2019年10月15日

「プリンシピア」を翻訳した海洋学者

2019年10月18日 一部修正

毎日新聞2019年10月6日付け東京朝刊の今週の本棚で、「村上陽一郎・評 『プリンシピア 自然哲学の数学的原理 全3編』=アイザック・ニュートン著、中野猿人・訳」が掲載されているのに気付いた。管理人が注目したのは、その訳者の中野猿人というお名前であった。中野猿人と言えば、管理人が大学院学生であった1970年代に海洋学会でそのお姿を拝見していた潮汐学の権威である中野先生(当時、東海大学教授。2005年逝去。管理人の師ではないが、以下では先生と呼ばせて頂く)である。書評では1977年刊行の復刻版であることが明記されておらず、訳者の経歴などに言及されていないこともあって、中野先生ご本人が「プリンシピア」を訳されていたということに思いが至らず、同姓同名の人かと思ってと確認のためネットで調べた。

その結果、講談社の関連サイトの6月21日付け記事「この夏、『プリンシピア』が大復刻。近代科学の始まりをとくと見よ」と題する記事で、42年ぶりにブルーバックスから3ヵ月連続刊行にて復刊されることとなった「プリンシピア」の訳者がまぎれもなく管理人が記憶していた中野先生であったことを確認した。
しかし、その訳者紹介では、
1908年、佐賀県生まれ。1930年、東京帝国大学理学部天文学科卒業。1938年、東京帝国大学より博士号(理学博士)を授与される。中央気象台に奉職、気象大学校長などを歴任し、1968年、気象庁退官。東海大学海洋学部教授を務める。著書『潮汐学』『球面天文学』(古今書院)、『海の談話室』(講談社)ほか。2005年、97歳で逝去。(写真は『プリンシピア』翻訳中、1970年5月撮影。『海の談話室』より)
と記載されているだけであった。このため、以下で、先生の海洋学研究、日本海洋学会へのご貢献などについて紹介することにした。

参考
中野猿人 (1970): 海の談話室.講談社、pp.343.
宇田道隆 (1954): 日本海洋学の進歩の足あと.地学雑誌、63巻3号、p.139-144.
宇野木早苗 (2005): 名誉会員中野猿人先生のご逝去を悼む.海の研究、第14巻第4号、p.549.
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』:中野猿人

1.略歴、日本海洋学会への貢献
先生は、1908年2月佐賀県に生まれ、1930年に東京帝国大学理学部天文学科を卒業,大学院時代には、一般に随筆家として有名な寺田寅彦博士の指導を受け、学位論文「港湾の深さに及ぼす卓越風の影響に関する研究」により、東京帝国大学より博士号(理学博士)を1938年に授与されている。その当時の事は、「海の談話室」所収の「海洋学の先駆者-寺田寅彦博士と小倉伸吉博士」に詳しい。同エッセー集所収の「海洋学談話会」では、1934年10月に寺田寅彦博士のお供をして海洋学談話会の例会に出席した時の思い出が記されている。海洋学談話会は宇田道隆博士のお世話で1932年から毎月1~2回集まって各自の研究成果発表などをおこなう勉強会であった。この海洋学談話会は、1936年12月の第100回を機会に、ほとんどその活動を停止し、1941年の海洋学会の設立とともに、発展的解消を遂げた。

関連拙ブログ記事
2008年06月09日 大正14年の日本海洋学会(続報)

卒業後は、中央気象台(現在の気象庁)に奉職され、1968年に退職するまで、函館海洋気象台長(初代、1942年)、中央気象台海洋課長、気象研究所海洋研究室長(1952年)、神戸海洋気象台長(1963年)、気象大学校長(1966年)などの要職を歴任された。その間、日本海洋学会の創立(1941年)に参画され、評議員、幹事、監査、編集委員長として学会の運営に当たられるとともに、日本海洋学会沿岸海洋研究部会の総務部長として、海洋学会の発展に大きく貢献された。なお、1959年にニューヨークで開催された第3回海洋研究連絡特別委員会会議および国連第1回国際海洋学会議に参加している。その帰途には、合衆国各地の関係諸機関(ウッズホール海洋研究所、スクリプス海洋研究所、他)を訪れている。その詳細な体験談が、「海の談話室」所収の「合衆国見学記」に記載されている。

1968年に気象庁定年退職後は、東海大学海洋学部教授として若い学生たちに海洋に関する教育と研究指導に当たられた。先生の講義やユーモアを交えた講演はその丁寧さと分かりやすさのために、学生のみならずそれを聞く人々からいつも好評を得ていたようである。このことは、「ユキポンぱぱのブログ」2013年1月29日付けエントリー「中野猿人先生」や、「海の談話室」所収の「間ちがいつづき(1964年4月付)」が、「ホントにイヤンなっちゃう」で終わっていることからも窺える。

2.海洋学研究
先生の研究の主な対象は、潮汐、港湾の副振動(静振、セイシュ)、津波、波浪などの海洋波動、および港湾の深さに及ぼす風の影響であった。その中には、水爆実験で発生してわが国へ到達した津波の検出、鳴門の渦潮の特性などに関する研究も含まれる。また、戦後に波浪計による観測に着手されて、気象擾乱と波浪変化の関係を研究している。「日本海洋学の進歩の足あと (宇田道隆、1954)」では、様々な場面で先生のお名前が挙げられている。 敗戦直後で、外国論文の入手が困難であったころ、先生はいち早く、第2次世界大戦中の地球物理に関わる軍事研究で最大の成果のーつと称された、有名なSverdrupとMunkの波浪予報理論 (Sverdrup and Munk, 1946) を訳して紹介し、この方面の研究者や技術者に大きな便宜を与えて研究の発展を図った。ちなみにSignificant wave日本語訳名「有義波」は先生によるものである。また、1990年に東海大学出版部から発行された、日本海洋学会沿岸海洋研究部会編、「続・日本全国沿岸海洋誌」の「第6章 日本周辺海域の潮汐と潮流について」を分担執筆されている。

関連拙ブログ記事
2009年03月01日 副振動は環境破壊とは関係ない
2019年02月13日 故Walter Munkさんのこと

Google Scholarで検索すると、先生の論文の一部のPDFファイルがネットで入手可能であることが分かった。その主なものは以下の通りである。大学院学生時代の論文(海洋学談話会の講演録?)では、現代の眼から見ても、幅広い分野の興味深い題目が並んでいる。

<大学院学生時代>
中野猿人 (1932): 潮流或は海流に依る灣内の副振動の可能性(序報).
気象集誌 第2輯、10巻11号、p.647-652.
中野猿人 (1933a): 地磁氣の短週期變化に現はるる“唸り”に類似せる現象に就いて.
気象集誌 第2輯、11巻4号、p.164-170.
中野猿人、中川順三 (1933): 地震津浪の經路に就いて.
気象集誌 第2輯、11巻10号、p.454-459.
中野猿人 (1933b): 港灣の深さに及ぼす主風の影響に關する研究(第一報).
気象集誌 第2輯、11巻12号、p.535-564.
中野猿人 (1936): 風浪(Wind waves)の作用は如何なる深さ迄達し得るか?
気象集誌 第2輯、14巻11号、p.547-556.

<気象庁職員時代>
中野猿人 (1939): 低氣壓に隨伴する潮汐副振動並びにウネリに就いて (I).
気象集誌 第2輯、17巻4号、p.140-154.
中野猿人 (1949): 關門海峽の潮流とその豫報.
地学雑誌、58巻6-7号、p.213-217.
中野猿人 (1955): 原子エネルギーと海面の振動.
日本海洋学会誌、11巻4号、p.165-169.
宮崎正衛, 中野猿人 (1957): 明石海峽の潮汐と潮流 (第2報).
日本海洋学会誌、13巻2号、p.51-56.
宇野木早苗, 中野猿人 (1958): 台風による御前岩と五島灘の波浪の計算.
日本海洋学会誌、14巻1号、p.15-23.

<東海大学教員時代>
中野猿人, 山田信自 (1975): 日本沿岸各地の平均海面について.
日本海洋学会誌、31巻2号、p.71-84.
中野猿人, 藤本尚宏 (1987): 力学的連成系を形成する湾内のセイシュ.
日本海洋学会誌、43巻2号、p.124-134.


3.著書
主として天文学を専攻しようと思っていた先生は、大学を卒業する間際から次第に、潮汐に興味を覚えるようになった。その動機の一つは、進化論で有名なチヤールス・ダーワインの息子で、理論天文学者のジョージ・ハワード・ダーウィンの書いた潮汐の「通俗解説書」を読んで面白く感じたことであった。先生は、この本を日本語訳し、1942年に「潮汐」の表題で古今書院から刊行している。その他に、1940年に「潮汐学」を、1952年には「球面天文学」を古今書院から出版している。おそらく、1938年に学位を取得した後、その成果を世に広めるために「潮汐学」を1940年に出版し、それが好評だったため、1942年に一般向け翻訳書「潮汐」を出版したのではないかと推察する。「球面天文学」は、「潮汐学」で述べている天文潮汐についての補足と思われる(現物を読んだことのない管理人の推測)。著書「潮汐学」は、我が国におけるこの分野の専門書として永く活用され、出版から35年経った1975年に「潮汐学(複刻版)」が生産技術センター新社から出版されている。

東海大学に異動後の1970年に、それまでに新聞や測候時報(気象庁)などのいろいろな雑誌に掲載した「反通俗的な科学記事」や随筆、紀行文などの中から、海に関するものを選び、これに新たに書きおろした二、三の掌編を加えて編纂した「海談話室」を講談社から出版している。この本の帯には以下の惹句が記載されている。
現役時代のすべてを海洋学に注ぎ、多くの後進の指導にあたった著者のひたむきな姿がふきぼりにされたエッセイ集!!
また、宇田道隆氏評として、
中野博士は温玉に似た感じの名講義と、潮汐・波浪などの業績で有名な海洋学者であるが、この本で長年の研究生活体験からの想華を蚕が糸をはくように奥深く述べている。美しく波立つロマンスグレイの温顔を綻ばせて、岡田武松先生そっくりのユーモアたっぷりのお話は、聴く者に気楽に寛いだ気持ちをもたせ、しかもためになる。圧巻の「合衆国見学記」は、実に丹念な科学者らしい観察と解説の名ガイドぶりで、愛唱歌、詩句、写真をちりばめ、一読涼風いっぱいの好随筆で、広くお勧めしたい。
の文がある。

さらに、1977年にはニュートン著「プリンシピア 自然哲学の数学的原理」を翻訳して講談社より出版している(この本の復刻版が、今年、2019年に出版された)。先生がプリンシピアを翻訳し、出版に至った経緯は、どこかに記されている可能性はあるが、管理人は知らない。ブログ「とね日記」の2009年11月18日付けエントリー「日本語版「プリンキピア」が背負った不幸」にプリンシピアの日本語訳本についての情報が記載されている。それによると、最初の日本語版として、1930年に岡邦雄訳が春秋社「世界大思想全集6」として出版されている。1930年と言えば、先生が大学を卒業した年である。縦書きの読みにくい岡邦雄訳を読んだ先生が、ジョージ・ハワード・ダーウィン著「潮汐」の日本語訳と同じく、新たな日本語訳を思い立ち、気象庁勤務の傍ら書き溜めていた原稿の公刊が47年後に実現したのかもしれない。あるいは、東海大学に異動した後、大学院学生の頃の思いを実現すべく、翻訳に取り組まれたのかもしれない。

4.おわりに
管理人が大変立派な体格の先生のお姿を初めて拝見したのは、1971年10月に函館で開催された日本海洋学会秋季大会に参加した時だったと思うが、確かではない。その後も何度となく、お見かけしたが、風波の発達機構についての研究をおこなっていた管理人は、潮汐の専門家としか先生を認識しておらず、親しく言葉を交わすこともなかった。

本エントリーを書き始めるにあたって、宇野木さんの「名誉会員中野猿人先生のご逝去を悼む」を改めて読み、初めて、先生が寺田寅彦の弟子であったこと、日本海洋学会創立20周年記念事業の編集委員長として,「日本海洋学会創立20周年記念論文集j および「日本海洋学会20年の歩み」の合わせて約1000頁に及ぶ大冊の刊行を果たされたこと、著書に「海の談話室」があることなどを知った。海洋科学リテラシー普及活動に取り組む管理人にとって、先生は偉大な先達のお一人と思い、通販で「海の談話室」を入手した。序文の「反通俗的な科学記事」という記述や、現在では潮汐・副振動は海洋学というよりは物理海洋学に分類される研究分野を「海洋学」と呼んでいることなどに時代の変化を思った。
posted by hiroichi at 03:08| Comment(3) | 海のこと | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
市川先生

はじめまして。とね日記の管理人の「とね」と申します。ブログ記事を引用いただき、ありがとうございました。

先生がお書きになった、こちらのブログ記事を読ませていただきました。中野先生に関しては、10年前に引用していただいた記事を書いたときにウィキペディアに載っていた情報しか得られず、読ませていただいたブログ記事で詳しく知ることができて、うれしく思います。市川先生は生前お元気だった頃の中野先生の姿をご覧になっていたわけですね。

すでにお気づきだと思いますが、今年の6月にブルーバックスから復刊したプリンシピアについてもブログ記事で紹介しております。

ニュートンの『プリンキピア』がブルーバックスで復刊!
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/a85d47fe8132a97c7180c444a816b196

先生のツイッター・アカウントをフォローさせていただきました。今後とも、宜しくお願い致します。
Posted by とね at 2019年10月16日 15:14
「とね」様

早々にご返信をありがとうございました。

> 市川先生は生前お元気だった頃の中野先生の姿をご覧になっていたわけですね。

はい、お姿をお見かけしておりました。しかし、当時の私が取り組んでいた波浪研究の先達であったことを知らず、親しく言葉を交わすことがありませんでした。中野先生の弟子の宇野木さん他、他大学の教授・助教授の方々とは、分野に関係なく、あれこれお話できたのですが、中野先生他の60歳以上の方々とは、気後れしてお話できませんでした。

> すでにお気づきだと思いますが、今年の6月にブルーバックスから復刊したプリンシピアについてもブログ記事で紹介しております。

ニュートンの『プリンキピア』がブルーバックスで復刊!
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/a85d47fe8132a97c7180c444a816b196

ご紹介をありがとうございます。頻繁な更新に敬服しつつ、その他の記事も、時折、拝見しております。

> 先生のツイッター・アカウントをフォローさせていただきました。今後とも、宜しくお願い致します。

ありがとうございます。私は、かなり以前から「とね」さんのツイッター・アカウントをフォローしております。
こちらこそ、今後とも、宜しくお願い申し上げます。
Posted by hiroichi at 2019年10月18日 01:44
市川先生

返信ありがとうございます。20代の頃だと60歳以上の研究者に気軽に声をかけることができないお気持ちはよくわかります。私は昨日57歳になりましたが、実は60歳くらいの人は若い人から声をかけてもらいたいのだということにこの年齢になって気がつきました。私も若い頃に著名な先生と話す機会があったのに、素通りしてしまった経験があります。(いちばん悔やんでいるのは、代ゼミ生だったとき地球物理学者の竹内均先生の授業をとっていたのに、質問しにいかなかったことです。)

ブログを書くのは楽しみになっています。もともと三日坊主な性格ですが、科学系の読書とブログだけは14年も続いています。

こちらこそ、宜しくお願い致します。
Posted by とね at 2019年10月18日 11:40
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