2011年06月17日

科学報道と科学コミュニケーション

先日、科学コミュニケーション研究会MLを通して、6月22日(水)18時30分から東京大学本郷キャンパで開催される第8回関東支部勉強会の案内を受取った。ゲストは読売新聞の保坂直紀さんで、タイトルは「3.11は科学コミュニケーションのなにを変えるのか」である。勉強会のサイトに掲載されている概要を読んで、いろいろなことを考えた。22日当日に勤務先を早退して、勉強会に参加したいところだが、参加できない可能性が高い。このため、保坂さんの概要を拝見して考えたことを以下に述べる。



1.概要原文
サイトに掲載されている概要の全文は以下の通りである。
 東日本大震災は、報道機関にとっても、これまでに経験のないできごとの連続でした。原発事故では、東京電力などによる記者会見の模様がCS放送やネットで中継されました。資料もすぐにネットで公開されます。つまり、一次情報へのアクセスがきわめて容易だったことが、今回の特徴のひとつといえます。たしかに、コミュニケーションの様相はかつてと変わりました。二次情報の流し手としての新聞やテレビは、その立ち位置を厳しく問われました。一次情報が得やすくなれば、二次情報の価値は下がるのか。いや、下がらざるをえない程度の価値しか、もともと持っていなかったのか。科学コミュニケーションは「加工された二次情報」の価値を高めるべくなされる行いです。どのような二次情報が社会に求められるのか。科学コミュニケーションは、加工度を高めるべきなのか、生情報に近づくべきなのか。これらの点について、みなさんと議論したいと思います。
タイトルは「3.11は科学コミュニケーションのなにを変えるのか」なのだが、この概要を読んでも、保坂さんが何を考えているのかよく分からず、混乱した。どうも、管理人は「科学報道は科学コミュニケーションの一部である」と考えているのに対し、保坂さんは「科学コミュニケーションとは科学報道のことである」と考えているように思う。だとすると、タイトルを「3.11は科学報道のなにを変えるのか」とするのが相応しいように思う。

2.一次情報へのアクセス
保坂さんは、記者会見の模様がCS放送やネットで中継されたり、資料もすぐにネットで公開されたことが、「これまでに経験のないできごとの連続だったとして、「一次情報へのアクセスがきわめて容易だったことが、今回の特徴のひとつといえます」と述べている。しかし、震災以前から多くの研究機関はプレスリリースをネット上で公開していた。また、事業仕分けや一部の記者会見の模様もネットで動画配信されていた。この意味で、一次情報が視聴者・読者へ直接届く状況は、「今回の震災で初めて生じた状況」ではないと言える。

「一次情報へのアクセスがきわめて容易だった」というよりは、報道機関が視聴者・読者へ明示していなかった一次情報の所在の多くが広く一般に知れ渡り、多くの人が一次情報に直接アクセスするようになった、ということであろう。これは、一次情報を基にした報道機関の報道に、多くの視聴者・読者が満足しなくなったという点で、報道機関にとっては「これまでに経験のないできごと」という程度の認識では済ますことのできない、かなり深刻な状況であることを意味していると思う。

3.二次情報の流し手としての新聞やテレビ
保坂さんは、「二次情報の流し手としての新聞やテレビは、その立ち位置を厳しく問われました」と述べている。新聞やテレビを「二次情報の流し手」という保坂さんの位置付けに、管理人は強く同意する。「その立ち位置を厳しく問われました」という認識が示されているのは、「「二次情報の流し手」には何が求められるのだろうか」という問いでもあると思う。管理人は、特に、科学の営みと深いかかわりを持つ科学関連報道においては、科学の営みと同じく、根拠を明示することが求められていると思う。「二次情報の流し手」は少なくとも、「二次情報の受け手」に一次情報の存在場所を明示しなければならないと考える。これまでの科学関連報道において、その根拠を明示せず、読者が理解できない記事が少なからずあった。このために、「多くの人が一次情報に直接アクセスするようになった」と思う。

管理人は、これまで、新聞各社のウェブサイトの科学関連記事で一次情報へのアクセス情報が明示されていないことに強い不満を表明してきた。欧米での科学報道では、詳しい報道の後でも、必ず一次情報へのアクセス情報を明示している。これに対し、我が国の大手報道機関は、科学関連のプレスリリースのURLを明示してこなかった。管理人には、その理由が何なのか、どうしても理解できない。 

4.二次情報の価値
保坂さんは「一次情報が得やすくなれば、二次情報の価値は下がるのか。いや、下がらざるをえない程度の価値しか、もともと持っていなかったのか。」と問題提起している。不思議な問題提起である。まず、二次情報とはどのような情報なのかを定義するのが先だと思う。現在の科学関連報道記事がその定義を満たしているのか否かの検証を行い、ついで、その価値を論ずるのが順序と思う。二次情報の現状を評価せずに、その価値を論じるのは、不自然な思考方法のように思う。

管理人は、二次情報とは、一次情報が高度に専門的な場合には、その内容を一般読者が理解できるように噛み砕いて補足説明を加える、一次情報が一方的な観点の立場から発信である場合には、他の観点からの評価を追加する、一次情報が部分的・短期的な成果の紹介である場合には、より広い、長期的展望からの解説を加える、などの処理を施した情報であると考える。このような二次情報の定義を満たしていない科学観件報道記事が散見されるのは残念であるが、上に述べた二次情報の定義を満たしていれば、一次情報が得やすくなっても、二次情報の価値が下がることはないと考える。

5.科学コミュニケーションの役割
保坂さんは「科学コミュニケーションは「加工された二次情報」の価値を高めるべくなされる行いです」と述べている。この科学コミュニケーションの定義を見て、混乱した。

管理人は、科学関連報道記事の作成も科学コミュニケーションの一つと考えている。また、科学関連報道記事も二次情報の一つとも考えている。この場合には、上の保坂さんの概要の文章は「科学関連報道記事作成を含む科学コミュニケーションは二次情報の価値を高めるべくなされる一次情報への加工行為です」と変更すると管理人には理解しやすい。

科学コミュニケーションとは科学関連報道記事作成行為のみであるとすると、概要の文章は「科学報道活動である科学コミュニケーションとは、科学関連報道記事の価値を高めるべくなされる情報加工の行いです」という記述の方が良いとは思うが、これでは、何の変哲もない表現になってしまう。

他方、科学コミュニケーションには科学関連報道記事作成行為を含まない(管理人は、当初、このように読み誤った)とすると、概要の文章は「報道機関が作成した科学関連報道記事(加工された二次情報)を補足・展開する(価値を高める)のが科学コミュニケーションである」となる。非常に悲しい認識だが、これも一つの考え方であり、一部の科学関連報道記事を読むと納得してしまうところもある。ただし、この記述は、概要全体の論旨とは相容れない。

保坂さんは、上の文章に続いて「どのような二次情報が社会に求められるのか。科学コミュニケーションは、加工度を高めるべきなのか、生情報に近づくべきなのか」と述べている。「どのような二次情報が社会に求められるのか」という設問への管理人の答えは、前節で二次情報の定義について述べた通りである。

「科学コミュニケーションは、加工度を高めるべきなのか、生情報に近づくべきなのか」という設問への管理人の答えは、科学コミュニケーションとは科学関連報道記事作成行為のみである場合、あるいは科学コミュニケーションに科学関連報道記事作成が含まれている場合には、「科学コミュニケーションは、加工度を高めるべき」となる。他方、科学コミュニケーションに科学関連報道記事作成が含まれてない場合には、科学コミュニケーションの相手と二次情報(科学関連報道記事)の完成度によって異なるとしか答えようがない。新聞記事が読者の理解の助けになっていない場合には、加工度を高めるべきであり、新聞記事が一次情報の正確な紹介になっていない場合には、生情報に近づくべきである。こう考えると、拙ブログでは、科学コミュニケーションに科学関連報道記事作成が含まれてない場合に対応したエントリーが多い。

6.おわりに
以上、ちょっと屁理屈っぽい議論になってしまった。上に述べた捉え方を踏まえるて概要の原文を以下のように変更すると、管理人には理解しやすい。
 東日本大震災は、報道機関にとっても、これまでに経験のないできごとの連続でした。原発事故では、東京電力などによる記者会見の模様がCS放送やネットで中継されました。資料もすぐにネットで公開されます。つまり、一次情報へのアクセスがきわめて容易だったことが、今回の特徴のひとつといえます。たしかに、報道の様相はかつてと変わりました。二次情報の流し手としての新聞やテレビは、その立ち位置を厳しく問われました。一次情報が得やすくなれば、二次情報は不要となるのか。いや、不要とならざるをえない程度の価値しか、もともと持っていなかったのか。科学報道は二次情報の価値を高めるべくなされる一次情報の加工行為です。どのような二次情報が社会から求められるのか。科学報道は、加工度を高めるべきなのか、生情報に近づくべきなのか。これらの点について、みなさんと議論したいと思います。
科学リテラシーの普及活動においてマスコミの果たす役割は大きい。管理人は、科学担当報道記者の育成と科学報道体制の強化を強く望んでいる。第8回関東支部勉強会では、読売新聞東京本社科学部の保坂さんと出席者の間で、科学報道のあり方について、活発に議論されことを願っている。本記事がその際の参考となれば幸いである。
posted by hiroichi at 03:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 報道 | 更新情報をチェックする
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