なお、故人の20年来のご友人である榎木英介さんが主宰するサイエンス・コミュニケーション・ニュース No.710 2017年4月17日号 Vol.1の巻頭言で故人の追悼文を掲載している。ご参照ください。
1.出会い
どういういきさつか忘れたが、管理人は鹿児島大学勤務中の頃から、榎木さんが主宰するサイエンス・コミュニケーション・ニュースを講読していた、そのため、NPO法人サイエンス・コミュニケーション(以下、サイコム)の設立も知っていたが、鹿児島在住ということもあって、参加していなかった。
管理人は、2005年10月に勤務先を関東圏に移し、新たな職場にも慣れた2006年8月末に、サイエンスコミュニケーション活動を始める手始めとして、サイコムの31番目(2006年10月1日付け名簿による)の会員となった。
故人を含め、榎木さんらサイコムの方々と実際に初めてお会いしたのは、その年の11月に開催されたサイエンスアゴラ(第1回)でサイコムが主宰するワークショップ「本音で語る研究倫理問題」に参加した際だった。管理人は、新参者として訳が分からず、当日の会場設営や後片付けのお手伝い程度しかできなかった。
このような管理人とは対象的に、故人は、サイエンスアゴラにかかわるサイコムの3つのイベントを総括する実行委員会の委員長として、その準備に精力的に活躍されていた(当時のサイコムのMLによる)。当日、初めて会場でお会いした時の、故人の穏やかな口調が、今でも印象に残っている。この出会いが、その後の管理人の科学コミュニケーション活動と何かとつががっていくとは、思いもしなかった。
故人を初めとするサイコムの方々の活動に刺激されたこともあって、管理人は、2007年1月に本ブログを始めた。しかし、本務に追われ、その他のサイエンスコミュニケーション活動を始めるまでには至らなかった。そうした中、11月25日にはサイエンスアゴラ2007に参加し、故人が企画されたワークショップ「本音で語るポスドク問題」に出席した。参加した日の夜にアップした以下の拙ブログ記事によると、管理人は非常に刺激を受けていたことが分かる。おそらく、このワークショップとその後のサイエンスアゴラ出展者交流会でサイコムの一員として参加したのを機に、故人と親しく言葉を交わすようになったのだと思う。
拙ブログ記事:
2007年11月26日 サイエンスアゴラ2007
故人は、趣味がスキューバダイビングで、出身が横須賀であったのに対し、私が横須賀に所在する研究機関に海洋学研究者として勤務していることを知り、管理人の勤務先を見学したいとおっしゃっていたことを思い出す。いつの日にか、ご案内したいと思っている間に、私は退職してしまったが、いつか機会はあると思っていた。しかし、今や、永遠にその時は訪れないのかと思うと悔いが残る。
おそらく、このイベントでの出会いに力付けられて、管理人は、2007年暮れから積極的に日本海洋学会教育問題研究会が主催するサイエンスカフェの開催準備に動き出した。3月20日に第1回海のサイエンスカフェを開催した後、4月20日に飯田橋でサイコム主催で開催された政策研究会に参加した。このイベントで、故人と榎木さんの他に、数多くの新たな知り合いが増え、サイエンスアゴラ2008の際の横串会への参加へとつながった。この意味で、サイエンスアゴラ2007での故人が企画したワークショップこそ、管理人がサイエンスコミュニケーション活動に深くかかわる契機となったと思う。
2.横串会
横串会は、サイエンスコミュニケーション活動を草の根的に実践したり、関心を持つ人々の交流組織である。その設立の経緯は以下の記事に詳しい。
さかさパンダ(2014):サイエンスカフェポスター展のつくり方、日本サイエンスコミュニケーション協会誌、Vol.3、No.2、18-19.
この記事を含む日本サイエンスコミュニケーション協会誌は以下のサイトで公開されている。
https://www.sciencecommunication.jp/journal/papers/
奇しくも、この第3巻第2号には、故人が聞き手となった特別インタビュー記事と管理人がサイエンスカフェについて寄稿した記事も掲載されている。この号が刊行された当時は、特に何も思わなかったが、今となっては、故人と横串会と管理人をつなぐ特別な号となっている。
故人は、横串会の中心的なメンバーのお一人で、一時、頻繁に開催されていたオフ会で管理人と話す機会も多かった。管理人にとって、横串会は、研究機関に所属していても、その立場を離れて、個人的な意見を交換する貴重な場であった。故人がサイエンスアゴラで「本音で話す・・・」企画を続けていたのも、組織を離れた草の根的な行動に重きを置いていた為と思われる。この意味で、故人と管理人は同じ思いだったのだと思う。
16日のお通夜では、久々に関東在住の横串会の主立ったメンバーが集まった。このような形でのオフ会となるとは、皆、思いもよらぬことであった。
最近、横串会の活動が低下している。それは、サイエンスコミュニケーションが今ほど社会的に普及していなかった頃には、それに関心を持つ少数者の集まりである横串会の草の根的な活動が意味あるものであったが、サイエンスコミュニケーション活動が世間で盛んに行われるにつれて、個々のメンバーの方向性も意欲も分散してしまっているためのように思う。ここ数年、故人が進めていた、全国各地で行われている「科学の祭典」をつなげる活動が、このような状況に対する一つの解決策を示すと期待していただけに、故人が抜けた後の管理人の喪失感は大きい。
3.サイエンスアゴラ
2006年の第1回サイエンスアゴラで故人と管理人は初めて出会った。その後、毎年、開催されたサイエンスアゴラで、故人は独自のシリーズ企画を続ける傍ら、サイエンスアゴラ全体の運営にも深く関与されていた。一方、管理人は毎回のサイエンスアゴラでの横串会の出展に協力する形で、時間が許せば参加していたものの、独自の企画を応募するまでには至らなかった。
そんな中で、故人と管理人が強く連携したのが、サイエンスアゴラ2012だった。管理人が企画した日本海洋学会教育問題研究会主催シンポジウム「共に語ろう、東日本大震災後の海洋科学研究と教育」にパネリストとして登壇をお願いした。故人にパネリストを依頼するメールを2012年6月26日に送信したが、その翌日には,「可能なら是非!」という件名で、厚意あふれる助言、情報を頂いた。その後の応募企画案の作成、その他でもいろいろ助言を頂いた。最終的に完成した、その概要は以下のpdfの通りである。
http://www.jos-edu.net/PDF/ScienceAgora2012Symp_a.pdf (2019年4月4日:リンク先更新)
故人には、シンポジウムの最後で、海洋学会への助言として、市民参加の研究の推進を勧めて頂いた。今も手許に残る、JSTによる90分間のシンポジウムの音声記録を改めて聞くと、故人の誠実な人柄を思い出させる穏やかな声が聞こえる。
下に示す開催報告(セッション報告Bb-653)が科学技術振興機構発行のサイエンスアゴラ2012開催報告書(pp12)に掲載された時には、ご自分の姿が写っている写真が開催報告書にあることを喜び、このことをFacebookで紹介されていた(写真は、左から高梨さん、故人)。
故人と管理人とが、サイエンスアゴラで直接、協力したのは、2012年だけだったが、その後も、管理人が関係した出典ブースには、必ず、訪れていただいた。故人が関係する出展ブースの準備を一人で黙々とされているのを見かけたこともある。真面目で、几帳面、義理堅い人だったとつくづくと思う。だからこそ、幅広い、多くの人を結び付けるネットワークを築いておられたのだと思う。その結果、毎回のサイエンスアゴラ出展者交流会では、いろいろな方をご紹介いただいた。
4.日々の交流
管理人は、2015年3月に退職後の日々に参加したイベントを備忘録として、個人ウェブサイトに公開している。それによると、この2年間に、記憶に間違いがなければ、以下のイベントで故人にお会いしている。
2015年6月20日 第9回ソラオトサイエンスカフェ
2015年7月11日 ソラオトサイエンスカフェ番外編(第9.5回)
2015年10月17日 ゆるっとカフェ
2015年11月14・15日 サイエンスアゴラ2015
2015年12月13日 日本サイエンスコミュニケーション協会(JASC)第4回年会
2016年10月16日 JASC 2015-2016年度第5回定例会
2016年11月5日 サイエンスアゴラ2016
2017年3月31日 サイエンストークスLIVE 第5夜
この2年間で実際にお会いしたのは、上の通りであったが、Facebookや横串会会員交流サイトでも、意見・情報交換をしていた。特に、Facebookでは、故人が言及した情報を私がshareしたり、私が言及した情報を故人がshareされることが、他の仲間(Friends)よりも多かったように思う。その意味では、二人の各々の関心事には共通する所が多かったのだと思う。
5.おわりに
最後にお会いした「サイエンストークスLIVE 第5夜」は春日匠さんのAAAS総会参加報告会であった。サイコム以来のお仲間である春日さんのお話と言うこともあって、故人も義理堅く、参加されていたと思う。その後の懇親会では、管理人は、顔馴染みの故人とは、また、いつでも話せると思って、もっぱら他の初対面の方々と交流していた。そのわずか9日後に永遠の別れが訪れるとは思いもしなかった。本当に、もっと、いろいろ話しておきたいことがあった。
故人のサイエンスコミュニケーション活動に関する目標は何だったのかと思う。全国の「科学の祭典」をつなぐネットワーク作りの先に何を見ていたのか? 今となっては、確かめようもないが、草の根サイエンスコミュニケーターとして、サイエンスアゴラで「本音で語る」シリーズを開催しつづけたことからすると、きっと、組織の都合ではなくて、個人の思いを尊重する社会の実現を目指していたのだと思う(同じことを考えている管理人の思い込みかもしれないが)。
こうして、故人の追悼記事を書きながら、故人との出会いが管理人のサイエンスコミュニケーション活動に与えた影響の大きさを、今さらながら、感じている。感謝の言葉とともに、ご冥福をお祈りします。
合掌