ブログ「大隅典子の仙台通信」の「児玉先生発言に端を発して思う科学リテラシーのこと」と題する8月5日付記事で、科学技術振興機構研究開発戦略センター長の吉川弘之さんの「緊急に必要な科学者の助言」の一部を引用した後、「今こそ、異なる分野の科学者がcoherent voiceを上げ、邪魔なノイズ(放射能不安を煽って儲けようとする、根拠無しに安全と言い張る)が聞こえないようにすることが求められているのだと思う。」と述べている。この「邪魔なノイズが聞こえないようにする」coherent voiceという大隅さんの考えに強い違和感を感じた。以下に、coherent voiceについての、管理人の考えを述べる。
1.coherent voice of scientists
吉川さんは、「緊急に必要な科学者の助言」の中で2つの提案を行っている。その第1提案で以下のように述べている。
政府の依頼、あるいは政府がその助言を受けることを前提として、必要な助言を作るための専門科学者の集団を、科学者コミュニティが自ら選出して作る。そのような“場”において、その集団が該当する分野の専門科学者の“合意した声”を作る。それは科学コミュニティの外のいかなる勢力からも独立であり、学説間の均衡を保ち、いかなる党派にも属さぬ声(coherent voice of scientists, unique voice of scientists などと呼ばれる)であることが要請される。我が国の政府に対する科学的助言に関する制度からいえば、専門科学者の選出は日本学術会議が責任をもって行うしかない(日本学術会議法)この文章を読むと、吉川さんが言う所の「coherent voice」は、大隅さんが言う所の「邪魔なノイズが聞こえないようにする」ものではないことになる。
この科学者の合意した声は、行動者に助言に沿う行動を指示したり、期待したり、また誘導したりするものであってはならない。それは「行動者の行動規範の根拠」(学術の動向、1997,12 月号)を提供するものであって、それ以上ではない。この立場に立てば、科学的知見による助言は、知見の水準によって以下のように変わることが分かる。ある課題についての科学的解釈、すなわち現在の状況についての認識や変化の予測について:
①科学者の間で完全に合意している場合。解釈がそのまま助言となる。
②おおむね合意されているが若干の(少数の)不合意者がある場合。不合意者の割合と、両解釈の比較を提示する。
③拮抗する対立がある場合。複数の解釈の説明とそれを主張する根拠の説明と、できれば各主張適用の効果の予測。
④多数の意見がある場合、助言はできない。この場合は合意進展のためのフォーラムを主催し、意見が集約するまでは行動者に議論の経過を提供する。
科学者コミュニティはできるだけ合意水準を高めるように努力しつつ、しかし不合意がある場合はそれを対立者間で客観的に認めなければならない。
このcoherent voiceはサイエンスポータルのオピニオン欄に6月15日付けで掲載されている科学技術振興機構 社会技術研究開発センター長有本建男さんの「政策形成への科学的助言-3.11後の政治と科学の関係の再構築」と題する記事でも以下のように言及されている。
科学者は往々にして、自らの理論に基づいて助言しようとするが、それがかえって社会の混乱を招きかねない。個々の専門知識、見解を基礎にしながらも、政治や市民の合理的な行動につながるように、全体として統一のとれた俯瞰的情報、助言をまとめ発信しなければならない。海外ではこれをcoherent voiceあるいはunique voiceという。日本では、このunique voiceの作成プロセスの重要性が十分認識されてなくその作成方法も成熟していない。複雑で不確実性の高い問題の解決に当たっては、幅をもった提言あるいは複数の提言が並立して出され、政治の判断を仰ぐ局面が出てくる場合もある。有本さんが示した「coherent voiceあるいはunique voice」の出処を探ると、その記事で引用されているJST研究開発戦略センター、「東日本大震災からの復興に関する提言」のp21-25の参考7「福島原子力発電所事故の対応における科学者の役割」(吉川、4月28日付)で言及されていることが分かった。なお、この参考資料は、サイエンスポータルのオピニオン欄で4月29日と5月2日付けで掲載された寄稿の原稿のようである。この意味で、有本さんが示した「coherent voiceあるいはunique voice」の出処は吉川さんの「福島原子力発電所事故の対応における科学者の役割」にあるように見える。しかし、吉川さんが「緊急に必要な科学者の助言」として「coherent voice」を作ることを提案しているのに対し、有本さんは、より長期的な「政策形成への科学的助言」として、「全体として統一のとれた俯瞰的情報、助言をまとめた「coherent voice」」を発信することに言及している。有本さんも、吉川さんが「科学者コミュニティはできるだけ合意水準を高めるように努力しつつ、しかし不合意がある場合はそれを対立者間で客観的に認めなければならない。」と積極的に意見の相違の存在を容認する立場であるのに対し、「複雑で不確実性の高い問題の解決に当たっては、幅をもった提言あるいは複数の提言が並立して出され、政治の判断を仰ぐ局面が出てくる場合もある。」と消極的な認識を示している。
2.Independent, Balanced and Non-partisan voice
さらに、吉川さんが示した「coherent voiceあるいはunique voice」の出処をネット検索で探ると、吉川さんによる詳細な口頭説明の記録が第30回原子力委員会資料第5号「第24回原子力委員会定例会議議事録(7月5日)」に記載されているのを見つけた。そこでは、
ここで再び科学者の政策立案者への助言について話します。科学アカデミーの使命です。日本では学術会議です。アカデミーは科学者の“合意した声”を発信します。これは最近、国際的に、Independent, Balanced and Non-partisan voice(独立で、偏りがなく、どの党派/学派にも属さない声)と言います。これを科学的につくり上げていくのがアカデミーの仕事であり、それが科学的な助言、中立的な助言だと言われます。これを1990年代に、国際科学会議(ICSU)で議論した時にはUnique voiceとか、Coherent voice などと言っていましたが、今はIndependent voice、Authoritative voiceなどと言います。これはなかなか難しい概念で、表現にも工夫が要ります。と述べている。この発言記録を読むと、吉川さんは、意図的に、最近、国際的に使われている「Independent, Balanced and Non-partisan voice」ではなくて、1990年代に使われていた「Unique voiceとか、Coherent voice」を採用したことが察せられる。何故、最近、国際的に使われている語句を採用しなかったのか、大きな疑問が残る。
3.原発事故への対応
吉川さんは、上の説明に続けて、
科学者は先ほど言ったように、本来は学問的に対立しています。基本的な問題として物質の解釈だって学説によって違うということがあります。例えば福島の原発を前にしてもその状況に対する解釈、すなわち理解と予測は一つに決まるとは限らない。学会での学問的論争ではこの際は普通のことです。それは後で確認されてどちらが正しいかがわかる。これが学問の進歩の普通の方法です。しかし、そういうのがバラバラに社会に入っていったのでは社会は混乱するだけです。社会においては対応策を一つに定めることが必要なことが一般で、それも学説の結論が出るまで待てないことが普通です。このような状況下で、合意した声をどうやって作るのか。まず、ひとつの結論にまとめることはできません。複数の異なる見解を持つ科学者が集まって議論をし、考えが集約すればよいがそうでないときはどうするのか。その時は、複数の見解が根拠とともに併記され、しかもどれがマジョリティなのかも明記する。マイノリティにはどういう理由があってそういっているのかも明記する。事故の収束についての見通しのような場合には、一番危険な場合、一番安全な場合、そしてマジョリティはこういう見解であるということが示されなければなりません。最低限3つの案が必要である。と述べている。緊急時の対応としては、その即時性に疑問が残るが、正に正論である。なお、今回の原発事故に際して、学術会議がこのような対応ができなかった理由を以下のように述べている。
この場合、科学者の合意した声の中に、複数の見解があることには重要な意味があります。政策決定には、現実に考えられる最も可能性の高い場合に対する人々の行動を勧告することと、ワーストケースが起こった場合に対する決定者(政府)側の万全の準備がおこなわれることになる。このようないわば立体的な構造というのが決定者には必要で、その根拠としての助言者の声が必要なのです。合意した声というのは決して1つにまとめた声ではなくて、今の科学者の現状の声を客観的に伝えるということにほかなりません。それが実は日本学術会議の助言の本来の姿であり、そういうことが法律には書いてあるのですが、残念ながら今回はそこまでいけなかった。これは基本的な情報が不足したことが直接の原因です。学術会議が情報を何度もとりにいこうとしたのですが、残念ながら全部断られてしまったという現実があります。学術会議会長談話などをの経緯から管理人は同意しかねるが、どうも、「学術会議は悪くなかった」らしい。
4.おわりに
吉川さんは「科学者の政策立案者への助言」が学術会議の使命であると述べている。確かに、そうだとは思うが、残念ながら、原子力発電の国策推進の一翼を担ってきた学術会議に、その助言が「Independent, Balanced and Non-partisan voice」となる仕組みが備わっているようには管理人には見えない。学術会議への科学者および市民の信頼を得るためには、厳しい道のりが待っているように思う。
追記(2011年8月28日22時35分)
大隅典子さんからTwitterを通してコメントを頂きましたので、許可を得て、以下に示します。
ブログ読ませて頂きました。「ノイズが聞こえないように」と言った意図は、科学者コミュニティーの中が「内輪もめ的」なことをしている場合ではない、という意味であり、吉川先生や有本さんの述べられていることと本質的には同じ意見のつもりです。
元ツィートはここ