2016年10月13日

北極海の氷が融けると海面は上昇するのか?

以前、「水に浮かべた氷が融けると、水面は上がる」、「地球温暖化が進むと、北極海の氷が融けて、海面が上昇する」と思っている人が多いことについて、「理科教育」の課題の一つとして友人と嘆いたことがあった。ネットを逍遥していて、ブログ「だって面白いんだもの」にブログ主の「たかを」さんが10月8日付けで「【中学理科】北極の氷が全て溶けても海面が上昇しない理由を説明する」と題する記事をエントリーしているのを見つけた。管理人には真似のできないのびのびとした筆致で書かれており、楽しく拝見した。
「たかを」さんは、「海に浮かんでいる氷が融けても、海面の高さは変わらない」ことを非常に丁寧で分かりやすく説明(証明)されている。ただし、100 gの海水から100 gの氷ができる、という「たかを」さんの説明は、実際の海では、厳密には正しくない。以下は、その補足説明など。

1.100 gの海水は100 gの氷にならない
海水が凍結したものを海氷(かいひょう)と呼ぶ。真水の氷点は0 ℃だが、海水の氷点は塩分によって異なり、塩分の増加とともに低下して、35 g/kgで約-2 ℃である。

海面が冷やされた時に海氷が生成される過程は複雑である。それは、真水の密度が最大となる温度(最大密度温度)は4 ℃であるが、海水の最大密度温度は高塩分ほど低くなり、塩分25 g/kgでは、約-1.8 ℃と氷点温度と同じになる。このため、塩分が25 g/kg以下の低塩分の海水の海面が冷やされた場合には、海面の海水はその真下の海水より重くなり沈降する。その結果、海面で冷やされた海水と同じ密度の層までで鉛直混合が起き、表層混合層が形成される。鉛直混合により表層混合層全層が氷点下(塩分20 g/kgで約-1 ℃)になって初めて凍結が始まる。他方、塩分が25 g/kg以上の高塩分の海水の海面が冷やされた場合には、鉛直混合は始まらず、直ちに凍結が始まる。

凍結が始まってからも、海氷が生成までには複雑な過程がある。それは、凍結が真水のみに生じるためである。このことについて、海洋情報センターウェブサイトの「海の事典」の「ブライン」の項目で、以下のように記述されている。
海水が凍るとき真水からなる氷晶ができて、まわりの海水の塩分が高められる。氷晶が浮上して海面に氷板ができたあと、その底面から下方にくさび状の結晶が延びていくが、濃縮された塩水が鉛直に延びた細管状のセルに取り込められる。この濃縮塩水をブラインと呼ぶ。このために海氷にはかなりの塩分を含む。ブラインは次第に下方に移動していき、やがて海氷の下面から排出される。そのため古い海氷ほど塩分量が少なくなる。排出されたブラインは密度が高く、深層水の生成機構において重要な働きをする。
また、日本雪氷学会ウェブサイトの「海氷用語」ページでは、「ブライン」の説明として、以下のように記述されている。
海氷の成長時に海氷中に閉じ込められた高濃度の塩水。ブラインは温度と塩分濃度との平衡関係を保つので,海氷の温度が変化すると氷の析出や融解が起こる。ブラインは次第に海氷から抜け落ちるために,古くなるほど海氷が含む塩分は少なくなる。
すなわち、海水から氷が生成されることは、海面から真水が蒸発するのと同じ効果を持ち、海面冷却の結果、高塩・低温で重たい海水が生成され、それが下層に沈降して、深層循環を形成する。

なお、重量100 gの海水を凍らせた時の海氷の重さは、ブラインの一部が海氷から抜け落ちるために、100 g以下となる。このことは、逆に重量100gの海氷が融けた時には、ブラインに含まれる塩類を含まない、まわりの海水に比べて低塩分・低密度な水となる。すなわち、100 gの氷が融けてできる海水の量(体積)は、同じ100 gのまわりの海水より大きい。


2.海面に浮かんでいる海氷が融けた時の海水の体積の変化
以下、「いわを」さんの説明に準じて、海に浮かんでいる体積V0の氷が融けた時の海水増加量考える。氷の重量Wiは、氷の密度をρiとすると

Wi =ρi×V0・・・・(1)

で表される。氷が全て融けた時の海水の重量Wwは、溶けたあとの海水の密度をρw、体積をVとすると

Ww = ρw×V・・・・(2)

で表される。重量は融ける前後で変わらない(Wi = Ww)ので、式(1) = 式(2)、すなわち

ρi×V0 = ρw×V

となる。したがって、

V = (ρi/ρw)×V0・・・・(3)

以上の結果より、体積V0の海氷が全て融けると、体積(ρi/ρw)×V0の海水になる。

氷が融けた後に海面が上昇するかしないかは、海面に浮いている氷の海水面下の体積V0'が氷が全て融けた後の海水の体積Vより大きいか小さいかで決まる(「いわそ」さんの図を参照)。

体積の差dV=V-V0'が正の時には、氷が融けた後に海面が上昇し、負の時には下降する。海水面下の氷の体積V0'を求めるためには、以下のアルキメデスの原理を使う。
流体中の物体は、その物体が押しのけている流体の重さ(重量)と同じ大きさで上向きの浮力を受ける。(出典:Wikipedia)

水面下の氷が押しのけている海水の密度をρsとすると、アルキメデスの原理より浮力Fは、海面下の氷の体積はV0'であるため、

F = ρs×V0'

となる。浮力=氷全体の重量なので

ρs×V0' = ρi×V0

である。したがって、海面下の氷の体積はV0'は

V0' = (ρi/ρs)×V0・・・・(4)

で表される。式(3)と式(4)から、体積の差dVは

dV = V-V0'

 = ρi×(1/ρw - 1/ρs)×V0・・・・(5)

となる。この式(5)が、水面に浮かぶ氷が融けた時の体積差についての一般的な表現である。

真水を凍らせて作った氷を真水の水面上で融かした場合には、ρw = ρsであるから、海面の高さは変わらない。また、「いわを」さんのように、海氷が融けた海水の密度が周りの海水の密度と同じとした場合にも、ρw = ρsであるから、海面の高さは変わらない

しかし、厳密には、前節で述べたように、氷が融けた後の海水の密度ρwは、浮いている氷の周りの海水の密度ρsより小さい。したがって、

1/ρw > 1/ρs

となり、dVは正となる。このことは、海氷が融けた後の海面は、それ以前より上昇することを示している。なお、真水の密度は高温であるほど小さいので、厳密には、真水を凍らせて作った氷を真水の水面上で融かした場合でも、ρw = ρsになるとは限らない(密度が最大である4 ℃の真水に浮かべた氷が融けた時には、水面は上昇する)。

では.実際には、海面はどのくらい上昇するのだろうか?

以下、北極海の多年氷(ブラインがほぼ溶出して塩分がほぼゼロの海氷)を考えと、ρwは真水と同じく、0 ℃で約1000 kg/m^3(mの3乗)である。北極海は周囲を大陸で囲まれていて、河川水の流入が多いため、表層塩分は28~32 g/kgである。表層水の水温を0 ℃、塩分を30 g/kgとすると、ρsは約1023 kg/m^3である。この場合、1000トンの海氷(W = ρi×V0 = 10^6 kg)が融けると、dVは

dV = 10^6 ×(1/1000 - 1/1023)
= 約23 m^3

となる。海氷の密度ρiを約900 kg/m^3とすると、1000トンの海氷の体積V0は約1111 m^3となる。さらに、海氷の厚さを約10 mとすると、1000トンの海氷の表面積は111 m^2となる。海氷が融けて増加した23 m^3の海水が、海氷が占めた海面に閉じ込められているとすると、海面は、約0.20 m上昇することになる。


3.おわりに
上の説明で、海水・海氷の振る舞いも複雑さ、わずかな密度の違いが引き起こす大きな違い、厳密に考えると直観と異なる結果となることについて、面白さを感じて頂ければ幸いである。

1000トンの海氷が融けると、海面が20 cm上昇するという推定結果は、約10 mの海氷の厚さに対し、約0.20 mの海面上昇であり、氷の厚さに比べて無視できるほど小さいと言えないこともない。他方、1000トンの海氷が融けるだけで20 cmの海面上昇は非常に大きな値のようにも見える。しかし、実際には、海氷が融けて出来た海水が、海氷が占めた海面に閉じ込められることはない。それは、海氷が融けて出来た海水の密度ρsがまわりの海水の密度ρwより小さいため、密度ρsの海水の海面をレンズ状に水平方向に下層の海水と混ざりながら広がっていくためである。その結果、北極海の多年氷が融けることの海面上昇への直接的な影響は小さいと考えられる。

地球温暖化による海面上昇については、南極大陸などの陸上の氷の融解と海水温度の上昇に伴う海水膨張の効果が大きいと考えられてきた。しかし、地球温暖化による北極海の多年氷の融解が海洋表層水の低塩分化を引き起こすのは確かである。それが、地球規模の海面上昇にどのように結びついているのかは、まだ十分に分かっていない。海氷の融解に伴う海面上昇について詳細を知りたい読者は以下の論文を参照されたい。

Munk, W. (2003):
Ocean freshening, sea level rising. Science, 300, 2041–2043.
http://science.sciencemag.org/content/300/5628/2041

Wadhams, P., and W. Munk (2004):
Ocean freshening, sea level rising, sea ice melting, Geophys. Res. Lett., 31, L11311.
http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1029/2004GL020039/abstract

Noerdlinger1, P. D. and K. R. Brower (2007):
The melting of floating ice raises the ocean level. Geophys. J. Int., 170, 145–150.
http://gji.oxfordjournals.org/content/170/1/145.full

Jenkins, A., and D. Holland (2007):
Melting of floating ice and sealevel rise. Geophys. Res. Lett., 34, L16609.
http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1029/2007GL030784/full
posted by hiroichi at 23:48| Comment(2) | TrackBack(0) | 海のこと | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントありがとうございます。
補足説明拝見しました。
やはり、海水,海氷だと厳密には異なるのですね...勉強になりました。
水理学の基礎知識のみを使って説明したため不完全な説明となってしまいました。
現在は、河川を専門として勉強中です。海洋学はふれたことがなかったため、他の記事も魅力的でした。
もし、差し支えありませんでしたら補足説明として記事末尾にリンクを貼ってもよろしいでしょうか?
Posted by たかを at 2016年10月14日 10:01
たかを様
ご返信をありがとうございました。

拙ブログの更新が滞っていましたが、いわをさんの記事に啓発されて、久々にエントリーしました。御礼申し上げます。こうして、海洋学の知識が広まることに喜びを感じております。

いわをさんの記事末尾に、補足説明として本記事へのリンクを貼られることに、同意します。

今後とも、宜しくお願い申し上げます。
Posted by hiroichi at 2016年10月14日 12:32
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