2月のツイート発信件数は57件と1月に比べて27件増であった。その中で、ツイートアクティビティ(3月6日現在、以下同じ)によると、インプレッション総数(ツイートを見たユーザーの総数)の上位3件は、多い順に、
Imp1)2月23日
毎日新聞のコラム「今どきサイエンス」での「地層に残る地球の歴史」と題する記事を読んだ感想(1245インプレッション)
Imp2)2月23日
毎日新聞の特集シリーズ「科学の森」での「海に沈んだ謎の大陸 「ジーランディア」掘削し本格調査へ」と題する記事の紹介(1214インプレッション)
Imp3)2月17日
「ル・モンド・ディプロマティーク」2016年11月号掲載記事:「欧州エリートに浸透した米国式『ソフト・パワー』」の紹介(912インプレッション)
であった。なお、エンゲージメント総数(ユーザーがツイートに反応した合計回数)は、Imp1では1回、Imp2では2回にすぎなかったがImp3は26回と多かった。そこで、エンゲージメント総数を比べた。その上位4件(2件は同数)は、多い順に、
Eng1)2月12日
毎日新聞の書評欄「今週の本棚」での内田麻理香さんの『フンボルトの冒険-自然という<生命の網>の発明』についての書評の紹介(29エンゲージメント)
Eng2)2月17日
「ル・モンド・ディプロマティーク」2016年11月号掲載記事:欧州エリートに浸透した米国式「ソフト・パワー」の紹介(26エンゲージメント)
Eng3)2月2日
毎日新聞の特集シリーズ「科学の森」での「南極「昭和基地」設置60周年 温暖化観測の重要拠点に」と題する記事の紹介(25エンゲージメント)
Eng3)2月25日
毎日新聞のコラム「メディア時評」での稲垣えみ子さんの「『日本』とはどういう国なのか」と題する記事の紹介(25エンゲージメント)
であった。
このように、2月17日に「ル・モンド・ディプロマティーク」の記事を紹介したツイートは、インプレッション総数でも、エンゲージメント総数でも上位3位以内に入っており、最も反響を呼んだツイートだったといえる。その他の6件のツイートは、奇しくも、全て毎日新聞の記事に触れたツイートであった。また、インプレッション総数の上位2件およびエンゲージメント総数の上位4件のうちの2件がいわゆる科学ネタであった。
以下はこれらのツイートの補足と2月の活動記録。
1.2月の活動記録
今年度限りで担当した大学2年生向けの海洋環境学の講義・試験の準備と採点、日本海洋学会和文誌「海の研究」第26巻第2号を予定通り3月15日付けで発行するための掲載論文原稿の最終チェックと校正、「理科の探検(RikaTan)」誌6月号掲載予定の原稿への編集委員としてのコメント、科学技術館メルマガ寄稿記事(科学の本の紹介)の作成、海洋学会会員有志による「軍事研究と海洋科学を考える談話会」開催へに向けた「よびかけ」と有志の事前意見交換のためのML管理に追われた。その間、以下のイベントに参加した。
5日には、東京大学海洋アライアンス海洋教育促進研究センターが主催する「第4回全国海洋教育サミット」に参加し、全国から参加していた多数の小中高校の生徒・教員のポスター発表に立ち会った。海洋教育の実践活動が盛んであることを実感した。しかし、その海洋教育への取り組み方と捉え方は千差万別で、何らかの具体的な指針を設定する必要があるように感じられた。
17日に参加したサイエンストークスLIVE第4夜「絶滅か、進化か。アカデミアよ、異端の楽園であれ!」では、様々な人との出会いがあった。文系・理系の間などの人々の間にある壁を打ち壊すことの重要性を認識している人、その難しさを感じている人の集まりであり、楽しい一時を過ごすことができた。ただし、当然のことながら、人々の間にある壁を打ち壊すことに関心のない人の参加はなく、このような活動を広げることの難しさを再認識したイベントでもあった。
26日には「国際津波防災学会」第2回設立準備会に参加した。山中燁子さんの英国のお話ほか、それぞれの講演は面白かったものの、直接、防災に触れる話題ではなかった。総括ディスカッションで、学会に設ける分科会の一つで、津波防災対策としての巨大防潮堤の可否を学術的課題として取り組むことを提案した。
2.欧州エリートに浸透した米国式「ソフト・パワー」
2月中のツイートで最も反響(Imp3、Eng2)を呼んだのは以下のツイートだった。
hiroichik / 市川洋,Hiroshi Ichikawa
衝撃的内容。真偽は不明だが、事実だとしたら、悲しい。「ル・モンド・ディプロマティーク」2016年11月号掲載記事:欧州エリートに浸透した米国式「ソフト・パワー」 / “1611-2mercenaires” https://t.co/j9jrYg1gKl at 02/17 13:28
ル・モンド・ディプロマティーク日本語版は何かの折に、その存在を知り、拙ブログにはそのサイトへのリンクを貼るとともに、メールで配信される記事題目をチェックし、時折、サイトを訪れて記事をチェックしていた。Twilogで検索して確認すると、2010年から2013年には、合計7件のツイートをしていた。
その後、メール配信が廃止され、サイトを訪れる機会が薄れていたが、たまたま17日午後にサイトを訪れた時、件の記事の題目に惹かれて読み、思わずツイートした。
「グローバリゼーションも格差拡大も自然現象ではない」ことは察してはいたが、既得権者たちの具体的な行動を知らなかった。あまりにも信じがたい内容だったので、「衝撃的内容。真偽は不明だが、事実だとしたら、悲しい」とのコメントを付した。
我が国でも、自分だけ、お金だけの価値観に基づく行動が蔓延している。トランプ米大統領を初めとして、反グローバリズムの波が高まっている背景が、この記事に明示されているように思う。このような状況に、どのように立ち向かっていったらよいのだろうか? 単に、天下りや個人主義を批判するだけでは問題の解決は難しい。
拙ブログ関連記事:
2014年10月11日 「金だけ、今だけ、自分だけ」の風潮への対処法
2月25日の以下のツイート(Eng3)で紹介した「『日本』とはどういう国なのか」と題するコラム記事は、このことと深いところで関連しているように感じた。
hiroichik / 市川洋,Hiroshi Ichikawa
アメリカを見て、日本を考える良記事:毎日新聞2月25日朝刊東京版11面「メディア時評」稲垣えみ子「『日本』とはどういう国なのか」 https://t.co/Nyvtt2uHks at 02/25 22:19
ここで紹介したコラム記事の最後で、稲垣えみ子さんは以下のように述べている。
日本とは何なのかを目本人が自分の問題として考えねばならない。
隣に移民がいる暮らしを自ら受け入れる覚悟もないのに他国を説教できるはずもないし、米軍に守ってもらわねば破綻する平和主義ならそこにはまやかしがある。
問われているのは私自身なのだ。
トランプ時代とはそういう時代なのだと思う。
グローバリゼーションの行き過ぎや経済・教育格差を是正するためには、ここでいう日本のあり方ではなくて、個人と社会のあり方について、この「問われているのは私自身なのだ」という意識を人々の間で共有する必要があるように思う。
3.書評:フンボルトの冒険-自然という<生命の網>の発明
2月中のツイートで最もエンゲージメント総数が多かったのは、科学コミュニケーション活動で旧知の内田麻理香さんの書評を紹介した以下のツイートだった。
hiroichik / 市川洋,Hiroshi Ichikawa
本書を読んでファンになってしまった評者の熱い思いが伝わる書評。なお、フンボルト以降の科学は、「主観と客観を切り離し、学問分野を細分化すること」ではなくて、「要素還元主義」で発展してきた、と思う。 / “今週の本棚:内田麻理香・評…” https://t.co/cbsqBOpgwm at 02/12 15:04
このツイートに関連して、内田麻理香さんご本人と以下のようなツイートでの応答があった。
内田さん:
ありがとうございます。要素還元主義という言葉が端的で的確なのはご指摘の通りですが、本書に書かれているものを使いました。あと「主観と客観を切り離し、学問分野を細分化すること」と「要素還元主義」は対立しないと思うのですがいかがでしょうか
管理人:
本書の記述を引用とのこと、失礼しました。「主観と客観を切り離し、学問分野を細分化すること」がフンボルトの博物学的業績があまり顧みられなくなった理由だと思いますが、近代科学の発展は「要素還元主義」が主な理由と思います。この「要素還元主義」の限界が広く認識されるようになり、「生命の網」の概念の重要性が再認識されているということだと思います。この意味で、「要素還元主義」と「主観と客観の切り離し、学問分野の細分化」とは別の枠組みと思います。
内田さん:
近代科学の発展の理由も含め、対象本の記述を引用しています。まずは本の方をご覧下さいませ。また、別の枠組みであることは同意ですが、だからといってお互いを排除するものではありませんよね。
管理人:
はい、「別の枠組み」であるので、当然、「お互いを排除するもの」ではありません。
2月のツイートの中で、他に科学史に係るツイートとしては、以下の「「「ポスト真実」と科学の終わり──雑誌『WIRED』日本版VOL.27「サイエンスのゆくえ」に寄せて」と題する『WIRED』日本版の若林編集長の記事に対する2月14日のコメントがある。
hiroichik / 市川洋,Hiroshi Ichikawa
面白いが乱暴な論。「産業化した現代科学技術研究開発」という認識なしに「科学のロマンの終焉」を論じている。科学の成果は真理ではないが、共通理解を深める方法としての「科学の営み」は未来でも有効だと思う。 / “「ポスト真実」と科学の…” https://t.co/3idlci96Nm at 02/14 01:01
この記事に触発されて、WIRED日本版VOL.27を早速、購入し、2月15日に以下のツイートでその感想を述べた。
hiroichik / 市川洋,Hiroshi Ichikawa
細かい字に閉口しながら、一読した。いろいろな科学観があって、それなりに考えさせられた。宇川直宏氏の「疑似科学というカウンター」は??? / “雑誌『WIRED』VOL.27 2017年2月13日(月)発売。特集は「サイエンスのゆ…” https://t.co/43pqITZC1X at 02/15 02:05
特集「サイエンスのゆくえ」の主題は、「学問分野を細分化」の限界を指摘することのようであった。その一部として、内田麻理香さんの書評対象の第2章「想像力と自然」の抜粋が、著者インタビューとともに掲載されている。CRISPR-Cas9に関する記事は読みごたえがあったが、特集全体の論調にあまり深みがない印象を持った。
4.おわりに
管理人は、海洋学会会員有志による「軍事研究と海洋科学を考える談話会」MLでの様々な意見を見ながら、自分の中での「軍事研究」のあり方をいろいろ考えている。このために、ル・モンド・ディプロマティーク日本語版の掲載記事や、稲垣えみ子さんのコラム記事をツイートで紹介したのかもしれない。
軍事研究を考えるということは、科学技術研究の大衆化が進む中で、いろいろな意味で、「学問の自由」と「社会の利益」の関係を考えることを抜きにしては論じられないと思う。このことは、1999年のブダペスト宣言が、科学の責務として、従来の「知識のための科学」とともに、「平和のための科学」、「開発のための科学」、「社会における、社会のための科学」を挙げていることにも通じている。今後は、「社会における、社会のための科学」について、「問われているのは私自身なのだ」という意識を持って考えていこうと思っている。
注)「学問の自由」と「社会の利益」については、ブログ「幻影随想」の
2006年3月16日付記事「トンデモ健康商法に加担して首になった京大教授」を参照