3月2日にカズオ・イシグロさんのノーベル賞受賞後初となる長編小説「クララとお日さま」が世界同時に発売された。これに合わせて、報道各社は、それぞれ、インタビューや記事を公開した。ネットの中では、東洋経済オンラインの「カズオ・イシグロ語る『感情優先社会』の危うさ、事実より『何を感じるか』が大事だとどうなるか」が大きな注目を集めている。
これに対し、管理人は、テレビ東京「ワールドビジネスサテライト(WBS)」が、シリーズ「コロナに思う、再び」第4回として3月2日深夜に放映したインタビューの内容に心を惹かれた。それは、このインタビューで語られた内容に、管理人の科学コミュンケーション活動の裏にあった想いが明確な言葉で表現されているところがあると感じたためである。いろいろ締め切りに追われる毎日であるが、以下に、その詳細を述べる。
1.インタビューの関連部分
WBSで放映された内容に強く興味を持ったので、テレビ東京ビデオオンデマンドサービスに登録(3月末までに解約すれば無料)して、放映された部分とインタビュー全体を視聴した。
WBSで放映された内容に強く興味を持ったので、テレビ東京ビデオオンデマンドサービスに登録(3月末までに解約すれば無料)して、放映された部分とインタビュー全体を視聴した。
管理人の関心を引いた番組内の「コロナと対抗して生きるには、何より"科学の力"が不可欠」と要約されたところは、インタビュー全体の最後に大江アナからの「コロナ禍で、私たちを助ける存在である"お日さま" の具体的イメージは?」という質問に対するカズオ・イシグロさんの答えの部分であった。この部分の字幕(日本語音声)は以下の通りである(句読点は管理人が追加)。
このコロナ危機で、私たちは、
科学と向き合うようになったと思います。
まず初めに、科学は、私たちがどうやってコロナと闘うかを教え、
それから、ワクチンの製造も教えてくれました。
こうした科学者たちの英知の結晶がなかったらと考えると、
今頃どうなっているのだろうと、ぞっとします。
このコロナの時代、私の科学者たちへの尊敬の念は、
劇的に膨らみました。
それだけでなく、多分、私たち全員がもっと、
"科学に基づいた思考”に適応しなくてはいけない、
と思います。
なぜなら、私たちが、
科学者たちの素晴らしい結果を目にしているのと同時に、
私たちは、フェイクニュースがある時代を生きていて、
人々は、思い込みによっては、
何を信じてもいい、と思っています。
これは完全に"科学的な思考”から、かけ離れています。
一方で、証拠といわれるものだけを信じる人もいます。
これは、異なる2つの世界の見方の衝突だと考えています。
そして、科学者たちだけでなく、
証拠に基づき真実を見る手法が大事だという、
私たちへの警告だと思います。
科学と向き合うようになったと思います。
まず初めに、科学は、私たちがどうやってコロナと闘うかを教え、
それから、ワクチンの製造も教えてくれました。
こうした科学者たちの英知の結晶がなかったらと考えると、
今頃どうなっているのだろうと、ぞっとします。
このコロナの時代、私の科学者たちへの尊敬の念は、
劇的に膨らみました。
それだけでなく、多分、私たち全員がもっと、
"科学に基づいた思考”に適応しなくてはいけない、
と思います。
なぜなら、私たちが、
科学者たちの素晴らしい結果を目にしているのと同時に、
私たちは、フェイクニュースがある時代を生きていて、
人々は、思い込みによっては、
何を信じてもいい、と思っています。
これは完全に"科学的な思考”から、かけ離れています。
一方で、証拠といわれるものだけを信じる人もいます。
これは、異なる2つの世界の見方の衝突だと考えています。
そして、科学者たちだけでなく、
証拠に基づき真実を見る手法が大事だという、
私たちへの警告だと思います。
こうして文字起こしをすると、カズオ・イシグロさんの答えには、論旨の飛躍があるように感じる。また、必ずしも同意できないところもある。
2.話のどこに惹かれたのか
管理人は、昨年7月に日本海洋学会教育問題研究会が主催した「聞こう・話そう!「予測」の実際とむずかしさ」をテーマとする第25回「海のサイエンスカフェ」での企画責任者となって、話題を提供した。このイベントでは、海洋変動の予測にかかわる研究をおこなっている海洋学研究者である管理人が海洋変動予測とCOVID-19流行の予測の手法を解説し、その結果をどのように受け入れたら良いのかを、ともに考えることを目標としていた。それは、COVID-19流行の予測研究についての理解を深めることによって、多くの人が抱いているCOVID-19流行に対する不安を少しでも取り除きたいとの想いからであった。
管理人は、昨年7月に日本海洋学会教育問題研究会が主催した「聞こう・話そう!「予測」の実際とむずかしさ」をテーマとする第25回「海のサイエンスカフェ」での企画責任者となって、話題を提供した。このイベントでは、海洋変動の予測にかかわる研究をおこなっている海洋学研究者である管理人が海洋変動予測とCOVID-19流行の予測の手法を解説し、その結果をどのように受け入れたら良いのかを、ともに考えることを目標としていた。それは、COVID-19流行の予測研究についての理解を深めることによって、多くの人が抱いているCOVID-19流行に対する不安を少しでも取り除きたいとの想いからであった。
今回、カズオ・イシグロさんの言葉を聞いて、上に述べた管理人の想いの根源には、さまざまな科学者の努力が、COVID-19流行問題を何時の日にか必ず解決するはずなので、必要以上に事態を深刻に考えないでほしいことを人々に伝えるたいとの気持ちがあったことに思いが至った。
「私たちを助ける存在である"お日さま" の具体的イメージは?」という問いへの答えとして、カズオ・イシグロさんが"科学的な思考”を挙げている。このことは、管理人が、かって、なぜ「科学リテラシーを普及する」必要があるのかを考える中で、科学リテラシーこそが「希望」を生み出す装置であると述べたことを思い起こさせた。"科学的な思考”とは、「証拠に基づいた論理的思考」のことであり、科学リテラシーの重要部分である。カズオ・イシグロさんの"お日さま" は、正に、「希望」を生み出す装置のことなのだろう。
3.異なる2つの世界の見方の衝突
前節に述べたように、カズオ・イシグロさんの言葉によって、管理人は強く力付けられた。しかし、現状を「異なる2つの世界の見方の衝突」であるとする捉え方については、違和感を覚えた。それは、確かに、現代社会は、"科学的な思考”の世界と"非科学的な思考”の世界が衝突しているように見えるが、それは、異なる2つの世界の住民が対決しているのではなく、1人の心の中にも、これらの異なる2つの世界(感性と理性)が混在しており、それらが混在する中での葛藤が、人を人たらしめていると管理人は考えているからである。もしかしたら、カズオ・イシグロさんも同様なことを考えているかもしれないが、このことを限られた時間に短い言葉で伝えるのには限界があって、説明を省略したのかもしれない。
前節に述べたように、カズオ・イシグロさんの言葉によって、管理人は強く力付けられた。しかし、現状を「異なる2つの世界の見方の衝突」であるとする捉え方については、違和感を覚えた。それは、確かに、現代社会は、"科学的な思考”の世界と"非科学的な思考”の世界が衝突しているように見えるが、それは、異なる2つの世界の住民が対決しているのではなく、1人の心の中にも、これらの異なる2つの世界(感性と理性)が混在しており、それらが混在する中での葛藤が、人を人たらしめていると管理人は考えているからである。もしかしたら、カズオ・イシグロさんも同様なことを考えているかもしれないが、このことを限られた時間に短い言葉で伝えるのには限界があって、説明を省略したのかもしれない。
証拠を示され、論理的に理解しても、それが自分の価値観(無意識のバイアスを受けている)と異なる場合には、その説明に納得し、受け入れるのは難しい。陰謀論を信じる人は、複雑な世界の動きの陰に隠れている真実を知ることに対する強い欲求から、様々な隠れた証拠を見つけ出して、単純な答えとしての陰謀論の辿り着くという説明がある。
「証拠といわれるものだけを信じる人」が、必ずしも"科学的な思考”の世界の住人であるとはいえない。コップ半分の水を見て、「半分も残っている」と考えるのか、「半分しか残っていない」と考えるのかは、見る人の価値観(環境、無意識のバイアス、など)に依存する。同じように、科学研究活動においても、1つの証拠・事実の捉え方は、その人が持っている価値観(仮説)によって異なる。「証拠あるいは論理という棍棒でなぐられた」という言葉を見たことがある。学校教育で「科学的な思考」に対する強い苦手意識を植え付けられた人にとって、科学は権力であり、科学的な証拠に基づく論理的な説明は科学の権威による迫害としか感じない。
4.おわりに
「衝突」する異なる2つの世界が「融和」するためには、どうしたらよいのだろうか? 1人の人間の心の内なる異なる2つの世界(感性と理性)の融和は、自分の心の中の無意識のバイアスや拘り、思い込みに気付き、それを克服する努力を積み重ねるしかないように管理人は思う。社会的な異なる2つの世界(科学と非科学)の融和を進めるためには、共通の理解・認識を深めるために、互いに敬意を持ちながら、証拠に基づく論理的な対話を続けるという「科学の営み」についての科学リテラシーの普及が重要だと考えている。我田引水であるが、カズオ・イシグロさんの「証拠に基づき真実を見る手法が大事だ」という言葉は、「科学の営み」の普及の重要性を示唆しているように思う。
「衝突」する異なる2つの世界が「融和」するためには、どうしたらよいのだろうか? 1人の人間の心の内なる異なる2つの世界(感性と理性)の融和は、自分の心の中の無意識のバイアスや拘り、思い込みに気付き、それを克服する努力を積み重ねるしかないように管理人は思う。社会的な異なる2つの世界(科学と非科学)の融和を進めるためには、共通の理解・認識を深めるために、互いに敬意を持ちながら、証拠に基づく論理的な対話を続けるという「科学の営み」についての科学リテラシーの普及が重要だと考えている。我田引水であるが、カズオ・イシグロさんの「証拠に基づき真実を見る手法が大事だ」という言葉は、「科学の営み」の普及の重要性を示唆しているように思う。
管理人は、2019年12月に開催された理数系学会教育問題連絡会2019年度シンポジウム「疑似科学やデマに正しく向き合うために -科学教育で何をどう伝えるか-」の企画を担当し、当日の趣旨説明をおこなった。管理人がこのシンポジウムを企画したのは、ニセ科学、フェイクニュース、陰謀論、デマなどの蔓延や科学的定説、科学的検証、証拠に基づく議論・合意形成などについての誤解・無理解などが、我が国の近年の社会問題の一つとなっていることに対し、、理数情報系教育にかかわる組織として、何らかの対策を考える必要があると考えたためであった。今回のカズオ・イシグロさんの言葉を聞いて、今後の理数情報系教育において「科学に基づいた思考」を広めることの重要性を再認識することができた。
カズオ・イシグロさんがコロナ禍を機に「科学者たちへの尊敬の念」を表明した。このことは、英国におけるコロナ禍の現状が大きく係っていると思われるが、その他に、カズオ・イシグロさんの父君が海洋学者であったことも影響している可能性がある。いずれにしても。東日本大震災の後に広がった科学と科学者への不信に対し、科学者の一人として、科学への信頼を取り戻すことを願って科学コミュニケーション活動をおこなってきた管理人にとって、カズオ・イシグロさんの言葉は非常に嬉しいことであった。これも、コロナ禍に対する医学・薬学研究と医療にかかわる方々の多大な貢献の賜物と思う。
注)カズオ・イシグロさんの父君である石黒鎮雄さんの業績は、日本海洋学会和文誌「海野研究」第27巻5号 p. 189-216に掲載されている以下の文献に詳しい。
小栗 一将 著、総説 石黒鎮雄博士の業績─観測機器・実験装置の開発とアナログコンピューティング による海洋現象解明のパイオニア─、
https://doi.org/10.5928/kaiyou.27.5_189
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