この論文は、Meghan Croninさんの指導教員の一人であって、管理人とも浅からぬ縁のあるTom Rossbyさん(アメリカ ロードアイランド大学教授)の2011年6月の引退記念の事業として関係者の間で秘密裏に準備が進められてきた論文集への寄稿として2011年4月に投稿、12月に再投稿、2012年8月にオンライン公開されたものである。早速、ウェブ公開されている特集号(原著論文18編所収,Deep Sea Research Part II, Vol.85, January 2013, p.260)の全体を見てみた。
その冒頭の賛辞(Tribute)では、George VeronisさんがTom Rossbyさんの業績を紹介している。専門用語がいくつかあるものの、大部分は平易な言葉で書かれており、近代の海洋観測研究の発展史に関心のある一般の方々のご一読をお勧めする。
以下に、Tom Rossbyさんとの出会いを契機として始まった管理人とURI/GSOの人々とのお付き合いの歴史を紹介する。
参考
The scientific work and career of Tom Rossby by George Veronis
http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0967064512001002
多分、Loginしなくても、View full text -> View Abstractの順でクリックすれば全文閲覧可能。
1.Tom Rossbyさんの業績
Tom Rossbyさんは1937年に、ロスビー波にその名が冠せられている有名な気象学者Carl-Gustav Rossbyの息子としてボストンで難聴のハンディーを背負って生まれ、父の異動によって1947年からストックホルムで過ごした。20歳で父を失った後、1962年にthe Royal Institute of Technology in Stockholmを修了。MIT大学院に進んだ1962年の夏にウッズホール海洋研究所で開催されたGeophysical Fluid Dynamics Summer Program で著明な海洋物理学者であるHenry Stommelさんと出会って、海洋物理学研究を始めた。
海洋科学は,海洋観測技術と数値モデル計算技術の発展を車の両輪として,近年,飛躍的に発展した。その一翼を担っていたのがTom Rossbyさんであった。Tom Rossbyさんは深海の海水循環観測に関わる種々の水中音響観測機器(SOFARフロート、RAFOSフロート、Inverted Echo Sounder:IES、他)を開発し、20世紀後半の海洋循環研究に多大な貢献を果たすとともに、自分のアイデアを仲間と共有し、その成果の果実を仲間・弟子に譲るという寛大な心の持ち主として尊敬されている。なお、現在、わが国を含めた世界規模で展開されているARGOフロートはRAFOSフロートから発展したものである。対馬海峡その他で行われているフェリー搭載ADCPによる表層流速の繰り返し観測を世界で初めて実施したのもTom Rossbyさんであった。
Tom Rossbyさんの業績の詳細は上に述べたGeorge Veronisさんの「賛辞」に詳しいが、その冒頭で次のように述べられている。
Tom Rossby is known for his innovative use of underwater acoustics to develop instruments to probe the deep ocean, for his data-based picture of the general circulation of the oceans and for the generous sharing of his instruments and his time with his colleagues and his students and to help other countries establish observational float programs.また、George Veronisさんの「賛辞」中の「Educational activities」の末尾には
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In my opinion he is the most creative and important ocean engineer of the second half of the 20th century. He has created and developed an astonishing number of new instruments, each one overcoming a difficulty that he was faced with or satisfying a need to make a new type of measurement. I know of no one who has been more productive and more generous in sharing his ideas and giving credit to his coworkers than Tom.
On the whole he has treated his Ph.D. research students as colleagues. His generosity has extended to publication credits where a student or colleague who has done a lot of the work is made first author even though the basic idea or discovery was Tom's.と記されている。Tom Rossbyさんの学生に対する態度が、私の恩師である故國司秀明先生の「真理の前に師弟なし」というお考えと同じであることを知り、深い感慨を覚える。
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2.Tom Rossbyさんとの出会い
管理人は1988年12月から1989年9月まで文部省在外研究員としてウッズホール海洋研究所に家族とともに滞在していた。渡米の直前まで、東京大学海洋研究所(当時)の平啓介さんによるSOFARフロートを使った四国海盆での深層循環の観測研究に協力していた関係で、Tom Rossbyさんのお名前は知っていたが、初めて親しくお話ししたのは、1989年夏の一日であった。
その当時、Tom Rossbyさんは米国ロードアイランド大学大学院海洋学研究科(University of Rhode Island, Graduate school of Oceanography; URI/GSO)において、RAFOSフロートを用いたメキシコ湾流の観測研究を進めており、その最新の成果を1989年5月にボルチモアで開催されたアメリカ地球物理学連合(American Geophysical Union, AGU)研究集会で発表した。この研究集会に参加していた管理人はRAFOSフロートの有用性を確認し、東中国海陸棚縁辺での海水交換過程の観測にRAFOSフロートを使用したいと考えた。ずうずうしくもメールで訪問の希望を伝えたところ、快諾を得て、7月に家族ドライブを兼ねて、車でウッズホールから2-3時間のところにあるURI/GSOキャンパスのTom Rossbyさんをお訪ねした。途中で立ち寄ったニューポートの明るい街並みやGSOキャンパス内の食堂で眼下に広がる青い海を見ながら家族とともに摂った昼食を思い出す。
Tom Rossbyさんに丁寧にRAFOSフロートのシステムや開発状況を説明して頂いたが、結局、RAFOSフロートを東中国海陸棚縁辺のように浅い海域で使うのには無理があることが分かり、使用を断念した。このときTom Rossbyさんから隣室のMark Wimbushさんが東中国海での黒潮観測を希望しているので紹介したいとの提案を受けた。Wimbushさんとは1985年に筑波大学で開催されたJECSS (Japan, East China Seas Study)国際研究集会で顔を合わせたものの、そのときの管理人は中国との共同研究を模索していた時期であり、Wimbushさんと親しくお話した記憶はなかった。このため、実質的にはこの時が初めての面談となった。これが、その後の東中国海や四国沖における黒潮共同観測を含めたロードアイランド大学ゆかりの人々と管理人との交流の始まりとなった。
Mark Wimbushさんを介して、当時、URI/GSOで学んでいた京大理学部海洋学研究室の後輩で1987年の白鳳丸航海(東大海洋研究所寺本俊彦教授最終航海)でフィリッピンのセブ港から東京までご一緒だった張倩(Qian Zhang)さんとも会うことができた(白鳳丸船上で彼女に作っていただいた水餃子が懐かしい)。
3.Mark Wimbushさんとの共同研究
1989年10月に日本に戻った管理人は種々の学内手続きや経費確保の問題をクリアーして、Mark Wimbushさんとともに1991年8月から1992年10月に沖永良部島北東の黒潮流域でL字状に7台のIESを設置して,黒潮流軸位置の変動とその下流伝播の観測を実施した。
当初の計画では、日本側は黒潮横断線上の5台のIESの間の4点に流速計係留系を設置し、IESデータと合わせて流速断面分布変動を観測する予定であった。しかし、1991年の設置時には、悪天候のため、当初計画していた敬天丸航海で全点の設置ができず、急遽、かごしま丸に協力をお願いした。それでも、係留流速計の設置は2系に留まった。水産学部練習船を利用したアメリカとの初めての共同研究実施手続き、アメリカからの航海参加者への対応、IES設置作業に使用するPDR(高精度音響測深器)の改造、アメリカから送られてきた器材を日本で受取る際の輸入手続きや消費税納入延伸手続きなど、初めての経験で戸惑いながら、当時の鹿児島大学工学部と水産学部および東大海洋研の多くの教官、学生、事務官、他の関係者の方々の協力を得て観測を実現することができた。この経験が、その後の多くの国際共同研究の実施に役立った。
東中国海の共同研究の傍ら、1989年末頃から今脇さん(当時:京都大学)を中心とする有志の間で海洋大循環に関する国際的なプロジェクトであるWOCE (World Circulation Experiment)のわが国の活動の一環として四国沖黒潮流量を観測する計画(後日、Affiliated Surveys of the Kuroshio off Ashizuri-Misaki: ASUKAと命名)の立案を進めていた。紆余曲折を経て、この計画を文部省国際共同研究事業「海洋観測国際協同研究計画(GOOS)」の予算枠の中で進めることになった。しかし、その予算を調整する段階で、予算総額の制約によりASUKA計画を大幅に縮小せざるを得ない状況になった。この事態に対応して、一時は計画全体を断念することも考えたが、流量の観測の一翼を担うIES観測については、東中国海での実績を踏まえ、URIとの共同観測研究とすることをMark Wimbushさんに提案した。幸いにもMark Wimbushさんの尽力でアメリカ側の予算が確保され、人工衛星TOPEX/POSEIDONによる海面高度観測が開始された約1年度の1993年10月から1995年11月までの2ヵ年間に、九州大学、東海大学、鹿児島大学から集めた33台の流速計を9点で係留するとともに、URI/GSOの9台のIESを海底に2年間設置し、その間に、気象庁、海上保安庁、水産庁、JAMSTEC、東京大学、三重大学、鹿児島大学の諸船舶による海洋観測を総計42回繰り返し行なうという一大プロジェクトを実施することができた。
ASUKA集中観測後には、URI/GSOよりIESを借用し、基準点でのIES観測を継続した。その後、1997年度から開始した科学技術振興事業団戦略的基礎研究経費「黒潮変動予測実験(代表:今脇資郎)」により、結局、2002年度までの約10ヶ年間、IES観測を行った。
管理人は2001年からJAMSTEC地球観測フロンティア研究システム日本沿海予測実験グループのグループリーダーを兼務することとなり、JAMSTECによるIESを用いた沖縄南方海域での北上流の観測研究をAlexander Ostrovskiiさんから引き継いだ。他方、Mark Wimbushさんは韓国のKyung-Il Changさん(当初はKORDI所属、後にSeoul大学)と沖永良部島北東の黒潮横断観測線での流量変動観測を計画していた。琉球列島の南北での北上流流量の同時観測を目指し、URIとJAMSTECの共同で2002年12月にJAMSTEC所属船「よこすか」で東シナ海中央部の近接した2本の黒潮横断線上にCPIESを設置し,2004年11月に鹿児島大学練習船「かごしま丸」で回収した。これらの航海には、URIからMark Wimbushさんと彼の学生であったMagdalena Andresさん(現在、ウッズホール海洋研究所Assistant Scientist)、JAMSTECで管理人のグループのポスドク研究員の後、URI/GSOのポスドク研究員となっていたJae-Hun Parkさんと、Tom Rossbyさんの後を引き継いでIESの開発・改良を行なっていたRandy Wattsさん、Gerry Chaplinさん、ほかが参加した。IES開発者たちが行なう本格的なIES観測に立会い、そのノウハウを得ることができたのは予定外の成果であった。
この時に培われた鹿児島大学とURI/GSOとのつながりは、私が2005年に鹿児島大学を離れた後も続き、2011年度より沖縄の南西の慶良間海裂(ケラマギャップ)通過流の共同観測が鹿児島大学(中村啓彦さん他)とURI/GSO(Jae-Hun Parkさん他)によってが行なわれている。
ASUKA計画その他について意見交換、詳細確認などのために、管理人は、1990年以降、何度か単身でURI/GSOのMark Wimbushさんを訪れた。ある時、Randy Wattsさんご夫妻と夕食を共にした。また、別の機会には、ご自宅に泊めて頂き、日本人の奥様と親しくお話ししたこともある。1999年に著名な海洋学者であるWalter Munkさんが京都賞を受賞し、授賞式の後、稲盛財団会長の出身大学である鹿児島大学での講演のため、鹿児島に来られた。その際に管理人が担当して開催した鹿児島大学所属海洋研究者との談話会でMark Wimbushさんとの共同研究を紹介すると「He was a my student」と嬉しそうに語っていたのも懐かしい。Randy Wattsさんに頼まれてWimbushさんの昇格について推薦状を書いたこともある。逆に、私の昇格審査に際して、Wimbushさんに推薦状をお願いしたこともある。
4.Randy Wattsさん、Meghan Croninさんとの協力・連携
Randy Wattsさんとの当初のお付き合いは、Mark Wimbushさんとの共同研究でIESを貸与していただいたり、2000年初めのアメリカ海軍海洋研究所による日本海海洋研究プロジェクト募集に際し、日本海沿岸におけるIES観測の可否の情報を管理人から提供するなど、Mark Wimbushさんを通した間接的なものであった。直接的なつながりは、2002年頃に、Randy Wattsさんが中心となって立案・申請したKESS(Kuroshio Extension System Study)の最終審査の段階で、黒潮続流域の大気海洋相互作用観測担当としての日本側研究者の参加の意思確認が必要になったことで始まった。
JAMSTEC内では、それまでの経緯からKESSへの協力に消極的な意見が多かった。しかし、従来から海面熱交換の連続観測に強い関心を持っていた管理人は、これを好機として是非とも参加したいと考えた。周囲の方々と相談して、結局、KESSと連携して、独自に海面熱交換量の連続観測を実施することになった。とはいうものの、KESS海域には多数の海底ケーブルが敷設されており、各種の海上気象センサーを搭載した海面係留ブイのシンカー(海底上の重り)が移動して海底ケーブルを損傷する事態を絶対に避ける必要があった。このため、海面係留ブイに代わる種々の方法を検討したが、具体的な案を決められない状況が続いた。
KESSがアメリカ科学財団で採択された後の2003年7月に札幌で開催されたIUGG 2003 General Assemblyの期間中に、Randy Wattsさんの呼び掛けで日米のKESS関係者との意見交換会が開かれた。この時、ウッズホール海洋研究所のブイグループが強流域での海面係留ブイ観測の可能性を検討した結果、可能であるとの結論に至ったとの情報をRandy Wattsさんから得た。旧知のBob Wellerさんにその詳細を問い合わせたところ、従来のように系の全長を水深より短くする緊張係留ではなくて、系の全長を水深の1.4倍程度とするスラック係留を基本とし、流れが速い表層のワイヤーに流滴型フェアリングを装着して抵抗を弱めることで強流域での海面係留ブイ観測は可能と考えているとのことであった。既に、KESS海域での海面係留ブイ観測をNOAA/PMELのMeghan Croninさんが検討していることを聞き、彼女との接触が始まった。後日、Meghan CroninさんはRandy Wattsさんの指導学生であり、Tom Rossbyさんの孫弟子ということが判明した。
JAMSTECにおける管理人のグループ(黒潮輸送・海面フラックスグループ)は2004年度よりKESS海域の上流である日本南岸の黒潮がKESS海域に運ぶ正味の流量の時系列観測を始めるとともに、2006年度末までに海面係留ブイ観測を始める計画で、種々の準備を進めた。2004年6月のKESS第1次航海でNOAA/PMELが製作したKEOブイが黒潮続流の南に設置された。この航海は横浜港からの出航であったため、今後の計画などの意見交換をJAMSTEC本部で行なった後、追浜の居酒屋で壮行会を開催した。結局、2007年2月からの1年間についてはPMELで開発したブイを用い、その後はJAMSTECが独自に開発していたM-TRITONブイを強流域用に改造した海面係留ブイ(K-TRITONブイ)を使用して、黒潮続流域の北側の測点JKEOでリアルタイム海面係留ブイ観測を行なった。2006年にKESSの集中観測が完了した後のKEOブイの回収設置の多くはJAMSTECのK-TRITONブイの回収・再設置航海時に一緒に行なうことで、協力関係が続いている。
拙ブログ関連記事:
2010年05月22日 2010年5月のシアトル
関係ウェブサイト:
JKEO Buoy Web Site(英語)
5.おわりに
思えば、1989年のAGU研究集会の際に会場で垣間見たTom Rossbyさんの気さくな振る舞いに勇気付けられ、管理人が1989年夏の一日、URI/GSOにTom Rossbyさんをお訪ねしたことが源となって、その後に管理人が関係した種々の海洋観測が実現したといえる。この背景には、研究仲間に対するTom Rossbyさんの寛大な態度がURI/GSOの海洋物理関係者の間で広く共有されていたことがあったように思う。その結果、共同観測研究を実施する際に不可欠な信頼関係が日本側とURI/GSOの関係者の間に築かれ、協力関係が継続、発展したのだと思う。Tom Rossbyさんとの出会いを契機としてURI/GSOの人たちと「つながり」を持てた幸運に感謝している。
Tom Rossbyさんのような寛大な立場で研究、教育、協力を進めるのは、昨今の厳しい経済状況下で成果主義が蔓延する国内外の研究環境では非常に難しいと感じている。このような状況に多くの人が強く危機感を抱いているからこそ、今回のDeep Sea特集号が刊行されたのだと、George Veronisさんの賛辞を読んで改めて思う。
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