最近のTweetの一部を以下に再掲し、補足説明します。
2月14日 気象学者が私財投じて無人観測所の周辺整備
2月14日 「研究者の職業化」と「科学の技術化」
2月16日 シミュレーションで「発見」はあるのか?
1.気象学者が私財投じて無人観測所の周辺整備
Sun, Feb 14
- 14:07 リンクが不良なので再送 こんなことが善意の行動として記事になってはいけない! 無人観測所:気象学者が私財投じて周辺整備 岡山・津山 - 毎日jp(毎日新聞) http://bit.ly/aB4liN 近藤純正さんの詳細な説明: http://bit.ly/cctPkP
2010年2月14日毎日新聞東京版朝刊の「無人観測所:気象学者が私財投じて周辺整備 岡山・津山」と題する記事(ウェブ魚拓)で、「気象学者の近藤純正・東北大名誉教授(76)=神奈川県平塚市=が私財を投じて、岡山県津山市の無人測候所の周辺環境を整備する」ことが報じられているのが目にとまった。比較的良く書けた記事だとは思う。しかし、本来ならば、良質な気象データを取得・保管する国の経費で行うべきことを、一個人が寄付で行うのは誤りであり、美談として報道に留まらず、もっと直接的に国の施策(各地の測候所のデータ品質管理の不備)を指弾する、あるいは、関係地域住民への行動を積極的に呼びかけるなどの内容にすべきだったのではないかと思い、Tweetした。
改めて日頃、チェックしている近藤さんのHPを調べると、その中の記事「M49.気象観測所の周辺環境を守る-津山2 」http://bit.ly/cctPkPでは、より詳細にその経緯が記されているのを見つけた。その中で、近藤さんは、謙虚に、
観測所の観測環境の保全は、本来は国(気象庁)がなすべきことであるが、これが地域住民の理解によって行われたのである。と述べられているが、近藤さんの努力は、
2回の市民講座、市内の知識人や市会議員、城東地区町内会役員への説明を何度も続けているうちに、しだいに観測の重要性がわかっていただけるようになった。津山への7回目の訪問(2009年8月24日)では市長と面会でき、その後は、市役所主導のもと、観測所の周辺環境が整備されることになった。と述べているように、並大抵ではなかった。岡山地方気象台には10回も訪れている。近藤さんは、住民への説明会で岡山地方気象台職員の恥をさらすのを避けるために、事前に気象庁にまで足を伸ばされている。
地方気象台が測候所(無人化された後は、特別地域気象観測所)の周辺整備に消極的なのは、経費が確保できないことが大きな理由と思われる。毎日新聞の記事では、
気象庁は「自動観測機器の性能は向上し観測値は問題ない。職員が巡回し、異常がないかを確かめている」と話す。と表面的で形式的な答えを
財政難の我が国において、全てを国の経費で処置するのは難しいことは理解している。国・地方自治体・地域住民が、気象観測の重要性を理解し、世界への貢献・責務として、全国各地の観測所の周辺環境の維持活動(伐採とか)を継続して行うことを何らかの形で援助・支援する活動が、気象観測データの質の維持の重要性を認識している人たちによって進められることを願っている。
2.「研究者の職業化」と「科学の技術化」
Sun, Feb 14
- 14:24 リンク先を間違えたので再送 「研究者の職業化」と「科学の技術化」が指摘されている in 今週の本棚:村上陽一郎・評『科学技術倫理学の展開』=石原孝二、河野哲也・編 - 毎日jp(毎日新聞) http://bit.ly/cIQYMP
昨年11月の事業仕分けで科学関係予算の縮減・廃止が相次いだことを契機に、科学について、あるいは科学と技術の違いについて、いくつかのブログで議論されており、管理人も色々考えるところがあった。こんな中、2010年2月14日毎日新聞東京版朝刊の今週の本棚:村上陽一郎・評『科学技術倫理学の展開』=石原孝二、河野哲也・編(ウェブ魚拓)で、以下の記述があった。
技術(医術も含めて)は、人類発祥の最初から、社会的な利得と結びついていた。したがって、ヒポクラテスの誓いのように、早くから、同業者組合の間で、職能者としての行動規範に類するものが定められてきた。それは近代的な技術者の場合でも同じだった。管理人は2009年11月28日付け拙ブログ記事「社会の中の科学」で、
しかし科学は本来、社会への還元を目標とした営みではない(あるいはなかった)。研究者個人の好奇心の満足こそが研究の目標だった。だから、科学の同業者組合に相当する学会は、最近まで、行動規範などを定める例に乏しかった。研究者の行動様式は、先輩の無言の教えで十分だったのだ。まして社会における責任というような考え方は希薄だった(今でもある程度はそうだ)。
しかし、最近は二つの要素が事態を変えた。一つは、科学研究者の激増、つまり研究者の職業化であり、そのため、研究者どうしが暗黙に共有していた行動規範を明文化する必要が生まれた。それでも研究者倫理に悖(もと)るような行為が世間を賑(にぎ)わすようになった。だからある程度までは研究の倫理の問題は、一般社会的というよりは、研究者の社会の「内部」の倫理問題でもある。
そしてもう一つの変化は、科学の成果が、直接社会に応用され、大きな影響力を発揮するようになったことだ。つまりは科学の技術化である。そこに科学者の社会的責任の問題も生じる。・・・
(事業仕分け結果に対して種々の学界組織やグループが表明した反対意見)表明された意見の多くは、我が国の科学技術研究開発従事者(あえて科学者とは言わない)が置かれている深刻な立場を理解しておらず、従来の牧歌的な自律的科学研究者の立場からの物言いのように見える。と述べた。この中で、管理人が「科学者」と言わずに「科学技術研究開発従事者」とあえて呼んだのは、まさに、上で「研究者の職業化」のことであったことに気付いた。管理人の前出のブログ記事「社会の中の科学」では、「技術化した科学」を論じていたことになる。
「研究者の職業化」の事態に対応して、2月19日発行のサイエンスでは、今年のAAAS年次総会のテーマでもある「Bridging Science and Society」と題するのEDITORIALで、社会と科学とのつながり、特に科学への社会からの信頼の重要性を議論している。また、「科学の技術化」の事態に対応して、科学技術庁発足以来使用されている科学技術という日本語の意味についての議論が学術会議他で行われている。管理人は、現在では科学と技術は不可分という立場であるが、科学と技術は異なり、英語でのScience and Technologyに対応して、科学・技術とすることが学術会議では提唱されている。また、2月13日に出席した大学学部教室同窓会での提供された話題の中で、旧来の科学技術とはScience based Technologyのことであって、この意味での科学技術と、自然科学および人文・社会科学を合わせた「学術」という語を用いて、「科学技術・学術」という言葉も検討されているということが紹介された。こんような議論が盛んになるのは、上に引用した書評で紹介されていた「科学の技術化」という新たな事態についての対応・考え方が模索されているためであるように思う。
関連記事:
拙ブログ2008年2月24日付け 「科学技術」
HP「ヒト,人,社会,環境そして文明(市川惇信)」科学および技術という言葉
ブログ「発声練習」2010年2月12日付け 「社会教養のための技術リテラシー」ほか
3.シミュレーションで「発見」はあるのか?
Tue, Feb 16
- 02:10 2月11日付けJAMSTECプレスリリース「地球シミュレータにより地球外核内の新しい対流構造を発見」 http://bit.ly/agRr3y 解説では:今回発見された二重対流構造が、現実の地球外核に存在するかどうかを直接確認する事は出来ません・・・・ これって「発見」なのか??
プレスリリースの表題は「地球シミュレータにより地球外核内の新しい対流構造を発見」となっているが、その記事の中の「2.背景」では、
独自に考案した「インヤン格子(注2)」と呼ばれる新しい計算格子を使用し、地球シミュレータを用いて、これまでで最も高解像度で地球ダイナモの計算機シミュレーションを行いました。その結果、これまでたくさんの円柱状の渦の集まりになると考えられていた地球外核の対流構造は、実はカーテンのように薄いシート状であることが明らかになりました。と述べ、さらに「4.今後の展望と課題」では、
地球の外核内の流れや磁場の構造を、直接観測出来る手段は今のところ存在しません。従って今回発見された二重対流構造が、現実の地球外核に存在するかどうかを直接確認する事は出来ませんが、従来のものよりもより現実の地球に近づけたモデルで計算を行った結果、これまで分かっていなかった新たな対流構造が発見されたことは、地球ダイナモの解明に向けた基盤的研究として大きな一歩であると言えます。と述べている。研究成果としては、画期的なのかもしれないが、この成果を「発見」と称することに違和感を感じた。
「大辞林 第二版」によると、「発見」とは「世の中に知られていなかったものを見つけ出すこと。初めて見つけること。 「病原菌を-する」 」と記述されている。ここで注目すべきは、発見の対象は「もの」であることである。新星にしろ、病原菌にしろ、あるいは原理にせよ、「発見」の対象は直接確認できる「もの」であろう。今回の研究成果は、説明文で自らが述べているように、シミュレーション結果であって、現実にある「もの」ではない。
プレスリリースで一般の注目を得るために目を引く、あるいは語呂のよい語句を採用することを工夫するのは不可欠である。しかし、このことを優先しすぎて、誤った印象を与えることは避けなければならないと思う。本プレスリリースの表題では、シミュレーション結果を「発見」と表現している。このことは、本文を詳細に見ない読者に、シミュレーションで発見なんてあり得ないのに、発表者はシミュレーション結果を直接確認できる「もの」と浅薄に考えている、あるいは成果を大げさに売り込んでいる、という誤解を与えてしまうことを危惧する。
強いて言うならば、「大辞林 第二版」で「ある事柄をもとにして他の事柄の見当をつける」という意味が示されている「推測」という言葉を採用して、表題を
「地球シミュレータにより全く新しい地球外核内対流構造を推測」
とでもすれば良かったかもしれない。
こんな小さなことに拘って、宣伝が下手だから、研究者はダメ
と言われそうだが・・・
地球ダイナモを記述する方程式の解として、世の中に知られていなかったものを初めて見つけた訳ですし、他の研究グループも(別のシミュレーション手法によって)追試を行うことが可能な訳ですから、発見 と呼んで差し支えないと思います。一方、そのような対流構造が現実の地球外殻内に存在するかどうかは、観測的に確認できていない以上、予想 に留まります。つまり『方程式の解を発見、地球外殻内対流構造を予想』なので、上記の結論です。
早々にコメントをありがとうございました。
確かに、将来の観測で確認される可能性のあることを予め提示するのですから「推測」よりは「予想」の方が適切だと思います。ご指摘をありがとうございました。
ただし、一般を対象としたプレスリリースで使用する語句(特に日常的な語句)は一般で広く使われている意味で使用することが肝要と思います。このとき、一般での用法の意味合いと何処が違うのかを明示しないまま、鉤括弧付きの『発見』を採用するのは、読者を混乱させるので、適切ではないと思います。
ところで、私には「方程式の解を発見」という言い方に違和感があります。「ある方程式系のシミュレーション結果を得る」ことを一般に「方程式の解を発見する」というのでしょうか? それとも、地球ダイナモを記述する方程式系に特殊な事情が何かあるのでしょうか? ご教示ください。
ある方程式系のシミュレーション結果を得ることは、単に特解を得ているに過ぎませんが、特定の条件やパラメータ領域において、方程式の解(の挙動)が、従来知られていた解(の挙動)と大きく異なる場合には、解を発見、という表現がなされるように思います(一般的かと問われれば自信はないです)。今回の例では、従来よりも粘性率を遙かに小さくした結果、これまでとは大きく異なる数値解が見出された、ぐらいの意味です。
>一般的な用法とは少し異なって使用する場合に、語句に鉤括弧を付けて注意を促す、
鉤括弧付けの表現の全てを否定しているわけではありません。
新聞の見出しでは、記者も読者も同じレベルであるということが受け入れられている状況であり、鉤括弧の使用は特に問題はないでしょう。
しかし、プレスリリースは専門家から専門外の人への発信です。この場合、プレスリリースは非専門家の目線で作成されている必要があります。このため、表題で使用する鉤括弧の意味が、専門家の間の用法と少し異なるのか、あるいは非専門家の間の用法と少し異なるのか、を明確に意識的に区別しておかないと、読者である非専門家の誤解・混乱を招く可能性があります。このことを危惧して、先の発言をしました。
>今回の例では、従来よりも粘性率を遙かに小さくした結果、これまでとは大きく異なる数値解が見出された、ぐらいの意味です。
了解しましました。
”シミュレーションで「発見」はあるのか?”に関して、私は「もの」の意味を大辞林 第二版(っていうかGooですが)で調べてみました。すると冒頭に補足説明としてこうありました。
「もの=形のある物体を初めとして、広く人間が知覚し思考し得る対象の一切を意味する」
だとすると、シミュレーションでわかった知見も「もの」であり「発見」ではないでしょうか?
また自分が手にした物質や、目で見た観察に基づく知見を「発見」とするのもどうかと思います。本当に自分の目で見た、手で触れた、といえるのでしょうか?実際にはある物質や自然現象を装置などで測定・分析した結果ではないでしょうか?数値ではないでしょうか?それだとシミュレーションの出す数値と何が違うのでしょうか?
…などと考えてみました(^^)
MANTAさんのコメントは、私の以下の記述へのご意見かと思います。
>新星にしろ、病原菌にしろ、あるいは原理にせよ、「発見」の対象は直接確認できる「もの」であろう。今回の研究成果は、説明文で自らが述べているように、シミュレーション結果であって、現実にある「もの」ではない。
私の言葉足らずが混乱を招いてしまったようです。
私は、発見の対象として、形ある物体の例の他に、「原理」という抽象的な概念も挙げています。
私がプレスリリースに違和感を持ったのは、komorinさんのコメントも参考にすれば、
「その存在を確認できていないと認めている対象については、その存在を予想したとは言えても、発見した(それまで全く知られていなかった事象の存在を観測・実験により客観的事実として確認した)と言えないのではないか」ということでした。
「シミュレーションでわかった知見」を「新たな知見」という理由だけで、無条件に「発見」とは言えないと思います。
>また自分が手にした物質や、目で見た観察に基づく知見を「発見」とするのもどうかと思います。本当に自分の目で見た、手で触れた、といえるのでしょうか?実際にはある物質や自然現象を装置などで測定・分析した結果ではないでしょうか?数値ではないでしょうか?それだとシミュレーションの出す数値と何が違うのでしょうか?
この文章でMANTAさんは何を言いたいのでしょうか?
特に「どうかと思います」という表現をどういう意味で使われているのでしょうか?
<<自分が手にした物質や、目で見た観察に基づく知見は「発見」ではない>>ということなのでしょうか?
シミュレーションの結果(数値)と観測や実験の結果とは全く同じであるとお考えなのでしょうか?
どうも読解力がないため、MANTAさんの言おうとされていることを私には理解できないようです。
ご教示ください。
>シミュレーションの結果(数値)と観測や実験の
>結果とは全く同じであるとお考えなのでしょうか?
「発見」という観点から考えれば、両者が違うという根拠がありません。「発見」とは「世の中に知られていなかったものを見つけ出すこと」であり、「もの」には抽象的な概念も含まれます。したがって言葉の定義からして前者が発見でなく、後者が派遣とする根拠はありません。
またシミュレーションはある仮定の下で実施されているので、それに違和感を覚える人は多いようです。しかし観測や実験もある仮定のもとで行われている場合が多いと思います。この観点でも両者を区別することはあまり意味がないと思っています。
いろんな方法で科学的発見がなされる、それでよいのではないですか?
>シミュレーションはある仮定の下で実施されているので、それに違和感を覚える人は多いようです。しかし観測や実験もある仮定のもとで行われている場合が多いと思います。
シミュレーションの場合にはパラメータなどの選択・導入に際して、時には「仮定」という言葉が用いられることがあることに異論はありません。しかし、観測や実験では「仮説の検証」や「測定誤差・限界」ということはあっても、結果を左右するような「仮定」を選択・導入することはないと思います。ある仮定のもとで行われた観測や実験の例をご教示ください。
>いろんな方法で科学的発見がなされる、それでよいのではないですか?
同意します。私の論点は、プレスリリースで「それに違和感を覚える人は多いよう」な表現が用いられたことです。
>ことはないと思います。ある仮定のもとで行われ
>た観測や実験の例をご教示ください。
いくらでもありますよ。たとえば先日のチリ地震。
観測データに基づいて、貴研究所で発表されている断層面のすべりは、断層面が平板であると仮定しています。
私がやっている電磁探査。ある種の電磁探査は、
「地表上でどこでも入射磁場は一様」と仮定します。
ADCPも電磁式流向流速計もある物理現象を仮定して、間接的に流向・流速を測定するものです。
海水成分の化学的分析装置もある物理化学過程を仮定したものだと思います。海水のある成分は、時間がたてば変化するものがあるとも聞きます。だとすれば「測定時に経時変化は小さい」と仮定してませんか?
つまりは観測だから、シミュレーションだからでわけるのではなく、仮定の大小ですばらしい発見かどうか分けるべきではないでしょうか? 先のプレスリリースの内容を専門的に十分に理解しないうちは、数値シミュレーションだからといって「仮定が多すぎる」とするのは主観的すぎるように思います。
文章だとすこしきつい書き方になってしまいますね。そうはいっても私もシミュレーションには懐疑的なことが多いですよ。観測屋の側からシミュレーションに(で)何ができるか考える日々です。
ご返答をありがとうございました。
示された例を拝見すると、「観測、実験」の適用範囲が私とMATAさんでは違うようです。多分、MANTAさんの分野では、多くの場合に観測=観測手法の開発+データ取得+データ解析なのに対し、私の分野(海洋学)ではデータ公開が一般的に行われているため、観測=データ取得に留まっていることが、認識の相違を生んでいるように思います。
>観測データに基づいて、貴研究所で発表されている断層面のすべりは、断層面が平板であると仮定しています。
>私がやっている電磁探査。ある種の電磁探査は、
「地表上でどこでも入射磁場は一様」と仮定します。
これら2例で示された「仮定」は「観測」ではなくて「観測データ解析」の段階で採用された仮定であり、「観測や実験もある仮定のもとで行われている場合」の例には該当しないと思います。
観測データ解析において必須な条件(例では断層面の形状、地表上の入射磁場分布)についての情報がない場合に、最も相応しいと考えられる条件を採用(仮定)して「解析」を進めることを「その観測がある仮定のもとで行われている」とは言えないと思います。
流速計や化学的分析装置の観測データについては、測定精度の範囲内で、測定原理が違っても一致するようにする検定・校正作業が必須であり、そのための検定手法の開発などが進められています。
なお、ある仮定を元に測定する」という表現には違和感があります。測定する際には「ある物理現象や物理化学過程を仮定」するのではなくて、「ある測定原理を採用」するという言い方の方が適切と思います。
>「測定時に経時変化は小さい」と仮定してませんか?
観測データには実験誤差(1時間間隔のデータに含まれる周期2時間以下の短周期成分の影響)が必ず含まれていることは広く認識されていると思います。データ解析において、より測定間隔の短い観測の結果に基づいて、この誤差を無視することはあります。
短周期変動を捉えた観測データがない場合には、データ解析において短周期成分の影響を無視できると仮定する場合にもあります。数日間に行われた断面観測データの解釈あるいは解析において、この観測期間中の時間変動は小さいと仮定した解析が多くの場合に行われていますが、その場合には、この仮定の限界を認識して大規模な現象のみが議論の対象となっています。最近ではデータ同化数値モデルによって広域での観測期間中の時間変動成分の影響を小さくする試みも進んでいます。
>海水のある成分は、時間がたてば変化するものがあるとも聞きます。
海水の水温、塩分、流速、ほかのあらゆる成分が時間・空間的に変動しています。なかでも潮汐周期変動成分と季節変動成分が卓越しています。
>その場合には、この仮定の限界を認識して大規模
>な現象のみが議論の対象となっています。
数値シミュレーションでも同様の議論をしていると思います。
なお
>>海水のある成分は、時間がたてば変化するもの
>>があるとも聞きます。
これは採水から分析までの時間を指していました。
いろいろ考えましたが、数値シミュレーションの結果は「○○の可能性を発見」とするのが適当かと思いました。
>hiroichiさんの「観測」のカテゴリーは非常に限られた物であることが理解できました。
ご理解していただきありがとうございました。「観測」という極めて一般的な語句でも、分野によって、その意味するところが大きく異なるということを痛感いたしました。
>これは採水から分析までの時間を指していました。
そうでしたか。誤解して説明してしまいました。採水から分析までの間の変化を避けるために、採水・分析手順を厳密に統一するなどのデータ品質管理の重要性が強く認識されています。
>いろいろ考えましたが、数値シミュレーションの結果は「○○の可能性を発見」とするのが適当かと思いました。
ご提案の表現を否定はしませんが、私には、komorinさんが提案された「○○を予想」の方が好みではあります。