2010年06月18日

横井小楠

2010年6月19日02時50分 一部修正。ウェブ魚拓を追加

12日午後に歯医者へ行った。その待合室で時間つぶしに何気なく開いた雑誌「致知」2009年12月号(目次はここ)で、小島英記の「横井小楠 もう一つの近代を構想した男」が目にとまった。読み始めると結構、面白く、最後まで読み切った。帰宅後、ネットで「横井小楠(よこいしょうなん)」について調べてみた。不勉強で知らなかったが、いろいろな人が論じている。以下は、その結果。


1.ウェブ検索結果
Googleで検索すると、ブログ「多垢人」の管理人である上田卓さんが管理されている「横井小楠ホームページ」にヒットした。最近の坂本龍馬ブームで龍馬と親交のあった横井小楠に興味を持った人も多いようである。ただし、雑誌「致知」2009年12月号の小島英記の本文は、ウェブに掲載されていないようである(目次は見つけたが本文は掲載されていない)。このため、ここでは紹介できない。「横井小楠ホームページ」は労作ではあるが、横井小楠について論じているネット記事へのリンクが張られていないのが残念である。

Googleで、松岡正剛が、そのウェブサイト「松岡正剛の千夜千冊」の第1196夜(2007年8月3日)で松浦玲著「横井小楠(朝日選書 2000)」を通して、 横井小楠を紹介しているを知った。また、書評ウェブサイト「楽書快評13」でも松浦玲著「横井小楠(初出 1976年 朝日評伝選)」を論じている。なお、毎日新聞2010年6月14日東京夕刊の「特集ワイド:歴史に学ぶ 勝海舟 卓越した先見性--歴史学者・松浦玲さん」<この国はどこへ行こうとしているのか>で松浦玲さんとの会見記事を掲載している(ウェブ魚拓はここ)。ただし、勝海舟よりは横井小楠の方が<この国はどこへ行こうとしているのか>を論ずるのに相応しかったように思うのだが、その末尾の松浦玲さんの略歴では主著に「横井小楠」を挙げてはいない。

管理人が海外旅行中の毎日新聞5月25日東京夕刊のコラム「牧太郎の大きな声では言えないが」でも「横井小楠の「お教え」」と題して横井小楠の思想を簡潔に紹介している(ウェブ魚拓はここ)。

2.横井小楠の思想
横井小楠の思想は、上に紹介した「松岡正剛の千夜千冊」と「楽書快評13」に詳しい。以下では「楽書快評13」の中の4ヵ所の記述の一部を引用するに止める。
「今までに恐ろしいものを二人見た。それは横井小楠と西郷南洲とだ」と勝海舟は「氷川清話」で述べている。幕末における天才的な思想家である横井小楠の恐ろしさを教えてくれたのは「文明の衝突と儒者の立場」という1973年に松浦玲が発表した論文であった。
日本一国の利害で鎖国だ、開国だと言ってもかえって弊害が生まれるばかりである。横井小楠にとって儒学はグローバルスタンダードであり、西洋、東洋を越えた普遍的な公共の道を指し示す原理である。従って、日本のみの利害を優先させる論の立て方を行わない。開国鎖国の論議を越えた交易の必然性を主張する。水戸学や国学など前期ナショナリズムが生まれた時代に、更に高次な公共性を模索した人間がいることは驚きである。
1866年、慶応2年4月。小楠の甥二人がアメリカ合衆国へ密航する。小楠は見事な漢詩を贈る。
  明堯舜孔子之道   堯舜孔子の道を明らかにし
  尽西洋器械之術   西洋器械の術を尽くさば
  何止富国        なんぞ富国に止まらん
  何止強兵        なんぞ強兵に止まらん
  布大義於四海而巳  大義を四海に布かんのみ
 西洋の知識を得るのは、日本の富国強兵のためではない。富国強兵は堯舜の大義を世界に広げるための手段だ、と言う。ここに、恐ろしくも突き抜けた横井小楠の思想の特色がある。
渡辺京二は横井小楠を論じて、「小楠は利害をしりぞけて公明正大の仁心に立つ道義的世界を地球規模で実現しようと望んだ。西洋対日本、西洋対東洋という対抗意識は彼には存在せず、その意味では彼は近代ナショナリズム以前の儒学的普遍主義者だった。彼の国家観は到来しつつある近代に明らかに不適合だっだのである。だが、その不適合に私は今日における思想家小楠の意義を認める。小楠、西郷、海舟らに共有された東アジア的道義国家の理想は、現実の近代に対して迂遠であればあっただけ、もうひとつの、いまだ実現されざる近代として、われわれの夢を誘うのではあるまいか。」と結んでいる。(「還」2001年5月vol5「小楠の道義的国家像」)

3.おわりに
不思議な巡り合わせである。歯医者の待合室で何気なく開いた雑誌で述べられている人物のことが、ネットで調べると、ここ1か月間でも、いろいろ取り上げられていたことを知った。上も下も公私混同が激しい世の中で、「新しい公共」についての議論が進んでいる昨今において、横井小楠の評価は更に高まるのだろう。

posted by hiroichi at 03:19| Comment(5) | TrackBack(0) | 雑感 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
横井小楠は日本のアダム・スミスと呼ばれている人ですね。

ところで勝海舟は同じ文章で二宮尊徳についても語っています。

経済の元の意味は、「経世済民」と略語で、「国を統治し、民を救済する」の意味です。
アダム・スミスは道徳学の延長として、『国富論』を書きました。

インド生まれのノーベル賞経済学者アマルティア・センも道徳学から出発して経済学者になったので、現代のアダム・スミスと呼ばれています。



江戸時代の経済政策は、古代中国の思想の影響が強いです。
経済学者・飯田泰之さんは『歴史が教えるマネーの理論』で、「管仲(管子)」が基礎知識だったことを指摘しています。
Posted by おおくぼ at 2010年06月18日 11:13
おおくぼ 様

貴重な追加情報をありがとうございました。

>横井小楠は日本のアダム・スミスと呼ばれている人ですね。

松岡正剛によると、「山崎益吉が『横井小楠の社会経済思想』で、小楠の『国是三論』がアダム・スミスの『国富論』を先取りあるいは並列していることを示している」そうです。

>経済の元の意味は、「経世済民」と略語で、「国を統治し、民を救済する」の意味です。

「民を救済する」の「民」には弱者も含まれているはずですが、今の世の中では、このことを忘れている「経済」学者・評論家が跋扈しているように思います。

>経済学者・飯田泰之さんは『歴史が教えるマネーの理論』で、「管仲(管子)」が基礎知識だったことを指摘しています。

横井小南はこの風潮に異を唱えて、朱子学を基本とした施策を提唱したようです。
Posted by hiroichi at 2010年06月19日 03:45
朱子学は中国で生まれましたが、朝鮮から入ってきていますね。
日本では江戸時代以前は、儒教は仏教と一体になっていました。

荻生徂徠は、朱子学の影響を受けながらも独自の儒教解釈を打ち立てました。
徳川吉宗は、西洋の学問(特に理科系)を重視しました。
荻生徂徠は徳川吉宗のブレインなのに、西洋の学問も理科系の学問も無視しました。



飯田泰之さんは『歴史が教えるマネーの理論』では、田沼意次と松平定信の経済政策を比較しています。

江戸時代の三大倹約政策は、全て失敗しました。

新井白石や荻生徂徠も商業嫌いでした。
毛沢東の社会主義思想はスターリンの影響ですが、江戸時代の倹約政策を連想します。

社会主義国家は、貧しい民を救うことを目的として作られた筈なのに、逆の結果になったのは歴史の皮肉です。

Posted by おおくぼ at 2010年06月19日 09:59
追記

横井小楠は熱烈な朱子学者ですが、独創的な朱子学者ですね。
江戸時代の常識的な朱子思想とは、大きな違く違うみたいですね。
Posted by おおくぼ at 2010年06月21日 19:43
おおくぼ 様

「楽書快評0013」では、

横井小楠は儒学者(朱子学)である。夏殷周三代の治政に比して状況を分析し、方針を出す原理主義者である。

あるいは、

藩が富むのが目的ではなく、民が富むのを目的にして、具体的には、越前藩の官営・官許の地域間(外国)貿易によって富を得る公共の道を提案する。

と述べています。

>新井白石や荻生徂徠も商業嫌いでした。
と大違いですね。
Posted by hiroichi at 2010年06月23日 02:20
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