11月19日と20日にサイエンスアゴラに参加して、いろいろ考えた。
9月18日の前回の更新から怒涛の2ヵ月が過ぎた(まだ続くが)。この間の主な活動は以下の通りである。9月25日から10月1日には九州大学春日キャンパスで開催された2011年度日本海洋学会秋季大会に出席し、自分の研究成果を発表したり、他の人の研究発表を見たりした他、創立70周年記念シンポジウムで若手会員の提言を聴いたり、教育問題研究会、評議員会、懇親会に参加したり、旧知の方々と再会して懇談したりした。また、10月1日には「第8回海のサイエンスカフェ」を福岡市内で開催し、進行を務めた。10月7日から11日には鼻の手術のために入院。15日には、東京海洋大学品川キャンパスで、海洋学会震災対応WG会合の後、海洋学会公開シンポジウム「海から見た東日本大震災」でWGメンバーの講演を拝聴。23日から30日にはデンバーで開催された世界気候研究計画(WCRP)公開科学会議(WCRP-OSC: WCRP Open Science Conference)でポスター発表をした他、種々のセッションに参加。11月6日には東大駒場キャンパスで開催された「理科読」シンポジウムに出席して「評伝 石原純」の著者の講演他を聴いた。これらの合間に、企画担当者としてサイエンスアゴラ2011参加シンポジウム「東日本大震災後の海洋汚染の広がりとその影響(主催:海洋学会震災対応WG)」の準備を進め、19日午後にコーディネーターの役目を無事に勤めた。
上に述べた種々の行事に参加した感想や、この期間中に他の人々のTwitter、ブログでの発言を見て思ったことは別の機会に述べることとして、以下に、サイエンスアゴラ2011における震災対応WG主催シンポジウム以外の企画などに参加して考えたことなどを記す。
1.18日(開幕シンポジウム)
翌19日の震災対応WG主催シンポジウムの準備などのため、18日午後に国連大学で開催された開幕シンポジウム「私たちにとって科学技術とは何か - 震災からの再生をめざして」には参加できなかった。19日夜に、その中継録画(http://www.ustream.tv/recorded/18587295、http://www.ustream.tv/recorded/18588101、http://www.ustream.tv/recorded/18588932)を見た。この中で、基調講演の一つである鷲田清一さんのお話と、柳下正治さんがコーディネーターとして進めたパネルディスカッションの中では、最相葉月さんと小林傳司さんの発言に納得するところがあった。
鷲田清一さんのお話の内容はサイエンスポータルのハイライトの「しんがり務める人多い社会に」に掲載されている(掲載日:2011年11月21日)。鷲田さんは「東日本大震災によって、科学者、官僚、技術者など専門家といわれる人たちへの信頼というものが非常に大きなダメージを受けた。」と最初に明確に述べている。この認識に管理人は強く同意する。しかし、この認識が原子力発電と地震関係のみならず他の分野の多くの専門家には共有されていないように思われる。鷲田さんの寄稿はリーダーを求める風潮を批判するとともに、これまでのような経済成長はあり得ないと述べ、「よきフォロワーになり、場合によっては自分がしんがりを務める。そういう人が1人でも多くなる社会をつくっていくことが、大事ではないだろうか。」という言葉で終わっている。 「市民生活の議論は政治家という職業専門家がやるのではなく、地域で、あるいは大きな都市計画の中でそれぞれ本業を持っている人が市民として登場し、本業の外で議論する必要があるからだ。」という言葉に、管理人は大いに力付けられた。
小林傳司さんの発言では、今回の震災で何が問題と考えているのかという柳下さんの質問に答えて、「一般の人々にとっての科学技術とは、高校の理科のイメージであり、正解が必ずあると思っている。科学技術の専門家はこのことを忘れている。このことが問題」と答えていたのが、我が意を得た感じであった。また、科学技術と社会との関係について問われ、「最近のエネルギー問題について言えば、メンバーを見ただけで結論がわかるシンポジウムが多い。そうではなくて、今までと違ったスタイルで議論する必要がある。そのモデルは海外にもない。いろいろな試みを繰り返すしかない。」と答えられたのも印象に残った。
最相葉月さんの発言では、「科学は全ての人々の内部にある。信頼の対象ではない。科学者の間で合意できていないことについては、終わりのないことをより良くするように、考え続けるのが科学である」というようなことを言われていたのに大いに納得した。
なお、柳下正治さんが紹介した、20年前の参議院外交委員会での故橋本道夫さんの「原子力発電は民主主義国家であればあるほど安全。民主的に進められなければ危険度は増す」という発言にも大きくうなずいた。
2.19日午前(横串フィールド)
雨の中、10時過ぎに会場に着いた。メイン会場の科学未来館の外は人もまばらで「やはり、人出は少ないのか」と思ったが、会場内はかなりの人出であった。出展者受け付けて、管理人が企画担当のシンポジウムの出演者、会場支援者の人たちのための出展者バッチをまとめて受取った後、科学未来館1階の各ブースを一通り見て回った。「科学を楽しもう」というコンセプトのブースが多数、出展されており、種々の出典を楽しんでいる小学生の姿が目立った。難しいことを言わずに、これはこれでいいのだろうなと思った。
20日の科学未来館1階会場の様子(YuoTube画像)
その後、強い雨の中を東京都立産業技術研究センターへ移動。管理人もメンバーの一員であるサイエンスコミュニケーションネットワーク横串会の出典の手伝い。というか、会員同士で、科学コミュニケーション活動の進め方とか、科学コミュニケーション業界?の今後の方向とか、今回のサイエンスアゴラ運営とか、いろいろ雑談に花を咲かせていた。
横串フィールド http://www.yokogushi.sc/field2011/
雑談の合間に、東京都立産業技術研究センター1階の出典を覗いた後、管理人が企画担当である午後のシンポジウム関係者用控室の下見のため、昼前には、再び科学未来館に戻った。科学未来館1階、3階、7階の出典を見学し、比較的空いていた5階のカフェで軽い昼食後、横串会のブースに戻った。中でも、3階の「サイエンスアートの世界」と「これがサイエンスアートだー第2弾」の展示品および7階の「きみたちの魔法-化学『新』発見」展の内容に管理人は新鮮な驚きを感じた。
3.19日午後(シンポジウム2件、交流会)
横串会のブースで話をしている内に時が過ぎ、慌てて、土砂降りの雨の中「みらいCANホール」に移動し、ちょっと遅れてシンポジウム「危ないってどういうこと?―生活の中のリスクと科学リテラシー」に参加した。内容に関心はあったこともあるが、15時30分からの
14時20分頃から控室で自分が企画担当しているシンポジウムの出演者、会場運営支援者の方々と打合せ。総勢17名であったが、6名程度ずつの2部屋を割り振られたため、出演者グループと会場運営支援者グループに分かれて打合せをした。シンポジウム「東日本大震災後の海洋汚染の広がりとその影響(主催:海洋学会震災対応WG)」は、約120名の参加を得て、予定を超えた17時20分まで続き、講演を担当された2名の海洋学会員と、その後のパネルディスカッションに加わった2名の海洋学会員と2名の非専門家およびフロアーからの積極的な発言により、実り多いものとなったと思う。このシンポジウムの詳細は海洋学会の東日本大震災関連特設サイトで報告する。
終了後、管理人は出展者交流会に参加した。交流会では、管理人がこれまでの科学コミュニケーション活動で知り合いとなった多くの方々と懇親を深めた他、科学コミュニケーション活動をしていると知らなかった知人に全く思いがけず再会することができた。また、共通点がないと思っていた知人二人が実は管理人が参加していない科学コミュニケーション活動で協力関係にあることを知った。管理人を含め、科学コミュニケーションにかかわる草の根的な活動に関心のある人たちは何らかの形でつながっていることを実感した。交流会を終えて外に出ると、暴風雨であった。
4.20日(「大学生と大学院生が伝える基礎科学の姿」他)
前日のシンポジウムの疲れのためか、寝坊し、11時過ぎに横串会のブースに着いた。遅刻したため、午前中に予定していたシンポジウム「“FUKUSHIMA”からのイマジネーション」の参加をあきらめ、横串会のブースで関係者と店番をしたり、周囲の展示を見て回った。昨日と打って変わって好天に恵まれ、家族連れ、カップルなど、非常に沢山の人出であった。特に、中2階で開催されていた「レゴ宇宙エレベーター クライマーレース2011@アゴラ」と「未来の宇宙エレベーターをレゴでつくってみよう」は子供たちで大盛況であった。11月6日に東大駒場で開催された「理科読」シンポジウムの際にご挨拶する機会を失した理科ハウス主宰者の森さんが横串会のブースの近くで「理科ハウスが選ぶ全国科学館オリジナル商品の展示」を出展されており、親しくお話しできた。
昼頃からは、科学未来館へ再度、行った。昨日の交流会で出会った知人が手伝っているブースを訪れるためだった。途中の、今年からの新趣向である戸外の催し「空を飛べたら」の企画も人気を博し、多くの子供たちが紙飛行機製作を楽しんでいた。科学未来館では、管理人も会員である科学読物研究会が出展した「かがく縁日パートⅣ&Let's理科読」のブースも盛況であった。多くの会員が現場参加しており、管理人は、お手伝いすることもなく、顔見せだけに終わってしまった。その隣では、「左巻健男と『RikaTan:理科の探検』誌委員」のメンバーによる小講演が行われていて、多くの聴衆を集めていた。主目的であったブースには知人は居なかったが、菊池誠さんの「文系のための「かわいい物理」」と題するポスター展示をちら見した。
種々の会場、ブースを覗き見している間に、12時45分の開始間近で、部屋の奥に登壇者6名が勢ぞろいしているのに、客席には観客がほとんどいないイベント「基礎科学の現場から~大学生と大学院生が伝える基礎科学の姿~」会場に出くわし、参加を誘われた。予てからその活動を知っていた東京大学理学系研究科学生による科学コミュニケーション活動団体である「0to1」が主催するイベントであり、最近の大学院学生たちの考えを知るのも今後の学会等での活動を考える上で重要と思い、参加した。会場で配布されたパンフレットによると、今年は、「新しい科学をうむために、そこに関わる人々のモチベーションを高めたい」ということで、大学院生へのアンケートの結果を基に、大学院学生生活をより充実させるための方策を語り合う、ということであった。話を聴くと、30年以上前の自分の大学院生時代と同じように、指導教官との関係、研究室内外でのコミュニケーション、論文作成が現在の大学院生たちの大きな悩みのようだった。多くの研究活動は、他人との共同作業であるが、同時に孤独な営みでもある。このような研究者の道を進もうとしている若者たちの素直さや心やさしさが伝わってくる内容だった。次代の科学の発展を担う若者たちへの励ましの意味を含めて、ベストを尽くすしかない、やり直すことを恐れるな、というようなことを、元大学院生・元大学教授として、ちょっと熱くなりすぎていることを自覚しながら、語ってしまった。このような若者たちによるブレーク・スルーを導くためにも、この若者たちの特性を延ばせる世の中であってほしいとつくづくと思う。
5.総括セッション
14時15分に0to1のセッションを終え、遅い昼食後、横串会のブースに戻った。その後、震災対応WG主催シンポジウムのパネラーのお一人である難波さんが我々のシンポジウムの紹介をするかもしれないと聞いていたので、総括セッション「新たな科学のタネのまき方」に参加した。
中継録画:http://www.ustream.tv/recorded/18635409
難波さんのお話しでは「時間があれば指名されて紹介するかもしれない」という程度だったが、セッション開始直後に話す予定に変更されていた。その結果だと思うが、難波さんが関与しているセッション「検証・原発震災報道 メディアはリスクをどう捉え伝えたか」の終了が遅れていたために、難波さんの紹介は取り消しになってしまった。
縣秀彦さんを司会とするパネル討論では、最初に、5人のパネリストが各々、5分程度の話をした。最初の岡田努さんは、福島県での「復興の中での科学コミュニケーション活動」を報告した。岡田さんは「放射線理解」の促進ばかりが言われているが、原子力発電技術およびその他の科学技術全体の問題ではないか? 県民にのみ責任を負わしていると感じる、ということと、今後の現地の細かいニーズへの対応、行政への情報提供の必要性を指摘された。長神風二さんは、東京中心のこれまでの高度成長の仕組みを見直し、政府の決定を待たずに、今できることを出来るところから実行することの必要性を指摘し、科学研究施設の移転のような痛みを伴う震災復興支援策の提案を科学コミュニティーが行うことを提案した。被災地で苦労されているお二人の提案に重さを感じた。管理人もそのMLに参加しているサイエンス・サポート・アソシエーションの代表である
他方、横山広美さんと平川秀幸さんのお話は、ともに、今後の科学コミュニケーションの在り方について、大学人あるいは研究者として誠意ある態度で現在の心境(理念としての科学コミュニケーションと現実とのかい離を実感)とそれへの対応策を述べられたが、その内容は、これまでも、いろいろなところで議論されていたことの繰り返しのように感じた。また、元村有希子さんは、地震発生直後からの8か月間の毎日新聞の動きを3つのフェーズに分けて説明した後、今や、科学の面白さを伝えることはできない事態になっているという認識を示した。また、今後の報道については、マスコミ報道の問題点についての言及はないまま、ミニコミ・ネットと共存するようになるという考えを示した。フロアーからマスコミの責任を問う質問があったが、2006年の柏崎原発事故以降の原発を問題視したキャンペーンの存在を示すという、管理人から見ればピンボケな回答で終わっていた。
その後、縣さんの巧みな司会で、「リソース再分配の在り方」と「科学コミュニケーションは何に取り組むか」の2つの問題についてフロアーを交えて議論された。その議論を聴いて、当面は、様々な分野の専門家の連携を推進し、市民を支援するなど、出来る人が出来ることを行うにしても、将来は、税金を使わない(国から独立した)組織を作るのが、今後の科学コミュニケーションのあり方のように管理人は感じた。
最後に縣さんは、新しいネットワークの構築が必要であるということを本セッションの「まとめ」としたが、管理人には、18日の開幕シンポジウムでの議論と結びついた結論になっていないことに、違和感を覚えた。また、「まとめ」は縣さんが進めている日本科学コミュニケーション協会設立に関連した話であると思われ、管理人はその協会の設立に反対するものではないが、岡田さんや長神さんの主張・思いとは、大きくずれているように感じた。
パネル討論の後の第2部ではサイエンスアゴラ賞受賞者の発表があった。思いがけず、サイエンス対話部門の受賞企画として、管理人が担当した「東日本大震災後の海洋汚染の広がりとその影響」が選定された。時期にかなった内容で議論も活発であったというのが評価されたとのことである。選考委員会の皆様に感謝申し上げます。帰宅後、関係者全員にメールで受賞を伝え、喜びを分かち合った。
6.おわりに
過去3回サイエンスアゴラに参加したが、ほぼ全ての日程に参加し、自分も出典担当責任者となったのは、今回が初めてであった。忙しい毎日であったが、多くの知人・友人と楽しい時を過ごすことができた。特に横串会ブースの存在が管理人にとっては嬉しかった。また、シンポジウム会場運営を支援していただいた複数の海洋学会員が、家族とともにサイエンスアゴラに参加して頂いたのも、管理人にとっては大きな喜びであった。
みらいCANホールでのシンポジウムはUSTREAMで中継録画を見れるようになったことも、大きい。本記事を書く際にも、録画を見て、確認した箇所も多い(それでも、正確性に欠けるとは思っているが)。限られた時間で一つのシンポジウム・集会を選択するのは難しい。時間がなくて、まだ視聴していないシンポジウム「“FUKUSHIMA”からのイマジネーション」と「政策形成における科学的助言のあり方」の内容についても、後日、その内容を紹介・議論したいと思っている。関心はあっても、当日、参加できない人も多い。この問題を解決するためにも、ネット中継録画が配信されるシンポジウム・集会が増えることを願っている。
サイエンスアゴラ2011の余韻を集めておく。 #sciagora11 - Togetter
また、本記事で紹介したシンポジウム・セッションの内容がYokodon_001さんによって以下のブログ記事でも紹介されている。合わせて読まれたい。
サイエンスアゴラ2011・報告その1
拙ブログ関連記事:
2007年11月26日 サイエンスアゴラ2007
2008年11月23日 サイエンスアゴラ2008
2010年11月20日 シンポジウム「 ニッポンの科学技術が目指すもの」
2009年12月13日 科学者のマスメディア批判
これにつきましては、例えば私の次の論考をご覧ください:
http://blog.livedoor.jp/kamokaneyoshi/archives/53049475.html
コメントをありがとうございました。
ご紹介頂いた、長文の記事「科学社会学と反科学主義」を拝見しました。
貴記事は、平川さんの科学技術社会論のスタンス(科学者集団と市民の間の緊張関係を重視)への批判、反科学主義批判、不特定の科学社会学者批判、kamokaneyoshiさんのご提案、その他?が複雑に混在していて、私にとっては非常に理解しがたい記事になっていると言わざるを得ません。科学的議論による合意形成のために、もう少し、論点を整理して頂ければ幸いです。
拙記事で言及した20日の総括セッションでのご発言からは、平川さんが科学者集団と市民の間の緊張関係を重視しているようには私は感じませんでした。このため、貴記事の議論を違和感を抱きながら拝見しました。
>言論の自由との関係で微妙な問題があるが、マスメディアが内部的に適切な対応ができないならば、行政的あるいは法律的に適切な体制を整えるよう強制できないだろうか。
マスメディアがどんなに酷い状況であっても、内部的に適切な対応ができなくても、「行政的あるいは法律的に適切な体制を整えるよう強制」することには、断固、反対します。辛抱強く、批判を続け、マスメディアに内部変革を求めていくしかないように思います。
>あるいは、国民の科学リテラシーを向上の結果として、マスメディアの専門性の向上が期待できるのだろうか。
教育改革などにより、記者を含めた国民全体が賢くなれば、当然ながらマスメディアも変わると思います。ただし、ネットの発達などにより、国民の間に流通する生情報の質、量、伝達速度が向上したら、公正さを標榜しながら恣意的に情報を加工している現在のマスメディアは、単に見捨てられるだけだと思います。
拙稿を通読し適切な批判をして下さいましたことに感謝いたします。ご批判は、今後のブログ記事の執筆の際に参考にさせていただきます。
ご批判のうちの幾つかにつきましては、そのうち、私のブログで弁明なり反論なりを書ければと考えております。今回は、私が舌足らずであったために誤解によるご批判となったと思われる点について釈明させていただきます。
釈明すべきは、私の記事の次の文章についてです。
>言論の自由との関係で微妙な問題があるが、マスメディアが内部的に適切な対応ができないならば、行政的あるいは法律的に適切な体制を整えるよう強制できないだろうか。
この文章では「マスメディア」と一括して書かれておりましたが、私の念頭にあったのはテレビです(はっきり「テレビ」と書くべきでした)。言論・出版の自由は憲法にも書かれている国民の基本的権利であり、それは公序良俗に反しない限り制限すべきでないことは当然です。また、出版は、新聞発行も含めて誰でも参入できるとともに、出版物を購買しないあるいは読まない自由もあります。
これに対してテレビ放映には別な事情が存在します。すなわち、テレビは電波という限られた物理的媒体を使用するために、テレビは認可事業になっております。そのため、民間テレビ局と言えどもある程度の公共性が求められます。従いまして、例えば、教養番組に割く時間の割合とか、その中で科学番組が占める割合について、その下限を法律的に強制することは必ずしも憲法に違反するとは言えないと考えております。
具体的には、「教養番組」や「科学番組」に相当する番組をテレビ局に自己申告もらい、何らかの基準でそれをチェックすることが考えられます。チェックは認可権限を持つ総務省ではなしに、第3者機関に近いものが適当でしょう。また、「教養番組」についての賞を設けて競争させることもいいかも知れません。このような方策により、テレビ局の中に「教養番組」や「科学番組」についての専門性の高い部署と人材が育てば情況は改善されるかも知れません。
以上、思いつきで書きましたが、私の真意をご理解いただけるでしょうか。なお、長いコメントとなりましたことをご容赦ください。
下記の条文をよく読んでくれませんかね。
第二章 放送番組の編集等に関する通則
第三条 放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない。
有料放送であれば24時間放送の科学専門チャンネルが出来るのに「無料放送」に固執する理由が私には「全く」理解できません。「教養番組や科学番組の不足」を嘆く前に「テレビは無料」という考えをまず捨て去るべきです。
>チェックは認可権限を持つ総務省ではなしに、第3者機関に近いものが適当でしょう。
BPOの存在と機能をご存知なんですか?釈明以前に無知によるご自身の誤解を正す方が先でしょう。
kamokaneyoshiさんから拙ブログへのコメントへのHMSのコメントをありがとうございました。
拙ブログの読者のお一人として、これまでも、度々、貴重なご意見を頂いておりますことを感謝しております。
ただし、今回のように、拙ブログ読者と議論を進める際には、相手への敬意をお忘れなきよう、宜しくお願いします。どうしても、ご自分のスタイルを貫きたいのであれば、ご自分のブログに記載し、その旨を、本ブログのコメント欄でお知らせくださいますよう、お願いします。
kamokaneyoshi 様
HMSさんのご意見と微妙に違いますが、私は、TV・出版を区別せず、それらがどんなに酷い状況であっても、内部的に適切な対応ができなくても、「行政的あるいは法律的に適切な体制を整えるよう強制」することには、断固、反対します。強制ではなくて、あくまでも、焦らず、急がず、しつこく、自主改革を促していくしかないと思っています。