9月8日に以下のようなツイートをした。
『「月刊むすぶ」2014年7月号と8月号に連載された「からだの健康 社会の健康(槌田 劭)」を読んだ。「金だけ、今だけ、自分だけ」から「自立、共生」という提言に強く同意』
この強いインパクトを持つ「金だけ、今だけ、自分だけ」というフレーズについての槌田劭さんの他の主張を読もうと思ってネットで調べた。「金だけ、今だけ、自分だけ」を検索しても槌田劭さんの記事はヒットせず、「今だけ、金だけ、自分だけ」という似たようなフレーズに鈴木宣弘東京大学大学院教授が言及している記事が多数ヒットした。
以下に、槌田劭さんの連載記事「からだの健康 社会の健康」を読んだことに端を発して調べたり考えたことを述べる。種々のことを書いているうちに長文になってしまいました。
拙ブログ関連記事:
2007年06月16日 月刊むすぶ
2007年06月16日 月刊むすぶ
1935年京都市生まれ。京都大学理学部卒業。アメリカピッツバーク大学留学。 1967年京都大学工学部助教授。専攻は金属物理学。1973年伊方原発訴訟に住民側証人として参加 炉心担当。敗訴後、科学技術に疑問を持ち、大学を辞職。後に精華大学教員。1973年使い捨て時代を考える会設立。有機農業運動にも深く関わる。日本有機農業研究会幹事など歴任。
槌田劭さんの考え方はNPO法人「使い捨て時代を考える会」のサイトに掲載されているコラム「随想やましろ」で折に触れて述べられている。また、2003年7月15日付け不登校新聞掲載記事「槌田劭さんインタビュー 環境問題」では、槌田劭さんのお考えの源や月刊「むすぶ」とのつながりを知ることができて、興味深い。なお、この記事の末尾に記されてる、
力をもって世の中を変えていこうとすると、あるべき姿を先に立てて人を支配しようとすることになる。自分のできないことをできないと受けいれ、自分はちょぼちょぼなんだと自覚し、ちょぼちょぼなりに自分が幸せで、自分のまわりが少しでも幸せであれば、それで十分なんだと思います
という文の中の「力をもって世の中を変えていこうとすると、あるべき姿を先に立てて人を支配しようとすることになる。自分のできないことをできないと受けいれ、自分はちょぼちょぼなんだと自覚」するという箇所については、同じような考えを持つ管理人は大いに励まされた。ただし、「ちょぼちょぼなりに自分が幸せで、自分のまわりが少しでも幸せであれば、それで十分なんだと思います」という箇所には違和感がある。また、以下の刺激的な「科学者の道はやめる」ことに言及した箇所については、こういう考えに至った事情を理解できないこともないが、ちょっと同意するのは難しい選択と思う。
「物事は日常の暮らしのなかから考えるべきで、リクツを立てて、自分は立派なんだと錯覚していてはまちがってしまうと、痛感しました。そして、そのころ、自分は科学者の道はやめると決めました。」
「僕が科学者であることをやめたのは、科学技術パニックからの離脱なんです。科学技術が何ほど人間に幸福をもたらしたと思うのか。科学技術は、むしろ確実に人類を不幸と滅びの道に導きつつある。」
なお、略歴には明記されていないが、地球温暖化懐疑論を主張している槌田敦(つちだ あつし)さんは槌田劭さんの実兄である。ご兄弟で編集した『化学者槌田龍太郎の意見』(化学同人、1975)は管理人が大学院学生時代に読んで科学者のあり方について深い感銘を受け、今でも管理人の蔵書の一冊となっている。
2.「からだの健康 社会の健康」
「からだの健康 社会の健康」と題する記事の前篇は月刊「むすぶ」第522号(2014年7号)18-22ページ、後篇は第523号(2014年8号)18-23ページに掲載されている。両篇の末尾には、「2014年7月5日、健康操体講座in枚方での講演(主催 日本有機農業研究会・生活部・「土と健康」友の会)をもとにまとめました」と記載されている。この記事の原文をお読みになりたい方は、是非、掲載号をロシナンテ社よりご購入(1冊800円)してください(月刊「むすぶ」は四方さんがお一人で頑張って発行を続けておられる雑誌です)。
注文・問い合わせ先(ロシナンテ社)のサイト http://www9.big.or.jp/~musub/index2.html
冒頭の「土にも健康が大切です」と題する節で、この記事(講演)の主題が以下のように記述されている。
今日のテーマは、個人の健康と社会の健康ということです。今、それがなぜ問題なのかということをちょっと考えてみたいのです。その線上には、有機農業と操体法の考え方もあるのです。今、私たちの直面する課題に対して答えの道筋を皆さんと一緒に考えたいと思います。
この講演録は「土にも健康が大切です」と題する節に続いて、以下の各節の順に話が進められている。
お金に支配された食べもの
お金が命を掠め取ります
生産者と消費者をよりよくつなぐ提携
健康とひずみ、それは社会の反映
足元はいつか崩れます
有機農業運動は自立の思想
もうすぐ戦争ですか
世の中のひずみを自覚的に反省する
お金のストレスでがんになる
まず自分を生きる そして他者との共生を
消費税のかからぬ自立の暮らし
からだと社会のひずみを正す
お金が命を掠め取ります
生産者と消費者をよりよくつなぐ提携
健康とひずみ、それは社会の反映
足元はいつか崩れます
有機農業運動は自立の思想
もうすぐ戦争ですか
世の中のひずみを自覚的に反省する
お金のストレスでがんになる
まず自分を生きる そして他者との共生を
消費税のかからぬ自立の暮らし
からだと社会のひずみを正す
本記事中では、「足元はいつか崩れます」と題する節の中で以下のような形で、初めて、「金だけ、今だけ、自分だけ」という言葉が現れる
金だけ、今だけ、自分だけ。これが三だけ主義。主権在金です。お金の、お金による、お金のための、お金中心主義の事です。これはわたしの造語です。
その後、「金だけ、今だけ、自分だけ」という言葉は、「有機農業運動は自立の思想」と題する節と「もうすぐ戦争ですか」と題する節で各々1度、「まず自分を生きる そして他者との共生を」と題する節の中で2度用いられており、最後の「からだと社会のひずみを正す」と題する節の中で、浄土仏教的な見方を示して、
わたしたちはお金による刹那的(今だけ)、利己的(自分だけ)生き方にしばられず、もっと自然に則して生きればよい。本来幸せに生きるようにできているのですからです。
という形で使われている。これが、抽象的ながら本講演の結論につながっていると思う。
なお、「世の中のひずみを自覚的に反省する」と題する節の中で、
避難したくても、現実生活上の理由で福島に止まらざるをえない人たちがいるという現実に、心も痛めず、「放射能は危険だ」と「安全」だけを求めるのは利己的ともみえます。有機農業運動の中にもこの風潮があることを、わたしは悲しく思います。
と有機農業運動を推進されてきた槌田さん自身が述べていることに管理人は敬意を表する。
また、「もうすぐ戦争ですか」と題する節では、
有限の資源の中で、もう行き詰まりが目に見えているのです。ひずみが見えてきたときに、どういうことが起こるか。世界中が利権と資源をめぐって紛争・争奪の渦となります。安倍政権もその渦に巻き込まれる流れです。
という基本認識を示している。さらに、弱者を切り捨てる「新自由主義」を強く批判するとともに、
既得権益を保有する者は、既得権益を守ろうとするのです。
自分の利益、損得、打算しか考えない人たちは、相手もまたそうだと不信・猜疑・憎悪を相互に増幅し、争いに至ります。
自分の利益、損得、打算しか考えない人たちは、相手もまたそうだと不信・猜疑・憎悪を相互に増幅し、争いに至ります。
と述べている。これらの認識の多くに管理人は強く同意する。
3.鈴木宣弘さんの「今だけ、金だけ、自分だけ」
ブログ「植草一秀の『知られざる真実』」の2013年8月22日付け記事『「食の戦争」で米国の罠に落ちる日本』によると、「今だけ、金だけ、自分だけ」という言葉は、池田整治氏の、『今、「国を守る」ということ』(PHP研究所、2012年)よりヒントを得て、最近の世相をよく反映する言葉として、『食の戦争 米国の罠に落ちる日本』(文春新書)の冒頭で著者の鈴木宣弘さんが紹介したフレーズとのことである。
鈴木宣弘さんが「今だけ、金だけ、自分だけ」というフレーズを使った例として、2014年6月28日に東京都内で開催された農業協同組合研究会第10回研究大会での「TPP、規制改革、農業・農協改革の正体」と題する講演概要の抜粋(『農業協同組合新聞』(JAcom)2014年6月30日号)掲載)を以下に示す。
「イコールフッティング(対等な競争条件)を実現すれば、みんなが幸せになるというが、利益追求のための一部の人々の暴走が国の将来を危うくしている。人々の命、健康、くらしを犠牲にしても、環境を痛みつけても、短期的なもうけを優先する、ごく一握りの企業の利益に結びついた一部の政治家、一部の官僚、一部のマスコミが国民の大多数を欺いて、TPPやそれと表裏一体の規制改革、その超法規的突破口となる国家戦略特区などを推進している」
「将来、地域社会を守るのは協同組合である。『今だけ、金だけ、自分だけ』では、持続できる農業経営も、地域の発展も、国民の生命も守ることはできない。今こそ『食と農と地域の将来を開く、真に強い農業とはなにか』が問われている」
この記事を読む限りでは、鈴木宣弘さんは「今だけ、金だけ、自分だけ」という現代の風潮の全般を批判しながらも、特に「安倍政権が進めようとしている一時しのぎの農業政策の象徴」である「今だけ」に主眼をおいて、TPP反対論を展開されているように思う。
4.どちらが先?
どうでもいいこととは思うが、「今だけ、金だけ、自分だけ」あるいは「金だけ、今だけ、自分だけ」というフレーズは鈴木宣弘さんと槌田劭さんのどちらが先に使い始めたのかが気になった。というのは、槌田劭さんが「からだの健康 社会の健康」で、
金だけ、今だけ、自分だけ。これが三だけ主義。主権在金です。お金の、お金による、お金のための、お金中心主義の事です。これはわたしの造語です。
と述べていることは、鈴木宣弘氏著『食の戦争 米国の罠に落ちる日本』(文春新書)での説明と異なるからである。
ブログ「zikomo days in Malawi」の2006年1月24日付け記事「金主主義」によると、槌田さんは既に1996年頃から「お金中心主義」に警鐘を鳴らしていたらしい。すなわち、槌田さんが「これはわたしの造語です」と言った時の「これ」は「金だけ、今だけ、自分だけ。これが三だけ主義」ではなくて、「主権在金」あるいは「金主主義」を指すと思われる。その後、時期は特定できないが、「金主主義」の補足説明あるいは拡張として「金だけ」に「今だけ、自分だけ」を追加したフレーズを使い始められたと思われる。例えば、上に示した2003年7月付け不登校新聞に掲載されたインタビュー記事では「金主主義」は明確に使用されているものの、「金だけ、今だけ、自分だけ」というフレーズは使われていない。しかし、以下の表現で「長期的な視点}と{自立と共生」の重要性を指摘している。
たしかに、病気を治せるようにはなったかもしれない。一方では豊かな社会になって人権意識や民主主義が広がったかもしれない。しかし、この豊かな文明社会が崩れていったとき、どれほどの悲劇が起こることか。ほんとうに、いまの社会は豊かと言えるのか。冷静に考えるべきです。
いのちとは何だろうという問題を生きることの根幹にすえて考えないといけない。個々のいのちは自立していると同時に共生している。関係のなかで生きているわけです。孤立しているものはかならず滅びる。他のいのちをうばっている、あるいは他のいのちに支えられているから、生きられるわけです。
したがって、「金だけ、今だけ、自分だけ」というフレーズの最初が「金だけ」であることに大きな意味がある。「今だけ、自分だけ」は「金だけ」から派生した風潮と見做しているのかもしれない。
結局、鈴木宣弘さんの「今だけ、金だけ、自分だけ」と槌田劭さんの「金だけ、今だけ、自分だけ」というほぼ同じ2つのフレーズは、双方ともに現代の風潮をよく表しているが、その各々の背景となる考え方には大きな違いがあり、「どちらが先か」を決める必要はないと思われる。
5.「金だけ、今だけ、自分だけ」の風潮への対処法
「人が幸せを感じるのは、必ずしも金銭的に豊かであることだけではないこと、その幸せが将来にも続くと確信を持てること、その幸せをともに分かち合う仲間・家族がいることにある」という表現に対して、強く反対する人は少ないであろう。しかし、槌田劭さんが指摘しているように、近年の日本社会には「金だけ、今だけ、自分だけ」というフレーズで表される風潮が蔓延している。多くの人は、この風潮が望ましいものではないことに気付きながらも、環境、食糧・資源・エネルギー、国家・地方財政、年金・社会福祉制度など数多くの問題を抱える今の世の中にあって、有効な対策を見つけることができず、まずは「金だけ、今だけ、自分だけ」でも、という不本意な選択をして、強い閉塞感と大きな不安を抱きながら日々を過ごしているのだと思う。
例えば、管理人がその一員でもある科学研究の世界でも、近視眼的な成果主義の下に強烈な「金だけ、今だけ、自分だけ」思考が広がり、迷わずこの風潮に乗って、研究資金・ポスト・賞などの獲得競争に勝った者だけが優秀な研究者であるという考え方が蔓延しているようにみえる。研究者たちの多くはこの状況を決して良いこととは思っていないが、その中で競争を続けざるをえない状況に置かれている。また、高齢化社会となり、残り少ない人生に不安を抱えて「金だけ」が頼りと思う老人たちの割合が増えている状況が、新たな挑戦が可能な若者をも委縮させ、「金だけ、今だけ、自分だけ」の風潮を強めているように思える。
このような「金だけ、今だけ、自分だけ」という風潮に対処するためには、どうしたらよいのだろうか? これは人々が抱く根源的な不安に対する古くからの宗教的、哲学的な課題ともつながっている。槌田劭さんは「からだの健康 社会の健康」の中の「まず自分を生きる そして他者との共生を」および「消費税のかからぬ自立の暮らし」と題する節で、「自立と共生」をキーワードとした生活スタイルの実践を勧め、最終節で、
わたしたちはお金による刹那的(今だけ)、利己的(自分だけ)生き方にしばられず、もっと自然に則して生きればよい。本来幸せに生きるようにできているのですからです。
と述べている。個々人のレベルでは、この姿勢を貫くことができるのならば、それで良いとは思う。しかし、今の世の中でこの姿勢を貫くことができないことが心ある人々の苦悩の源になっていると思う。
「金だけ、今だけ、自分だけ」というフレーズの中の「金だけ」は、槌田劭さんの考えからは飛躍するが、社会的視点から「国際金融・市場経済社会の下での勝者となること」と言い換えられるかもしれない。また、「今だけ」は、「目先の利益」を優先し「未来の子供たち」を考えないこと、「自分だけ」は、「自分」に家族・子孫を含めれば、他者としての「敗者、現在の弱者」を考えないことと言い換えられるかもしれない。すなわち、「今だけ、自分だけ」は「未来の子供たちと現在の弱者に思いを馳せる想像力が欠如した」風潮と言えよう。より広い意味では「社会的地位・名誉や周囲からの尊敬」などを含めた「強者・勝者・富者を是とする価値観への執着」を象徴しているように思う。
若い人たちの中には、「金だけ」の価値観から離れ、社会への貢献を第一とした生き方を模索する人が増えている。このような人々を出来る限り支援したいとは思う。また、「未来の子供たちと現在の弱者」のための環境・科学技術・社会福祉政策を立案・実行するための透明性に富んだ公正な政治・経済改革を推進する必要があるとも思う。しかし、今の国内外の社会情勢からは、その実現は極めて困難な状況である。この状況の改善は、正論、理想論をふりかざして、この風潮を批判するだけでは進まない。各人が、種々の場面で、出来るだけ「金だけ、今だけ、自分だけ」につながる選択をしないようにする努力を積み重ねていくしかないように思う。
6.おわりに
強いインパクトを持つ「金だけ、今だけ、自分だけ」というフレーズに出会い、いろいろ調べ、考えたことを書いてきたが、その中で、この「金だけ、今だけ、自分だけ」の超克が古来からの宗教、哲学の課題であり、近年の政治経済情勢がその問題性を今までになく顕著化・重大化させているのだと思うようになった。この観点からすると、恩師の故久松真一先生が提唱された以下の「人類の誓い」が「金だけ、今だけ、自分だけ」思考を克服する道を示していると思う。
強いインパクトを持つ「金だけ、今だけ、自分だけ」というフレーズに出会い、いろいろ調べ、考えたことを書いてきたが、その中で、この「金だけ、今だけ、自分だけ」の超克が古来からの宗教、哲学の課題であり、近年の政治経済情勢がその問題性を今までになく顕著化・重大化させているのだと思うようになった。この観点からすると、恩師の故久松真一先生が提唱された以下の「人類の誓い」が「金だけ、今だけ、自分だけ」思考を克服する道を示していると思う。
わたくしたちはよくおちついて本当の自己にめざめ、
あわれみ深いこころをもった人間となり、
各自の使命に従ってそのもちまえを生かし、
個人や社会の悩みとそのみなもとを探り、
歴史の進むべきただしい方向をみきわめ、
人種国家貧富の別なくみな同胞として手をとりあい、
誓って人類解放の悲願をなしとげ、
真実にして幸福なる世界を建設しましょう。
あわれみ深いこころをもった人間となり、
各自の使命に従ってそのもちまえを生かし、
個人や社会の悩みとそのみなもとを探り、
歴史の進むべきただしい方向をみきわめ、
人種国家貧富の別なくみな同胞として手をとりあい、
誓って人類解放の悲願をなしとげ、
真実にして幸福なる世界を建設しましょう。
なお、上の「人類の誓い」を要約した次の三つの項目(F・A・S)の各々が、「金だけ」、「自分だけ」、「今だけ」に対応している。
1 形なき自己にめざめる To awaken Formless Self
2 全人類の立場に立つ To stand on standpoint of All mankind
3 歴史を越えて歴史を創る To create Superhistorical history
2 全人類の立場に立つ To stand on standpoint of All mankind
3 歴史を越えて歴史を創る To create Superhistorical history
管理人は、一人でも多くの人が「金だけ、今だけ、自分だけ」の風潮を乗り越える道に歩を進める一助となることを願って、「多様な価値観を容認する社会の実現」と「豊かな想像力を涵養する教育の実施」のための科学コミュニケーション活動を出来る範囲で続けていきたいと思っている。