2010年11月14日

JSTに「科学技術と社会との対話」に関する意見を送った

科学技術振興機構(JST)が「科学技術と社会との対話(研究者のアウトリーチ)に関する検討会」におけるディスカッション内容、その他、アウトリーチ活動の意義、必要性、支援のあり方など、について意見を募集していたので、11月4日発表の「第2回検討会ディスカッション概要」について、以下の意見を伝えた。

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2010年08月09日 アウトリーチの義務化


以下、太字は概要からの引用。細字が管理人の意見

1.「議論のまとめ」について
1)研究者が対話を行うことは当たり前という「常識」を共有すること。
  第3回検討会での検討結果でより明確になるとは思いますが、この記述は漠然としていて、その真意を理解できません。
  独創性を追究する研究者の常として、「あたりまえ」とか「常識」という語句には反発心が芽生えます。
  研究者および研究に関わる機関が、社会と対話を行うことの重要性・必要性を認識して積極的に推進する状況を作り出すための方策を今後検討する。
  ということなのでしょうか?

2)研究機関の企業化や人員削減によって、研究環境の現状は疲弊が進んでいること。その改善が必要なこと。

  同意しますが、貴検討会の「提言」の枠を超えているように感じました。
  研究機関の企業化や人員削減によって、研究環境の現状は疲弊が進んでいることを考慮して、研究者および研究に関わる機関による社会と対話の推進の方策を今後検討する。
  ということなのでしょうか?

3)対話を仕事とする「サイエンス・ディレクター」の恒常的なポストを、研究機関等に設けること。

  広報担当者と「サイエンス・ディレクター」の相違が明確ではないように思います。
  三要素を満たす「サイエンス・ディレクター」は、広報担当者ではなくて、研究者であるように感じます。自分の研究分野について、三要素を満たす研究者が居るにしても、全国の研究機関等に恒常的に配置できる数の三要素を満たす「サイエンス・ディレクター」適格者が我が国にいるとは 思えません。強いて言うならば、
  「三要素を満たす「サイエンス・ディレクター」を育成する仕組みを研究機関等に設ける」
  ということになるのではないでしょうか?

2.「ディスカッションの概要」について
・研究者個人に対して対話活動を義務化するのではなく、大学や所属機関が持続的に科学コミュニケータを置けるような支援をするのが妥当ではないか。

大いに賛同します。具体的な支援内容を、是非、ご検討ください。

・全国的に束ねて組織化することは、人材や予算を集積する以上に、コミュニティづくりという観点から協力支援を得やすいという利点がある。

対話推進業務担当者の全国連絡組織を作ることに意味はあると思うが、「全国的に束ねて組織化する」とは、どういうことなのか? 対話は個々の研究者と社会との間で行われるのが理想であり、「人材や予算の集積」とは対極の業務であると考える。

・研究者自らが社会に還元していくのは理想的だが、全員が一律に十分な対話活動ができるわけではない。現実としてできない状況を知っているだけに、研究者が自らやることを前提にした議論をしても絵空事になるのではないかと強い懸念を抱く。むしろ対話活動の主体として、ファンディング機関に期待する(なぜこの研究を支援するのか説明するなど)。また対話活動の主体として、学協会も考えられる。

ファンディング機関、学協会も対話活動を行う必要があるとは思うが、社会との対話の主体は個々の研究者であると考える。研究者全員が一律に十分な対話活動を行うことを前提にした議論は確かに「絵空事」である。対話活動を行う研究者を増やす、研究者が対話活動を行うのを支援する、方策を立案することを目指して頂きたい。

・科学コミュニケータが対話活動を行うにしても研究者の協力は必須。研究者側もコミュニケータに全て任せてしまうのではなく協力する必要がある。

一方的な「発信」ならば同じだが、双方向の対話活動は、科学コミュニケータと研究者では、その目的、期待される成果が大きく異なると思う。検討会で「対話活動」の定義を確認されたい。

・総合科学技術会議の方針を元に「(高額の)外部資金を獲得した人」を前提にしているようだが、日本学術会議の科学者の行動規範によれば、科学者は社会から負託を受けて研究できるのだから、自らの研究活動について説明する努力をしなければならない。獲得した研究資金の多寡は関係ない。対話しようと努力するマインドを研究者に浸透させることが第一。

「対話しようと努力するマインドを研究者に浸透させることが第一」であることには同意するが、その根拠を「日本学術会議の科学者の行動規範」に置いても、多くの研究者を説得できないと思う。「対話しようと努力するマインド」を多くの研究者に浸透させるためには、残念ながら、倫理ではなくて、そのメリットを強調するしかないと思う。

・資源配分の効率を考えると、一人が何でもやるのは分散化して非効率、分業して専業化する方が優れる。国家戦略として科学技術を進めていくのであれば、最も効率的な資源配分方法として、専門化するのが最良ではないか。説明することを研究者全員に求めるのが適切なのか。

文化としての「科学技術」を推進する方策として、効率化、専門化を目指すことは無意味であると考える。国民の意識改革には、非効率かもしれないが、初等教育あるいは草の根的な活動でないと失敗すると思う。

・対話活動の方法の一つとして、サイエンス映像の活用が考えられる。研究者が必ずしもその場にいなくても何をやっているかわかるようなコミュニケーションシステムを構築するもの。対話の第一歩となるのではないか。

映像は一方的な情報発信であり、質問・問合せ先、関連情報、等の提示が不可欠。

・科研費「ひらめきときめきサイエンス」、振興調整費「科学技術コミュニケータ養成プログラム」など、施策として別途新たな予算措置が行われ、一定の実績を挙げている。現段階では、大学の間接経費を前提として議論を進めなくてもよいと考える。

競争的資金で対話活動を広く進めることは不可能であろう。

・3,000 万円以上の研究というと該当するのは大学のごく一部の研究で、いずれも先端科学の限られた分野である。しかし社会の関心は先端科学だけではない。大学における知識生産、その意義をトータルで伝えるべきではないか。

これは一方的な情報発信としての「広報活動」である。「対話活動」とは何かを検討会で確認して頂きたい。

・他分野の研究者や企業への説明も対話活動とすれば、それらは研究者自らが行うべき。困難だとして、研究者自らが対話活動をやること除外するのではなく、研究者自らがやるべき対話活動が何か?という提言ができたら良いと思う。

「研究者自らがやるべき対話活動」ではなくて「研究者自らができる対話活動」を提示し、その支援策を提示して頂きたい。

posted by hiroichi at 17:38| Comment(0) | TrackBack(0) | サイエンスカフェ | 更新情報をチェックする
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