層流(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典:流れの中で,流体の各部分が互いに混り合うことなく流れるもの)から乱流(流れの中で,層流ではないもの)への遷移がなぜ、どのように起こるのかという問題は、私が大学3年で巽友正先生の連続体力学の講義を通して流体力学を学んだ約45年前にも未解決の問題と言われていただけに、「ついに解決したのか!」という驚きをもって読んだ。
読んでみたものの、どこが新たに発見された「乱流発生の法則」なのかすっきりしない。また、プレスリリースの「普遍法則を実験で見いだした」という表現に違和感を感じた。
プレスリリースの元論文はNature Physicsで2月15日付けで公表された'A universal transition to turbulence in channel flow'である。無料で閲覧できる要旨を見た限りでは、ブレークスルーと言える真新しいことを発見したという印象を受けない。
そうした中、ブログ「あらきけいすけの雑記帳」の「130年の放置プレイ?タイトル盛り過ぎでしょう、佐野先生」と題する記事で、本プレスリリースに関連して最近の乱流研究の概略が述べられているのを見つけた。この記事とプレスリリースで、久々に(純粋な?)乱流論に触れた。以下は、これらの記事を読んで考えたことなど。
1.乱流が海洋を支配している
今回のプレスリリースは、ブログ「あらきけいすけの雑記帳」の該当記事で述べられているように「『はでに盛った』解説の書き方になっている」ところが多々あるものの、逆に、その結果、世間の注目を乱流遷移問題に呼び込んだ点を評価したい。プレスリリースに以下の記述がある。
我々の回りは空気や水などの流体で満ちています。整った流れは層流と呼ばれ、乱れた状態は乱流と呼ばれます。しかし、層流がいつどのようにして乱流に遷移するのか、そこにどんな法則があるのかは、130年以上にわたる未解決問題でした。流体の方程式が非線形性のため数学的に解けないことや、実験的にも乱れの与え方にさまざまな可能性があることが理解を阻んできました。この記述に心を動かされた学生が少なからずいるのではないかと思う。
空気の流れ、水の流れ、血管の中の流れ、惑星表面の大気の流れなど、我々の回りは流体で満ちています。流体の速度が十分遅い場合は一般に、流れは規則的となり、層流と呼ばれます。一方、速度が速くなると流れは乱れ、乱流になります。我々の身の回りに起こる予測できない不規則な現象の多くは、その元をたどれば広い意味での乱流現象が原因といっても過言ではありません。また、乱流は層流に比べて流れの抵抗が増えるため、エネルギー効率では負の側面を持つ一方、熱や物質を攪拌し混合するという正の側面も持っており、いつどんな条件で乱流が開始するかを予測することは応用面からも重要です。
実際、巨大な水の集まりである海洋も乱流で満ち溢れている。魚類やプランクトンを含む生物の生理生態を支配する栄養塩や熱、塩分の分布は絶えず変動する種々の流れ(広い意味での乱流)に支配されている。海洋中の流れの特徴は、海面・海底・陸岸の境界を通して空間的に不均一で絶えず時間変動する熱、淡水、運動量などの出入り、密度成層、地球自転、海底地形の影響を強く受けていることにある。海洋中の時間空間規模が小さい乱流が大規模な海洋循環を支配し、それが気候変動を支配する可能性が考えられている。
海洋中には、通常の流体中で目にする非常に小さな渦流から、大洋規模の循環流まで様々な大きさの渦流がある(下図:渦だらけな黒潮流域の表層の流れ)。また、それらは、ごく短い周期から数十年の周期で変動を繰り返し、互いに影響を及ぼし合っている。海洋中の流速変動の力学機構に関するこれまでの研究の多くでは、対象とする現象の時間空間規模より小さい時間空間規模の現象が及ぼす効果を渦粘性、渦拡散として扱うことによって進められてきた。例えば、1960年代までの海洋力学では海流を定常流(層流)として扱う場合が多かったが、その力学を考える場合にも風が海に及ぼす力を打ち消す力として渦粘性力が考えられていた。その後、1970年代以降は中規模渦(直径が数100km、周期が数十日から数100日程度の渦)の存在が観測で確認され、地球自転効果を考慮した海洋乱流の研究が進められた。すなわち、海洋力学では、主に、既にそこにある乱流の振る舞いや影響をどのように考えるのかを問題としてきたといえる。その中で、層流から乱流への遷移問題というよりは、海洋中の種々の波が崩れて乱流が生じる機構の詳細についての研究もおこなわれてきた。さらに近年では、研究の進展にともない、観測される渦粘性を規定する最も小さい時間空間規模の流速変動現象が注目されている。結局、(狭い意味での)乱流が海を支配しているのではないかという考えが広まっている。
NASA/Goddard Space Flight Center Scientific Visualization Studio
http://svs.gsfc.nasa.gov/cgi-bin/details.cgi?aid=3827
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2.ブレークスルー
研究者にとって「ブレークスルー」と仲間から評価される成果を得ることは夢である。したがって、「130年以上の未解決問題にブレークスルー」という今回のプレスリリースの表題はかなりの衝撃、期待を読者に与える。管理人もこの言葉に惹かれて本プレスリリースを詳しく読む気になった。
しかし、本プレスリリースで「ブレークスルー」という言葉が使われているのは表題のみで、本文には皆無であった。プレスリリースの執筆者は最後の以下の文章で本成果が「ブレークスルー」である意味を込めているのかもしれない。
乱流遷移が普遍的な相転移現象であるという実験結果は、今後、従来の枠を超えた新しい理論の発展を促すとともに、周辺のさまざまの分野で見られる不規則現象一般に対する理解を進展させることが期待されます。
もしもそうだとしたら、「『発展を促す』とか『理解を進展させる』ことが期待される」という表現をもって「ブレークスルー」と言うのは、言い過ぎのように思う。「プレスリリースがかなりミスリーディングで『はでに盛った』解説の書き方になっている」というブログ「あらきけいすけの雑記帳」の記述に同意せざるを得ない。
市川惇信 著「ブレークスルーのために(オーム社出版局,1996年)」では、
ブレークスルー研究とは、と定義されている。管理人がプレスリリースを誤読している可能性もあるが、本研究の成果は層流乱流遷移過程を相転移現象について従来の研究で用いられてきた有向浸透現象(Directed Percolation)として記述できることを示したことにあるように思う。これは「相転移現象についての研究」という他分野の成果を「乱流遷移過程の研究」に「適用」した点で、独創的な成果とは思うし、今後のさらなる研究の方向を示すものだとも思うが、市川惇信(1996)がいうところの、既知の現象をよりよく説明し、または既知の問題をよりよく解決できるように、既知の方法を改善するインクリメンタル研究の一つのように思う。誰もが認める「ブレークスルー」となるアイデア、成果を得る道は遠く厳しいが、だからこそ誰もが憧れる。しかし、成果主義が蔓延し、より簡単に成果が得られるテーマを追い続けなければならない昨今の研究環境では、その道が遠のいているように思う。
新しい現象を発見し、または新しい問題を設定し解決するため、あるいは、既知の現象を新しい方法で説明し、または既知の問題を新しい方法で解決するための研究。
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2010年4月15日 ブレークスルー研究
3.普遍法則を実験で見いだすことは可能か?
プレスリリースでは、冒頭の発表のポイントの最初に
・整った流れ(層流)が乱れた流れ(乱流)に遷移するときに従う普遍法則を実験で見いだした。
と述べている。
管理人は、この記述の中の「普遍法則を実験で見いだした」という表現に強い違和感を感じた。
管理人の理解では「普遍法則」とは、種々の観測・実験結果を矛盾なく、例外なしに説明することのできる定式化された関係(式)である。他方、実験とは、人為的に制御された種々の条件下での測定である。種々の条件の全てについて実験することは現実的に困難である。したがって、「普遍法則を実験から見いだす」ことはありえないと考えるからである。
ちなみに、観測とは、人為的に制御されていない自然現象の測定である。限定的な実験・観測結果を矛盾なく、例外なしに説明することのできる定式化された関係(式)を経験則と呼ぶ。科学的探究過程は経験則を構築し、その理解を深めるためにモデル・理論・普遍法則を組み立て、実験でそれらを検証を繰り返す営みである。
元論文はチャネル流についての実験結果を整理したものであり、チャネル流以外の種々の流れの実験結果を矛盾なく、例外なしに説明することのできるという保証はない。
アブストラクトを読んだ範囲からは、元論文の題名'A universal transition to turbulence in channel flow'の和訳は「チャネル流に共通する乱流遷移」というような言葉が相応しいように思う。
プレスリリースで「普遍的法則」という言葉が使われているのは、'universal'という語の一般的な和訳である「普遍的」という言葉に引きずられた印象を持つ。
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2008年5月6日 科学について知っていてほしい5つの事
4.おわりに
管理人は理学部学生時代に巽先生の講義で層流乱流遷移問題に強い関心を抱いたものの、結局、室内実験・理論研究を主とする流体力学そのものよりも、自然を対象とした多彩な課題を抱える海洋物理学を選んだ。乱流理論は奥が深く、面白そうだが、深みにはまると泥沼になりそう、という予感・恐怖もあった。そうはいっても、乱流の話と縁が切れることはなく、大学院学生時代に風波の発達機構に関する研究を進める中で、Milesの非粘性理論で説明できない風洞水槽実験結果を渦粘性を導入して説明しようと四苦八苦していたことを懐かしく思い出す。
あれから45年、乱流理論も風波理論もまだまだ当時と同じ問題を抱えているように思える。ただし、近年の実験測定・データ解析技術と数値モデル計算能力の発展を考えると、そろそろ本当のブレークスルーが生まれるのが近いのではないかとも思える。