2011年05月26日

価値観の多様性を認める社会へ

毎日新聞5月16日付け朝刊の「社説:視点・震災後 少数派にこそ耳傾けよ」と題する青野由利さんの署名記事(印刷紙面では明示されているが、ネット掲載記事では示されていない)を読んだ。この論説の主旨は、
今後は、原発政策の根本的な見直しや、既存の原発の危険度の判定に、多様な意見をくみ上げる仕組みが必要だ。そのためには、主流派に流されやすく、少数意見を排除しがちな日本的意思決定の在り方を見直した方がいい。
ということにあると思う。管理人は、その記述の一部に首をかしげるところがあるものの、この主旨には同意する。というか、「多様な意見」の存在の重要性をもっと積極的に評価し、「多様な意見」の存在を重視することこそが、より住みやすい社会の構築や企業・科学の発展に必要不可欠だと考えている。以下は、その詳細。



1.毎日新聞記事への違和感
「社説:視点・震災後 少数派にこそ耳傾けよ」では、(原発事故対策に)「多重性」はあったのに、「多様性」がなかった遠因として、原発を推進する集団もまた、多様性に欠け、排他的だったということ、を挙げている。さらに、その説明として、
 日本では、政府と電力会社、メーカー、大学などが原発推進の一大グループを形成している。「原発に大事故は起きない」という建前に支えられてきた共同体だ。危険を訴える少数派には「反原発」のレッテルを貼り、「極論」と退けてきた。

 原発の安全性はリスクを扱う科学の問題であり、イデオロギーの問題ではない。科学に「絶対安全」はありえない。

 にもかかわらず、「推進派」対「反原発」の構図が作られたことで、そこに属さない人々の沈黙も招き、科学論争を遠ざけてしまった。その結果、合理的な安全対策にも目をつぶってしまったのではないか。
と述べている。何とも、不思議な話の展開である。

まず、強い違和感を感じたのは、「科学」という語句の用法である。科学と技術の区分、あるいは科学技術、科学・技術の語句については種々の議論があるにしても、「原発の安全性はリスクを扱う科学の問題である」という表現はおかしい。どう考えても「原発の安全確保・事故防止策は、科学というよりは技術の問題」であろう。また、『科学に「絶対」はありえない』あるいは『完璧な事故防止策によっても「絶対無事故」はありえない』という表現はありえても、『科学に「絶対安全」はありえない』という表現は、それこそ、絶対にありえない、と思う。何かの意図があって科学と技術を混同している、と疑いたくなるような記述である。

原発の「推進派」には政府が含まれている。すなわち、原発の建設は国策として政財界が一体となって推進してきた。国策である原発建設の推進あるいは反対のための議論は、原発建設の推進が国策となった時点で、もはや科学・技術の議論ではなく、「反原発派」は政府に対する少数の異議申し立てグループにすぎない存在になった。このような状況においては、「推進派」と「反原発派」は拮抗した二つの勢力ではなかった。すなわち、『「推進派」対「反原発」の構図が作られたこと』はない。そのため、「(推進派)に属さない人々の沈黙も招き、科学論争を遠ざけてしまった」ともいえない。「国策推進を大前提に、反対派に属さない人々の純粋に客観的な参考意見さえをも無視し、科学技術的な検討を詳細におこなわなかった」というのが正確な表現だと考える。したがって、上に引用した記事の一節は、
 日本では、政府と電力会社、メーカー、大学などで形成される一大グループが、原発建設を国策として推進した。その間、「原発に大事故は起きない」という建前の下で、危険を訴える反対派の意見を退け、安全対策を多様な考え方に基いて講じることができなかった。
という記述で十分なように思う。

2.多様な考え方を排除する組織は生き延びない
特定の主力商品への投資を集中することによって、投資効果を高めようとする企業は多い。あるいは、定められた目的・方針の実現に向かって、一丸となって邁進する組織こそが大きく成長すると考えられている。しかし、このような組織は、状況の変化に対し、脆弱である。

平時においても、将来の状況変化に対する準備をしておくことが重要であることは、多くの組織でも認識されていると思う。しかし、多様な考え方が排除されている組織内では、同じ考え方しか共有されていないため、全く異なる発想に基く対策が採用されることは難しい。この結果、「思いもよらぬ」状況変化に対応できず、破たんする。

このような事態を回避するためには、ずべてのレベルで自由な発想・発言が推奨されている必要がある。構成員の各々が抱く種々の発想から生まれる発言をうまく引き出し、それらの発言の中から組織が取るべき行動を取捨選択し、その結果の責任を負うのが運営責任者の役割であると思う。そのためには、構成員として、教育歴、家庭環境、職歴、年齢、性別などが多様な人材を確保することと、リーダーが、立身出世・自己保身などの私利私欲に囚われず、組織の目的に最善と思われる判断ができ、失敗した時には潔く退く覚悟を持った者であることが必要であると思う。このような組織のあり方は、現在の我が国においては、大いなる幻想であって、現実にはありえないという考え方に傾きがちではあるが、このような理想に近づく努力なしには、日本の未来はないように思う。

原子力発電推進を担った国政担当者・専門家集団(原子力村)の今回の大きな失敗は、冒頭で紹介した毎日新聞の「社説:視点・震災後」が指摘するように、事故対策を検討する際に、国策推進を錦の御旗として、多様な考え方を排除したことにあったと思う。毎日新聞5月23日付け東京夕刊に掲載された「特集ワイド:「原子力村」の司令塔的専門家集団 旗を振らない安全委」と題する記事で述べられている関係者の発言を読んでも、原発事故の原因は、多様な意見の交換と活発な相互批判の場から責任ある決断を共同して導き出すという覚悟を持った構成員とリーダーがほとんどいなかったことである、としか言いようがない。

3.おわりに
同じ価値観を有する人が集って気楽に語り合い、価値観の共有を確認し合うことは、非常に心地よい。それに対し、価値観の異なる人と語り合う時には、同じ言葉でも受取り方が異なることがしばしばあり、言葉の選択にさえ、気を使う。この結果、派閥が形成される。派閥の形成自体は否定されるものではないと考えられるが、派閥間の抗争に勝つことが、組織の維持・発展よりも優先されるようになりがちなのが問題である。

上司にとっては、価値観の異なる部下を説得するのが容易ではない。言い方を間違うと、パワハラになってしまう。部下は、価値観の異なる上司の言うことに納得できなくとも従わざるを得ない状況が続くことによる過大なストレスのため、精神を病むことになる。また、上司に逆らわない人間だけが登用される結果、多様な考え方を認めようとしないリーダーのまわりにはイエスマンのみが残る事態となる。

多様な価値観の存在を互いに認め合い、共有する目的に向かってともに進むという共通認識があれば、住み良い世の中になるのだが、未だに価値観の多様性を認めない人が多い。このような現在の我が国の現状を考えると、「多様な考え方」あるいは「価値観の多様性」を重視した社会・組織を形成することは、容易ではないように思う。しかし、今回の原発事故の発生によって「価値観の多様性」を確保することが目先の成果や効率化を追究することよりもはるかに重要であることが実証された、と言えよう。まだ事態の収拾には程遠いが、今回の原発事故をこのように捉えることが、今後、「多様な考え方」を重視する社会・組織を作り上げていくための大きな原動力となり、明るい未来につながることを願っている。
posted by hiroichi at 02:32| Comment(2) | TrackBack(1) | 雑感 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
>定められた目的・方針の実現に向かって、一丸となって邁進する組織こそが大きく成長すると考えられている。しかし、このような組織は、状況の変化に対し、脆弱である。

 それであれば軍や警察などの規律官庁は全て脆弱であるという話になりますが?緊急時に百家争鳴して命令を実行できない組織の方がよほど脆弱です。原発内に居る50人の現地要員がそのようなことをしている余裕がありますか?

 組織として割けるリソースは無限ではありませんし、「組織の目的に最善と思われる判断」をするためには実働部隊が混乱しないような環境(法・装備・実施条件)を整備するべきでしょう。現場が欲しいのは「多様な考え方の学者」ではなく「強力なリーダーシップを備えた指揮官」です。
Posted by HMS at 2011年06月05日 08:53
HMS 様

コメントをありがとうございました。

私の記事では、「強力なリーダーシップを備えた指揮官」の必要性を否定していません。本記事の以下の部分で、「強力なリーダーシップを備えた指揮官」としての在り方に言及したつもりでした。「強力なリーダーシップ」を「自分の経験のみに基づいて独断すること」、「部下のアイデアを無視すること」と考える指揮官の下で、大きな失敗をした組織は多々あると思います。

>構成員の各々が抱く種々の発想から生まれる発言をうまく引き出し、それらの発言の中から組織が取るべき行動を取捨選択し、その結果の責任を負うのが運営責任者の役割であると思う。
Posted by hiroichi at 2011年06月06日 01:16
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