とニューヨークタイムズ(NYT)の記事を読んだ。以下は、それらの記事に記載されているMunkさんの足跡の一部の紹介・補足と個人的な思い出など。
拙ブログ関連記事:
2009年10月04日 ベニス2009年9月
2013年02月16日それはTom Rossbyさんとの出会いから始まった
2014年08月19日科学に関する7月15日-8月16日のツイート
2016年10月13日北極海の氷が融けると海面は上昇するのか?
1.ムンクさんの足跡
1.1 軍事研究
SIOの記事は、その冒頭で
ムンクさんは、第二次世界大戦で連合軍に戦略的優位性を与え、大学の設立を支援し、海洋学の生きた同義語となっていた。と述べられている。また、
スクリップス海洋研究所の地球物理学者として、波、海水温、深海の潮汐エネルギー、海洋音響、地球の自転について画期的な観測を行った。また、科学を含む広い学術分野の有識者として、大統領と国防総省の顧問を務め、ダライラマとローマ法王を含む公人と対話した。とも述べている。
軍事研究について考えることの多い人には、連合軍とか国防総省への貢献があることが気になると思うが、ムンクさんは、上陸作戦のため波浪予報研究を行い、長く国防総省の科学顧問を務めており、事実である。
その背景として、2014年のインタビュー記事で、
第2次世界大戦中の科学者と軍部とはどのくらい親しかったのか?
という質問に対し、ムンクさんは
人により異なり、一般的には言えないが、概して、科学界と軍部はお互いに協力的であった。米国では、大戦中は、ドイツや日本と違って、軍と大学の関係が非常に強かった。
と答えている。また、
戦後、科学者と軍部との関係はどのように変わったのか?
という質問に対しては、
戦後直後の両者の関係は素晴らしく良かった。米国科学財団が設立される前は、海軍研究所が科学研究支援を行う唯一の政府機関であった。その頃は、海軍は、観測機材の亡失のような失敗をしても、寛容であった。これが海洋学の発展に大きく寄与した。しかし、良き時代は終わった。財政緊縮とともに、挑戦する意思がなくなった。失敗するかもしれないことに挑戦することが、研究の基本である。
と答えている。最後の部分は、焦点が軍事研究の話から逸れているが、重要な指摘ではある。失敗を恐れず、新たな分野に挑戦し続けたムンクさんの真骨頂を示していると思う。結局、ムンクさんは、軍事研究と学術研究の境界について深く認識していなかったように思う。それは、ムンクさんが研究を始めた1940年代という時代が関係している。
ムンクさんは1917年にオーストリアの国際的な銀行家の家庭に生まれ、14歳の時に、将来は銀行家にという家族の期待を受けて渡米した。しかし、多感な青年は、家族の願いに反し、パサデナのカルフォルニア工科大学に入学し、1939年に物理の学士の学位を取得し、1940年には修士の学位を取得している。この間、ラホヤ(現在、スクリプス海洋研究所が所在)で一夏を過ごし、1939年から著名な海洋学者であったSverdrup所長の指導の下で大学院学生生活を始めている。
ムンクさんは、1939年に米国の市民権を得た後、当時の戦況から従軍したものの、18か月後にSverdrup所長にスクリプスに呼び戻され、サンジェゴ近郊に新設された海軍の防衛研究施設に勤務した。所属していた部隊は、その後、ニューギニアに派遣され、ほとんど全滅した。その後、Sverdrup所長とともに、米軍のアフリカでの上陸作戦のための波浪予報に取り組んだ。その成果が米軍の様々な上陸作戦で活用された。
管理人がムンクさんのお名前を知ったのは、卒論のテーマを風波の発達機構に関係する風洞水槽実験を始めた頃に、波浪の研究が、第2次世界大戦末期のノルマンディー上陸作戦の際の波浪予報に貢献したという記述に出会った時だったように思う。ムンクさんの軍事研究としての波浪予報研究の成果は、戦時中は公表されず、戦後、
Sverdrup, H. U. and W. H. Munk (1946): Empirical and theoretical relations between wind, sea, and swell. Trans. Amer. Geophys. Union, vol.27, pp.823-827. https://doi.org/10.1029/TR027i006p00823 (要旨のみ無料閲覧可)
で公表されている。当時の世相だったとはいえ、軍人のみならず、多くの一般人の命を救ったはずの波浪予報研究の成果が、戦時中は米国軍の内部でのみ使われていたことは、「科学と軍事研究」を考える際に、留意しておく必要があるように思う。
1.2 様々な研究
第2次世界大戦後のムンクさんは、太平洋における原爆実験の研究に参加し、原爆実験で発生する津波の警報システムを開発するとともに、風成海洋循環の研究を行っている。1950年代には、地球物理学研究に従事し、地軸の揺らぎ(地球の極運動)について研究している。また、1960年代以降には、潮汐、水中音響トモグラフィー、地球温暖化による海面上昇についての研究などを行っている。
拙ブログ関連記事:
2016年10月13日 北極海の氷が融けると海面は上昇するのか?
先に触れたインタビュー記事で、
最も誇りに思う研究成果はなにか?
を問われ、ムンクさんは、
地球温暖化(海水温上昇)のモニターのためにインド洋に設置した音源から発信した信号音が世界中に伝播したことと、潮汐予報に関するCartwrightさんとの研究を挙げている。この研究は、
Munk, W. H. and D. E. Cartwright (1966): Tidal spectroscopy and prediction. Phil. Tras. Roy. Soc. A, Vol.259, pp.533-581. https://doi.org/10.1029/TR027i006p00823 (全文、無料閲覧可)
で発表されたものであり、管理人は、卒論論・修論において波の上の風速変動に含まれる波によって引き起こされた成分を取り出すスペクトル解析を行う際に、この論文を大いに参考にしていたのを思い出す。
また、このインタビュー記事での、
海洋学者たちが現在おこなっている研究課題で重要な例を1つ挙げてください
という質問に対し、ムンクさんは、風が海に働く力を挙げている。このインタビュー記事の最後の質問は、
あなたはしばしば「adventurous emotionographer」と呼ばれているが、こう呼ばれるのが好きですか?
というものである。これに対し、ムンクさんは、
はい! 私は、大変良い問題解決者ではありません。私より問題解決能力が高い人はたくさん居ます。私の数学力は当時は十分でしたが、今では私の学生の方が上です。しかし、私は、疑問に思われず、その後に非常に多くの人が取り組むことになる疑問に答えることに成功して来ました。例えば、外洋潮汐の問題です。
と答えている。
上に述べたことについては、ムンクさんの京都賞受賞記念講演「私の幸運な半生」も参照されたい。当人の評価・思い出とSIOおよびNYTでの記述の微妙な違いは、興味深い。
2.ムンクさんの思い出
2.1 1999年11月鹿児島
管理人がムンクさんと初めてお会いしたのは、ムンクさんが第15回京都賞を受賞し、受賞者一般講演会のために鹿児島大学に来訪された時であった。遠い過去の記憶をたどって、当時の様子を以下に紹介する。
1999年当時は、受賞者は稲盛和夫理事長の出身大学である鹿児島大学で市民を対象とした一般講演会で講演することになっており、その際に受賞者と同じ専門分野の関係者との懇談会(ワークショップ)が開催されていた。この一般講演会は、現在では、鹿児島県、鹿児島市、他が加わった事務局によって運営されている。管理人は、大学事務局からの依頼により、この懇談会担当責任者として京都賞一般講演会事務局(?)に加わり、講演会の準備と運営や懇談会の司会に携わった。受賞者3名(ムンクさんの他は、材料科学のW. David Kingeryさんと振付家のMaurice Bejartさん)と稲盛和夫理事長他の財団関係者を鹿児島空港で出迎えた後、桜島観光に同行した。その時の、車椅子のJudith夫人(2006年に逝去)に優しく寄り添いながら、仲睦まじく語り合っていたムンクさんの姿が思い出される。
京都では、「海洋研究の最前線」と題するワークショップが松野太郎先生の企画・司会で開催され、鳥羽良明先生他が講演されることになっていた。このため、鹿児島大学での懇談会には、ムンクさんの研究と関係が深いものの、京都でのワークショップで講演されなかった光易恒先生と寺本俊彦先生にも鹿児島にお越し頂いて、鹿児島大学の海洋研究者とともに約2時間ほど懇談とした。管理人が、米国ロードアイランド大学のMark Wimbushさんと進めた東シナ海黒潮観測と足摺岬沖黒潮横断協同観測について紹介した時には、本当に嬉しそうに「He was my student」と言われた。人の縁の不思議さに本当に驚いた。
拙ブログ関連記事:
2013年02月16日 それはTom Rossbyさんとの出会いから始まった
2.2 2009年9月ベニス
OceanObs'19が、前回のOceanObs'09から10年ぶりに、今年9月にホノルル開催される。ムンクさんと最期にお会いしたのは、このOceanObs'09が2009年9月にベニスで開催された時の昼食会場であった。バイキング形式の食堂で、空いている席で食事をしている時に、ムンクさんがC. Wunschさんと同じテーブルに座られた。世界の海洋研究を先導するお2人が楽しく語り合っているのを目の前にして、特に強く印象に残っていたせいか、帰国直後のブログにそのことを記載している。
拙ブログ関連記事:
2009年10月04日 ベニス2009年9月
2008年07月26日 Carl Wunschさんのこと
ムンクさんは、いろいろなところで、海洋観測の重要性を強調している。我が国における海洋観測は、10年前にも厳しい状況であったが、今は、さらに悪化しているように思う。
3.おわりに
思い返せば、京都賞受賞のため来日されたムンクさんを囲んで懇談会を開催した1999年11月は、管理人が事務局長で、中国、韓国、米国からの参加者を迎えて、稲盛会館で第10回日本海東シナ海国際研究集会(JECSSS/PAMS)を開催した翌月であった。あれから20年が過ぎた。当時、お世話になった多く方が引退し、JECSSS/PAMSに米国から参加し、天文館で楽しい一時をご一緒したChris N. K. Mooersさんも昨年4月に82歳で亡くなられた。ムンクさんも亡くなられ、「光陰矢の如し」を実感している。残された者は、先人の歩んだ道を偲びながら、新たな道を切り開いていかねばならないとの思いを新たにしている。
合掌