2015年07月11日

科学コミュニケーションの全体像

2015年7月12日14:30 一部修正、追記

4月7日の前回の更新から3ヵ月が過ぎてしまった。3月末に退職した後、「毎日が日曜日」ではあったが、娘の結婚式の他、日本海洋学会和文誌「海の研究」の編集長業務、那覇で開催されたPAMS(太平洋アジア縁辺海研究)集会参加、幕張で開催された地球惑星科学連合集会期間中の地学教育フォーラム交流会や教育検討委員会などへの参加、他のいろいろな事が重なり、ブログ記事を書き上げる気分的余裕がなかったのが大きな理由である。

とは言え、この間、立ち続けに開催された科学コミュニケーション関連イベントのいくつかに参加したり、SNSでの知人たちと意見交換する中で、以下の思いを強くした。

ここ数年、いわゆる「科学コミュニケーション」活動と呼ばれるイベントが盛んにおこなわれるようになった。そのためか、科学コミュニケーション活動に強い関心を持つ学生も増えてきたように思う。しかし、多種多様な「科学コミュニケーション」活動の各々が様々な問題を抱えているのみならず。また「科学コミュニケーション」全体像が不明瞭である。このことが、「科学コミュニケーション」活動にこれから取り組もうと考えている人たちに戸惑いを与え、「科学コミュニケーション」活動を始めることへの躊躇を招いているように思われる。このような状況を何とか改善し、多くの学生や若人が「科学コミュニケーション」活動に参入できる環境を整える手助けをするのが、年寄の役目であろう。

このような思いの下、わが国の科学コミュイケーションの全体像について考えたことを以下に述べる。
1.私の科学コミュニケーション
科学であれ、何であれ、ある人がそれを論じる際には、客観的であることは難しく、論じる人の個人的、社会的価値観が反映されるのは避けがたい。このため、管理人の以下の主張の背景として、管理人本人の科学コミュニケーションに関わる経験をここで述べておく。

管理人は、2005年秋に関東圏に転居するまで大学教員時代にも、所属講座のホームページの運用や公開講座の企画など、今でいうところの「科学コミュニケーション」活動の一形態である「大学教員・研究者のアウトリーチ活動」を大学教員の責務・業務の一つと考えて、他の教員に比べてかなり積極的におこなってきたと思う。また、子どもたちの理科離れに対する危機感から日本海洋学会教育問題研究部会には2003年4月の創設時から参加してきた。とはいえ、社会に向けて本格的に「科学コミュニケーション」活動を始めたのは、2007年1月の本ブログ開設であった。その目的には、
1)海洋学とはいかなる科学なのかを多くの方々に理解していただくこと,
2)若い人々に海洋学の魅力を伝えること,
を掲げた。これは、2006年8月にNPO法人「サイエンス・コミュニケーション(サイコム ジャパン)」に入会して、理科離れやポスドク問題に対して実際に行動されている人々を目の当たりにして、自分でも具体的な行動を起こすべきと考えたからだったように思う。

その後、「科学リテラシー」という言葉と出会い、科学リテラシー、特に「科学の営み」、を普及することによって「良き市民」が一人でも多なることを目指して科学コミュニケーション活動を続けることが、科学研究者の道を歩んできた者ができる重要な社会貢献の一つであろうと考えるようになり、本ブログの主宰の他、日本海洋学会教育問題研究会主催「海のサイエンスカフェ」の企画やサイエンスアゴラでの応募出展企画、TwitterとFacebookでの情報発信などの活動をしてきた。それは、科学コミュニケーション活動を続けることが、科学研究者の道を歩んできた管理人がすべき社会貢献の一つであると考えたためだったように思う。

ここ数年は、オープンマインド、価値観の多様性、合意形成、をキーワードにして「科学の営み」を普及することが重要だと考えるようになり、種々の場で発言している。本年3月末の退職によって、これまでの時間的、精神的な制約から解き放たれて科学コミュニケーション活動に専念できるようになった。この立場になって、どのような科学コミュニケーション活動をどのようにおこないながら残りの人生を過ごすのが自分自身にとって望ましいのかを改めて考えている。

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2.科学コミュニケーションとは何か?
名古屋大学情報科学研究科の戸田山和久さん他が、2008年?からWebで公開されている
「研究者のための科学コミュニケーションStarter's Kit」では、「科学コミュニケーション」を、
・科学を市民に伝える 
・科学についての思いを市民から聞く 
・科学と社会との望ましい関係についてともに考える 
活動と定義している。この定義は「科学コミュニケーションとは何か?」という問いへの直接的な答えになっているように見える。しかし、この定義からは、その目的などをイメージするのは難しい。

2013年に科学コミュニケーションの現在の論点と発展について興味・関心を持つ層を読者に想定してJ. K. GilbertとS. Stockmayerの共同編集で Communication and Engagement with Science and Technology: Issues and Dilenmasと題する書籍が発行され、その和訳「現代の事例から学ぶサイエンスコミュニケーション 科学技術と社会とのかかわり, その課題とジレンマ(以下、G&Sと呼ぶ)」が本年4月6日(公式には15日)に刊行された。G&Sの「訳者まえがき」では、
科学コミュニケーションの多様性に悩み、試行錯誤をおこなっている様々な人々と、科学コミュニケーションの研究を志向している研究者などに多くの示唆を与える。
と述べらている。4月9日に東京大学本郷キャンパスで開催された科学コミュニケーション研究会第30回関東支部勉強会で紹介された本だが、一読の価値が十分にあると思う。

G&Sの第1章「サイエンスコミュニケーションの『デザインアプローチ』に向けて」1.1節「はじめに」の冒頭で、小川正賢(訳:工藤充)は
サイエンスコミュニケーションについての俯瞰的な図を描くことは難しい。なぜなら、そのような目に見える進歩は、たとえば政府や地方自治体、(中略)、さらに熱心な市民といった数多くの利害関係者や先駆者によって達成されたものだからである。それは体系的に起こったのではなく、むしろそれぞれが自律的かつ相互独立的に生じたのである。
と述べ、1.1節末尾で
定義を与えることの難しさは、この分野自体の複雑さだけではなく、サイエンスコミュニケーションのコミュニティー内部に存在するビジョンや理想の多様性にも起因しているのかもしれない。(中略)サイエンスコミュニケーションのコミュニティー内に存在する価値観や価値指向の相違が本格的な検討の対象となることは、これまでのところ概してなかった。
と述べている。また、1.3節「省察:サイエンスコミュニケーションの本質」冒頭では、
最近のサイエンスコミュニケーションの研究は、サイエンスコミュニケーション活動とイベントの現状(何であるか)の分析を土台としており、最終的なゴールという点に関しては、サイエンスコミュニケーションの全体像についての納得のいく構想(何であるべきか、または、何でありうるか)はいまだに提示されていない。
と延べ、1.3節終盤の6ページ後半で
最も広義のサイエンスコミュニケーションの共通の特徴の一つは、・・・「科学と社会(または科学者と公衆)の関係に介入しようとするねらい」であると要約することができる。
と述べている。この要約は、「研究者のための科学コミュニケーションStarter's Kit」での定義とほぼ同じである。結局、第1章は科学コミュニケーションの研究者による現状分析と将来展望として書かれており、「科学コミュニケーションとは何か?」という問いへの新たなアプローチは提案されているものの、問いへの明確な答えは提示されていない。

3.科学コミュニケーションの担い手とその対象者
科学コミュニケーションの全体像を俯瞰するための一つの方法として、G&S第1章では、科学コミュニケーションの担い手とその対象者の各々を以下の4グループに分類し、それらの相互間の活動を考えることが提案されている(14ページ、表1.1)。
プロフェッショナル、政策形成者
親科学的な公衆
無関心な公衆
否定的な公衆
一般的な意味での公衆
第2章「科学との対話」では、上の「プロフェッショナル、政策形成者」をさらに以下のように細かく分類している(28ページ、表2.1を改変)。
科学者(産業界や政府の科学者や学術研究者を含む)
サイエンスコミュニケーション媒介者(科学広報担当者、医学・健康の専門職を含む)
歴史家・哲学者や芸術家や技術者
社会科学者
科学教育者(小中高等学校教師を含む)
普及者(サイエンスライター、サイエンスショー公演者を含む)
科学館などのサイエンスコミュニケーター
メディア(一般向け報道、雑誌、テレビ、映画、ラジオを含む)
サイエンスコミュニケーションの研究者
政府・事務組織(たとえばWHOなど)
関係者(科学を学ぶ学生、NGO、産業従事者を含む)
公衆
注:以下の改変をおこなった。
・元の表2.1には各カテゴリーの説明は記載されていない。直後の本文を参考に加えた。
・元の表2.1第3カテゴリーでは「歴史家・哲学者や芸術家や科学者」となっている。
・元の表2.1第9カテゴリーは政府のみとなっている。直後の本文を参考に加えた。
・元の表2.1には普及者は記載されていない。図2.3を参考にして追加した。

これらの相互間の活動(2次元)に以下の3つの「意図した成果」を加えた3次元空間で議論することを提案している(32ページ、図2.3)。
一方向情報送信
知識共有
知識構築
このように、個人的経験を超えた広い視点から科学コミュニケーションの方向性を論じることは、科学コミュニケーション研究者が果たすべき重要な役割の一つであると管理人は思う。しかし、これらの提案は、困難な問題の解決に向けた挑戦的な取り組みの提案ではあるが、個々の活動を担う個々人の状況ではなく、属性別カテゴリーに分けて考えようとしていることに違和感がある。科学コミュニケーションの全体像についての構想(何であるべきか、または、何でありうるか)を築き上げ、展開することは、科学コミュニケーションの実践者が主体的に考える課題であって、科学コミュニケーション研究者に任せて済むことではないように思う。

それは、科学コミュニケーション活動の実践者は、それなりに負担が大きい科学コミュニケーション活動をおこなう際に、各々の活動の意味・意義・目標を考えなしには済まないと思うからである。管理人の経験では、科学コミュニケーション活動に主体的に取り組む実践者の多くは、孤独・唯我独尊を好まず、交流・対話を重視する傾向にあるように思う。このような科学コミュニケーション活動の実践者は、自分の活動内容を考える際に、科学コミュニケーションの全体像が確立していれば、その全体像を座標軸として、自負心、責任感、やりがいを持とうとする。しかし、科学コミュニケーションの全体像が確立していない状況では、各自の信念、価値観に基づいた立ち位置を定めて行動せざるを得ず、その結果、強い信念を持った人間以外は、自分の活動内容の正当性について堅く確信するのは容易ではない。このため、迷いや苦悩、不安を抱くようになると思う。なお、「強い信念を持った人間」は、強引、傲慢に陥りやすい。このような科学コミュニケーション活動実践者を見た学生や若人の多くは「科学コミュニケーション」活動に積極的に参入しようとは思わないであろう。

4.わが国の科学コミュイケーションの今後のあり方
上に述べたことを基にすると、多くの学生や若人が「科学コミュニケーション」活動に積極的に新規参入できる環境を整えるためには、わが国の科学コミュイケーション関係者は科学コミュニケーションの全体像を構築する努力を続けること必要があるといえる。すなわち、科学コミュニケーション関係者の各々が置かれている状況を互いに理解するための情報提供と、科学コミュニケーション関係者の間に存在する価値観や価値指向の相違についての議論を機会あるごとに繰り返しおこなう必要があるように思う。

管理人は、我が国の科学コミュニケーション関係者の間のコミュニケーションが十分に機能していないように感じている。科学の成果は、追試、検証を含む激しい議論の積み重ねの結果として得られてきた。このような科学と社会とをつなぐ科学コミュニケーションの関係者の間でコミュニケーションが十分に機能していないと外から見られる状況は、科学コミュニケーション活動を実践する人々の科学の営みについての理解とコミュニケーションについての考え、能力への疑念を招くことになる。

このような状況を改善するためには、たとえば、科学コミュニケーションについての各自の活動実践報告や研究報告において、
1)自分にとっての「科学」とは何か
2)自分にとっての「科学リテラシー」とは何か
3)自分にとっての「科学コミュニケーション」とは何か
4)自分の科学コミュニケーション活動の長期目標、ビジョンは何か
5)自分の科学コミュニケーション活動の長期目標、ビジョンの実現には何が必要か
6)何故、その科学コミュニケーション活動をおこなうことにしたのか
7)その科学コミュニケーション活動で何を参加者に伝えようとしたのか
8)その科学コミュニケーション活動の当初の目的は達成できたのか
などを述べあう必要があろう。その結果、上の各項目についての質疑応答、意見交換を通して、参加者の間での価値観や価値指向の相違についての相互理解の促進が期待される。

5.おわりに
昨今の政治・経済・教育情勢やニセ科学の跋扈、巨大防潮堤・新国立競技場建設に関連する混乱などを見るにつけ、「科学の営みについての知識」普及のための科学コミュニケーションの継続的な発展・推進が必要だと管理人は考えている。そのためには、科学コミュニケーションへの新規参入者の確保が不可欠である。本記事がそのための方策の策定に役立てば幸いである。

posted by hiroichi at 12:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 科学リテラシー | 更新情報をチェックする
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