で、「アイソスタシーにより海面も高くなる」と述べているものもあります。このように、海洋力学分野での「アイソスタシー」という言葉の使用については、多少の混乱がありますが、海洋力学分野内での使用については大きな問題はないように見えます。

しかし、海洋力学分野での「アイソスタシー」が、圧力傾度力と流速に関係しているのに対し、固体地球物理学分野での「アイソスタシー」は、流体中の物体にはたらく浮力が関係しています。このため、共通テストの問題文で「海洋全体ではアイソスタシーが成立しており,最下層の水平面に加わる圧力が一様になっている」と、海洋力学分野特有の意味での「アイソスタシー」を用いずに、「海洋底層では海水が静止しており、最下層の水平面に加わる圧力が一様になっている」とする必要があったように思います。

ある言葉の概念や意味が分野によって大きく異なることがしばしばあり、このことが、異分野交流の妨げになっていることもあります。今回の記事を書くことで、異なる分野の科学者間の科学コミュニケーションの重要性を再認識しました。
posted by hiroichi at 03:36| Comment(1) | TrackBack(0) | 海のこと | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
2023年10月20日 00:13にakiさんから以下のコメントがありましたが、本記事と関係ないと判断し、削除しました。

この様な書込大変失礼ながら、日本も当事国となる台湾有事を前に 日本の国防を妨げる国内の反日の危険性が共有される事願います
<中略>
日本人として誇りを取り戻し、世界一長く続く自国を守る意識だと多くの方に伝わる事を願います。
Posted by 管理人 at 2023年10月20日 00:42
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