「専門家」と称する人間がが勝手なことを次々ともっともらしく語るフジテレビの「ホンマでっか!?TV」を、多くの人が楽しんで見ていると思う。管理人は、その根拠もなく自信たっぷりな「専門家」たちの話し方が好きではないが、「娯楽番組としては、ギリギリ許されるかな」と思っていた。しかし、そうも言ってはいられない
なお、10月20日放送の「ホンマでっか!?TV」における脳科学についての「専門家」の発言については、ブログ「大「脳」洋航海記」でブログ主のvikingさんが10月22日付けの「いくらTV局側で但し書きをつけても、似非脳科学に変わりはない」と題する記事で詳細に批判しているので、拙記事と合わせて読まれたい。
追加資料(Togetter)
澤口俊之氏の『ホンマでっか!?TV』での発言、に対する神経科学者らの意見
1.毎日新聞掲載記事
本文を毎日新聞のウェブサイト「毎日jp」で検索したがアップされていないようだったので、以下に毎日新聞10月23日付け夕刊東京第3版2面からスキャンした記事の画像を示す。
2.本記事の悲しい所
田中里沙という、政府・行政の広報評価委員、アドバイザー、各種広告賞審査員。情報報道番組のコメンテーター、などを務め、それなりにマスコミ・広告業界で活躍し、影響力も大きいと思われる人物が、娯楽番組で「専門家」が発信した情報を、ほとんど何の疑問も持たずに、受け入れている点に、どうしようもない悲しみにおそわれた。
専門家たちの発言は、淡々とした表現ながら、根拠ある自信に裏打ちされているようで、理論展開にぶれがない。司会の明石という記述は、管理人には、詐欺の現場の記述そのものと思うのだが、筆者(田中里沙さん)は、そういう疑念を露とも抱いていないようである。屋家さんまさんも「ホンマでっか?」という突っ込みと同時に「へえ~」という感想を口にし、ゲストたちの声も重なる
番組のスタンスを「これはあくまでも一説です」とし、半信半疑でみてくれてもいいですよとしているのが大胆で、だからこそ好意的に感じるのだと思うという記述にも驚いた。「これはあくまでも一説です」という語句は、どう見ても、vikingさんのような本当の専門家からの抗議に対する言い逃れのための語句だと管理人は思う。しかし、筆者は、この語句を「大胆」な態度と受取り、「でも、見終わった後に役立つ知識が数々残る内容だった」という、出席した自称「専門家」たちの発言を、確定していない「一説」ではなくて、多くの研究者が受け入れて定説となっていると受取っているとしか思えない記述になっている。筆者は、よほど「これはあくまでも一説です」という、無責任な語句が気に入ったようである。記事の最後でも「あくまでも一つの見方として」と述べている。
3.「ホンマでっか!?TV」を視聴する際の注意点
「ホンマでっか!?TV」は情報番組ではなくて、自称「専門家」の「いかがわしさ」を面白がる娯楽番組だと管理人は思う。この番組の裏には、関西人の多くが持っている「権威に対する庶民感覚」があるように思う。明石
「常識・定説・権威を疑う」ことは、非常に重要な知恵であり、「科学の最先端の研究成果がこれまでの常識とは違う」ことを知ることに面白さを感じることは、知的探求の礎として非常に大事な生活態度である。この「これまでの常識とは違う」ことを知る楽しさに注目している意味で、本番組は良い企画だったと思う。しかし、残念なのは、出演した「専門家」の「説」が、専門家業界で受け入れられているのか否か、何が問題なのか、根拠は何か、を明示していないことである。そんなことをしたら「娯楽番組ではなくなって、視聴率を稼げない」あるいは、事前取材に要する時間と経費を考えると、「番組がもたない」かもしれない。しかし、これらの対応ができたら、素晴らしい高品質の教養番組になると思う。
研究者に市民との対話をすることを勧奨する英国のパンフレットでは、専門家が非専門家に自分の研究成果を紹介するときの注意事項として、「自説と異なる主張のあることを明言する」ことが提示されている。もしも、本番組に出演する専門家が、自分の研究分野の普及のために出演しているのならば、他の説も紹介し、自説の根拠を明示してほしい。このことを真摯に実行するのであれば、同僚を含め多くの人が、専門家と社会とをつなげる役割を担う本物の専門家と認めると思う。
拙ブログ関連記事:
2010年08月09日 アウトリーチの義務化
本番組の視聴者は、懐疑的・批判的な態度を持って、番組に対峙してほしい(本番組ばかりではなく、マスコミ、医者、弁護士、他、全てに対応することではあるが)。懐疑的な態度とは、専門家の言うことを信頼する場合には、以下の「信じるための5つのガイドライン」を肝に銘じていることである(出典は以下の関連記事を参照)。
1.調べる努力をせよ拙ブログ関連記事:
2.信念ではなく根拠に基づいて信じよ
3.根拠の強さに応じて確信度を決めよ
4.信じるときは間違っていることを覚悟せよ
5.根拠が不十分ならば保留する勇気をもて
2008年06月27日 科学の営みに必要な判断・思考力
2008年08月24日 科学技術専門家の権威
4.おわりに
記事は、番組で紹介された説の紹介(放送を見ていない読者にまで、定説でもないことを紹介している点で罪深い)の後、
不確実な時代に、自信を持った言い切りが心地よく、安心できるのだろう。と述べている。管理人ならば、この後に「しかし、番組で紹介された説は、あくまでも一説に過ぎないのだから、批判的態度をもって、注意深く、楽しみましょう。あなたが信じて、不利益を被っても、TV局は責任と取るつもりはないのですから」という文章を付け加える。
ではどうすればいいのか? それは、もうちょっと知りたくなった人に対する「寄港できる場所」をネット上に作っておくことだろうと思っています。
コメントをありがとうございます。
>もうちょっと知りたくなった人に対する「寄港できる場所」をネット上に作っておくことだろうと思っています。
WikipediaやYahoo知恵袋などがこの役目を担おうとしていると思います。しかし、それよりも、一人でも多くの専門家が各々の分野について、種々のレベルの解説・説明をネット上で行うようになることを私は、願っています。
>最後の一文は、たとえ入れたとしても効果はあまりう期待できないであろうと感じています。人には代表性バイアスがありますので。
私は、「効果はあまり期待できない」にしても、機会のあるごとに、言及するしかないと思って、誤解を招く報道などに気付いた際に情報発信を続けております。
なお、どういう意味で「代表性バイアス」が関係するのか、上の文脈を理解できませんので、ご教示いただければ幸いです。
> どういう意味で「代表性バイアス」が関係するのか、上の文脈を理解できません
TVを見ている多くの方は、その問題について深く考えることはしません。これは批判というより、まあ、お気楽な時間の過ごし方としてTVを見るのが普通なので、仕方ないでしょう。
それゆえ管理人さんが、ちょっと考えてみよう、という方向性を提言しても、多くの人には、その言葉は届かないであろう、ということです。そして、そうした人にとって、手軽に想起できる情報として、TVの内容がすり込まれているわけですから、ある別の機会で、その問題が話題に上がった時に、「そうそう、そういえばTVでこんなこと言っていたわよ」という形で情報が使われる、ということです。これを指して、代表性バイアスという言葉を出しました。
管理人さんの地道な取り組み(点)が、線となり、また面となり、広がることを期待しています。
ご丁寧なご説明をありがとうございました。
ネットで検索したのですが、ヒットした解説のどれもが、今回の状況と直接つながる説明とは思えなくて、、お尋ねした次第です。
槿花さんのご説明でようやく理解できました。
>管理人さんの地道な取り組み(点)が、線となり、また面となり、広がることを期待しています。
励ましのお言葉をありがとうございます。
今後とも、宜しくお願いします。
>なんかひがみに聞こえてしまいます
このままでは、ご返答できません。
どこに「ひがみ」を感じるのか、具体的な箇所をご指摘ください。
上のワードで検索していたら当ページにたどり着きまして、記事を拝見させていただきました。
学者様とお見受けしますが、いくらか意見を述べさせて頂きたく書き込ませていただきます。まずは長文であることをお許しください。
最初に
上のコメントの「ひがみ」について、私なりにフォローさせてください。あなたのご指摘は至極理にかなっていると思います。あの番組で提示される情報には、ガチガチの専門畑で活躍されている方にとって苦言を呈したくなるような内容も多々含まれていると思います。
ですが、
それは別にあなただけではなくて、この番組を楽しんでいる一般視聴者にとっても「至極当たり前」な事実なんですよね。
あなたが指摘されるように、(端的に言えば)「権威に茶々入れる」ことがこの番組を楽しむ肝ですよね。というか、それができないと、評論家さんのあやふやな説にイライラし、またはさんまやタレントの評論家イジリにイライラしたりと、まともに楽しめないと思います。
そんな番組でも視聴率は平均して12、3%をとっています。それなりにこの番組の方針が一般に支持されているということを示しているのではないでしょうか。
果たして、番組を支持する視聴者はこれを情報番組と解して観ている堅物な方ばかりでしょうか。肩の力を抜いて「アホやな」とケラケラ笑ってる人が大半じゃないでしょうか。
多くの視聴者にとって「今更?」と思われるようなことをこれ見よがしに指摘しているところが衒学的で、投稿者さんの鼻についたのではないかと思います。
放送時間中に「2ちゃんねる」や「ニコニコ実況」「twitter」などで当番組を実況しているので、一度それを拝見することを強くおススメします。アクが強いですが、しっかり「権威に茶々入れて」番組を観ている様子が窺えると思います。
あなたが危惧する程に視聴者はバカではないですよ。
もしも「ネットの言論など考慮に値しない」とお思いなら、一度お近くの一般の方に直に聞いてみてもいいと思います。
そんなに悲観されるような事態ではないことがお分かりになると思います。
次に、引用された記事について、
あれが本当にご本人の意図が100%反映されたものだと言い切れますでしょうか。
まず一般向けのコラムであるということ。
確かに文責は田中氏ですが、コラムとして掲載されるまでには毎日新聞の担当者など複数の方が関わっていると思います。多方面の方々とテーマをはじめ打ち合わせを重ねて、ようやくコラムとしてアウトプットしているはずですよね。
そういう仕事の人間関係の中で、田中氏一人の番組批判の牙も余り発揮できなかったのでは?
また田中氏はマスコミ業界で影響力の強い方なんですよね。もしかしたらフジテレビ関係者とも関係が深いかもしれません。心情的に、あまり批判的な書き方はできなかったのではないでしょうか。
むしろ宣伝会議の編集室にいる人間だからこそ、番組を批判的に観るというよりも、番組がいかに世相を反映しているのか、現代にとって意味があるのかを強調するのもわかるような気がします。(言ってみれば、番組PRの延長ですよね。)
という可能性もありえるのではないでしょうか。本当かどうかは本人の心の内にあるので、わかりかねますが・・・
またテレビ評と銘打っていますが、それが本当に批判的に論じられているのか、ただのPRに終始していないか、果たしてどうあるべきかも模索していくべきですよね。これについては、一般人の私よりも評論の仕事により近い所にいらっしゃるあなたのような学者様に期待する他ありませんが・・・・
閑話休題
要は、メディアに載った文章だけで、田中氏の意図が100%番組を礼賛しているとみなすのは余りに早計ではないかということを申し上げたいと思います。あなたの議論の前提からして疑うべきところは残っていると思います。
また読者は彼女の意見をそのまま鵜呑みにするでしょうか。番組に出演されている評論家さんと同じく、「そんな大げさな」とか「ハイハイ」とか「所詮同業者のよいしょだ」とか、そんな感じで観ている人も少なくないと思います。
こういうマスコミ業界人同士の「傷のなめ合い」「褒め合い」も含めて、大抵の視聴者・読者は「バカだなぁ」とか、それこそ「ホンまでっか?」と思いながら眺めているのではないでしょうか。
以上の話は「所詮仮定の話に過ぎない」とバカバカしく思われるかもしれませんが、こういう可能性も頭の片隅に置いて、包括的にマスコミに接していくことがこれからのテレビとの付き合い方に重要になると考えているので、あえて述べさせて頂きました。
最後に、私はマスコミ業界とは無縁のメーカー勤務の会社員であることを伝えておきます。一般視聴者の意見として聞いていただけると幸いです。
長文失礼しました。
コメント等に関するいくつかの補足と、意見を述べさせていただきます。
>WikipediaやYahoo知恵袋などがこの役目を担おうとしていると思います。しかし、それよりも、一人でも多くの専門家が各々の分野について、種々のレベルの解説・説明をネット上で行うようになることを私は、願っています。
という点ですが先日、東京大学史料編纂所教授の保立道久氏(等)の講演を聞く機会がありまして、(詳細↓は下記アドレスにて「図書を育てるのは何? 文化と編纂」)
http://www.hakodate150plus.com/news/2010/11/post-194.html
ここで保立氏が、学者と図書館、そして市民が連携し、「知」を共有する「外部脳」のようなものを作ったらどうだろうか、という提案をされていました。無論、この案の前段としましてはWikipediaや知恵袋があるのでしょうが、そこに市民が関わることで、「地域に根ざした知」、そしてこの情報は世界規模で共有することが出来、誤情報は淘汰される。そのような主旨のお話でした(解釈に間違いがあるかもしれませんが)。
但し、保立氏の専門が歴史学でありますので、科学的領域の「知」の扱い(特に地域性など)とは相違があるかもしれませんが、私個人としては、研究者の卵の一人として、非常に壮大かつ胸躍る提案でありました。
そして、このような「外部脳」が出来たら、学者と市民の距離が近くなり、良くも悪くも「ホンマでっかTV!?」のネット版のようなものも可能なものかもしれないと思いました。ネット上で、他分野(もしくは同分野でも)の学者同士が喧嘩しあってるのも見れて、「知」も充実する。そのような、「知」のプレゼンスの仕方も考えるべきではないかなと考えます。
などと考えつつ、管理人様が保立氏の提案に協力して下さったら良いのに・・。という願望がコメントの内容の一つ。
そしてもう一つ、個人的な意見としましては、人々に各分野の内容を知ってもらうということが、ホンマでっかTV!?の一つの意味なのではないかと考えます。
私もマイナージャンルの研究をしているのですが、研究しつつ考えることは、一般の人々にどうやったらわかりやすく、興味を持ってもらえるように伝えれば良いのか、ということです。
そんな時、「失礼ですが、海洋学の何が面白いのでしょうか?」なんて質問に対して、斯く斯く然然が面白くして・・などと伝えるよりは、いくつかの事例を話した方がわかりやすく、具体的に伝わるわけで・・。
その極端な例がホンマ~なのかな、と私は考えています。
またそこで、誤情報が流れることが問題だと考えられているようですが、ロブさんと同じく、そこまで視聴者はバカではないだろうという意見が一点と、誤情報も含めた全ての歴史が、その分野の面白さだろうと私は考えます。人々がどういった部分から、その学問に興味を持ち、支援者になるかはわかりませんし、そうして、誤情報から深入りしてしまった人々には、ちゃんと研究者が、修正された知識を与えれば良いのではないかと思います。
学問をどのようにプレゼンすれば良いのか、そういった問題点をも提示する。ホンマでっかTV!?はそういった番組でもあるのではないでしょうか。
・・・と。つらつら、まとまりのない長文で申し訳ありませんでした。
貴重なコメントをありがとうございました。
>要は、メディアに載った文章だけで、田中氏の意図が100%番組を礼賛しているとみなすのは余りに早計ではないかということを申し上げたいと思います。
私も、「肩の力を抜いて「アホやな」とケラケラ笑ってる人が大半」と思っていましたが、田中氏の記事は「情報番組と解して観ている」視点が強調されていると捉えたために、批判的に紹介しました。
どのような裏事情があるにせよ著名記事の責任は筆者にあります。文章に明示的に記述されていないことをあれこれ忖度して議論しない、というのでは、各人の主張、考え方の相違について理解し、相互の理解を深め、合意を形成することはできないと思います。異論・反論を表明しあい、誤解に基づく異論・反論に対して、誤解であることを指摘する、あるいは補足説明をすることで、理解が深まると思います。表面的な暴論(建前)の裏(本音)を考え、反論しないのは、暴論を容認することになります。このような事態、社会は忌避したいと私は考えています。議論することが大事と思っています。
>多くの視聴者にとって「今更?」と思われるようなことをこれ見よがしに指摘しているところが衒学的で、投稿者さんの鼻についたのではないかと思います。
投稿者さんの説明を直接お聞きしないと何とも言えませんが、ロブさんのご説明では、「なんかひがみに聞こえてしまいます」というコメントの説明とどのように結びつくのか理解できません。
ひょっとして、ロブさんの「文章に明示的に記述されていないことを忖度」すると、
「TVに出演したい」と思っているに違いない
ー>
「TV出演者がうらやましい」と思っているに違いない
ー>
TV出演者を「これ見よがしに」批判している
という印象を受けるということでしょうか?
なお、どこが「衒学的」なのでしょうか?
>あなたが危惧する程に視聴者はバカではないですよ。
ロブさんのように田中氏の評論を信用しない方は、本記事をご覧になる必要はないと思います。
>もしも「ネットの言論など考慮に値しない」とお思いなら、
私は「ネットの言論など考慮に値しない」と思っていないからこそ、他のブログ記事なども引用しながらブログで発言しております。
>またテレビ評と銘打っていますが、それが本当に批判的に論じられているのか、ただのPRに終始していないか、果たしてどうあるべきかも模索していくべきですよね。これについては、一般人の私よりも評論の仕事により近い所にいらっしゃるあなたのような学者様に期待する他ありませんが・・・・
ちょっと混乱してしまいます。「模索」の一環として、田中氏の文章を批判的に紹介したつもりでしたが・・・ また、私は、海洋学の専門家ではありますが、上の問題については、専門家ではありません。
なお、ロブさんは、ある種の意味を込めて「学者様」という語句を使用されていると推察します。その含むところを明示して頂ければ幸いです。
>一般視聴者の意見として聞いていただけると幸いです。
一般視聴者のお一人のご意見として、拝見いたしました。
コメントをありがとうございました。
>管理人様が保立氏の提案に協力して下さったら良いのに・・。
図書館を含めるのは初めてお聞きしましたが、「「知」を共有する「外部脳」のようなものを作る」というような構想は、既にいくつかあると思います。海洋学分野については、私が所属する海洋学会教育問題研究会で双方向ウェブサイトの立ち上げが検討されています。保立氏の構想との連携も可能と思います。個人的には、内容と質の確保するためのシステムをどのようにするのかが肝だと思っています。
>一般の人々にどうやったらわかりやすく、興味を持ってもらえるように伝えれば良いのか、ということです。
長期的には初等・中等教育における科学教育改革(知識・暗記偏重から探求型科学教育へ)に取り組むことが必要だと思います。また、短期的には、「科学の営み」についての知識の普及について、できることを何でもするしかないと思っています。なお、「科学の営み」でいう科学とは理数系に限定したものではなくて、合意形成・相互理解・真理探究についての基本的な考え方・方法というような意味です。
拙ブログ関連記事:
http://blogs.dion.ne.jp/hiroichiblg/archives/7835985.html
http://blogs.dion.ne.jp/hiroichiblg/archives/8059537.html
番組タイトルで明確に示されたスタンス。
知識を疑いながらどう取り入れるか、情報が氾濫する時代ならではの悩ましさを楽しみながら掘り下げていける、良い着眼点で制作されていると感じました。
> 本当の専門家からの抗議に対する言い逃れ
「一説にすぎない」という但し書きは、もちろんクレーム対策の役割も担っているでしょう。
しかしながら、印象深い話をただ盲信させる事が目的で、言い逃れのためだけにこれを用いてるとするならば、「ホンマでっか」という疑いを誘う表現をタイトルに採用するでしょうか。
専門家のコメントをただただ一方的に流し続ける構成ならば、管理人さんの批判ももっともだと思います。
ところが実際には明石家さんまさんをはじめとしたタレントの方々が、それぞれの考えを基に同意したり懐疑したりと、自由な態度で場を盛り上げる事が許された空間になっています。そこには断定的な論調に盲従する卑屈さはありません。
引用されている毎日新聞の「テレビ評」は、番組の意図を理解した上で、何故視聴者から人気を得る事ができたのかを、わかりやすく紹介しているという感想を抱きました。
> 詐欺の現場の記述そのもの
詐欺の技術には、選挙の演説や心理学に基づいた誘導のように他分野を発祥とするものがあります。犯罪者が用いた技術は穢れているのでしょうか。
状況が類似するからといって、相違点を無視して悪印象を抱くの事もいかがなものかと思います。
それこそ犯罪行為とひとくくりにしていいものか、慎重に疑ってかかってもよろしかったのではないでしょうか。
長々と失礼しました。
コメントをありがとうございました。
>知識を疑いながらどう取り入れるか、情報が氾濫する時代ならではの悩ましさを楽しみながら掘り下げていける、良い着眼点で制作されていると感じました。
拙記事の中で、
この「これまでの常識とは違う」ことを知る楽しさに注目している意味で、本番組は良い企画だったと思う。
と述べているように、ロコモコ茸さんの上のご意見にはほぼ同意します。
>引用されている毎日新聞の「テレビ評」は、番組の意図を理解した上で、何故視聴者から人気を得る事ができたのかを、わかりやすく紹介しているという感想を抱きました。
本記事を書いた理由は、ロコモコ茸さんとは全く逆の感想を抱いたからです。ロコモコ茸さんのおっしゃるように番組の姿勢は「そこには断定的な論調に盲従する卑屈さはありません」ということであるにしても、「テレビ評」では「専門家の発言」に何の疑いも示していません。このことは深刻な問題だと思いましたので、「専門家の発言」を丸呑みしないように、あえて拙ブログで言及しました。
>最後に、私はマスコミ業界とは無縁のメーカー勤務の会社員であることを伝えておきます。
個人としていくらでも情報を発信できるインターネットの中で、
申し訳ないけどいい年してみっともないと素直に思ってしまう。
(こういった方はインターネット上での自立が困難なのだろうか。)
でもvikingさん(?)の意見に「それは間違いだ」と言う人もいるでしょうけどね。それと、もっとたくさんの権威のある人達の意見をまとめてからのほうが同意を得やすいと思いますが。数が少なすぎるので、今の時点ではどちらもどちらかと。
私自身は、学問的な事から
かけ離れたような世界で
毎日過ごしておりますので、
雲の上のような存在の
偉い学者さん達を(あくまで錯覚ですが)
身近に感じられる楽しい番組だなぁと
軽~い気持ちで見ています。
情報的な部分はあくまでも
エンターテイメントという感じで
半信半疑ですが、子供には
あまり見せたくない…と正直思っています。
そういった方面の勉強をしたいと
思うきっかけになればよいかもしれませんが
テレビ的な演出というものを考慮しないで
何でもそのまま受け止めてしまう
素直で純粋な子供には
「あくまで一説です」という言葉は
弱すぎると思います。
うっかり子供とこの番組を
見てしまった時には「嘘かもしれないよ~」を
ついつい連発してしまっています…
2011年01月06日 00:12ご投稿のロブさんのコメントについてのご感想をありがとうございました。
私は、いろいろなお考えの方々との本ブログのコメント欄での議論を通して、議論の対象について理解を深めあうことに喜びを感じております。この意味で、単なる個人的、感覚的な感想ではなくて、より建設的なご意見をお願いします。
インターネットによって、多様な価値観を有している人々の間で相互理解が深まることを願っています。
>そりゃ、いろんな意見があるでしょうね。
>:
>今の時点ではどちらもどちらかと。
「科学の営み」は「いろいろな意見(仮説)について、実験・観測結果などを根拠に議論して、より矛盾のない共通認識を構築する過程」であり、各々の仮説を「どちらもどちら」という扱いはしません。その判定は、権威者の多数決ではなく、実験・観測結果によって行われます。大多数の専門家が同意して「定説」となった仮説であっても、その後の観測技術の発展などによって否定される余地があります(定説を絶対不可侵な説とすることはあり得ません)。
定説となっていない仮説を定説であるかごとく述べたり、根拠を示さずに他の仮説を否定することは、「科学の営み」ではないと考えます。
貴重なコメントをありがとうございます。
>難しい事は全然分からない専業主婦ですが…
とんでもない。コメントを拝見して、しっかりと生きる知恵を身に付けられた立派な母親でおられると感服いたしました。
>雲の上のような存在の偉い学者さん達を(あくまで錯覚ですが)身近に感じられる
「分からないことを調べることを職業としている学者」を「雲の上のような存在」と思われるのが、それこそ「錯覚」です。ノーベル賞を受賞したような「偉い学者」であっても、専門外のことには素人であり、間違いを犯すこともある一人の人間です。
>うっかり子供とこの番組を見てしまった時には「嘘かもしれないよ~」をついつい連発してしまっています…
是非、この視点を失わずにいてください。さらに、是非、お子さんとご一緒に「分からないことを調べ」てみてください。きっと、新たな世界が広がると思います。
みゆきさんのコメントから、ブログで発信を続ける力を頂きました。ありがとうございました。
「素晴らしい高品質の教養番組になると思う」というのはおかしな話で(冗談で書いているのでしょうか?)、あれは単なるバライティ番組で、それが教養番組になるわけないし、それを期待するのは相当的外れなのではないでしょうか。
テレビを信じてる人はすでに・・・
すべては自己責任ですよ。この世界はすべて。
ネットの情報だって根拠がないものが多数ベストアンサーになっていたりするので、なにが正しいかなんて、その人の価値観になっている。
元々真理だとか、根拠だってその人間がいないと何の意味もなさないただの落書きにしか過ぎないのだから。
自分で何が正しいかを自分の中で見つける良いきっかけになると思いますよ。
それって本当なのかな?って思う気持ちが芽生えればの話です。
こういう、反論する記事は個人的に大好きですよ^^
私は、学の無いシングルマザーです。
マスメディアに対し不満を持つ気持ちわかります。
友人の言葉を借りると「マスメディアは、事実は伝えるが真実は伝えない」です。
名前を載せる記事は、記者の責任ですが……
一般市民が、「知識になる番組だ」と考えていた場合、事実を伝えた事になります。しかし、真実は伝えていません。
これは、ホンマでっかtvにも言えると思います。 こんな論文がありました程度で、出演している教授陣の専門ではなく根拠がない。
論文がある事は、事実。
専門外な事は、真実。
番組や記事を批判し、その根拠だけ書くのではなく「マスメディアとは?」から説明した方が良いと思います。
「えー?TVで言ってるから本当なんでしょー!」と考える人が、コラムや番組を信じてしまうので…
ご助言をありがとうございました。
>友人の言葉を借りると「マスメディアは、事実は伝えるが真実は伝えない」です。
「事実」と「真実」の定義が人によって異なる場合もあり、何が「事実」で、何が「真実」なのかを判断するのはかなり難しい問題だと思います。
>番組や記事を批判し、その根拠だけ書くのではなく「マスメディアとは?」から説明した方が良いと思います。
「マスメディア」についての認識も人によって異なります。私が示す「マスメディアとは?」について異論がある読者は、それ以降の解説を読まなくなることを危惧し、記事や番組で報道された内容が誤りを含んでいる場合に、その誤りを指摘し、追加説明することで、報道された対象についての誤った理解の広がりを止めることを優先して、「マスメディアとは?」を説明せずに、情報発信しています。
混乱を招く言い方かもしれませんが、「事実」を伝えることに重きを置き、私の価値観を含むことを記述する場合には、そのことを明示するようにしています。
何かの折に「マスメディアとは?」を論じたいとは思っております。
数学者と医学者とで統計の解釈が異なるのは生業が異なるので当たり前の事実として科学者であれば受け止められていますが、トゥギャッターのリンクでは相手の立場を全く踏まえず、単に自説が優れていてほんまでっかの学者の意見は間違っているといっているだけではありませんか。
一応、そこでは根拠らしきものを提示していますが、バイアスの域を超えないもので、某脳科学者の意見を否定できるだけの学術的根拠とは呼べません。
率直に申し上げて、多様性を間違っていると断ずるのは、人格面でもコミュニケーションスキルでも研究において必要なリサーチ面でも、ほんまでっかに出演されている権威より明らかに劣っていますよ。
論争であれば誰でもやっているであろう批判にたる材料の提示をおざなりにして、出演者及び権威をエセ学者と罵っても、客観的に見て、相手にされるレベルの指摘、批判ではありません。
専門家の専門外の意見の揚げ足をとられているようですが、専門家でなければ意見をはっきり表明することもできないというのはいかがなものでしょうか。
何のための議論かわかりかねます。
あなたがたのようなマスコミ批判は、だいたいマスコミを毛嫌いしておきながら、政策や実務に携わっていないコメンテーターの取るに足らない意見を過剰に重要視しているのですが、それは歪だと思いますね。
マスコミの影響よりも政策実務レベルで実際に進行している法律や計画を取り上げてみてはいかがでしょうか。
あなたがたはマスコミ批判をしているようで、実際はマスコミの情報をかえって過大視し、マスコミを発端とした求心力が普遍的にあるかのようにネットユーザーを信じ込ませているものとも受け取れますので、あなたがいわゆるたもマスコミの報道しない真実を覆い隠すベールの一部になっていることに気付いてもらいたいものです。
地球温暖化によるサンゴ礁の死滅の影響力に伴うスバル水没の事実は変わりません。
もし彼が環境省などの政策実務レベルで関わっているならまだしも、
環境省の官僚は彼と違って優秀なので、温暖化に向けて武田の大好きな人を殺せる原子力発電所一辺倒はやめて、再生エネルギーの導入、石炭発電所でのバイオマス混焼の取り組みを推進しているでしょう。
学者さんは学者の影響力と手じかにあるテレビの影響力を取り上げがちですが、はっきりおって知識人と知識人におんぶにだっこのメディアなどのサポーターやあなたのような反対しているようで実際は盛り上げ役の常識人ぶった学者らの言葉や見識などは相手にされていないので心配するに及びません
3件のコメントをありがとうございました。
いろいろ所用が山積していたため、ご返事が遅くなりました。
いただいた3件のコメントを拝見しましたが、結局、さいべすさんが何をおっしゃりたいのか、私には良くわかりませんでした。私なりに、最後のコメントから推察すると、
テレビに出ているような知識人と知識人におんぶにだっこのメディアなどのサポーターや、メディアを批判する常識人ぶった学者らの言葉や見識などは、優秀な官僚には相手にされていないので、管理人が、あれこれ、心配して、発信する必要はない
ということで、よろしいでしょうか?
もし、そうであるならば、私が本記事で読者に伝えたかったことが、さいべすさんには伝わっていないようです。
私の言いたかったことは、以下の一節に凝縮しています。
本番組の視聴者は、懐疑的・批判的な態度を持って、番組に対峙してほしい(本番組ばかりではなく、マスコミ、医者、弁護士、他、全てに対応することではあるが)。
ここで、「全て」には「優秀な官僚」も含みます。
もし、さいべすさんがおっしゃりたいことについての上に述べた私の推察が違っているのでしたら、お知らせください。
記事を書いてくれてありがとうございました。
約10年前の記事にコメントをありがとうございました。
「なんというか本質は変わらないのだなと、自分が面白くなりました」というお言葉、深い意味がありそうなのですが、良く分かりません。詳しいご説明を宜しくお願いします。
まず最初に、私も同様な所感であるため、検索で貴殿のブログにたどりつきました。
実は私の同居人がよく同番組を見ております。
ただ、私は一般的に見て読書量や、各種ニュース・論文などを
読む量がかなり多い方です。(言語問わず)
そこで「いや、今の基本的に違いますよ」というような
意見をどの根拠に基づいてそう言えるのかということを
テレビを見ながらよく言うのですが非常に疎まれます。
というのも同居人はそれが「事実」であると思って
見ているからだそうです。
よっていちいち「否定」しにかかる私が疎ましいとのことでした。
貴殿のおっしゃっている危惧は間違っていません。
このような状況下(コロナ禍)ですので
ご自愛ください。
こうして、古い記事にコメントを頂けると、
ブログを続けてきて良かったと、
つくづくと思います。
ありがとうございました。