2010年09月27日

加古里子絵・著「海」出版から40年

かって寄贈されたはずの本を我が家の本棚で探していて、加古里子ぶん/え「海(福音書店、1969年発行)」があるのを見つけた。1993年3月印刷の第40刷版であった。息子が小学生低学年の頃に我が家で購入したらしいが、管理人が推奨した覚えはない。読んでみると、干潟から始まって、生物の話を主としながら、漁業、海洋開発、海底地形、太平洋、海洋調査とその歴史、南極、大西洋、北極で終わる豊富な内容で、潮汐、黒潮、潮目も言及あるいは図示されている。子供向けに「ひらがな」での記述とはいえ、専門的過ぎるとも思えるプランクトンや主な海洋調査船、潜水艇の名前まで記載されており、その最後は「あなたも うみをしらべて たんけんして、そして うみをすきになってくださいね。」という言葉で終わっている、素晴らしい内容の絵本であった。

この本は、今でも高い評価を得ているようで、最近でも2010年1月13日付けで、鉄盾さんが優れた書評をamazonのカスタマーレビューに寄稿している。とはいえ、本書の内容は発行された約40年前の海についての知識の状況を反映したものである。以下は、本書を子供に読み聞かせるお父さん、お母さんのための、その後の発展についての簡単な補足など。

1.気象・気候との関係
本書を一読して気付いたのは、p33で「きしょうえいせい」、「たいふうのたまご」、「たつまき」を示している他には、気象・気候と海との関わりについての記述がないことである。本書が発行された1969年といえば、管理人が大学2回生で、地球温暖化問題は、まだ大きな話題になっていなかったことを思い出す。

エル・ニーニョがペルー沖でのイワシ漁獲量の激減を招き、その結果、イワシ魚粉を肥料とした大豆生産量の減少と関連して大きな話題となったのは、1972年のことだった。この東部熱帯太平洋に発生したエル・ニーニョが世界各地の異常気象と関連していることが明らかになったのは、そのずっと後年のことであった。

海と大気との関係(大気海洋相互作用)は、気候変動あるいは中・長期気象予報の精度向上のために、現在も、研究が進められている。最近も、9月10日付けの毎日Jpで「異常気象:本州北部沖の海水温高いと猛暑 海洋機構が調査」と題する記事が掲載された(参照:海洋研究開発機構のプレスリリース「日本近海の海面水温異常が日本の夏に強い影響を及ぼす事を発見 ~偏西風を北上させると猛暑に、偏西風を南下させると冷夏に~」)。

拙ブログ関連記事:
2010年7月11日 NEWTON SPECIAL「よくわかる海と気象」

2.観測
本書のp30と31には、各種の海洋観測手法が、1960年代までの主なの海洋観測船とともに示されている。現在も使われている機器もあるが、その多くは、この40年間の海洋観測技術の飛躍的な発展により、大幅な改良が加えられている。

特に水中音響計測技術の発展により、海底地形を面的に調査することが可能なサイド・スキャン・ソナーや、海底に設置した深海係留機器を1年以上経過した後で回収することを可能にした水中音響切離装置、海中での位置を正確に測定することを可能とする水中音響ビーコン、1000mまでの流向・流速の分布を航走中の船から測定できる音響ドップラー多層流向・流速計などが開発された。また、海の表層の流れや色、水温の分布の観測には人工衛星リモートセンシング技術が使われている。

拙ブログ関連記事:
2008年02月03日 表層海流調査の歴史
2009年01月12日 海流調査用ロボット「ニモ」の漂流事故?
2009年06月16日 「海のコンベアベルト」と水中漂流ブイ

3.海の流れ
本書では生物の記述はかなり詳しいが、流れについての記述はほとんどない。これは、1960年代には、流れを高い精度で観測する技術が十分に発展していなかったためであった。

深層循環の標準理論であるストンメル・アーロンス理論が発表されたのは1960年であった。本書が発行された1960年代末には深海流速係留観測技術も確立せず、深層循環の存在は理論的予想の域に留まっていた。また、ブロッカーが深層循環と表層循環を含む海洋大循環(海のコンベアアベルと)を発表したのは1980年代であった。

それまでの黒潮についての知見の集大成が行われたのは1972年であり、その後、黒潮流路の二重性の概念が提唱され、数値モデル研究が盛んになった。今日では、人工衛星搭載海面高度計データ他を用いたデータ同化数値モデル計算により、日々の黒潮流路が発表されるようになった。

関連ウェブサイト:
海上保安庁海洋情報部 海洋速報&海流推測図

3.物質循環
本書では、海水中に溶けている化学物質についてほとんど触れていない。「ぷらんくとんは うみの みずにとけている えいようと たいようの ねつと ほかりによって そだちます」と述べているが、その「えいよう(栄養塩)」がどこから来るのかということは述べていない。

先日の網走での海洋学会の期間中に小学校で行われた出前授業を参観した経験では、海のことで子供たちが抱く疑問の第1は、やはり、「なぜ、海の水は塩辛いのか?」のようである(答はここ、他)。

海水中に溶けている塩類の起源や栄養塩の循環(植物プランクトンの取り込み、糞粒や死骸としての表層から下層への沈降、涌昇による下層から表層への移動)ということを示すことで、海の中の生物、化学物質、流れがつながっていることを伝えることができたらよかったと感じた。

4.おわりに
本稿の作成して、改めて加古里子の科学コミュニケーターとしての資質の素晴らしさを認識した。Amazonサイトの本書のページの「出版社 / 著者からの内容紹介」では、
身近でありながら、今なお、多くのなぞを秘めている海。この海にすむ動植物から未来の海中農業、海底開発まで、海の持っているすべてを総合的に整理し、こまかく描きこんだ絵本図鑑。
読んであげるなら:5・6才から
自分で読むなら:小学低学年から
と記載されている。しかし、それにしても、かなり高度な内容である。各ページには詳細な説明が必要と思われる専門用語が、数多く、説明なしで記載されている。小学生低学年向けだからと安易に説明を加えることをしないところに、子供の持っている知的探求心、想像力への信頼を感じる。

本書の巻末で、加古が《「海」にこめたもの》と題する節で述べていることを要約すると以下の3点である。
1)海を部分ではなく全体像として示す。
2)海の有機的な様相、動的な関連性を総合しつつ整理し、一段進んだ理解を得たいと試みた
3)海の調査開発研究に取り組んだ先人の業績・精神を学びとり、海洋の今日的意義を感じるよすがとして欲しかった
海洋学研究者として管理人もこれらの想いを共有して、本ブログで発信を続けたいと思う。夢物語ではあるが、何とか、どなたか協力して、「海、2010年版」のような絵本を出版したくなった。
posted by hiroichi at 02:38| Comment(1) | TrackBack(0) | 海のこと | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
かこさとしさんが、5月2日にお亡くなりになった。
訃報に接し、改めて本記事を読み、海洋教育普及活動への想いを新たにした。
ご冥福をお祈りします。
Posted by hiroichi at 2018年05月08日 12:12
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