「海水温」と「海流」をみればと大々的に書かれている。また、そのウェブサイトでは
よくわかる気象
台風,モンスーン,エルニーニョなど
すべては「海」が引きおこす
海があるおかげで地球の環境はおだやかに保たれている。と述べているように、本特集記事は、主として気象に果たす海の役割を全34ページの詳細な記事とイラストで解説している。ニュートン編集部の福田伊佐央さんが担当して、それなりに良く考えて書かれた記事だとは思う(もちろん、イラストは素晴らしい)。しかし、専門外の人に説明する専門家の立場から本特集記事を読むと、その構成や一部の記述に、違和感を感じる。以下は、その勝手な感想と記事の補足。
一方で,海は台風を生み,砂漠をつくり,ときに異常気象を引きおこす。
海はなぜそんなに大きな影響力をもっているのか?
1.記事の構成
本特集記事は、海洋全体ではなくて気象に及ぼす海洋の役割、あるいは気象と海洋との関係の解説に主眼を置いている。「気象に及ぼす海洋の役割」を解説する際には、いろいろな切り口が考えられるが、本特集記事は以下のような構成となっている。
トビラ:よくわかる 海と気象。トビラでは「海が持つ重要な性質と、さまざまな気象現象に影響をあたえるしくみを見ていこう」という文章で、本特集の目的を、赤道域の大気海洋相互作用の模式図とともに示している。この模式図よりは、気象を支配する大気循環の基本像(例えば、海洋と大陸の影響を受けない場合の偏西風、貿易風、ジェット気流)を図示し、それらの空間、時間変動が海と関わっているのかを見ていくという視点での説明があると、より良かったように思う。
プロローグ:海とはどのようなものか?
プロローグ:海面水温と海流
PART1:海流(1) 黒潮と海面の高低差
PART1:海流(2) 海流ができるまで
PART1:海流(3) 熱の運び屋
PART2:海の熱エネルギー(1) 海水の性質
PART2:海の熱エネルギー(2) 台風
PART2:海の熱エネルギー(3) モンスーン
PART2:海の熱エネルギー(4) 海と砂漠
PART3:表層と深層(1) 沿岸涌昇
PART3:表層と深層(2) 赤道涌昇
PART3:表層と深層(3) エルニーニョ現象
PART4:海と大気の連鎖反応(1) ENSO
PART4:海と大気の連鎖反応(2) ダイポールモード
PART4:海と大気の連鎖反応(3) エルニーニョ予測
エピローグ:海の未来
参考:異なる緯度間での大気循環の模式図(ウィキペディア)
2.プロローグ:海とはどのようなものか?
この節の副題は「どうして海は気象を左右するのか?」である。「かぎをにぎるのは、圧倒的な水量と温度変化の少なさ」として、地球規模の水循環(海からは、大量の水蒸気が蒸発し、大気に供給されている)ことと、海の温度の幅は30℃程度であること(数百メートルから1000メートル以下の下層の水温は5℃以下)であることを強調した後、「薄い表面の層でおきる水温の変化や大気とのかかわりが、気象現象に大きな影響を及ぼすのだ」という言葉で終わっている。
「圧倒的な水量と温度変化の少なさ」は海についての基礎知識ではあるが、それが「気象現象に大きな影響を及ぼ」しているカラクリの直接的な説明にはなっていない。この節で「どうして海は気象を左右するのか?」という設問に答えるためには、すくなくとも、海面での熱・淡水交換過程を通して海が気象に大きな影響を及ぼしていることを述べる必要がある。この意味で「PART2:海の熱エネルギー(1) 海水の性質、ばく大な熱エネルギーで海は大気を動かす」の内容の一部をここで述べた方が分かり易かったのではないかと思う。
3.プロローグ:海面水温と海流
この節の副題は「海の温度が世界の気候を決める」である。しかし、その内容は、直接、「海の温度が世界の気候を決める」理由に言及せず、「たとえ緯度が同じでも、海面の水温は大きくことなる」図を大きく示し、その原因が「海流」であると言われているとして、次の、海流の話に繋げている。このように内容と副題が大きく乖離していることは、読者にはどこか納得できない違和感を抱かせるのではないかと思う。海流と水温および水温と気候の関係は「PART1:海流(3) 熱の運び屋」で詳述されている。この意味で、海流(3)の挿入図を本節で示した方が良かったように思う。
4.PART1:海流(1) 黒潮と海面の高低差
この節の副題を「何が「黒潮」をつくりだしているのか?」としている。「海は水平ではなく、太平洋には1メートル以上の高低差がある」として、「海面高度差が黒潮をつくりだしている」というストーリーになっている。この説明は便宜的なものであるが、誤った印象を読者に与えてしまうことを危惧する。
黒潮のように流速が数m/sで数日程度の時間では大きく変化しない、大規模な海流は、コリオリ力(北半球では流れの下流に向かって右直角方向に働く力。地球自転の影響による「見かけの力」)と圧力傾度力(圧力の高い方から低い方へ向かう力)が釣り合っている流れ(地衡流)で近似できる。この場合、圧力傾度力は地衡流の原因ではない。厳密には「「海面高度差に対応して黒潮が流れ、黒潮の流れに対応して海面に高度差ができている」ことになる。「何が「黒潮」をつくりだしているのか?」という設問への答えは「海上を吹く風が黒潮をつくりだしている」である。
海水の運動と関係している海面の高度差は、静止している海水面(ジオイド面)からの高度差である。22ページの図の説明「太平洋の海流と海の”でこぼこ”」で、このことに一部言及しているが、読者が理解できるような記述ではないように思える。実は海面高度の話は非常に複雑である。水平面は地球の重力に直交する面であるが、地球の重力は海底地形の影響を受けて空間的に変化しているため、標準回転楕円体面からのズレとして定義される海面高度(人工衛星搭載の海面高度計で測定される標準軌道から海面までの距離)も空間的に大きく変化している。すなわち、海水が静止していても、海水の運動と関係のない海面高度差があるのである。
なお、この節では、海面高度勾配(流れ)が西側で強くなっていること(西岸強化)に言及していない。話が複雑になるため、西岸強化に言及しなかったことを理解できないわけではない。しかし、このことが、次節と併せて、「海面高度差が黒潮をつくりだしている」という誤った理解を推し進める結果を招いてしまっているように思う。
5.PART1:海流(2) 海流ができるまで
この節では、副題を「海流はどのようにして生まれるのか?」として、「風が海に高低差をつくり、水の流れを生み出す」仕組みを説明している。「北半球で南側に東風、北側に西風が吹いているときに、その間の海面が高くなり、時計回りの水の流れを生み出す」ところまでは、その通りである。しかし、この説明では、黒潮のような西側の強い流れ(西岸強化流)を説明できない。なお、25ページ中段の図に示されている圧力傾度(白抜き赤矢印:水が水平になろうとする力)の先端と実際の海水の動き(赤矢印)の先端を結ぶ白い曲矢線をコリオリ力としているのは誤りである。コリオリ力は圧力傾度力を大きさは同じで向きが逆の矢印で示されなければならない。
24ページで「コリオリ力」と「エクマン輸送」を解説しているが、その内容の正確さは微妙である。西岸強化流他の詳細な説明は以下の拙ブログ関連記事を参照されたい。
拙ブログ関連記事:
2009年07月15日 表層海洋循環の成因
2009年07月23日 表層の海水が風下側に流されない仕組み
2009年08月02日 各大洋の西端に強い海流が流れる仕組み
2009年06月08日 コリオリ力を説明するビデオ
6.PART2:海の熱エネルギー(1) 海水の性質
この節では、副題を「ばく大な熱エネルギーで海は大気を動かす」として、海水の単位容積あたりの熱容量が大気の3600倍であることを詳しく説明した後、海面からの熱放出で大気が加熱されると空気の運動が生じることを簡単に解説し、「大量の熱エネルギーを秘めている海は、大気を動かす大きなパワーを秘めているのである」という文で終わっている。しかし、実際に、大気を駆動しているのは、海の持っている熱エネルギーの極く一部である。このことよりも、海洋から大気への熱放出量が、海面水温と気温の差、海上大気の湿度、風速に依存していることを強調すれば、本記事の他の箇所での、気象に及ぼす海洋の役割についての解説の理解が得やすかったと思う。
7.エピローグ:海の未来
エピローグでは「海でも進む温暖化」として、深層循環の変化の可能性に言及しているのは良いが、この際の定番である「熱塩循環」が図示されていないことに物足りなさを感じた。また、「海でも進む温暖化」の影響として、気象に加えて、海の二酸化炭素吸収や生態系への影響や海の酸性化についての記述があれば、地球環境系における海洋の重要性をより強調できたのではないかと思う。
参考:熱塩循環の模式図(ウィキペディア)
8.おわりに
以上、細かいことながら、構成と、各節の題目および副題がその記述内容とうまく結びついていない節について、問題点を指摘した。紙数制限のある中で苦労して作成した記事への過大な要求になってしまったかもしれない。拙記事によって、科学雑誌ニュートン2010年8月号特集「よくわかる 海と気象」の理解がより深まれば幸いである。
今回、機会を得て、久々にニュートンを読んだ。我が国の数少ない科学雑誌として頑張ってもらいたいと思う。しかし、読んでいて、どこか上滑りの印象を受けた。特集「よくわかる 海と気象」もそうだが、多分、分かり易さを優先した結果として、「もっともらしい説明」が多いのだが、「ちょっと深く考えるとよく分からなくなってしまう」印象を受けたことが原因かもしれない。もっと詳しく知りたい読者のために元ネタあるいは教科書的な参考資料が提示されていれば、それなりに、より厳密な内容の記事になるのかもしれない。科学知識も必要だが、科学的な見方・考え方についての記事があればなお嬉しい。