2013年10月06日

2013年10月05日のつぶやき

2013年10月6日17時05分 再編・追記回答者の約4分の3が25-44歳。若手研究者の切実な不安の声が行政関係者に届いてほしい。

他に4件のツィート。1件目はフランスにおける歴史教科書問題を論じたル・モンド・ディプロマティーク』日本語・電子版9月号に掲載された記事の紹介。お国柄、歴史の違いを実感し、興味深い。
 2件目は毎日jp(毎日新聞)で5回の連載が終わった{さまよう入試」と題する記事への辛口コメント。3件目は、高齢者向けウェブサイトを制作する際の留意点を実例で示した記事への言及。4件目は家庭用プラネタリウムについての思い出。




posted by hiroichi at 00:15| Comment(1) | TrackBack(0) | Twitter | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 >静岡県知事川勝平太 またの名を嘘つき平太・・・この度は、全国学力テストで小6が最下位だったことから事は始まったようですね。
 >下位100校の校長名を公表すると唐突に表明したからさ~大変!
 >学校名を公表しないが文科省のルール、校長名とは記載されていないからこれはOKだとする県知事。
 >これに対し文科省では校長名イコール学校名との認識を示し県教委はこれを順守すべきだとの見解。
 >今回の件で、嘘つき平太に屁理屈平太がプラスされた。

学校長は、学校教育に責任のない人なのか。ただ、他の教員よりも金を多く貰っているだけなのか。
その責任者であるならば、問題があれば、名前を明らかにされても仕方がない。
問題の解決には、何よりも責任者の自覚が必要である。

意思のあるところに責任はある。
意思のないところには、責任がない。
責任者は、責任を持って問題の解決を図ることを期待されている。
無意思の責任者には、問題を解決する力はない。

死刑執行人は、殺人罪に問われない。
彼らは、殺意がないからである。彼らは ‘頼まれ仕事’ をしているのである。学校長の仕事もそのような ‘頼まれ仕事’ なのであろうか。

日本人には、意思がない。
意思は未来時制の文章内容で、日本語には時制がない。
だから、日本人には、意思がない。

非現実 (過去時制と未来時制) の文章内容が表現できなければ、際立った個人差は出ない。どんぐりの背比べというか、犬と犬の違いに終始する。
個人主義を理解することも難しい。

我が国がひっくり返った時にも、国の政治責任者は出なかった。
「責任者を出すな。犠牲者を出すな」と言う声が上がった。
意思のない人が責任を追及されることがあれば、彼はまさしく犠牲者であろう。動物愛護の精神が必要。
学校長も、そのようなものか。とかく、この世は無責任。

心のある人とは、どのような人か。
自分の感情を表現する人か。ならば、歌詠みの人か。
自分の意思を表現する人か。ならば、行動の人か。

日本人には、意思がない。だから、自分の意思を示さない。
我が国は、世界の中にあって、世界に属さず。
日本人は、無為無策で高踏的*なのか。
我々は自分自身の意思を示すよう心掛けて、来るべき国際化社会に備えなくてはならない。

 *高踏的 (自分ひとり高いとしているようす。おたかくとまるようす。)

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/


Posted by noga at 2013年10月06日 04:30
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