1.ブレークスルーとイノベーション
「第4期科学技術基本計画」では、、「『科学技術政策』から『科学技術イノベーション政策』へと転換する」ことが謳われている。ここでいうイノベーションとブレークスルーとはどこがどう違うのだろうか?
『ウィキペディア(Wikipedia)』では、
イノベーションとは、新しい技術の発明だけではなく、新しいアイデアから社会的意義のある新たな価値を創造し、社会的に大きな変化をもたらす自発的な人・組織・社会の幅広い変革である。つまり、それまでのモノ、仕組みなどに対して、全く新しい技術や考え方を取り入れて新たな価値を生み出し、社会的に大きな変化を起こすことを指す。と述べられているが、ブレークスルーには言及していない。また、ブレークスルーについては英語辞典的な説明しかなく、イノベーションには言及していない。「ブレークスルー」は国立国語研究所の“「外来語」言い換え提案”に含まれていて、言い換え語としては“突破”その他に“難関突破”“打開”“飛躍的前進”“躍進”“突破口”が例示されている。
他方、Mark Stefik, Barbara Stefik 著「ブレイクスルー -イノベーションの原理と戦略-(オーム社)」という本が出版されていることをネット検索で見つけた。この本では、その題名が示すように、「ブレークスルー」とは「イノベーションの原理と戦略」であるらしい。 また、「ブレークスルー思考 (ハーバード・ビジネス・レビュー・ブックス、ダイヤモンド社) 」のAMASONのカスタマーレビュー(投稿者:山田たえこ)によると、「内容は、イノベーションを生みだすための戦略・組織・手法である」と記されている。これらの意味からすると、『科学技術イノベーション政策』の策定・推進には「ブレークスルー」が話題にならなければならないのだが、「第4期科学技術基本計画」の議論で、ブレークスルーという言葉をあまり見聞きしないのは不思議と言えば不思議である。
なお、ブログ「若だんなの新宿通信」さんは、4月1日の記事「エイプリルフールじゃありません【読んだ本】ブレイクスルーの科学者たち」で、本書の内容の概略と目次を紹介した後、
だから当然研究内容は、ドレも面白い。と述べている。この定義が一般的に受け入れられているようにも思うが定かではない。
間違いなくブレークスルーがあって誕生した新しい「研究分野」に相当する研究と言ってもいい。
ところで最近、文科省などでも「イノベーション」という言葉をよく使う。
でも、科学研究には、イノベーション以上にブレークスルーの発見が大事なのではないだろうか?
イノベーションが「発明」に重点が置かれているとすれば、
ブレークスルーは「発見」に重点が置かれているからだ。
科学・技術は、「発見と発明」によって進歩してきた。
しかし、発見がなければ発明には至らないように、ブレークスルーなしにイノベーションはないだろう。
ところが、どうもブレークスルーを見つけるような研究のやり方、研究者の態度よりも、
イノベーションを性急に求める機運が高くないだろうか。
それでは、正当な科学・技術の発展にはつながらないのではないか。
私でもそんなことを考えてしまうのだけど。
2.ブレークスルー研究とインクリメンタル研究
「ブレークスルーのために」の第2章「ブレークスルーのすすめ」で市川惇信さんは、研究を「基礎」と「応用」の2種類の1次元軸場で分類することの問題点を指摘し、以下の2つの軸(X軸:応用と非応用、Y軸:ブレークスルーとインクリメンタル)による2次元的分類を提案している。その各々は以下の通りである。
X+)非応用研究市川惇信さんは、(X+、Y+)を第1象限、(X-、Y+)を第2象限、(X-、Y-)を第3象限、(X+、Y-)を第4象限の研究とすると、日本は、第1、2象限の研究成果が少ないことをノーベル賞受賞者数や論文引用数のデータを用いて示し、ブレークスルー研究を日本で推進する必要のある根拠を示している。
応用を意図せず、知的好奇心を満たし、人類の持つ知識の増加を図ろうとする研究。
X-)応用研究
人類にとって有用な経済の財、すなわち製品・サービスおよび情報を生み出すための研究。
Y+)ブレークスルー研究
新しい現象を発見し、または新しい問題を設定し解決するため、あるいは、既知の現象を新しい方法で説明し、または既知の問題を新しい方法で解決するための研究。
Y-)インクリメンタル研究
既知の現象をよりよく説明し、または既知の問題をよりよく解決できるように、既知の方法を改善する研究。
3.おわりに
「ブレークスルーのために」の第5章「人をつくる」、第6章「組織をつくる」、第7章「研究を評価する」では、ブレークスルー研究推進のための具体的な方策が提案されている。この本が1996年に発刊されていることを考えると、発刊後16年を経ても我が国の研究開発環境はブレークスルーの推進のための改革は進んでおらず、むしろ成果主義がはびこり、第3、4象限の研究成果が多い現実に、悲しみを覚える。
「国立研究開発法人(仮称)」を含む「世界のCOE」を目指す研究組織については、本書で提案されているブレークスルーのための具体的方策を取り入れた組織であるべきだと思う。
イノベーションは、経済学や経営学でよく使われる用語です。
新結合という意味で、従来と違う組み合わせをして、新規の商品や販売方法を生み出すことです。
「編集」という言葉も、「イノベーション」と同じ文脈だと思います。
発見されてしまっているものを、組み合わせることで、新しい需要を作り出すことに重点があります。
科学研究の特徴としては、「サムシング・ニューイズム」があります。
先人が発見していないことを何かを発見することに意義があるという考えです。
先人が発見していないことを発見するのは難しい場合が多いし、例え発見しても、その価値を認めてもらえるには、時間がかかる場合が多い気がします。
コメントをありがとうございました。
>イノベーションは、経済学や経営学でよく使われる用語です。
ご指摘のように、イノベーションが(従来と違う組み合わせをして、新規の商品や販売方法を生み出すような)社会経済活動の在り方とすると、「イノベーションは、確かに発見よりも発明に重点を置いている」と言えるのでしょう。
これに対し、「発見がなければ発明には至らない(若だんなの新宿通信)」のだから、イノベーションのための戦略・組織・手法であるブレークスルー研究は、発見に重点を置いているとして良いでしょう。
なお、ウィキペディアの記述の基となったと思われる、内閣府2007年3月発表の「長期戦略指針「イノベーション25」最終とりまとめ」http://www.cao.go.jp/innovation/action/conference/minutes/minute_addup/saishu.pdfの5ページ(第1章、本文1ページ)で、イノベーションについて、以下のように述べられているのに気付きました。
---引用開始---
イノベーションとは、技術の革新にとどまらず、これまでとは全く違った新たな考え方、仕組みを取り入れて、新たな価値を生み出し、社会的に大きな変化を起こすことである。このためには、従来の発想、仕組みの延長線上での取組では不十分であるとともに、基盤となる人の能力が最大限に発揮できる環境づくりが最も大切であるといっても過言ではない。そして、政府の取組のみならず、民間部門の取組、更には国民一人ひとりの価値観の大転換も必要となる。
---引用終わり---
また、同じページで「イノベーションは、予期せぬ創造的破壊でもあり」という表現もあります。「予期せぬ創造的破壊」はブレークスルーの言い換え例の一つである「飛躍的前進」と共通する点が多い表現と思います。結局、上に示した内閣府資料の文章では、目標と、そのための戦略・手法とが混同されているように思います。
上の引用が以下のような文脈であれば良かったと思います。
「これまでとは全く違った新たな考え方、仕組み、予期せぬ創造的破壊」を生みだすことがブレークスルーである。イノベーションとは、ブレークスルーの結果を取り入れて、新たな価値を生み出し、社会的に大きな変化を起こす社会経済の変革活動の総体である。
したがって、イノベーションの推進には、(従来の発想、仕組みの延長線上で問題解決に取組む)インクリメンタルな研究開発のみならず、ブレークスルーな研究開発を強く推進する環境づくりが必要である。
ブレークスルーな研究開発は、
1)広い領域での優秀な研究者を採用する,
2)異なる背景の研究者を集める,
3)研究者に明確なピジョンを与える,
4)研究者に自由に発想させる,
5)相互に刺激し合う良い雰囲気を作る,
こと(市川惇信)によって、基盤となる人の能力が最大限に発揮される組織で大きく進展する。このような組織・環境づくりのためには、政府のみならず、民間部門、更には国民一人ひとりの価値観の大転換が必要である。
ここまで書いて、私の考えがスッキリとまとまった感じがします。ありがとうございました。
---引用開始---
イノベーションとは、技術の革新にとどまらず、これまでとは全く違った新たな考え方、仕組みを取り入れて、新たな価値を生み出し、社会的に大きな変化を起こすことである。このためには、従来の発想、仕組みの延長線上での取組では不十分であるとともに、基盤となる人の能力が最大限に発揮できる環境づくりが最も大切であるといっても過言ではない。そして、政府の取組のみならず、民間部門の取組、更には国民一人ひとりの価値観の大転換も必要となる。
---引用終わり---
例えば、ルーターの聖書の翻訳です。
グーテンベルクの印刷機の発明と時期が重なったので、価値観の大変換に繋がりました。
★
ところでルターは、コペルニクスの批判者としても有名です。
コペルニクスの生前の時点から、旧約聖書の記述を根拠にコペルニクスを批判しています。
ルターと違って、ローマのカトリック教会はコペルニクス説に好意的だったそうです。
ただ、どうしてコペルニクスが、地球自転説を唱えたかと言えば、太陽崇拝があったからだと思うのです。
価値観が他人と大きく違っていたんだと思うのです。
地動説だと火星の逆行現象を説明できることや、従来の説よりも計算が簡単という利点もありますが・・・。
ただコペルニクスより後のガリレオは、星ごとの重力を否定していましたし、コペルニクスが重力の問題を気にした形跡もありません。
★
イノベーションの重要性は、世間の価値観を変えることです。
だから従来の価値観との戦いでもあるのです。
科学的な発見と共通するところがあるとすれば、従来の価値観に対する態度ではないでしょうか?
>イノベーションの重要性は、世間の価値観を変えることです。
だから従来の価値観との戦いでもあるのです。
科学的な発見と共通するところがあるとすれば、従来の価値観に対する態度ではないでしょうか?
強く同意します。
思い返せば、私が科学リテラシーの普及活動に関心を抱くようになったのも、多分、「価値観変革としてのイノベーション推進には科学的な考え方、態度、方法の普及が重要」という認識が根底にあったためのように思います。
現在、我が国の政財界の老人達とその追従者の主導で進められようとしているイノベーションは、価値観の変革ではなくて、既得権者の権益確保ための延命策にしかなっていないと思います。新しい価値観の創出の担い手である若い世代を力付ける施策の策定こそが急務と思います。
経済的視点からの分析が多い本ですが、興味深い本です。
日本の大学は寄付金が少ないという話は、少子化が進んでいる現状では重要だと思います。
あと『アメリカで大論争!! 若者はホントにバカか』
マーク・バウアーライン:著(畔上司:翻訳)は、アメリカの教育の現状を説明していて、勉強になりました。
ただアメリカは移民や留学生が頑張っている国なので、平均的な学生のレベルが低くても、世界的に優れている研究が多く出ています。
日本の教育は品格重視で、潜在的な才能を伸ばす教育を軽視している気がします。
型破りな天才科学者や数学者や哲学者が出にくい風土のような気がします。
北澤宏一さんの『科学技術は日本を救うのか』については、ブログ「若だんなの新宿通信」と「404 Blog Not Found」でも取り上げられていますね。きちんとフォローしていませんが、北澤宏一さんのこれまでの発言に同意する所は多いのですが、私とは本質的なところで異なるという印象があります。
>型破りな天才科学者や数学者や哲学者が出にくい風土のような気がします。
「出にくい」というよりは「育ちにくい」風土だと思います。
北澤さんの『科学技術は日本を救うのか』には事業仕分けについて何も書いていないのですが、国にばかり頼るのではなく、アメリカのように寄付金を活用できるようにすればいいということが書いてあります。
ただ、どうして日本では寄付金が少ないかという分析が浅い気がしました。
もし、日本の寄付金に関する優れた分析があれば、民主党に税制改革を期待するできたのですが・・・。
詳しくは調べていませんが、税制の問題以外にも、多くの人が、キリスト教などの宗教に基づく慈善行為や喜捨に不慣れなこと、性急に利益(見返り)を求める傾向があること、などが「日本では寄付金が少ない」原因ではないかと思います。