今年こそは、せめて、月に1回はブログを更新しようと考え、1月、2月、3月と各1回の更新を続けたが、その後は5月の1回のみとなってしまった。つれづれ想う所は数多くあったが、いろいろな締め切りに追われ、じっくりとPCに向かって自分の考えをまとめる時間的余裕がなかったためである。
年明けに、イベント、締切をいくつか控えているものの、束の間の空き時間を使って、2017年を振り返って思うことを以下に述べる。
1.カズオ・イシグロさんのノーベル賞受賞
カズオ・イシグロさんのノーベル賞受賞を知り、不思議な因縁を感じた。それは、2月末に光易恒先生(九州大学名誉教授)から
石黒鎭雄博士(カズオ・イシグロさんの父)のことを日本海洋学会ニュースレターに寄稿しようと思い、ネットで調べたら、管理人のツイートを見つけたので、とりあえず、管理人に石黒鎭雄博士のことで知っていることを伝える、
というメールを頂き、その後の光易恒先生の日本海洋学会ニュースレター寄稿原稿の下読みでお手伝いしていたである。
こういうこともあり、カズオ・イシグロさんのノーベル賞受賞の報道で、石黒鎭雄博士のことも言及されていたため、以下のツイートをした。
hiroichik / 市川洋,Hiroshi Ichikawa
カズオ・イシグロさんが海洋学者(石黒鎭雄 博士)の息子であることまで報じられているのが、同じ分野の者として嬉しい。石黒鎭雄博の事は、海洋学会ニュースレターの記事(pdf)https://t.co/6quf3Z6plS のp.5-6… https://t.co/sCtqDep2nb at 10/06 00:27
どういうわけか、このツイートの多くの人の関心を呼び、約94,000人(12月30日現在)のユーザーの目に止まった。さらに、このツイートで紹介した、光易先生の寄稿が掲載されている日本海洋学会ニュースレターには、管理人が設定した短縮URLを経由して約1000人のアクセスがあった。管理人の普段のツイートのインプレッション総数(ツイートを見たユーザーの総数)は、せいぜい200程度であることから、非常に驚くとともに、光易先生の記事を通して、海洋研究活動の一端が多くの人に知られる機会を広めることができ、嬉しかった。
なお、石黒鎭雄博士の研究内容についての毎日新聞のコラムを読んで、その元情報を探して、以下のツイートをした。
hiroichik / 市川洋,Hiroshi Ichikawa
石黒鎮雄博士の業績が英国科学博物館で展示されている件。紹介されている話の元記事はこれ? https://t.co/RfGBkWn4yX / “土記:カズオ・イシグロの父=青野由利 - 毎日新聞” https://t.co/bDpTlrEofO at 12/17 14:04
元記事は、科学が文化となっている英国の底力を示すとともに、海洋科学研究の歴史の一側面を示す良記事だと思う。
この記事に対し、Mikihito Tanakaさんから、以下の反応ツイートがあった。
カズオ氏の発言引用部分「まるでタイムマシンの中身のようでした」の表現が「??」だったのだが、市川さんの紹介してくださったリンクを見て"Tardis"なのかと理解。確かにデカくて縦長でそんなイメージ。
まぁ最近のTardisの内部セットはこんなんだけど → https://i.ytimg.com/vi/lHBQqfO-p50/maxresdefault.jpg …
https://twitter.com/J_Steman/status/943356317548400640
管理人は"Tardis"の意味が分からず、ネット検索し、ウィキペディアの「ターディス」の説明を見つけ、ようやく理解したのだった。
2.海洋科学と軍事研究
2月5日付け拙ブログ記事「2017年1月のトップ3ツイート(海洋酸性化、他)」で、軍事研究と海洋学研究について、
海洋学研究者にとって、軍事研究費との関係は非常に微妙な問題である。それは、研究対象である海そのものが軍事行動の場であり、海に関する情報の多くは、軍事情報でも有り得るからである。
と言及していた。2月初めに、この件について、何か声を上げることの必要性を感じた池田元美さん(北大名誉教授)から相談があり、2月下旬に、他のよびかけ人グループの方々と共に、日本海洋学会会員有志による「軍事研究と海洋科学を考える談話会」を立ち上げ、ML管理を担当した。3月20日に開催した談話会ではMLでの議論内容の報告をした。
10月3日にScience Communication Newsで、サイエンスアゴラの企画として、「本音で語るデュアルユース」開催の案内があった。故・横山雅俊さんがサイエンスアゴラで開催してきた「本音で語る」ワークショップシリーズであった。故人を偲ぶイベントであれば、どのようなテーマであっても、参加するつもりだったが、管理人が関心を持つ軍事研究が
拙ブログ関連記事:
2018年5月11日付け 追悼 故横山雅俊さん
その結果、ワークショップで「海洋科学と軍事研究」と題する話題を提供することができた。使用したPPTを以下のサイトで公開しているのでご参照ください。
http://bit.ly/2k15IW6
なお、このワークショップ全体の詳細な開催報告が以下のサイトで公開されている。
http://d.hatena.ne.jp/scicom/20171205/p1
このワークショップの実況ツイートのまとめへの、管理人の以下の御礼ツイートへのインプレッション総数は、約4,800に達した。軍事研究の拡大に対し、多くの人が関心を抱いている証左と思われる。
hiroichik / 市川洋,Hiroshi Ichikawa
まとめをありがとうございました。多くの方に、海洋科学と軍事研究の関係についてお話する機会をいただき、感謝しております。私の話題提供で用いた資料..「2017.11.17 「本音で語るデュアルユース~幸せになれる科学研究とは?..」https://t.co/RkgCvkHFnu at 11/29 12:37
なお、上のワークショップで話題提供の場を得たのは、故・横山雅俊さんに結んでいただいた縁だと思う。改めて、ご冥福をお祈りします。
3.2017年度日本海洋学会宇田賞
5月22日の日本海洋学会2017年度通常総会に引き続き,学会各賞の授賞式が行われ、管理人は、2017年度日本海洋学会宇田賞を授与された。この賞は、海洋学の発展に多大な貢献をされた宇田道隆博士の名を冠して、顕著な学術業績を挙げた研究グループのリーダー,教育・啓発や研究支援において功績のあった者など,海洋学の発展に大きく貢献した日本海洋学会会員を表彰ものである。管理人の受賞理由は、「海洋に関する知識の市民への普及啓発」であった。
受賞挨拶では、今回の受賞は、管理人個人というよりは、管理人がこれまで共に活動してきた海洋学会教育問題研究会の活動が、学会会員の多くから高く評価された結果であり、教育問題研究会を代表して受賞するものであり、今後とも、教育問題研究会の活動を支援してい戴くことをお願いした。実は、それに続いて、宇田先生の思い出を語ろうと思っていたが、挨拶を短くするため、割愛した。以下は、その概要。
宇田道隆先生(1905年1月13日 - 1982年5月10日)は、管理人が修士1年で日本海洋学会に入会した1972年当時の学会長であった。大会の研究発表会場の最前列に座り、盛んに質問されていたお姿、いつも風呂敷包みを持って、足早に歩くお姿、当時の研究発表で主流であったスライドを使わず、手捲りの大判のビラを使って朴訥と発表されるお姿、その方法を国際会議でも使いながら、あまり上手とも思えない英語で発表されるお姿に、驚いていた。ただし、先生のあまり上手でもない英語の発表に対し、外国からの参加者が水産海洋学の創始者としての宇田先生に尊敬の念を持って接している様子を垣間見て、英語の上手・下手に関係なく、その業績で人を評価する、学問の世界の素晴らしさを実感した。
管理人の研究課題が海洋物理学分野(風波の発達過程)であったのに対し、宇田先生の専門分野は水産海洋学であると思い込んでいたため、管理人が大学院学生であったときには、宇田先生の業績等への関心は薄かった。しかし、その後、管理人が鹿児島大学水産学部に職を得て、水産海洋学に足を踏み入れてから、宇田先生の潮目の研究などの業績に触れる機会が増え、また、寺田寅彦の弟子で歌人、神戸・長崎海洋気象台長、東海区水産研究所長を歴任、海と魚のことを体験的に良く知っている漁業者からの聞き取り調査を北海道から沖縄まで50年以上続けたという、ご経歴を知るにつれ、宇田先生の
なお、海洋学会会長としての宇田先生の業績については、
平野敏行(1981):日本海洋学会最近10年の歩み.日本海洋学会誌 第37巻 第6号,390-395.
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kaiyou1942/37/6/37_6_390/_pdf
に詳しい。また、
アーカイブス宇田道隆文庫
で、宇田先生の日記、手紙を含めた資料が公開されています。
ご参照ください。
4.おわりに
もうすぐ終わる2017年を振り返って、印象に残った3つについて述べた。この他に、記録に残しておきたいことが多々あるが、割愛する。思えば、本年も、いろいろな方々と、直接あるいはメール、SNSで、お会いし、種々の教えを頂いた。皆様に感謝申し上げます。