1.Ed Glaeser
経済学に携わっている読者には常識なのだろうがEdward Glaeserはハーバード大学の教授であった。ハーバード大学経済学部のウェブサイトで公開されている彼の履歴書によると、1967年5月生まれで1992年にシカゴ大学で経済学博士、1998年からハーバード大学経済学部教授という、経済学のシカゴ学派とケンブリッジ学派を結ぶ俊英であるらしい。それにしては、「地産地消は環境に良くない」は雑な言説であり、不思議に思い、Wikipediaの解説記事を読んだ。それによると、彼はニューヨークのマンハッタン生まれの生粋の都会人であり、都市経済学(Urban Economic)の第一人者であることを知り、何となく、納得した。
2.The Role of Economics in an Imperfect World
おそらくEd Glaeserがこの記事で言いたことは、その最後の2節の以下の文章なのだろう。
Both markets and governments are quite imperfect, and it is important to weigh their failures against each other.上の文で著者が最も言いたかったは 'But'以下のことであるにしても、「市場経済も統制経済も不完全である」とし、「世界は経済学者によって運用されていないし、運用されるべきではない。他の種々の分野の視点が必要である」と断言しているのが、我が国の声の大きな経済評論家の一方的な言説ばかり聞かされている管理人には、新鮮であった。また、経済学者が貢献すべき事項の中に、形式的?なモデルと統計的証拠の提示をきちんと挙げているのも、意外な感じがした。
The world isn't and shouldn't be run by economists — many perspectives need to be at the table. But economists have plenty to add: formal models, statistical evidence, a focus on freedom and a sophisticated centuries-old approach to public policy.
Ed Glaeserはジョン・メイナード・ケインズの分類に従って経済学をpositive economicsとnormative economicsの2つに分け、それらを対比させて、論を進めている。
positive economicsについて論じている中で理論とデータについての以下の記述は、自然科学研究者の端くれである管理人の捉え方と微妙に異なっていて、面白い。
But we need to always remember that data and statistical tests never prove a theory. Typically, many different theories can explain almost any observed phenomenon. Data allows us only to reject a theory. The theories that survive are those that haven't been rejected yet, and that's a good reason for humility.著者は、「生き延びている理論はデータによって排斥(reject)されていないにすぎない」と述べている。管理人は「生き延びている理論は、新たなデータによって改良され続ける」という捉え方である。
normative economicsについては、positive economicsと密接に関係すべきといいつつ、
Yet the economic approach to public policy is distinguished by attributes beyond an attention to evidence.と述べて、normative economicsがpositive economicsの根幹で「証拠」に,まだ十分に注意を払っていないという認識を示している。
3.おわりに
Ed Glaeserは、「地産地消は環境に良くない」で、ボストン近郊における農業を振興することが炭酸ガス排出量の増加をもたらすことを指摘している。常識とは異なる指摘で、英文の元記事には多くの賛同のコメントが投稿されている。
ただし、この指摘には、種々の前提条件が含まれていると思われるが、それらについての言及がないため、非常に乱暴な論旨展開になっている。このようになっている理由が、一般向けの新聞のコラム記事の制約のためなのか、問題の複眼的な見方を指摘するために意識的にしたことなのか、あるいは、本当に前提条件の問題をあまり考えていないのか、記事からは判断できない。ただし、少なくとも、ボストン近郊の農民の立場については配慮されていない。これは、Ed Glaeserが生まれついての大都会人であることが、大きな原因のように思う。農家出身の経済学者がボストン近郊における農業振興を論じると、また別の結論になるように思う。この意味で、より良い公共政策を模索するためには、、J.R.ブラウンがその著「なぜ科学を語ってすれ違うのか ソーカル事件を超えて」で述べているように、「アファーマティブ・アクションが必要なのだ。認識論の立場から、多元主義が求められている」と思う。
拙ブログ関連記事:
2010年12月17日 「なぜ科学を語ってすれ違うのか ソーカル事件を超えて」
今回は、経済学という専門外のことを話題にした。英文記事の解釈などに誤りがあるかもしれない。ご指摘いただければ幸いである。


あと、彼の科学哲学と管理者様のそれとの違いはカール・ポパーの反証主義をどう捉えるかの解釈であって、少し違うという表現は混乱要因かと思います。
いずれにしても面白い記事を紹介さてくれてありがとうございます。
>地産地消が悪いというグレーザーの議論のどこが問題であるという指摘箇所の本質がよく理解できませんでした。
この記事を投稿した当時、管理人が何を考えていたのか、良く覚えていないのですが、最後の段落で述べているように、「常識とは異なる指摘」をおこなう場合には、その指摘に至る前提条件が従来とどのように異なるのかを示すことで、理解が深まると考える管理人にとって、その「前提が明示されていない」のが気になったようです。管理人の不勉強だったかもしれません。
>彼の科学哲学と管理者様のそれとの違いはカール・ポパーの反証主義をどう捉えるかの解釈であって、少し違うという表現は混乱要因かと思います。
カール・ポパーの反証主義をどう捉えるかの解釈(の違い)かもしれませんが、管理人には、科学哲学を論じるつもりはありませんでした。自然科学(海洋学)と社会科学(経済学)で、理論とデータの関係についての認識が異なっていることについての感想を述べただけです。
以上、答えになっていないかもしれませんが、ご容赦ください。