「日本は科学・技術は知っていると言っているけれど違う。アメリカのインテリ層は基礎研究の重要性をより意識している。マスコミがもっと科学とは何かを理解してもらわないと」という発言に対し、会場では拍手が鳴り、ミニブログ「Twitter(ツイッター)」にはネット中継を見ているユーザーから同意のコメントが多数送られたことについて、
「科学(人文科学や社会科学、科学技術も含む)と社会をつなげる役割をマスメディアに押し付けるのは容易だが、日本が科学立国への道を歩むには、科学者側がこれまでのコミュニケーションのあり方を再考し、社会との関係を結び直す必要もある。」という主旨の論を展開されている。科学と社会との関係を深く考えていない25日の緊急声明や他の学会等の声明に失望し、12月6日の「ノーベル賞受賞者じゃない研究者の緊急討論会」に参加した管理人は、藤代さんの意見に同意するところが多い。しかし、藤代さんの記事の内容には、科学報道のあり方についての的外れと思える記述を含め、メディアやジャーナリズムに関わるオピニオンリーダーの論説として物足りなさを感じた。以下は、その詳細。
1.マスコミ関係者の反応
藤代さんは記事の冒頭で、
「マスコミにしっかりしてもらわないといけない」。あまり報じられてはいないが、行政刷新会議の「事業仕分け」に反対する科学者の緊急会見で、マスメディア批判と受け取れる発言があった。と、利根川さんのマスコミへの苦言が広く報道されていないことを認めている。
今回の事業仕分けで科学技術関係事業の多くが縮減、廃止の対象になったことについて、管理人が参加しているMLで、マスコミ関係者の一人が11月20日に
科学は役に立つばかりではないとずいぶん記事を書いてきたつもりですが、文化としての役割をほとんどだれも理解していなかったということにショックを受けています。私が書いてきた人類進化とか、素粒子とか、数学とかはほとんどすぐには役に立たない。それでもおもしろいので書いてきたのですが、そういう価値観はほとんど滅びてしまっています。と述べている。11月25日までのネット界で「科学ジャーナリズムの責任問題」を目にしたのは、この発言のみであった。
おもしろいからやるというのが科学の大きな動機だと今でも思っているのですが……
科学ジャーナリズムの責任問題だな。
11月25日夜の東京大学での緊急討論会での利根川さんのマスコミ批判発言に、マスコミ関係者で藤代さん以外の人が言及しているのを管理人が確認できたのは、毎日新聞2009年12月11日東京朝刊の「仕分け気分」と題する論説ノート(ウェブ魚拓)で青野由利さんが以下のように述べているのみである。
実を言えば、事業主体や文部科学省の答えには、仕分けられても仕方のない面があった。それでも私が擁護に回ったのは、科学や技術はダムや道路と同列に論じられないと考えたからだ。人材育成も、いったん削ると取り返しがつかない。このコラム記事での「力が抜けた」、「期待したのが甘かったのか」という表現からは、これまでの科学報道についての見直しの必要性を全く感じていないことが推察される。他方、12月6日の緊急討論会に出席したマスコミ関係者の一人は、11月25日の利根川さんの言葉で「これまでの報道活動が評価されていない」を知ってショックを受けるとともに、会場での参加者の付和雷同的な拍手に強い懸念・不安を感じたというような発言をしていた(正確に記憶していない。私の記憶誤りかもしれない)。この発言から、研究従事者たちが持っているマスコミに対する強い不信・不満が記者にそれなりに伝わっていたことが確認できたが、記者の自省の念みたいな意思表明はなかった。
ところが、その後、がっかりすることが続いた。科学界の記者会見や集会、声明発表は自分たちの正当性を一方的に訴える大合唱。巨額の投資が必要な理由を国民に理解してもらうのは「マスコミの役目」と言われた時には、さすがに力が抜けた。
科学技術はもちろん、国を支える土台だ。しかし、その予算に無駄や疑問がないはずはない。見直すところは見直すが、これだけは譲れない。その理由はこうだ、という市民も納得の言葉を期待したのが甘かったのか。
管理人は、11月25日の緊急声明や他の学会等の声明は科学と社会との関係を深く考えていない点で不十分だったと思っているし、社会との双方向コミュニケーションを十分に果たしてこなかった科学コミュニティーに重大な過失があったとも思っている。しかし、それとは別に、利根川さんの指摘に対し、無視したり反発するのではなくて、これまでの科学報道にも問題があったのではないか、それでは、どうすべきなのか、というような積極的な議論がマスコミ関係者の中で起きて欲しかった。
2.科学報道のあり方
藤代さんは、科学報道について以下のように述べている。
(利根川さんの)指摘はある意味で正論だ。科学のように知識が必要で、事象の評価が難しい分野においては、専門性を持ったジャーナリストが報道を担うべきだろう。だが、日本と米国では記者の教育システムやキャリアパス、科学界との関係に違いがありすぎる。利根川さんの指摘が誤解を招いたのかもしれないが、上に引用した藤代さんの認識は間違っていることを指摘したい。科学ジャーナリストが専門的な「科学の知識」を持っている必要はないと管理人は思っている。そうではなくて、科学ジャーナリストに不可欠なのは「科学についての知識」である。必要なことは、自分が分かっていないことを分かっていないとちゃんと認識し、分からないことを分かるまで専門家に聞いて、正確な情報を読者に、その根拠とともに、できるだけ分かりやすく伝える能力が必要なだけである。詳しくは、拙ブログのカテゴリー「報道」に区分したこれまでの数々の記事、例えば以下の記事を参照されたい。
2007年02月18日 科学報道
2007年04月14日 プレスリリース
2008年01月06日 寒ブリの漁獲激減と「地球温暖化」
2008年09月25日 ニホンウナギの産卵場
2009年05月02日 三角波と高波は違う
2009年06月21日 科学広報戦略の見直し
「科学についての知識」については拙ブログの以下の記事を参照
2008年05月06日 科学についての知っていてほしい5つの事
藤代さんは、日米の報道機関の教育システム他の相違を述べた後、以下のように述べている。
こうした実態を踏まえれば、「アメリカでは記者はPh.Dだ」といった批判で問題が解決しないことは明らかだ(マスメディアがそのままでいいとは思わないが…)。科学側が本気で社会から広く理解を得ようとするなら、官僚や政治家、企業、そしてマスメディアへの戦略的なコミュニケーションが必要になる。にもかかわらず、ノーベル賞学者が具体策なきままマスメディア批判を繰り広げ、「外」に原因を求めたことに問題の根深さはある。実際のところ問題は科学界の「中」にあるのではないか。この中で、マスメディアの現状にも問題のあることをカッコ付きで認めている。カッコ付きであることは、切実な問題意識は持っていないことを示しているように見える。これは、一般、特に研究従事者と認識に大きな隔たりがあるように思う。皆、マスメディアの影響力の大きさは認めている。だからこそ、マスコミ関係者には報道内容・姿勢について絶えず見直しをすることを願っている。
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科学界側が自ら改革を進めなければ、科学の必要性や若手育成の重要性といった正論を語っても説得力はない。日本全体の雇用や労働が不安定になっているなかで、社会に訴えるには、これまでのコミュニケーションのあり方も見直す必要がある。
なお、「科学界側が自ら改革を進めなければ、科学の必要性や若手育成の重要性といった正論を語っても説得力はない。」ことに、管理人は強く同意する。これが12月6日の緊急検討会での主な結論の一つであった。
3.科学界の取り組み、科学ジャーナリズム
藤代さんは、科学界の取り組みの一例として科学技術コミュニケーター養成ユニットをとりあげ、
08年から北大の「科学技術コミュニケーター養成ユニット(CoSTEP)」でサイエンスライティングの授業を担当したことで、上記のような科学コミュニケーションを担う人たちとの接点を持つことができた。その経験から言えば、「業界」での議論の中心は科学者や研究者側の状況をどう伝えるかにあり、社会にどのように受け止められているか、批判的な意見をどのように科学界にフィードバックするか、といった議論は少ない。と、授業を担当しているのにもかかわらず、まるで他人事のように、その問題点を述べている。また、
科学ジャーナリストも目立った活躍がない。学長や学会リーダーの意見はマスメディアに掲載されているが、ネットに溢れる若手や現場からの声を取り上げたり、構造的な問題に切り込んだりする言説は少ない。と、これまでの科学ジャーナリストの活動を批判している。だが、藤代さんは、この記事を書くにあたって、どの程度、資料を調べたのであろうか? 11月25日の東京大学での緊急討論会についての科学界からの批判はネットではかなりの数が表明されていた。12月6日には「ノーベル賞受賞者じゃない研究者の緊急討論会」が開催され、参加者のブログや毎日新聞と朝日新聞でも報道されていた。記事はこれらの情報に言及せず、形式的な評論家的記述に終わってしまっている印象を管理人は持ってしまった。
ブログ「発声練習」 2009年12月6日
ノーベル賞受賞者じゃない研究者の緊急討論会
ブログ「Science and Communication」 2009年12月6日 ノーベル賞受賞者じゃない研究者の緊急討論会
毎日新聞 2009年12月8日 東京朝刊
事業仕分けの波紋:どうする科学技術予算/下 若手や女性に打撃、埋没する人材育成(ウェブ魚拓)
朝日新聞 2009年12月9日
「事業仕分けに科学界沸騰 続く意見表明、反省の動きも」(ウェブ版はなし)
朝日新聞 2009年12月11日東京本社発行最終版科学面トップ
「仕分け受け、科学界に新たな動き(ウェブ魚拓)」
4.おわりに
藤代さんの科学界への苦言に対し、揚げ足取りのような反論になってしまったが、真意は、マスコミ関係者とオピニオンリーダーとしての藤代さんへの期待の表明にある。科学界が社会と新たなコミュニケーションを築く際には、マスコミの助力が是非とも必要である。ただし、現状では、科学界のみならずマスコミにも問題があるのも事実である。この現状を打破するためには、相互批判を通した真摯な自己改革が双方に必要だと思う。
学校現場から、文科省の愚民化政策を暴露したのが、「『おバカ教育』の構造」(阿吽正望 日新報道)です。公僕である文科省官僚は、この知識時代に、子供達に愚民化教育を行い、学校を崩壊させ、20万人の不登校、退学者、60万人の引きこもり、ニートを作りだしました。多くの若者を失業者、生活困窮者にしたのは、本来優れた教育で職業獲得を支援すべき文科省です。これは、薬害エイズや薬害肝炎を起こした厚労省官僚の罪を越えます。子供達の人生を困難にし、日本社会の未来を潰した許されない悪行です。
愚民化教育をやめさせ子供を救うためにも、二度と不幸を生まないためにも、キャリア官僚制、天下り、公務員特権を廃止して、官僚政治を根絶やしにすべきです。急がなければ多くの不幸が続きます。
ただ藤代氏は普通にもうダメではないですかね。
いちブロガーとして活躍されていた頃と今では違います。大手新聞社数社から仕事を請けておられるわけだし生活の為に専業とするジャーナリズムなど信用に値しないのはネットの常識でしょう。
もうひとつ気になるのがコメ欄の「大和」という方
>>http://blog.goo.ne.jp/nonasi8523/e/404a05640188d97c287c8ec7b81823ee
このブログの常連というか管理人の自演臭い方っぽいですね。付近のエントリーの投稿の主旨がほぼかぶってますし
一応IPなどは控えられた方がよろしいかと存じます
ご賛同のお言葉をありがとうございました。
>生活の為に専業とするジャーナリズムなど信用に値しないのはネットの常識でしょう。
人それぞれの生き方があると思います。実行は難しいのですが、固定観念でその人の言説の当否を判断したくないと思っています。
>コメ欄の「大和」という方・・・
ご助言をありがとうございます。
大和さんが、多くのブログに同じようなコメントを残しておられる方であることは存じております。そのマメさは驚異的でさえあります。今回の大和さんから頂いたコメントは元記事とほとんど関連がない、単なる文科省非難ですので、スパム扱いで削除しようかとも思いましたが、大和さんからの初めてのコメントですので、記録として残しておくことにしました。
大和 様
ということで、今後、大和さんから頂くコメントの内容が元記事と全く関連がない場合には、スパム扱いとしてお断りなく削除しますので、ご了承ください。