2011年4月13日23時30分 追記
2011年4月14日01時15分 一部字句を訂正
4月12日に文部科学省から発表された「海域における放射能濃度のシミュレーションについて」で、放射能濃度分布のシミュレーション結果が報告されている。
1.はじめに
原発事故とその人体への影響について、専門家と呼ばれている人たちが種々の解説をしている。しかし、その説明を聞いても、管理人には、今ひとつ、理解・納得できず、不安をぬぐい去ることができ
とはいえ、管理人は、このような状況では、放射性同位元素の人体への影響については「懐疑的・批判的な態度」を堅持するしかないと思っている。「懐疑的・批判的な態度」とは、専門家の言うことを信頼する場合には、以下の「信じるための5つのガイドライン」を肝に銘じていることである(出典は以下の関連記事を参照)。「努力をせよ」、「覚悟せよ」とか「勇気をもて」というのは、結構、厳しい要求であると思うときもあるが、「人生とは、何でも、こういうものかな」とも思う。
1.調べる努力をせよ
2.信念ではなく根拠に基づいて信じよ
3.根拠の強さに応じて確信度を決めよ
4.信じるときは間違っていることを覚悟せよ
5.根拠が不十分ならば保留する勇気をもて
拙ブログ関連記事:
2010年10月24日 「ホンマでっか!?TV」は要注意
2008年06月27日 科学の営みに必要な判断・思考力
2.読売新聞記事
ウェブ魚拓の取
福島第一原子力発電所から、高濃度の放射性物質を含む水が海に流れ出している問題で、放射性物質の拡散は方向によって大きな差があり、最初は沿岸を南北に広がり、東西にはすぐに広がらないことが、仏国立科学研究センターなどの計算でわかった。この記事では、単に「福島県沖の海底地形や潮流、水温、塩分濃度をもとに拡散を予測」というだけで、発表元のSirocco system team (CNRS & Toulouse University). がウェブサイトで、
政府は「放射性物質は拡散して薄まる」と強調しているが、海域ごとに注意深く監視していく必要がありそうだ。
仏グループは国際原子力機関(IAEA)の要請を受け、福島県沖の海底地形や潮流、水温、塩分濃度をもとに拡散を予測。公表された動画では、同原発から海に出た放射性物質が沿岸に沿って南北に広がった後、北側の仙台湾から東西に拡散していく様子がわかる。
We strongly recommend to the visitors of this site to read carefully the description of our modelling system.と太字で強調して述べているにもかかわらず、モデルの説明をしていない。詳細な説明は紙面の制限もあって難しいのは理解できるが、ウェブサイト上で赤色文字で最大限に強調して示している以下の留意事項に全く言及していないのは深刻な誤りだと思う。
We are not able to prescribe in our model realistic scenarios as we do not know how much radionuclides have been rejected, when they have been rejected and how they behave once they reach the sea. That is why we do not claim that our simulations are able to provide a quantification of radioactivity in the sea. We present movies that only intend to give scenarios of dispersion. Only the orders of magnitude of the dilution have to be considered. We use the generic name of Tracer to avoid misunderstanding.
最初の文では「我々は、放射性核種の放出量、放出された時期・経過、海に到達後の振る舞いが分からないため、我々のモデルが現実的な状況を再現しているとは言えない。この理由のため、我々のシミュレーション結果が海における放射能の量を提供できるとは言えない」と述べ、最後に「誤解を避けるためにトレーサーという一般的な名前を用いている」と述べている(トーレーサー:流体の移動状況の指標、追跡子)。それにもかかわらず、これらの留保事項を読売新聞の記事では全く無視し、「放射性物質の拡散」という言葉を使用し、図の説明(表題)も「放射能の海洋拡散と観測値」としている。SIROCCOの研究者たちが本記事を読んだら怒り狂うだろう。
どのような考えから、読売新聞の記者(無著名)は情報提供者の誠実な「ことわり書き」を無視したのだろうか?このような報道を見れば、我が国の、心ある研究者と言えども、限定条件付きの、あるいは未完成な数値シミュレーション結果を公表することを躊躇せざるを得ないという、国民にとっても、研究者にとっても、不幸な状況を生み出すことになる(今更、文句を言っても改まらないと諦めている研究者も多い)。
3.現場観測資料
数値予測モデルの検証は、現場観測結果と比較することで行われる。読売新聞記事の図には、本文中に説明なしで、観測値として、7つの観測点について、その位置を図中に示すとともに、各点での値(ヨウ素131)と日付(3月28日から4月1日)を表で示している。この観測値は定点での時間変化でも、ある日の水平分布でもない、意図が不明な図(表)であり、しかも、この観測値の出典を示していない。
文部科学省では、3月23日より福島原発沿岸における空間線量率の測定及び海水の採取を独立行政法人海洋研究開発機構の調査船により実施し、採取した海水については、持ち帰り、独立行政法人日本原子力研究開発機構に送付し、分析を行っている。観測は、学術研究船「白鳳丸で始められ、3月28日からは海洋地球研究船「みらい」によって行われている。得られたデータを逐次ウェブサイトで公開している。最初の3月23日(報告はここ)には福島原発沖約30kmの東経141度24分線上の北緯37度から北緯37度40分の8点の表層水のみであったが、4月7日(報告はここ)には、22日の8点に、東経141度24分線の南端および北端と海岸とをむすぶ線上の4点を加えた12点中の6点の表層と海底近くの海水を採取して分析している(ちょっと、説明が分かりにくいかもしれません。元の資料の図を見てください)。23日の観測結果報告の5ページには、6点の表層水のヨウ素137(I-131)とセシウム137(Cs-137)の濃度の3月23日から4月7日までの時間変化がまとめて示されている。これによると、東経141度24分線上の測点2、4、6、8の表層のI-131濃度は3月23・24日には40Bq/L以上であったが、その後、徐々に減少したものの、南側の測点6と8では4月2日から上昇し、特に測点6では約60Bq/Lに達している。東経141度24分線南端と海岸を結ぶ線上で岸から約10kmの測点10では3月30日に約80Bq/L、4月3日と7に位置も約40Bq/Lと沖よりも高濃度となっている。底層水については、測点10で10Bq/Lである以外は、数Bq/L以下になっている。Cs-137の濃度もI-131とほぼ同様な変動をしており、最大値は測点6での約20Bq/Lである。
このように
<参考>
中西 貴宏:太平洋東北沖における放射性核種の濃度分布と変動.放射線科学、第50巻3号,12-15,2009.
文部科学省は4月5日付けの発表で、4月は、奇数日にサンプリングを行い、偶数日にサンプルの分析とデータの公表を行う予定であると述べている。サンプリングは、次の2系統を交互に実施するとのことである。
1)測点A→海域1測点1→同測点3→海域2測点1→同測点3→同測点5
2)測点B→海域1測点2→同測点4→海域2測点2→同測点4→同測点6
当初の岸に平行な1本の観測線上のみの測点配置には唖然としたが、今後の、乏しい分析能力と限られた観測時間の中で拡充された観測により、各点で2日間隔で得られる表層と底層の海水中のI-313とCs-137の濃度を時間的に内挿することで、福島原発を囲む全12点での毎日の値を得ることができ、今後の数値予測モデルの検証に有用な資料となると思われる。
4.汚染物質の挙動
読売新聞記事では、「福島県沖の海底地形や潮流、水温、塩分濃度をもとに拡散を予測」し、「放射性物質の拡散は方向によって大きな差があり、最初は沿岸を南北に広がり、東西にはすぐに広がらないこと」がわかったと述べている。しかし、海岸から海に流入した「放射性物質の拡散は方向によって大きな差があり、最初は沿岸を南北に広がり、東西にはすぐに広がらないこと」は高精度な予測計算をしなくても、以下のように簡単に予想されることである。
ある固定点(小水片)内の海水中に溶存している物質の濃度の時間変化は、その小水片へ海水によって周囲から運ばれて入ってくる量と、その小水片から海水によって周囲へ運ばれて出ていく量の差(これを移流量という)、海水内の物質の微小な運動によって小水片内と小水片外の間で高濃度域から低濃度域へ移動する物質の量(これを拡散量という)と、小水片内での溶解
時間変化量=移流量+拡散量+生成量-消滅量
で表わされる。なお、塩分のように海中で生成・消滅しない量は保存量
時間変化量=移流量+拡散量+生成量-消滅量+境界での交換量
で表わされる。このように表わすと難しいかもしれないが、ある町の人口の日々の増減が、転入者数、転出者数、駅での乗車人数と下車人数、出生者数、死亡者数などの総和で表わされるのと同じように考えれば、理解しやすいかもしれない。
時間変化量は時刻(t1)における濃度C1とdt時間後の時刻(t2 = t1 + dt)における濃度C2との差であるから、
C2 = C1 + dt×(移流量+拡散量+生成量-消滅量+境界での交換量の時刻t1と時刻t2の間の平均値)
としてC1からC2を求めることができる。結局、原発事故による海洋汚染の広がり方を高い精度で予測するためには、各点でのC1の分布から、出来るだけ正確に、移流量、拡散量、生成量、消滅量、境界での交換量の全てを推定し、C2を求めることに対応している。
絶えず変動する風の影響と潮汐流を無視すると、陸岸付近の平均的な流れは、岸に平行な向きの成分が卓越している。それは、流れは水のない陸上を流れることはないので、流れの岸に直交する向き成分は岸(ここでは砂浜ではなくて絶壁を考えている)で必ずゼロでなければならないからである。すなわち、岸から遠く離れたところで、岸に向かう強い流れがあっても、岸に近づくにつれて減少しなければならない。逆に、岸から遠く離れたところで、岸から離れる向きに強い流れがあっても、その上流の岸近くでの流速は小さくなくてはならない。この例外は、河口域や排水口のように陸から海への水の流入域である。流れが全くない沿岸域に河川水が流入した時には、河口から半円状に河川水は広がる。ただし、地球自転の効果を考慮すると、北半球では、河口から右側に河川水は広がる。海岸に平行な向きの成分の流れのみがある場合には、この海岸に平行な流れによって、河川水は沖には広がらず、海岸方向ににのみ広がる。河川水が広がる向きは、地球自転効果よりも、沖合の流れの向きに支配される。このような現象をCoastal Entrapment(海岸捕捉)という。このように、海岸から海に流入した物質の広がり方は、流れ(移流)に大きく支配される。拡散量、生成量、消滅量、は濃度の高低には関与するが、流れに比べて、分布とその時間変動への関与の度合いは小さい。
つまり、海岸線がほぼ南北に延びている福島原発周辺海域においては、「放射性物質の拡散は方向によって大きな差があり、最初は沿岸を南北に広がり、東西にはすぐに広がらないこと」は、数値計算で「福島県沖の海底地形や潮流、水温、塩分濃度をもとに拡散を予測」しなくても、予想できることである。
なお、火力発電所や原発から海へ流入する温排水の広がり方の研究は、それらの事前・事後環境影響調査の一環として数多く行われてきた。温排水の温度は沖合の水温より暖かいため軽いので、表層に広がる。このとき下層から低温水を巻き込む(連行加入)ことと、海面から大気へ熱を放出するため、温排水は大きくは広がらない。温排水温度と環境水温(沖合の海面水温)の差、海面冷却量の支配因子(気温、湿度、風速)、流れ(海流、潮汐流、沿岸流、吹送流など)によって温排水の広がり方がどう違うのかがを主な研究課題であった。
5.2011年3月の福島沖の流れ
海の流れには、潮汐流、大規模な海流、海上風による吹送流、中規模渦に伴う流れなどがある。一般に東北地方の東方海域では、千島列島の南側を南下して、青森県東方を東へ向かうきた親潮と日本南岸を北上してきた黒潮が犬吠崎沖から東へ向かう黒潮続流との間にあって、多くの渦が発達し、混合水域と呼ばれている。また、東北沿岸には、ときおり、津軽暖流が南下する。房総半島沖の黒潮は変動が激しく、ときには犬吠崎から遠く離れる場合もある。この時には、沿岸に沿って北から南へ流れ、親潮系の海水が伊豆大島に達することがある。
3月27日の「海のサイエンスカフェ」で、管理人は、日本東方海域の米国海軍海洋研究所による3月23日の海流実況図と海上保安庁海洋情報部による3月21日の海流実況図を示し、福島原発から汚染水は、今後、福島沖を南下し、犬吠崎崎の沖で黒潮に合流し、東へ向かうだろうと、述べた。しかしながら、SIROCCOの予測では北へ延びている。これは、海上保安庁海洋情報部による3月24日の海流実況図に現れた黒潮から別れて北へ向かう流れ、あるいは仙台東方の渦が関係している可能性があると考えられる。
米国海軍海洋研究所による3月23日の海流実況図はここ
海上保安庁海洋情報部による3月21日の海流実況図はここ
海上保安庁海洋情報部による3月24日の海流実況図はここ
6.数値予測モデル計算
沿岸の流れは、沖を流れる海流や中規模渦の他、海上風と潮汐流の影響を大きく受ける。沖を流れる海流や中規模渦による流れをを予測するためには、人工衛星による海面高度分布や漂流ブイによる表層の流れの観測結果か用いられる。風による流れ(吹送流)を予測するためには、風の予報が必要であり、そのためには世界規模の大気循環の情報が必要である。潮汐流は主として月と太陽による規則正しい変動であり、かなりの高い精度で予測されている。これらの情報を基に予測される沿岸の流れを用いて、海岸から海に流入した汚染水の広がり方が予測される。我が国の沿岸の流れの予測も気象庁、海上保安庁、水産研究所、海洋研究開発機構、などで行われている。
地震とその直後の電力供給状況から、我が国沿岸の流れの予測計算を担う地球シミュレーターなどの高速大規模コンピューターの多くが稼働停止または稼働時間制限の状況に陥った。このことが、我が国の研究機関ではなくて、SIROCCOなどの外国研究機関がいち早く福島原発からの汚染水の広がり方の予測結果を発表した理由である。地球シミュレーターは3月末から稼働を再開している。4月中には、我が国の関係機関から、福島原発からの汚染水の広がり方の予測結果が発表されるのではないかと思う。
福島原発からの汚染水の広がり方を高い精度で予測するためには、流れの予測の他に、原発から海に流出した汚染水の量、汚染水に含まれる放射性物質の組成と濃度の情報、それらが移動する途中で、どのように拡散、消滅するのかという情報が必要である。また、魚類などへの影響を予測するためには、放射性物質の種類別、魚種別、魚類の生育段階別に濃縮される度合いの情報が必要である。しかしながら、これらの情報は十分ではないのが現状である。3月23日以降については観測資料があるとはいえ、上に述べた情報のいくつかについては、大胆な仮定を採用するほかないであろう。このことが国民に十分に伝えられるという確信を持てない研究機関が、発表を躊躇する恐れがある。3月18日付けの「東北地方太平洋沖地震に関して日本気象学会理事長から会員へのメッセージ」で「当学会の気象学・大気科学の関係者が不確実性を伴う情報を提供、あるいは不用意に一般に伝わりかねない手段で公開
7.おわりに
福島原発からの汚染水の影響を恐れるあまり、茨城県沿岸域で漁獲された魚類などの販売、購入に支障が起きている。このような人々の不安を取り除くためには、福島原発からの汚染水の広がり方と、そのによる魚類など汚染を数値モデル計算で予測・推定することが期待されている。しかし、このような推定を高い精度で行うのは、現在の世界の最先端の知識を用いても至難の業である。モデル計算結果を参考としながら、現場観測、モニターを強力
世界の海はつながっており、福島原発から海に流入した放射性物質は、海流に運ばれ、世界中の海に広がっていく。放射性物質を海に放出した国として、私たちは、この放射性物質がどのように広がって行くのかを責任を持って監視し、データを公表し続けるしかないと思う。