この魚の耳石は、結晶化した後は代謝されないため、個体が経験した環境履歴が経時的に保存されているという特徴を持っています。多くの魚類では、耳石に日周輪を形成することが飼育実験によって確かめられています。したがって、耳石日周輪をすべて読むことができれば、採取日から逆算することで、孵化日を推定することができます(伊藤ほか、2018)。なお、日周輪は、日輪とも呼ばれています。また、飼育実験から、多くの魚類で、日周輪の数+2が孵化後の日数であることが知られています。
管理人は、約20年前に、農林水産技術会議プロジェクト研究成果報告会で耳石の日周輪を利用したアジ仔稚魚の産卵場推定の話を始めて聞いて以来、魚の耳石を用いた研究の成果に強い期待を抱いてきました。遊泳能力の乏しい仔稚魚は水の動きによって移動するので、耳石の日輪数の空間分布の変化から仔稚魚の日々の移動を捉えることが可能になれば、数日の時間間隔で海水の移動を知ることができるのではないかと、考えたからです。
海水の動きを追跡することは、前エントリーで述べたタンカー沈没事故の影響の推定などで重要な課題です。漂流ブイは海水移動を追跡する有力な方法ですが、漂流ブイを大量に放流するのは、多大な経費を要し、困難です。海水の成分(塩分、栄養塩濃度組成、溶存酸素量、同位体元素比など)を分析し、その違いから海水を区別し、海水の移動を推察する方法が考案され、多くの成果が得られています。しかし、この方法によって海水の移動を短い時間間隔で捉えるのは、容易ではありません。仔稚魚の耳石分析は、生物情報を使って物理情報を得るという面白い課題になると思っていました。
このこともあって、3月25日午前に品川で開催された第21回海のサイエンスカフェ「耳石でわかる!魚の暮らした環境」に参加しました。マサバの耳石の酸素同位体分析で得られた最新の研究成果の紹介を話題提供者の樋口富彦さんからお聞きし、この約20年間で耳石の分析方法に格段の進展があったことを知りました。その後、3月29日にネットをチェックしていて、平成20年3月25日付けで独立行政法人水産総合研究センターから「耳石を用いた太平洋産のクロマグロの年齢査定と成長解析の成果」がプレスリリースされていたのに遭遇しました。耳石の年輪の分析から、クロマグロの成長は10歳程度までが速く、それ以降では遅くなること、クロマグロの寿命が20年近いことが示唆されたという、大変、興味深い内容でした。
耳石の話題が重なったのを機に、専門外ですが、以下に、魚の耳石の解説を試みます。
<参考>
新井崇臣 (2007): 耳石が解き明かす魚類の生活史と回遊.
日本水産学会誌、第73巻第4号、652-655.
https://doi.org/10.2331/suisan.73.652
塚本勝巳 (2006): ウナギ回遊生態の解明
日本水産学会誌、第72巻第3号、350-356.
https://doi.org/10.2331/suisan.72.350
伊藤進一ほか (2018): 気候変動が水産資源の変動に与える影響を理解する上での問題点と今後の展望.
海の研究、第27巻第1号、59-73.
https://doi.org/10.5928/kaiyou.27.1_59
1.耳石とは
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典には、耳石について以下の記述があります。
平衡石、聴石ともいう。無脊椎動物の平衡器官である平衡胞内にある小さい粒。耳石は体の傾きに応じて重力の方向に移動し、感覚細胞の感覚毛を圧迫し、その圧迫の変化によって体の傾きを感じるようになっている。この粒は胞壁の細胞から分泌されたもので1~数個あり、炭酸カルシウム、フッ化カルシウムなどから成る。クルマエビ類では砂粒その他外界の異物を取入れて耳石とする習性があり、脱皮ごとに取替えられる。脊椎動物の平衡器官の前庭内のものは、小さく、聴砂という。日常生活と関係しないため、百科事典で「魚の耳石」について言及されていないのは仕方がないと思います。とは言え、「多くの魚類では、耳石に日輪が形成されていること」などの紹介がないのが残念に思います。
なお、ヒトの内耳の耳石器と呼ばれる部分にも、耳石があります。 頭部が傾くと耳石器の中で、その重みによって移動する耳石の動きを感覚細胞が感知して、その情報を脳へ送っています。はがれた耳石が三半規管に入ると、「良性発作性頭位めまい症」が発症します。
<参考>
ケンカツ!【頭位めまい症】は自分で治せる!専門医が考案「寝返り体操」のやり方
https://kenka2.com/articles/105
2.魚の耳石
福井水産試験場ホームページの「耳石のページ」では、「魚の耳石」について、以下のように説明しています。
耳石は、魚の成長とともに毎日少しずつ大きくなります。なお、魚類の年齢の調べ方(地方独立行政法人青森県産業技術センター、2015)によると、耳石の年輪は、そのままでは見えないので、耳石を樹脂で固めて、耳石カッターで樹脂ごと薄く輪切りにして断面を顕微鏡で観察している、とのことです。
すると、耳石の外側に、毎日非常に細い線の輪が1本ずつ作られてきます。
これを日輪と言います。日輪の間隔は、成長の良いときは広く、成長が悪いときには狭くなるので、木と同じような年輪が形成されます。
例えば、耳石を光にかざすと、線のような輪が見えることがあります。これが年輪です。(日輪は顕微鏡を用いないと見ることができません)
また、魚の種類によって耳石の大きさや形が全く異り、年輪が見えない場合もあります。
一般的に魚は、水温が低い冬の時期に成長が悪くなり、年輪が形成されるので、このような耳石にできる年輪を利用して、魚の年齢を推定することができます。
下の写真は、福井水産試験場ホームページの「耳石の日輪、年輪の数え方」のページに掲載されている、九頭竜川河口沖の海で採集した稚アユ(全長、約2 ㎝)から採取した0.2㎜の耳石の顕微鏡写真です。木の年輪と同じような美しい円輪が見えます。
3.魚の耳石から何が分かるのか?
1971年に耳石の日輪構造が初めて報告されました。それ以降、魚類の日齢推定の精度が向上し、魚類の生活史の研究が飛躍的に発展しました。
3.1 日輪・年輪の数
日輪・年輪の数は、孵化後の経過日数・年数を表しています。漁獲された魚類の耳石の年輪数の分布を調べることで、その魚群の年齢組成が分かります。その結果、例えば、例年よりも1歳魚が少ない場合には、生残した仔稚魚が例年よりも少ないことを意味し、次年以降の資源減少が予測されます。
同様に、採集された仔稚魚群の耳石の日輪数の分布を調べることで、その仔稚魚群の日齢組成が分かります。その結果、例えば、流れの速さと分布が分かれば、逆算して、産卵場を推定することができます。また、日齢の頻度分布が集中していて、分散が小さい場合には、産卵場から採集地点まで間における海水混合の度合いが小さいことが推察されます。
シラスウナギの日齢分析の結果として、ウナギの産卵期のピークが、それまでの予想に反し、夏であることが、ウナギの稚魚(レプトセファルス)の日齢分析の結果から、ウナギは、産卵期の各月の新月前後に同期して、一斉に産卵することが報告されています (塚本、2006)。
3.2 日輪・年輪の間隔
耳石の大きさは、同じ魚種で、体長が大きいほど、大きくなります。それは、日輪の間隔が、成長の良いときは広く、成長が悪いときには狭くなるためです。日輪間隔が成長の指標となることは、多くの魚種で確かめられています。
体長からは、生まれてから漁獲されるまでの合計の成長量しか分かりませんが、日輪・年輪の間隔を調べることで、日々および年々の成長量を変化が分かります。
3月25日付けの独立行政法人水産総合研究センターのプレスリリース「耳石を用いた太平洋産のクロマグロの年齢査定と成長解析の成果」で紹介された研究の独創的な点は、多数のクロマグロの耳石を収集した方法にあります。産地市場で水揚げされた個体について、その体長や体重などを記録するとともに、頭部に番号札を付けることで個体識別した魚を流通段階で追跡できるようにし、築地市場など消費地市場で解体された頭部から回収した耳石と個体を照合できるようにしたことです。この方法で、1998年から2007年に日本各地などで収集した多数のクロマグロの耳石薄片を観察することによって、クロマグロの成長は10歳程度までが速く、それ以降では遅くなること、クロマグロの寿命が20年近いこと、の示唆が得られたのでした。
3.3 耳石の化学組成
耳石には、生息環境水中の微量元素が取り込まれ、生涯にわたって蓄積され、保存されます。したがって、耳石中の微量元素量を調べることで、その魚の生息してきた環境を推定することが可能です。また、耳石中の微量元素濃度は成熟や変態などの生理的因子によっても変化します。すなわち、耳石は個体の生活履歴や回遊履歴を書き込んだ魚の「履歴書」のようなものといえます (新井、2007)。
耳石中の微量元素の中でも、ストロンチウムは濃度も高く、その濃度は、環境水中のストロンチウム濃度、塩分、水温などの変化に応じて、変化することが知られています。特に、海水と淡水との間を行き来する回遊魚では、海水と淡水との間を行き来する際に、耳石中のストロンチウム濃度あるいはストロンチウム/カルシウム比が大きく変化します(ストロンチウム濃度は波長分散型X線分析装置で測定します)。ウナギの耳石中のでは、ストロンチウム/カルシウム比が急減する点が耳石日輪幅が急増する点が一致し、これがレプトセファルスからシラスウナギへの変態開始と考えられています。レプトセファルスは1日に約0.5 mmずつ成長し、孵化後150日前後で全長約60 mmに到達すると変態を開始し、約3週間かかってシラスウナギになること、さらに孵化後180日前後で低塩分な河口域に到着することが、耳石の日輪と耳石中のストロンチウム/カルシウム比の分析から明らかにされています (塚本、2006; 新井、2007)。また、太平洋西部域で漁獲されたカツオの耳石中のストロンチウム/カルシウム比の分析結果から、太平洋西部域には、少なくとも熱帯域に残留する個体と、熱帯域と温帯域の間を大規模に回遊する個体がいることが示唆されています (新井、2007)。
微量元素ではありませんが、ストロンチウムと同様に、耳石組成の中で生息環境水によって変化するものに、耳石(炭酸カルシウム)を構成する酸素の安定同位体比(酸素安定同位体比)があります。耳石中の酸素安定同位体比を用いた経験環境の推定そのものは、1960年代からの長い歴史を持っています。近年、その分析技術の向上によって、少量の試料を用いた分析が可能となり、耳石に記録された情報を高時間解像度で解読することが可能となってきました。具体的には、高精度マイクロミルが開発され、カメラ画像から得た耳石日輪の座標に沿って数10 μm単位で耳石を切削することが可能となりました。また、安定同位体比質量分析計の精度向上、分析技術の革新、高度に最適化した手法によって、0.2 μgの試料の分析も可能となっています (伊藤、2018)。
耳石の酸素安定同位体比は、仔稚魚が高塩分かつ低水温な環境を経験するほど高くなります (伊藤、2018)。三陸沖の北緯34-39度、東経139-161度で採集されたマサバの仔稚魚の耳石に関する最新の研究(樋口、第21回海のサイエンスカフェ資料)では、仔魚期(耳石径<200 μm)のマサバには、耳石径が大きいほど、耳石全体の酸素安定同位体比は小さくなり、稚魚期(耳石径>200 μm)には、耳石径が大きいほど、耳石全体の酸素安定同位体比も大きくなることが明らかになっています。これは、仔魚期のマサバは、経験水温が高いほど、成長が進んで体長が大きいことと、稚魚期のマサバは、低水温域に早期に侵入し、高栄養価の餌料を獲得した稚魚ほど、成長が進んで体長が大きいことを示唆していると、管理人は思います。
4.おわりに
魚類の資源量は、産卵量、仔稚魚の生残率、産卵可能なまでに成長した親魚量に依存します。その中でも、仔稚魚の生残率が最も重要な要素です。この生残率(1 から死亡率を差し引いたもの)は、体長、仔魚期間、健康状態を通して、成長率の関数になっているという考え方があります。日輪の間隔は日々の成長量(成長率)と強く関連していますので、仔稚魚の耳石の日輪間隔が、どのような環境要因で変化するのかを明らかにすることが、仔稚魚の生残率、ひいては資源量変動予測の精度向上に必要です。
北西太平洋のマイワシとカタクチイワシを対象とした2007年の研究では、採取した仔魚の縁辺部の耳石日輪の間隔(採取直前の成長に相当)を採取した地点での海表面水温と比較し、カタクチイワシは22.0 ℃で成長が最大となるのに対し、マイワシはより低温の16.2 ℃で成長が最大になることと、このことが、水温が、直接、仔魚の成長を制御し、水温変化がマイワシとカタクチイワシの間の魚種交替を引き起こしている可能性を示していることを報告しています(伊藤ほか、2018)。耳石中の酸素安定同位体比の分析手法の高度化により、採取地点のみならず、採取された時点までの日々の成長量と環境水温の関係を明らかにできる時代が近いと思います。
これまで、海洋大循環モデルを用いた卵仔稚の輸送実験では、物理場が超高解像度化やデータ同化などによって現実的になっても、計算結果を検証するデータがありませんでした。しかし,耳石の酸素安定同位体比を検証データとして用いることで,輸送実験の結果を検証することができるようになります(伊藤ほか、2018)。
結局、耳石を介して、生物、物理、化学の各分野が連携して、海の理解を深める営みが続けられています。本記事によって、このような海洋学研究の面白さの一端が読者に伝われば、幸いです。