1.報道
毎日新聞の記事(ウェブ魚拓)の主要部は以下の通り。
チームはカナダと米アラスカ州の北側にある北極海カナダ海盆海域で97年と08年、海面下20メートル以内の海水を採取して比較。海水中の炭酸イオン濃度の低下が判明した。大気中のCO2が増えて海に溶けると、海水が弱酸性になり、中和するため炭酸イオンが消費されたためとみられる。奥野敦史記者の著名記事となっているが、論理展開がめちゃくちゃというか、何を言いたいのか理解できない、不思議な記事である。記者は自分で何を言っているのか分かっているのだろうか?
炭酸イオンは貝殻やサンゴの骨格などの炭酸カルシウム形成に不可欠で、不足すると貝殻が溶けるなどの影響が出かねない。この海域は現在、炭酸イオンの「未飽和状態」にあるという。
この記事の不適切さは、日経ネットの「海中のCO2増加、プランクトン成長阻害 海洋機構が北極海調査」と題する記事の主要部での以下の記述と比較しても明らかである。
海洋機構など共同研究チームは2008年に研究船で北極海を調べ、プランクトンの骨格が作れないか溶け出してしまう水準まで炭酸イオン濃度が低下している海域を見つけた。09年9~10月の調査では範囲が広がっていた。07年の調査では、十分な量の炭酸イオンがあったという。(07:00)以下の共同通信(47NEWS)の「温暖化で貝殻が作れない! 北極海で炭酸イオン減少」と題する記事が最もバランス良く記述していると思う。
地球温暖化で海氷の融解が進んでいる北極海で、海水中の炭酸イオンの量が減少、プランクトンや貝の殻の主成分である炭酸カルシウムの形成を妨げる恐れのある水準までになっているとの調査結果を、海洋研究開発機構(神奈川県横須賀市)などのグループがまとめ20日、米科学誌サイエンスに発表した。なお、時事ドットコムの「CO2増加で海の生物危機に?=プランクトンの「殻」作れず-海洋機構」と題する記事は、かなりの力作ではあると思うが、記事の一部に誤解を招く表現がある(ウェブ魚拓)。以下のように修正した方が分かりやすいと思う。
真水に近い海氷の融解水が大量に流入し、海水が薄まっているのが原因という。
近年、大気中の二酸化炭素(CO2)濃度の上昇によって海水に溶け込むCO2量が増加。それにより海水の酸性化が進行している。炭酸イオンは酸性化した海を中和するのに消費されるため、酸性化が進むほど炭酸イオンは減少する。こうした現象が海の生物に与える悪影響が指摘されている。
同機構の西野茂人技術研究主任は「酸性化と海氷融解水の流入というダブルパンチを受け、北極海では予想以上の速さで炭酸イオン不足が進んでいる」と指摘。「貝やプランクトンが減ればそれをエサにする魚なども被害を受けるので、生態系全体への悪影響が心配される」としている。
修正前1:一方、海に住むプランクトンには、炭酸カルシウム(CaCO3)の殻を持つ仲間がおり、水中の炭酸イオン濃度が一定以下になると、海中に殻が溶け出しやすい(未飽和)状態となり、生育に影響が出ることが分かっている。
修正後1:一方、海に住むプランクトンには、炭酸カルシウム(CaCO3)の殻を持つ仲間がおり、水中の炭酸イオン濃度が一定以下(未飽和)では、海中に殻が溶け出し、生育に影響が出ることが分かっている。
修正前2:分析の結果、海氷の融解が進んだ海域で炭酸イオン濃度の低下が目立ち、炭酸カルシウムが溶け出しやすい状態になっていることが分かった。
修正後2:分析の結果、海氷の融解水が流入した海域で炭酸イオン濃度の低下が目立っていることが分かった。
2.プレスリリース
プレスリリースの題目は「北極海が炭酸カルシウムの殻を持つ海洋生物にとって住みにくい海になっていることを初めて発見~海洋酸性化と海氷融解の二重の影響~」である。その概要の本文は以下の通り。
独立行政法人海洋研究開発機構(理事長 加藤康宏)地球環境変動領域北半球寒冷圏研究プログラム北極海総合研究チームとカナダ漁業海洋省海洋科学研究所は共同で太平洋側北極海における観測研究を行ってきた結果、炭酸カルシウムを殻に持つプランクトンなどの海洋生物にとって北極海カナダ海盆が世界で最も早く住みにくい海 (炭酸カルシウムに対して未飽和な海) になってしまったこと、そしてこれが人為起源二酸化炭素の増加に伴う海洋の酸性化に加えて近年の北極海での急激な海氷減少(融解)による影響で起きたことを、世界で初めて明らかにしました。この後に、総文字数約2800字で、背景、研究方法の概要、結果と考察、今後の展望、についての詳細な記述が続く。「今後の展望」では、2009年9月から10月にかけて、北極海カナダ海盆西部の海域で実施した海洋地球研究船「みらい」観測航海でも、サイエンス誌掲載論文で述べた2008年の状況が北極海カナダ海盆西部海域にも広がっていることが確認していることが述べられている。プレスリリースでは、このことを強調したかったのではないかと思うが、十分に記者たちに伝わっていない。これは記者が悪いというよりは、焦点を明確に述べていないプレスリリースが不適切だったと思う。
3.おわりに
毎日新聞の不明瞭な記事に対して、「tamanegi の日記」さんがで新聞記事で示唆された化学反応のフォローを試みられている。ただし、残念なのは、「# もちろん論文本体は見てない。少なくとも pH 変化についても書いてあると思うんだけど。」と留保していることである。上に紹介したプレスリリースでは
「二酸化炭素が海洋に溶け込むと、水素イオン濃度が増加してpHが下がるため、中和反応によって海水中の炭酸イオン濃度が減少します。海水中の炭酸イオンは炭酸カルシウムの殻や骨を持つプランクトン・甲殻類・魚などの海洋生物に必要な物質なので、その濃度の低下はこれらの海洋生物を危険にさらす可能性があるのです」と解説している。
今回の科学報道記事は、関係機関によってプレスリリースされた最新号掲載論文内容についての記事を、記者個人の理解を基にして報道しているように見える。詳細すぎるプレスリリースの大部分を無視しているのは仕方がないとは思う。しかし、プレスリリースおよびプレスリリース記載の関係者の談話のみから記事を作成する態度には疑問を感じる。報道対象のみならずその周辺への言及があるのが望ましい。
なお、今回の海洋酸性化の現象は観測船によって採水した海水の分析の結果である。化学分析するための海水の採集は船でなければできない。
拙ブログ関連記事:
2007年04月14日 プレスリリース
2008年10月19日 アカチョウチンクラゲと海洋の酸性化
2009年11月08日 気象観測船3隻が来春引退