気象庁4月8日付け報道発表「観測船「凌風丸」による海洋観測の一部欠測について」を受けて、NHK、毎日新聞、読売新聞、および時事、共同の配信を受けた地方各紙の報道機関が、「気象庁海洋気象観測船CO2濃度測定装置不具合」を報じた。管理人は、このことを「はてなブックマーク」サイトの読売新聞の記事「海洋観測船で排気流入、温室ガスデータ台無し」で 初めて知った。この読売新聞の記事の内容に疑問を感じ、元ネタや他紙の記事を調べると、読売新聞記事の意図的とも思える内容の「ひどさ」に驚いた。以下は、その詳細。
1.気象庁報道発表資料
気象庁発表資料は、その本文で以下のように述べている。
気象庁所属海洋気象観測船「凌風丸」は、平成21年秋季航海(9月16日~11月11日)及び平成22年冬季航海(1月14日~2月3日)において、水温・塩分、海潮流、洋上大気及び表面海水中の二酸化炭素、並びに海水中の全炭酸、アルカリ度をはじめとする二酸化炭素関連物質等の海洋観測を実施しました。海洋観測の経験者としては、装置の不具合による欠測はしばしば遭遇することであり、特にこのことを発表することでもないように思った。この点からすると、データ欠測の事態発生を発表した気象庁の対応に敬意を表するとともに、通信社や全国紙が報道したことに意外な感じがした。やはり、地球温暖化に関わる観測への社会の関心が高いのであろう。
このうち、洋上大気及び表面海水中の二酸化炭素については、観測装置の不具合により、正常なデータが取得できませんでした。
このため、表面海水中の二酸化炭素については、全炭酸やアルカリ度等の他の観測項目により間接的に推定が可能なことから、代替データを作成する予定です。なお、これらの代替データについては、気象庁ホームページ「海洋の健康診断表・二酸化炭素濃度の長期変化傾向」において、本年6月に公表する予定です。
観測装置の不具合は配管継手の緩みに起因していましたが、緩みの原因については現在調査中です。
今後は、機器点検の的確な実施を徹底し、あわせてデータのチェック体制を強化することで、再発防止に努めてまいります。
ここで特筆すべきことは、データ公表前にデータ異常に気付き、その原因も特定できていることである。データ異常に気付いたのは、データ品質管理手順が有効に機能していることを示すものであり、気象庁データの信頼性を増す行為であると言える。
なお、上に示した発表では、洋上大気及び表面海水中の二酸化炭素の連続観測の目的と手法の概略およびそのデータ欠測の影響に言及していなかったのが、結果として、残念ではあった。参考資料として、例えば「大気・海洋環境観測報告,第7号(2005年観測成果)2.1.2.b 北西太平洋の二酸化炭素濃度の経年変化」などを示して、連続観測の意義、今回の洋上大気の二酸化炭素データ欠測は、その長期変動のモニターへの影響は軽微と考えられることを伝えた方が、これを機に記者たちの理解を得るためには良かったように思う。
2.読売新聞以外の報道各社の報道内容
毎日新聞の2010年4月9日付け東京朝刊の「海洋気象観測船:「凌風丸」、温暖化データ取得失敗」と題する記事(ウェブ魚拓)では、「二酸化炭素濃度測定を84年から実施しているが、データが取れなかったのは初めて」と、洋上大気の二酸化炭素と表面海水中の二酸化炭素とを区別せずにデータを欠測を強調している。
NHKの4月8日16時22分放送の「観測船 CO2濃度観測できず」と題する報道ニュース(ウェブ魚拓)では、洋上での二酸化炭素濃度観測についてのウェブサイトを画面に流したものの、結局、データ欠測のみを報じている。
時事ドットコムの4月8日20時08分付けの「海洋観測装置に不具合=一部データ取得できず-気象庁」と題する記事(ウェブ魚拓)は、気象庁発表資料の本文の中のデータ欠測とその原因の部分のみを抜粋した簡単な内容であった。
結局、上に紹介した記事、放送では、洋上における二酸化炭素濃度測定の本質をほとんど理解せずに、表面的な事実のみを報道していると言わざるを得ない。
これに対し、47NEWS(共同ニュース)の4月8日20時08分付けの「装置不具合でCO2濃度測れず 気象庁の海洋気象観測船」と題する記事(ウェブ魚拓)では「長期間のCO2濃度の変化監視に大きな影響はない」という気象庁海洋気象課の説明を紹介し、また、表面海水中ではないが海中の二酸化炭素濃度の代替データ作成にも言及している。これらの点で、上に紹介した3件の報道内容より格段に優れている。
3.読売新聞の報道内容
上に紹介した報道内容に比べると、読売新聞の4月8日23時33分配信の「海洋観測船で排気流入、温室ガスデータ台無し」と題する記事(ウェブ魚拓)は、誤った思い込みに基く「ひどい」記事と言わざるを得ない。以下にその全文を引用して示す。
気象庁は8日、海洋気象観測船「凌風丸」に搭載された二酸化炭素(CO2)濃度測定機器に不具合があったと発表した。この記事は気象庁発表資料に示されていないことを追加取材している点で、その意欲を買う。しかし、内容が「真相」から大きくずれているのが残念である。
昨秋以降の2回の航海で、CO2濃度を正しく測定できなかったという。
同庁によると、同船は東経137度のラインを南北に赤道近くまで進み、大気、海水内のCO2濃度を計測している。不具合は今年1~2月の航海で発覚。海水の濃度は観測海域平均で通常340ppmほどなのに、この航海では各地で40ppm高い異常な数値を示していた。
このため同庁が測定機器を点検したところ、機器につながる管の継ぎ目3か所でボルトが緩み、船のエンジンなどが排出するCO2が流れ込んでいたことがわかった。測定機器は昨年9月に導入されたばかりだった、納入時の点検で異常はなかったという。
機器の“処女航海”となった昨年9~11月の観測でも、やや高いCO2濃度が計測されていたが、同庁では「秋はCO2濃度が大きく出る時がある」として点検を行わなかった。欠陥が判明したことにより、この2回にわたる観測記録を統計から削除する。
観測は1984年に開始。海洋上の温室効果ガスの濃度変化は、地球温暖化の傾向を調べる上で重要指標とされており、ある同庁幹部は「長年の観測が台無しになった」と嘆く。また、この2回の航海には燃料費だけで約2500万円が費やされたという。同庁海洋気象課は「今後は点検を徹底させたい」としている。
まず、「不具合は今年1~2月の航海で発覚」という文がおかしい。データ異常に気付いたことを、それまで隠していた不具合が露わになったかのような「発覚」という言葉を用いている点が、それこそ「異常」である。
「この2回にわたる観測記録を統計から削除する」という文は、発表資料で述べている「表面海水中の二酸化炭素濃度の代替データ作成」を無視している。
「ある同庁幹部は「長年の観測が台無しになった」と嘆く」という文では、「長期間のCO2濃度の変化監視に大きな影響はない」ことを否定している。本当に「ある同庁幹部」が「長年の観測が台無しになった」と嘆いたのかも疑わしい。少なくとも、同庁海洋気象課の幹部が言うはずがない。
「この2回の航海には燃料費だけで約2500万円が費やされたという」という文の意図は何なのだろうか。あたかも2500万円が無駄だったような言い方である。今回の観測航海では、昼夜を違わずに、以下の多様な観測を行っている(気象庁発表資料)。
●各層観測(測点で鉛直方向に連続あるいは基準層で採水・分析)
・水温、塩分
・溶存酸素
・栄養塩(リン酸塩、ケイ酸塩、硝酸塩、亜硝酸塩)
・植物色素(クロロフィルa、フェオフィチン)
・全炭酸
・アルカリ度、水素イオン濃度(pH)(冬季航海のみ観測)
●表層水温観測(表層750m までの水温連続観測)
●海潮流観測
●海洋バックグランド観測
・洋上大気及び表層海水中の二酸化炭素(航走中連続)〈今回欠測〉
・洋上大気中のメタン(同)
・油膜及び浮遊物質(船橋からの目視観測)
・海面の油膜(同)
・油分(表面海水の分析)
・重金属(表面及び1000m 深海水の分析)
この中の1項目が欠測となっただけであり、しかも「表層海水中の二酸化炭素」は代替データ作成が可能である。純粋に欠測となるのは、空間的にほぼ一様で、時間的な変化も単調な「洋上大気の二酸化炭素」である。航走中の連続データを取得できなかったのは海面での二酸化炭素交換過程についての基礎データを取得できなかったという意味では残念な結果であるが、決して、2500万円は無駄ではなかったのである。
どうして、このような「ひどい」記事になってしまったのだろうか?
「再発防止」のためにはどうしたら良いのだろうか?
記事についての社内でのチェック体制の問題であるように思う。
科学関連記事原稿を社内でチェックするために、科学顧問とでも呼ぶべきスタッフが各報道機関には居るはずのだが、実際にはどうなのだろうか。読売新聞に限らず、報道機関各社は是非、科学顧問を育成・活用するような体制を拡充してほしい。
4.おわりに
海洋観測に限らず、新しい装置を使用するときには不具合が発生する可能性が高い。海洋観測は、絶えず変動を繰り返している海洋を測定の対象としてため、やり直しができない。現在の観測をできるのは、今に生きる我々だけである。その意味で、海洋観測装置の事前管理・調整と観測したデータの品質管理は重要な作業である。
人は得てして、数値として現れた測定結果を、そのまま信用してしまう傾向にある。今回、通常の値と異なることに気付き、その原因を早期に特定できたのは、通常のデータについての知識の蓄積があったればこそである。難しいのは、通常と異なる測定結果を得た時、それが誤データであるのか、真実の一端であるのかの判断である。新発見は得てして、誤データと思われる中に隠れている場合もある。これが、観測の醍醐味でもある。
余談ですが、私も新聞記事をよんでひっくりかえったことがあります。極めつけは「恐竜絶滅の隕石衝突を爆破で再現」という某新聞の記事でした。「そんなことしたら人類滅亡するやん」とおもって記事をよく読むと、ダイナマイトを使った人工地震探査により、地下の埋没クレータ構造を探るだけだったようです。構造を「再現」+ダイナマイト=衝突を爆破で再現となったようです。やれやれです(笑)
励ましのお言葉をありがとうございました。
海洋学に関わることが報道され、その内容を具体的に補足あるいは訂正する機会を与えられることは、ありがたいことだと思っています。「海洋学とはいかなる科学なのかを多くの方々に理解していただくこと」を拙ブログの目的の一つとしている私にとって、記事の間違いを指摘することは、本来の趣旨ではありません。
マスコミ各社には、科学記事をネット公開する際に、ネットで入手可能なネタ元のURLなどを明示した上で、記者独自の取材に基づく記事を示してほしいと思います。そうすれば、もっと読者を引き付ける科学報道になるのではないかと思います。
とはいえ、あの熱心さで頻繁に電話やメールを頂くと、研究者個人ではちょっと対応できないかもしれません。たまに一緒にお酒でも飲んで話をするのが一番よさそうなのですが、どの業界でも異業種交流は難しいですね(いや同業種交流すら最近は少ないか??)。
種々の報道における問題の原因は、記者個人の資質・能力というよりは、各報道機関のシステムにあり、報道に誤りがあるのに気付いた場合には、そのことを、事あるごとに指摘するしかないと思っています。報道機関のみならず、あらゆる組織(あるいは個人)も、外部からの声に謙虚に耳を傾ける社会になれば、もう少し、世の中も住みやすくなるのでしょうが・・・
マスコミからの問い合わせに対応するのは研究者の義務と思います。ただし、その内容が正確に報道されなかったり、きちんと評価されない現実を変えなければならないと思います。