今年退職した別の専攻の先生から、「日本の科学者」という雑誌、日本科学者会議(ご存知ですか?)が出してる機関誌のようなものですが、それに、海洋の研究あるいは海洋のことを一般の人にわかるように書いてくれないかと頼まれました。というメールから始まった。当初は、2011年5月号<レビュー>欄に掲載予定であったが、東日本大震災で予定が遅れ、その後の編集委員の交代により、結局、特集「日本の海洋教育」の一編として、他の5編と共に2012年7月号(第47巻7号,p.4-10)に掲載された。以下は、その原稿(公刊された「論文」と一部異なる)。
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機会を捉えてそういう記事を書くことは悪いことではないので、自分が適任かどうかはわからないけれど、書けそうな人を探してみると答えました。
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あんまり気乗りがしなくなったのですが、そんな雑誌でも、海洋を知ることの大切さのような文(2pから6pくらい)を書くことはどう思われますか。
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2008年02月17日 海洋学と海洋科学
2012年6月16日 10時30分 一部書式修正
要旨
海洋の流れは絶えず変動を繰り返し,海水中には種々の化学物質が溶け込み,多数の生物が生息している.このような海洋の自然現象を対象とした科学を一般に「海洋科学」と呼ぶ.本稿では,海にかかわる人文・社会科学や工学を含めた学術分野の総称としての「広義の海洋科学」と合わせて,「海洋科学」の概要と,海洋教育についての私見を述べる.
はじめに
暴風雨をともなう台風や低気圧は,海洋から大気に供給される熱量と水蒸気量によって海上で発達する.また,太平洋赤道域東部の海面水温偏差が異常に高くなるエル・ニーニョ現象は,世界各地に異常気象をもたらす.船舶の燃料消費量は,波浪状況や黒潮などの海流の影響を大きく受ける.船舶航行の障害になる氷山・流氷・流木などは海流,潮汐流と海上風の影響を大きく受けながら漂流する.有用資源生物の資源量の変動にかかわる卵・稚魚・仔魚・成魚および餌生物の現存量とその変動には,漁業活動と,水温,塩分,流れ,栄養塩などの分布が密接に関連している.水産養殖場・沿岸漁場の環境悪化や赤潮の発生には,生活排水や産業排液などによる海洋汚染・富栄養化と沖合の海況変動が関係している.国民の重要なリクリエーションの場である海浜域は,潮汐,潮汐流,波浪などの影響を恒常的に受けながら,時には,津波,高潮などよって甚大な被害を受ける.海外との情報通信には海底敷設電線が大きく貢献し,海底油田などの海底地下資源は世界の経済と深くかかわっている.このように,海洋は私たちの生活に直接・間接的に重大な影響を及ぼしている.しかしながら,現行の一般学校教育では,海についての総合的な教育は行われていない.この結果,国民の多くは,海の複雑な自然現象が人間活動に強い影響を与えているとともに,微妙な平衡状態にある海洋への安易な人間活動が取り返しのつかない影響を及ぼす恐れがあるという事実についての基礎知識を体系的に得る機会を持たないという深刻な事態を招いている.
海を理解するためには,要素還元的な単純な自然観ではなくて,多数の要素が複雑に入り混じっているという自然観を持った取り組みが必要である.以下では,総合科学である海洋科学の概要を紹介し,海洋教育について私見を述べる.
1 海洋科学
(1)海洋の特徴
科学とは自然科学のことであるという考えが一般的であろう.この考えに従うと,海洋科学(Ocean Science)とは,海洋にかかわる自然科学分野の総称であるといえる.このように定義された「海洋科学」が研究の対象とする海洋中の流れ,水温,塩分,溶存化学物質,生物(プランクトン,魚類など)の分布(空間的変化)とその変動(時間的変化)には,以下のような特徴がある.
1)海洋は,空間的に有限な境界(海面,陸岸,海底)に囲まれており,これらの境界を通した,物質,熱,運動量,エネルギーの交換量の分布とその変動に応答して,物質濃度,水温,流れの分布が変動する.各境界から海洋に入った物質や熱は流れによって海水とともに移動し,周囲と混合しながら海洋中に広がる.赤道域で大気から加熱された海水は,洋上の大規模な風によって起こされた海流によって高緯度に運ばれ,そこで大気へ熱を放出することを通して,大気の循環とともに気候システムを駆動する.
2)海水の密度は,塩分が高いほど,水温が低いほど,深度が深いほど,大きい.水温,種々の物質の濃度,流れも深度によって異なる.海中での水圧と海面気圧との差は深度が10 m増す毎に約1気圧増加する.一般に,等深度面上で水圧は異なる.
3)海水の流れは絶えず変動を繰り返しており,特に,潮汐周期変動成分と季節変動成分が卓越している.その他に,中規模渦の伝播にともなう周期が50日から200日程度の変動成分や数年から数10年以上の長い周期の変動成分がある.これらの変動周期成分は相互に作用している.
4)太平洋,大西洋などの幅が数1000 kmの海盆全体に広がる大規模な流れの他に,さまざまな空間規模の海水循環がある.例えば,プランクトンや浮魚類は水平規模が数10 mから数100 mのパッチ状に分布する.幅が数mから数kmの海洋前線を挟んで,水温・塩分は急変する.直径が数100 kmの中規模渦が外洋の至る所にある.また,世界の海はつながっており,沿岸の海況変動は,その沖合の海況変動の影響を受ける.逆に,河川水は河口から沿岸域を通して,世界の海へ広がる.
5)海水の大規模な運動は地球自転の効果を受け,北半球では高圧部(高温部,高海面高度部)を右手側に見る方向に海水は流れる.
6)複雑に分布する海中の流れ,水温,塩分,化学成分(栄養塩,酸素など)と,海底地形・地質や日射などに対応して,多種の生物が地理的,深度別に多様に生息し,それらは互いに複雑に関連している.
7)海水中には多種の化学物質がイオンとして溶解しており,それらは,無機化学過程および有機・生物過程(凝縮,分解,溶解)を通して,濃度変化(変質)を繰り返している.
8)海岸・海底地形は沿岸や底層流,地殻変動,海底火山活動,海底地滑りなどによって変わり,その結果,流れの道筋が変ったり,津波が起きたりする.
(2)海洋の自然科学的研究
海洋の科学的研究の基本的な手法は,他の近代自然科学の手法と同じく,理論と観測・実験とを結合させたものである.まず,注目している海洋の現象についての観測結果およびそれと関連する観測資料を解析して,研究対象について他の種々の要因との関連性をできるだけ簡潔に結び付ける系統的な記述を構築する.ついで,その系統的記述を説明し,新たに測定可能な数量を提示するモデル(作業仮説,理論)を作成する.このモデルの検証は,そのモデルが提示した現象を新たな観測で確認できるか否か,あるいはモデルを基に作成した数値モデルが現象を再現できるか否かを調べることによって行われる.この検証の結果,採用したモデルが不十分であることが判明した場合には,モデルの改良・修正を現象の観測結果を十分に高い精度で再現できるまで繰り返しておこなう.
このように,海洋の科学的研究における系統的記述の確立やモデルの構築・検証において,観測資料は不可欠である.しかし,海洋観測は陸上での気象観測や生物観察などに比べて極めて困難である.それは,海洋の現場が,以下に述べるように,地上に比べて非常に厳しい状況にあるためである.
1)地表は地震時以外では動きを感じないのに対し,海面は風によって生じる波により大きく上下動し,海面の物体には大きな力が繰り返し作用する.
2)地上と宇宙の気圧差は1気圧にすぎないが,海面と水深6000 mの海底における水圧の差は600気圧に達する.
3)地上や宇宙では電磁波を通信媒体として使用できるが,海水中では電磁波の減衰が大きく,電波や光を通信媒体に使うことができず,音波が利用される.
4)海水中にはナトリウムイオンや塩素イオンなどの無機質イオンが大量に含まれる.このため,電気伝導度が高く,海中の異なる種類の金属間では電気腐食の進行速度が大気中に比べて格段に速い.
このため,海洋の現場観測は容易ではない.精密電子工学や水中音響工学が飛躍的に発展した1980年代以降になって,ようやく,採水,生物採集・観察,地形探査,深海係留流速測定,人工衛星リモートセンシング,漂流ブイ追跡,人工衛星測位システムなどの海洋調査関連技術が開発され,観測の空間間隔と時間間隔や,測定精度の面で,高い精度の観測が可能となった.さらに,電子計算機の計算能力の飛躍的な発展とともに,情報処理解析技術などの海洋観測を支援する科学技術と数値モデル計算技術やデータ同化技術が発展した.この結果,気候変動と物質循環をキーワードとして,地球規模の海洋の変動現象についての理解が格段に深化した.すなわち,海洋科学は,海洋観測技術と数値モデル計算技術の発展を車の両輪として,近年,飛躍的に発展したといえる.
(3)地球科学
海洋を含む地球の自然現象にかかわる研究分野は地球科学(Earth Science),あるいは,最近では,地球惑星科学(Earth and Planetary Science)と呼ばれる.地球科学は,物理過程の研究に主眼が置かれており,その主たる対象別に,地圏(Geosphere),水圏(Hydrosphere),気圏(Atmosphere),地磁気圏(Magnetosphere)の科学に分けられる.近年では,地球規模の自然現象における生物過程の役割に注目して地球科学に生物圏(Biosphere)科学を含める考え方も普及している.ただし,気候変動に関わる研究で地球科学全体での取り組みの必要性が認識されているなど,これらの境界は明確ではない.
(4)「狭義の海洋科学」と「広義の海洋科学」
海洋の自然現象は人々の経済活動や生活とも密接に関連している.このため,海洋に関わる研究は,自然科学分野のみならず,その調査技術開発のための技術開発研究(工学)分野と「海と人間の関係」にかかわる人文・社会科学分野を合わせた研究開発分野でも行われている.このため,以下では,海洋の自然現象のみにかかわる科学を「狭義の海洋科学」と呼び,海洋にかかわるすべての学術研究分野と技術開発分野を「広義の海洋科学」と呼ぶことにする.
「狭義の海洋科学」を構成しているのは,物理学,生物学,化学,地質・地球物理学の基礎科学の中で,海洋にかかわる分野である.それらには,海中の物質(塩分,熱,化学成分,生物)の分布とその変動の予測を目指す海洋学の他に,物理学の中で,海水の物性に関わる海洋音響学,海洋光学など,生物学の中で,海中に生息する生物の生理・生態に関わる浮遊生物学,魚類生態学,海洋微生物学など,化学の中で,海中の化学成分に関わる海洋分析化学,海洋無機化学など,地質・地球物理学の中で,海底・海岸の地形・地質に関わる海底地形学,海底堆積学など,が含まれる.なお,海洋学は,陸水学(湖沼学,河川学など),雪氷学などとともに,地球科学の中の水圏科学を構成している.
「広義の海洋科学」には,造船工学,海底資源開発工学,海岸工学,などの海洋工学分野,水中音響工学,海洋電子工学,人工衛星や航空機を用いたリモートセンシング学などの海洋調査技術分野,水産学,航海学,海洋環境保全管理学,海洋政策学,海洋利用開発学などの「海と人間」にかかわる学術研究分野,気圏科学の中で海洋にかかわる海上気象学や気候学,地圏科学の中で海洋にかかわる海洋底地球物理学,などが含まれる.なお,「広義の海洋科学」は,環境科学(環境保全に関わる総合的な学術研究分野)の重要な一角を占めている.
「広義の海洋科学」の中で,水産学は海洋有用資源生物の生理・生態・分布に関する研究を通して,航海学は海流の流路変動,潮汐流,波浪などの物理過程に関する研究を通して,海上気象学は熱・淡水の海面交換過程や波浪の研究を通して,造船工学,水中音響工学,海洋電子工学は海洋観測技術の開発研究を通して,「狭義の海洋科学」と密接に関連している.また,海岸工学,海洋環境保全管理学,海洋政策学,海洋利用開発学は,潮汐流,沿岸流,波浪,高潮などの沿岸域の災害要因の物理過程や化学・生物過程に関する研究を通して,海洋底地球物理学と海底資源開発学は,作業現場の海況予報情報や開発利用活動のリスク評価を通して,「狭義の海洋科学」と関係している.
2 海洋学
(1)海洋学の分類
海洋中の流れ(運動量)・熱・淡水・化学物質・生物の分布とその変動には,海面を通した交換のみならず,河川・海岸からの流入,海底面での堆積と再懸濁,海流や潮汐流などの物理過程による輸送や混合・拡散,生物化学過程による変質・分解・凝縮,その他の物理・生物・化学過程が複雑に関係している.このような海中の物質(塩分,熱,化学成分,生物)の分布とその変動の予測を目指す研究分野を海洋学(Oceanography)と呼ぶ.
OceanographyはOcean(海洋)にギリシャ語で記述(英語でwrite)を意味する接尾語graphyが付いたものである.Oceanographyの類似語にGeography(地理学)がある.GeographyはGeo(地球)に接尾語graphyが付いたものである.地理学は主として地上の地形や動植物の分布とその変動を記述する学問であり,海洋学のもともとの意味も「海底地形と海中の物質(塩分,熱,化学成分,生物)の分布とその変動を記述する」学問であった.これに対し,近代の海洋学の最終目標は,単なる記述に留まらず,「海洋の環境としての特性に注目し,海中の物質(塩分,熱,化学成分,生物)の分布とその変動についての明瞭かつ系統的な記述を求め,そのカラクリを解明して,ある確からしさを持って海中の種々の物質の分布状況(環境)の変動を予測すること」である1).このことから,海洋学は「海洋環境学」と呼ばれる場合もある.
海底地形と海中の物質(塩分,熱,化学成分,生物)の分布とその変動のカラクリを理解するためには,海面をと通した熱,淡水,化学成分(二酸化炭素,黄砂など)の交換,流れによる輸送や混合・拡散と堆積物の再懸濁,生物化学過程による化学成分の変質や懸濁粒子の沈降を総合的に調べる必要がある.そのため,海洋学は物理学,生物学,化学,地質・地球物理学を基礎とした総合科学として,各分野の相互協力の下で研究が進められている.海洋学は,その主な基礎科学分野別に便宜的に,物理学的海洋学(Physical Oceanography),生物学的海洋学(Biological Oceanography),化学的海洋学(Chemical Oceanography),地質学的海洋学(Geological Oceanography)の4つに分けられる.
物理学的海洋学は日本では一般に海洋物理学と呼ばれている.ただし,英語のOcean Physicsは,水中音響学,海水光学などの海水の物性にかかわる研究分野を意味し,物理学的海洋学とは異なる.物理学的海洋学は,主として,流れ,水温,塩分,密度の分布とその変動のカラクリについて研究する分野である.海洋は赤道域から極域に熱を運ぶことを通して,気候変動システムに大きな役割を果たしていることから,物理学的海洋学は気候変動・地球温暖化に関する研究にも大きくかかわっている.
生物学的海洋学は,最近,生物海洋学と呼ばれることがある.海洋生物学(Marine Biology)は,生物学的視点から,海中に生息している生物の生理・生態について研究する分野である.他方,生物学的海洋学は,主として海洋中の生物の分布とその変動が食物連鎖網などを通して物質循環に果たす役割とそのカラクリについて研究する分野である.
化学的海洋学は,海水中における化学反応過程や分析手法などにかかわる研究分野(海洋化学,Marine Chemistry)とは異なり,海中の物質循環に注目して,海中の物質(塩分,熱,化学成分,生物)の中で,特に,微量元素,放射性同位体,粒状物質などを含む化学成分の分布とその変動のカラクリについて研究する分野である.なお,海中の物質循環については,最近では,地球温暖化問題での重要な課題である二酸化炭素循環の解明に向けて,生物学的海洋学と合わせて,生物地球化学的研究が盛んに行われている.
地質学的海洋学は海底下の地質構造,海底地震,海底火山などにかかわる研究分野(海底地質・地球物理学,Marine Geology and Geophysics)とは異なり,海中の物質循環に注目して,特に,海底堆積・再懸濁,海底湧出・溶出,海底地熱流量などの分布とその変動のカラクリについて研究する分野である.
近年の各種研究手法あるいは対象海域別研究の深化に伴い,人工衛星リモートセンシング技術を駆使する衛星海洋学(Satellite Oceanography),数値モデル計算を駆使する数値モデル海洋学(Numerical Model Oceanography),北極海や南極周辺海域のような極域を対象とする極域海洋学(Polar Oceanography),各種の海岸地形や河川,潮汐の影響を強く受ける沿岸海域を対象とする沿岸海洋学(Coastal Oceanography),海底堆積物を採集・分析することにより,過去の海洋で何が起こってきたかを調べる古海洋学(Paleo-oceanography),有用水産資源魚類の資源量変動や漁場形成機構を探究する水産海洋学(Fisheries Oceanography)などの海洋学も大きく発展している.
(2)海洋観測
長い探検的観測(海洋についての未知の情報を得ることを目的とした観測)の時代を経て,現在では,実験的観測(理論的研究から推定された要素を測定してモデルを検証することを目的とした観測)と監視観測(国民生活の安全と維持・発展のために海洋の現況を把握することを目的とした観測)が主としておこなわれている.ただし,数10年の間に継続された監視観測の結果は長期変動の実測値として科学的研究にも利用される.
海洋学研究における系統的記述の確立やモデルの構築・検証において,観測資料は不可欠である.海洋の変動についての数値計算研究においては,数値予測モデル計算の開始時の条件(初期条件)あるいは変動を引き起こす外力(境界条件)として,海上気象や海況について観測資料が必要である.また,新たな海洋観測技術の開発・普及によって,海洋の新たな現象が発見され,その現象についての新たな研究が発展した例(水温微細構造など)も多い.このように,すべての海洋の科学的研究は,観測から始まるといえる.
海洋観測は,観測船,係留系,人工衛星,自動昇降漂流ブイなどの種々のプラットホームを用いて行われる.観測船は,多数の観測点で現場採水・生物採集や1 m以下の間隔での水温・塩分の海底までの鉛直分布観測が可能であるが,観測の時間間隔と地点は離散的であり,その活動は天候に大きく制限される.人工衛星リモートセンシングは,海面水温,海色や海面高度の広域分布の同時観測を繰り返し行うことができるが,得られる資料は海面での値に限られる.係留系観測によって固定点で長期連続データの取得が可能であるが,その観測点配置は限定的である.このように各種の観測には一長一短がある。また、一機関で実施できるものではない。このため,海洋の科学的研究と監視は,世界各国の調査観測実施機関の間で種々の海洋観測データを共有して、それらのデータを複合的に利用することによって行われている.
3 海洋教育
現行の小中学校での理科教育では,海についての項目はほとんどないに等しい.それは,1958 年の指導要領の改訂で,それまでの単元学習制から系統学習制へ移行したことによることが指摘されている2).一般学校教育の中で海洋についての基礎知識を教えているのは,高校総合理科Bでわずかに触れているのを除くと,高校地学のみである.
高校地学を履修する生徒の数は,他の理科3教科に比べて格段に少ない.しかも,このような高校地学の中で,海洋の諸過程については,気象・気候との関わりと津波以外にほとんど触れられていない.特に,地学が,理科4科目の一角として,物理学,化学と生物学から分離しているため,海洋科学の総合科学としての取り扱いが欠如している.
学校における海洋教育を含めた地学教育を通して,自然界の複雑な現象の観察・観測と資料解析の方法と制約,その仕組みについて理解を深めるために繰り返された試行錯誤の歴史,防災のための基礎知識と予測・予報の限界などを学ぶことで,生徒たちは,数学,物理学,化学,生物学を学ぶことの楽しさや有用性を知ることになる.また,海洋教育により,自分たちが生活している陸域の現象には,日常的に目にする宇宙と地表と大気のみならず,目の届かない海洋における種々の物理・生物・化学過程が複雑に関連していることを理解することによって,個人的・限定的な経験を超えた現実に対する豊かな想像力と,それを厳密に検証する科学的な方法および科学的な態度を身に付けることができる.この意味で,地学教育の中でも,海洋科学は,より一般的な「科学的な態度」を身に付けるのに有効な分野であると考える.
理科が好きとする児童・生徒の割合は,小学5年生では68.5%と国語,算数,理科,社会の中で最高であるのに対し,中学2年生では53.1%に減り,さらに高校2年生では41.8%まで減って,国語,数学,地理・歴史より低いという報告がある3).小学生時代の理科への興味を,中学生,高校生になるまで持ち続け,ニセ科学などに惑わされない「賢い市民」となるためには,詳細な知識を天下り的に覚えさせるのではなく,探究型科学教育4)の実践・普及が必要であると考える.自然科学のみならず人文・社会科学および技術が統合した「広義の海洋科学」は,その格好の教材となるであろう.
おわりに
過去の変動を高い精度で再現することが可能な数値予測モデルが完成しても,そのモデルが今後の地球温暖化の影響下でも適用可能なのか否かを検証するためには,監視観測の継続が必要である.海洋観測の実施には多大な経費が必要であり,厳しい国家財政のため,その継続が危ぶまれている.しかし,現在の海洋の状況を観測・記録することができるのは,今に生きる私たちだけである.私たちは,次世代の人々のために,出来るだけ正確な観測資料を残し,長期間の観測資料の蓄積に努めなければならない.
海洋調査観測技術や数値モデル計算技術が飛躍的に発展したのは,この10年間であり,海洋における自然現象についての理解は地表や大気での現象に比べて未成熟であり,海洋科学分野には未解決な課題がまだ数多く残されている.新たに開発される観測技術を利用した海洋観測によって新たな現象や有用物質が発見され,人類の未来が開かれる可能性が大いにある.
最後に,社会と強く結びついた海洋にかかわる科学である海洋科学に携わる者として,自戒の念を込めて,以下のことを述べたい.
海洋科学は,観測船の運航,その他に膨大な経費を必要とする巨大科学であり,その多くは国の支援の下に行われている.このため,海洋科学研究者は、自律的探究心に基づく研究とともに、国などの政策決定を誤らないようにする科学,あるいは社会の健全な発展に寄与する科学を意識して実践しなければならないと考える.このことは,自分の主義・立場のために専門家の権威を振りかざすことではない.また,海洋開発に関わる調査研究で言えば,開発推進を図る為政者あるいは開発反対派住民のために,都合の良い科学的根拠を権威者として提供することでもない.専門家としての役割は,自らの主義・価値観・立場を明らかにした上で,できるだけ客観的に、政策決定・選択のための判断材料・根拠(予想されるメリット・デメリット,影響,効果など)を提供することである.海洋科学の営みに対する人々の支持と信頼を得るためには,「どこまで分かっているか」,「分からないのは何か」,「どうすれば分かるのか」を人々に丁寧に説明する謙虚で誠実な行動の積み重ねが必要であると考える.
引用文献
1)Pickard, G. L. & Emery, W. J.: Descriptive Physical Oceanography, An Introduction, 5th Edition (Butterworth-Heinemann, Oxford, 1990) p. 1.
2)角皆静男:「第1部 我が国の海洋リテラシーについて」『我が国における海洋リテラシーの普及を図るための調査研究』(財団法人新技術振興渡辺記念会,2009)p.4-34.
http://www.ur21.net/ur21/pdf/2009zenpen.cyousakennkyuhoukokushopdf.pdf
(最終閲覧日:2011年 3月4日).
3)Benesse教育研究開発センター:「1.教科の好き嫌い」『第4回 学習基本調査・国内調査 速報版』(2006)p. 4-5.
http://benesse.jp/berd/center/open/report/gakukihon4/2006/sokuho_pdf/gakukihon4_soku.pdf
(最終閲覧日:2011年 3月4日).
4)欧州委員会研究総局:今日の科学教育:欧州の将来に向けた新しい授業法(科学技術振興機構訳,2008)
http://rikashien.jst.go.jp/news/20081017.pdf
(最終閲覧日:2011年 3月4日).
その分類では海洋法や海運経済は含まれないことになります。海上犯罪で科学的手法が用いられないなどということはありませんし、海運会社でウェザールーティングが活用されていることは横浜研での使い方をみれば一目瞭然ですが。
いっそのこと「海洋学に含まれるものは物理、化学、生物、地学だけでよい」と言い切られたらいかがです?私は少なくとも科学的思考を行うのに自然・社会・人文を分けて考える必要性を感じませんが。
予算が有限である以上、投下するリソースを限定する必要があります。「各種の観測には一長一短がある」と理解されているのでしたら、観測の効率化を提示していただけないでしょうか?
少なくとも「同じ海域にJAMSTECの船と水総研の船と気象庁の船が同居していてCTDで採水していました」となどというのは両者の運航計画を見直せば済む話です。一機関で実施は出来なくとも調整ぐらいはしていただきたいと思います。
こういう使い方をしている内は「無駄だ」呼ばわりされても仕方ないと考えます。少なくとも「有効活用」とは呼べません。
「教科:海洋」を復活させようというのでしょうか?ICTや法教育、環境教育と向こう張って勝てる自信がおありですか?いずれも根拠法に基づいていますが。ICTや法教育、環境教育では厳密に検証する科学的な方法および科学的な態度を身に付けることができないという根拠をお伺いしたい。
>探究型科学教育4)の実践・普及
それは別に理科でなくても生活科・総合的学習の時間で出来ます。理科に固執する理由が理解できません。海洋村の住人の私が納得も理解も出来ないのに文科省や一般の人が理解してくれるとは思えませんが。それとも何か具体的な案をお持ちなのでしょうか?
>専門家としての役割は,自らの主義・価値観・立場を明らかにした上で,できるだけ客観的に、政策決定・選択のための判断材料・根拠(予想されるメリット・デメリット,影響,効果など)を提供することである.
それが出来なかったのが今回の原発であり、放射能の問題です。震災直後に海洋大や東大大気海洋研、北大などが救助活動でいっぱいいっぱいの官公庁に代わって漂流ブイを流すべきだったのに発災直後にどこの研究機関も流せなかったのをお忘れですか?巨大災害などの非常時における研究者、大学関係者の役割は「救助隊員」ではないのですけど。
少なくとも「海洋学」の訳書が出た後に内容がコンパクトになっただけの「海はめぐる」という類似書を出すような受け手のことを何も考えていないような行いから改められてはいかがですか?一般の人は「同じ本が同時期に2冊出てきた」としか思いませんよ?
興味深い論点をありがとうございます。私も少し考えてみました。良ければ話に入れて下さい。
>>「狭義の海洋科学」と「広義の海洋科学」
>私は少なくとも科学的思考を行うのに自然・社会・人文を分けて考える必要性を感じませんが。
この点については私も同感です。ただ、
>その分類では海洋法や海運経済は含まれないことになります。
善し悪しは別として、一般向けの解説文では管理人さんがとられた区分けが無難ではないかと私は思います。一般的な「海洋学」の教科書(例えば、HMS様が言及された訳書など)には海洋法や海運経済は含まれていません。
ただ、HMS様が問題提起されたように、現在主流の分け方が良いかどうかは別かもしれません。個人的には、英国Open Universityの教科書(Case Studies in Oceanography and Marine Affairs)にあるような海洋法の観点から問題になっている諸問題について、(物理・化学・生物・地学の)海洋関係者も従来より関心を寄せる必要があると思いますし、海運経済についてもその長い歴史の積み重ねやこの半世紀での急変ぶりを「海洋学」の一分野として調べる価値はあると思います。
一昨年のNature誌でも海面上昇で領海の基線の位置が大きく変わる可能性についての論文が掲載されていましたし、今後は「海洋学」の定義も少し変わってくるかもしれません。
>いっそのこと「海洋学に含まれるものは物理、化学、生物、地学だけでよい」と言い切られたらいかがです?
言い切らずに今後に含みを持たせた方が良いように私は思います。将来の可能性をばっさり切り捨てるのはもったいないです。
他の論点についても、時間があれば後日書かせて下さい。
コメントをありがとうございました。
>「海洋学に含まれるものは物理、化学、生物、地学だけでよい」と言い切られたらいかがです?私は少なくとも科学的思考を行うのに自然・社会・人文を分けて考える必要性を感じませんが。
海洋学<狭義の海洋科学<広義の海洋科学
であり、文中で「海洋学(Oceanography)は便宜的に物理的海洋学、化学的海洋学、生物学的海洋学、地質学的海洋学に分類されると」述べています。
明示していなかったため、誤解を招いたようですが、『「海と人間」にかかわる学術研究分野』には海洋法や海運経済も含んでいるつもりでした。なお、「学術」は自然科学・工学と人文・社会科学を含んでいる意味で使っています。
>現在主流の分け方が良いかどうか
私は再編するべきだと考えています。「気候変動と安全保障」のように自然科学の現象が社会科学における政策意思決定や社会的なコストベネフィットの影響を否応なく考えざるを得ないというのがその理由です。
たとえば海面が上昇すれば海軍基地が水浸しになってその修復コストを支払わなければならないので、安全保障に関するコストが十分にかけられないとか、北極海航路の開拓によって通過する船舶が増えることによりさらなる環境負荷が増えるが、運航コストは下がるので、海上保険の料率算定にかかわるとか。
海運は物流の一要素に過ぎない派生産業です。造船も鉄鋼の下流に位置する派生産業であり、産業連関の観点で言えば基幹産業ではありません。しかし、海洋国家を志向するのであればどちらも欠くべからざる基幹産業です(船舶の保有量とIMOでの発言権は比例しますし、海底石油開発能力や深海底探査能力は造船の能力と結びついています)。
>「海洋学(Oceanography)は便宜的に物理的海洋学、化学的海洋学、生物学的海洋学、地質学的海洋学に分類される
やはり違和感があります。釈迦に説法で恐縮ですが、日本ではしばしば「海洋○○学」と書かれた光景を目にします。日本語の場合、前の文言は後ろに書かれた文言を修飾するはずですから、海洋的物理学(化学、生物学、地質学)という分け方では後ろの学問が主なのでまずいことになりますが、管理人氏の分類をしている大学をおよそ見たことがありません。唯一海洋学部を保有する東海大においてすらです。当該学問を粗略に扱っているのでなければ、現状の分類では社会的問題の解決にはそぐわないことになります。
逆に沿岸海洋学などで物理的海洋学、化学的海洋学、生物学的海洋学を環境学的に(「海洋環境」として理解するのでつまみ食いですが)教えているのは海に直接関係のない東工大や徳島大、愛媛大などでいくつか散見されます。そうであるならば便宜上旧来の海洋学的分類に固執する必要性はさらさらなく、環境学の一分野に格下げして位置づけてもよいくらいです。
ゆえに「海洋学」の定義は直ちに変更するべきだと思います。この状況下でいくら海洋教育をやっても受け取る側が困惑します。
異議があります。環境教育の場合、自然科学の問題を社会科学的に解決する(海岸漂着物は海流に乗ってやってきますが、法整備などで発生抑制をさせることはできます)ことがありますし、その逆もあります。上記に当てはめると管理人氏の区分では「漂着のメカニズム」は判っても「漂着物の発生原因と処理回収の方法」は判りません。
この状態で「夏場に100トンごみが流れ着きます。処理するかどうかは住民と地元行政で考えてください」などと研究者が他人事のように言い放ったら御用学者呼ばわりされるか石を投げられるでしょうね。現地で必要なのは「他人事のように論評する人間」ではなく「一緒に考えて答えを探してくれる人」なんですから。
ESDという言葉が十分に認識されておらず理解されにくいといわれることも多々ありますが、「普段やっていることが実はESDだった」ということはいくつもあります(まぁ、いまさら開発でもあるまいに「持続可能な未来のための教育」にすべきなのでESFだと主張する人間はいますけど)。