2015年03月29日

才野さんとの思い出

日本海洋学会2015年度春季大会開催期間中の3月24日に「才野敏郎さんを偲ぶ会」に約80名の方々とともに参加した。才野さんは、衛星データを活用した海洋物質循環研究への貢献により2012年に日本海洋学会宇田賞を受賞。名古屋大学名誉教授、海洋研究開発機構特任上席研究員であったが2014年4月17日に病没。享年65才であった。偲ぶ会からの退出時には、豊富な写真とともに管理人を含む国内外の48名の寄稿をまとめた文集「Toribute to Prof. Toshio Saino」が手渡された。37編の日本語の寄稿は3名の編集者による英訳が付されており、お三方の並々ならぬ熱い想いを感じる冊子であった。寄稿者のお一人である東北大学の花輪公雄さんは、ご自分のウェブサイトの「才野さんの追悼集原稿」と題する記事で追悼集の主旨のご紹介とともにご自分の寄稿原稿を公表されている。管理人も花輪さんに倣って自分の寄稿原稿を以下に再掲する。


1.才野さんとの想い出
私が初めて才野さんとお会いしたのはいつだったのか、まったく記憶にない。もしかしたら、1979年夏に私が鹿児島大学に就職した頃の環境科学にかかわる科研費の集まりの折だったかもしれない。あるいは、それ以前の学会の際に、東大海洋研の誰かを介して知り合いになっていたかもしれない。それほどに、才野さんと私の親交は緩やかに始まった。ただ、海洋研で開催された何かの集会の後に4-5人が参加しておこなわれた誰かの研究室での飲み会でご自分の夢を忌憚なく熱く語る才野さんと意気投合した記憶がある。その後も学会や研究集会などでしばしば顔を合わすことがあっても、お互いにその活動を横から見守る関係が続き、具体的に共同研究をおこなうまでには至らなかった。

才野さんと私が同乗した観測航海は2005年8月31日から9月19日の「かいよう」KY05-09次航海のみだった。私が首席を務めたこの航海で,才野さんは水中自動昇降式海洋表層観測ブイシステム(POPPS)の外洋における初めての実海域試験をおこなった。試験は係留ロープの長さに起因するトラブルのため中断したが、その後、才野さんはこのトラブルを精力的な努力で解決し、後日、POPPSを見事に実用化された。様々なトラブルに遭遇しても決して諦めることなくその解決に取り組む才野さんの強烈な個性なしにはPOPPSは実用化しなかったように思う。

才野さんとご一緒した研究活動として忘れられないのは、共同コンビナーとして第2回黒潮域国際研究計画(KIP、Kuroshio Implementation Panel)研究集会をJAMSTEC東京事務所で2009年秋に開催し、そのレポートを紆余曲折を経て2011年秋にまとめ上げたことである。KIPは西部北太平洋域における海面係留ブイ観測について共同研究を進めていた日米の関係者が2007年秋にホノルルで合同研究集会を開いた際に、その持続的な推進を目指して設立した非公式な国際研究グループである。生物地球化学分野の研究者にもKIPへの参加を強く呼び掛けることになり、合同研究集会の後、私から才野さんにKIPへの参加をお願いして、ご快諾いただいたのであった。才野さんとご一緒に、KIP活動を通して、黒潮・親潮続流域表層に長期連続係留ブイ観測網を展開し、物理・地球生物化学過程の理解を深める研究を推進することを強く願っていたが、果たせぬ夢となってしまった。合掌

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第2回KIP集会(JAMSTEC東京事務所、2009年11月4日)

2.葬儀
才野さんの通夜は4月20日、葬儀・告別式は翌21日に京急メモリアル金沢文庫斎場で行われた。
お通夜に参列した時の思いを以下のようにツイートしたが、その思いは今も変わらない。
翌日の葬儀・告別式の後、金沢文庫駅近くでOHさんISさんと昼食を共にしながら故人を偲んだ。
あれから早11ヵ月が過ぎた。
残された者は故人の思いを胸に各々の道を突き進むしかないと思う日々である。
改めて、ご冥福をお祈りします。


ラベル:日記 研究
posted by hiroichi at 17:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 想い出 | 更新情報をチェックする
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