拙ブログ関連記事:
2008年04月30日 心茶会と久松先生のこと
2010年12月17日 「なぜ科学を語ってすれ違うのか ソーカル事件を超えて」
1.FAS協会
管理人の疑問に答える情報はFAS協会のウェブサイトに掲載されているFAS協会機関誌「風信」47号(2002年12月)の「ポストモダン論をめぐって」と題する山田慎二さんの寄稿記事の中にあった。FAS協会とは、久松先生が心茶会とは別に、京都大学で「座禅と論究」をご指導されていた「学道道場」を母体とした組織である。そのウェブサイトに示されている紹介の一部を以下に再掲する。
FAS協会の活動
平常道場:京都市内、相国寺山内林光院にて、毎週土曜日、午後2時から6時まで、テキスト購読と座禅を行っています。
(1)テキスト購読(午後2~4時)
第1土曜:楞伽経(常盤義伸氏)
第2土曜:実践・相互参究(会員が提起した問題を相互参究します)
第3土曜:臨在録抄綱(川崎幸夫氏)
第4土曜:久松真一著作集・第2巻講読(米田俊秀氏)
(2)座禅(午後4~6時)
FAS協会の活動の中心は平常道場です。これは市民が創る「座禅と論究」の場です。どなたでも好きなときに参加できます。
2011年7月13日付けのお知らせ
8月の論究と座禅はお休みです。
休み明けは9月3日(土)から始めます。
FAS協会の基本精神
FAS協会の基本精神は「人類の誓い」に表現されています。
私たちは よくおちついて
本当の自己にめざめ
あわれみ深い心をもった
人間となり
各自の使命に従って
そのもちまえを生かし
個人や社会の悩みと
そのみなもとを探り
歴史の進むべき
ただしい方向を見きわめ
人種国家貧富の別なく
みな同胞として手をとりあい
誓って人類解放の悲願をなし遂げ
真実にして幸福なる
世界を建設しましょう
FASとは
F・A・Sはそれをさらに凝縮して人間の基本的なあり方の3次元として表したものです。
F 形なき自己にめざめる To awaken to Formless Self
A 全人類の立場に立つ To stand on the standpoint of All mankind
S 歴史を越えて歴史を創る To create Suprahistorical history
2.ポストモダン論をめぐって
以下、山田慎二さんの論考の抜粋を太字で示し、管理人の考えを間に挟む。山田慎二さんの論考の冒頭は以下の文で始まる。
わたしたちの生きる社会は、なんと情ないありさまになってしまったことだろう。経済の繁栄とひきかえに、もっとも大切な道徳的な価値を見失った。その経済さえ破綻した。痛切な失望感のうちに前世紀は幕を閉じ、新世紀を迎えても、いっこうに未来の展望はひらけない。この論考は2002年12月に発表されたものだが、9年後の今の状況は、当時と大差ない、あるいはより不安が増している。
まず最初に確認しておきたい。久松思想は、世界のなかで決して孤立していない。二○世紀後半においてグローバルな同時代性をそなえていた。しかも、欧米の潮流より一歩早く、先駆的でさえあった。
ここに、一つの証言がある。キリスト教神学者の小田垣雅也は著書『現代のキリスト教』(講談社学術文庫)のなかで、ポスト・モダンと東洋的無の思想の関係を論じて、こう述べた。「私がポスト・モダンという言葉そのものにはじめて出会ったのは、久松真一博士の論文『悟り―後近代的(ポスト・モダン)人間像』を読んだときであった。フランスの現代哲学を読んだときではない」
この久松論文は、一九六七年に筑摩書房刊行の講座『禅』第一巻に発表された。これは、たとえば、フランスの哲学者、ジャン・フランソワ・リオタールの有名な『ポスト・モダンの条件』(一九七九年)よりも一○年以上も早いのである。
説明するまでもなく、久松博士は、ここで明快に人間像の四つの類型を提示している。近代合理主義的な人間像。それが崩壊したニヒリスティックな人間像。そこから他律的な救済を願う有神論的な人間像。そして、これらを脱却して絶対的に自律的な悟りに覚めるのが、ポスト・モダンの人間像とされた。
このあと久松博士は、一九七一年に「ポスト・モダニスト宣言」を発し、さらに七六年に論文「近代の没落とポスト・モダニスト世界の構想」を執筆した。いわば、ポスト・モダンの人間像から世界像へ。即ち(F・A・S)の(F)の立場から(A・S)の立場へ発展させた。
ポスト・モダニストの世界像において、とくに注目すべきは近代国家に対する手きびしい批判である。いいかえれば、近代批判のマトを国家否定の一点に集中させたといってもよい。
この状況において、久松博士は社会主義とか自由主義といったイデオロギーの次元ではなく、禅思想の深い自覚の次元から近代文明そのものを根底から問う姿勢を貫いたのである。
この当時、久松博士と似た問題意識を示したのは、アーノルド・トインビーといえるかも知れない。この二○世紀を代表する歴史家は、六○年代半ばに著書『現代が受けている挑戦』(新潮社)のなかで国家主義を超える理念として世界主義を打ち出している。
国際的に〈ポスト・モダン〉という用語がはじめて使われたのは、建築史の分野であった。ひたすら合理性と機能性のみを追求してきたモダン建築を批判して、歴史的様式の装飾などを取り入れる現代建築の新手法をポスト・モダンと呼んだのである。
建築評論家、飯島洋一の解説によると、一九七七年にイギリスの批評家、チャールス・ジェンクスが『ポスト・モダン建築の言語』を著し、先鞭をつけた。しかも、ごていねいにもモダン建築の “死亡診断書 ”までつけた。
ここで問題を複雑にしているのは、とくに日本の場合である。流行語として「ポスト・モダン」と「ポストモダニズム」という二つの言葉が混同して使われ、いわば言葉のバブル現象をひき起こした。管理人にとって、1977年には学位論文の最後の仕上げに集中していた時期であり、1980年代は鹿児島大学に赴任して、新たな研究課題を模索している時期であった。このことが、国内外でのポスト・モダンあるいはポストモダニストについての議論に疎かった理由だったようである。
ポスト・モダンは、社会の大きな変化を意味するのに対して、ポストモダニズムはその時代の中で生まれた特定の主義・主張(イズム)を指すにすぎない。日本の場合、八○年代を中心にニューアカデミズムと呼ばれる言説がブームのように大流行した。これらの論者たちは、十把ひとからげにポストモダニストと呼ばれたりした。
つまるところ、近代とは、いったい何であろう。多くの場合、その定義をあいまいなままに論議をエスカレートさせるきらいがある。あらためて、この点について哲学者の中村雄二郎は著書『二一世紀問題群―人類はどこへ行くのか』(岩波書店)のなかで、明快に指摘した。「西欧近代を成り立たせた原理の中核は、近代科学である」という認識は管理人にはなかった。科学技術や科学的合理性の考え方の普及が近代社会の発展に大きな役割を果たしてきたことは十分に認識しているが、「科学はことの善悪を判定しない」と考えている管理人は、科学が精神的、道徳的な面でも中核的な役割を果たしているとは考えていなかった。
「西欧近代を成り立たせた原理の中核は、近代科学である。これなくしては、近代原理の貫徹も世界化もとうていありえなかった。」
この根本原理のうえに立って、さらに同時代に成立した宗教改革(プロテスタンティズム)と資本主義が緊密に結びついた。この三位一体的な結合が近代原理を形づくっている。そのもっともパワフルな結合体が、現代アメリカ文明であることは、いまさら、いうまでもない。
科学がどこまでも強力なのは、その方法論に特徴がある。全体を分けて要素に還元する。どんどん分析して細分化して行く。この方法論は、物理とか化学の分野でめざましい成果をあげてきた。要素還元法がこれまでの「物理とか化学の分野でめざましい成果をあげてきた」のは認めるが、多くの研究者は、今や、その限界に直面しており、種々の研究対象を、多要素の集合体としてのシステムとして、あるいは多数の要素間の複雑な相互作用システムとして捉えようとしている。
生命そのものは、本来、細分化できない。全体性である。医学において生命倫理が問われるのは、その点であろう。科学のあり方を人間的な方向へ引き寄せることができるか、どうか。その決定的な岐路に生命論が位置している。宗教や哲学が真正面から科学と向き合うとすれば、生命論こそ対話の場となるであろう。地球科学や環境科学では、初めから「細分化できない。全体性である」という認識で取り組まれている。「生命が、細分化できない。全体性である」ことは、生命科学の研究課題定や研究手法とは関係するが、生命倫理(例えば、不妊治療における命の扱い方)とは直接は関係しないと思う。他方、宗教や哲学が真正面から科学と向き合う場は、生命論(科学研究の内容)そのものではなくて、生命倫理であろう。
人類にとって資本主義が万全のシステムかといえば、そうは言い切れない。自由競争の名のもとに競争に勝った者だけが優遇され、敗者は冷遇される社会が、はたして本当の意味で自由な社会といえるであろうか。多様な価値観の存在を互いに容認し、透明で民主的な手続きの下で、より良いと思われる方法を試行錯誤で選択し続けていくしかないように、管理人は思う。
さらに西欧近代を成立させた三つ目の柱であるプロテスタンティズムについていえば、私たちはいま深刻な懸念を抱かざるをえない。キリスト教であれ、ユダヤ教であれ、イスラム教であれ、いわゆる一神教の系譜において顕著な「排除の論理」について、私たち一神教圏外に生きる人間は、深い憂慮を禁じえない。
「九・一一」の直後、ニューヨークで人びとの生活態度がすこし変化したといわれた。人びとは、贅沢をひかえ、静かに家路を急いだ。いつの間にか謙虚になり、情感が豊かになった。これは、東日本大震災と福島第1原発事故発生を体験した、今こそ、強調されるべきことであろう。
それは、私たちの身近なところで、あの阪神大震災のときに現出した光景によく似ている。自分たちの信じていた文明が、いかにもろいものであるかを思い知った。なによりも、自分たちの生命がどんなにはかないものか。それだけに、どれだけかけがいないものか。そんな痛切な思いをひしと抱きしめた。
危機が深いほど、ものごとの本質がみえてくる。科学も経済も国家も文明も、余分のものをはぎ取って本当に必要なものとしてだけの本質を見つめ直す場面に、私たちは立っている。近代に対するポスト・モダンの立場は、そうした危機の生き方にほかならない。
3.おわりに
以上、山田慎二さんの「ポストモダン論をめぐって」の一部を抜粋して紹介した。引用にあたって、管理人の誤解が含まれている可能性がある。興味のある方は是非、原文をご覧頂きたい。
山田慎二さんの論述で、「久松先生は、ポスト・モダニストの世界像において、近代批判のマトを国家否定の一点に集中させた」と述べられている。管理人の現在の考えは、そこまでには至っていない。インターネットによる情報発信・共有システムの国の枠を越えた拡大・発展と地球規模の環境・エネルギー・食糧危機が、否応なしに国家の融合を促進すると思っている。このときに必要なのは、多分、「科学の営み」についての知識に基く合意形成手法の確立のだと思っている。そのためにこそ、一国の経済・科学技術の発展のためではない科学リテラシーの普及が必要だと思っている。
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。