2009年11月08日

気象観測船3隻が来春引退

2009年11月13日21時30分 関連記事とウェブ魚拓を追加
2009年12月25日00時40分 追記


現在、気象庁では5隻の観測船が海洋気象観測に従事している。400トンクラスの「長風丸(長崎海洋気象台)」、「清風丸(舞鶴海洋気象台)」、「高風丸(函館海洋気象台)」と、1400トンクラスの「凌風丸(気象庁)」と「啓風丸(神戸海洋気象台)」である。11月6日付け47NEWS(共同通信)の「気象観測船3隻が来春引退 衛星技術向上で役目終え」と題する記事
気象庁は6日までに、海上での気象観測に当たる「海洋気象観測船」5隻のうち、日本近海を担当していた海洋気象台所属の3隻を来年3月末に引退させる方針を固めた。気象衛星の観測技術向上などで削減可能と判断、昭和30年代以降続いた5、6隻体制を大幅に縮小する
と報じている(ウェブ魚拓はここ)。気象の長期予報で重要な情報を提供する観測船を減船することは、予算削減の中での苦しい選択であったとは思うが、気象衛星観測技術がいくら向上しても、観測船の替わりは務まらない。財務省主導と思われる気象庁担当者の説明をそのまま報道している共同通信の配信記事には疑問を感ずる。とはいえ、減船方針は全国紙では報道されていないだけ、共同通信はまだ良い方といえる。気象庁の観測船の重要性が砕氷船「しらせ」ほどに認識されていないためであろう。以下は、この観測船の減船方針について考えたことなど。


1.報道
「気象観測船3隻が来春引退」はMSN産経ニュースの11月6日付け記事でも報じられている。ただし、この記事は共同通信の記事の抜粋のようである。これらの記事のネタ元は気象庁11月2日付け報道発表資料「平成22年度気象庁関係予算概算要求の組替えについて」であると思われる。しかし、10月21日付け京都新聞の「お疲れ「清風丸」 来春“退役” 舞鶴母港、唯一の観測船」では、平成22年度概算要求に盛り込んだことが報じられている(ウェブ魚拓はここ)。実際、10月15日の概算要求で既に2隻体制とする案であったことが11月2日発表の資料からもうかがわれる。さらに遡ると8月31日付けの報道発表資料で、既にその方針が決まっていた。迂闊にも、本エントリーを書くためにネット検索するまで、このことに気付かなかった。もっとも、今年は8月末に公表された概算要求が新政権のもとで白紙になったので、「かいよう」観測航海中の8月末ー9月初めの時点では議論のしようもなかっただろう。また、概算要求では、2隻体制による高精度海洋観測をおこなうことは明記されているが、3隻を廃船するとは述べていない。今年3月に気象庁で開催された「北西太平洋の温暖化と海洋CO2吸収能力の監視予測に関する国際会議」で、気象庁が大規模・精密海洋観測を行うことを知って喜んでいたが、400トンクラスの3隻が同時に廃船されるとは思いもよらなかった。

共同通信が、何故、11月2日の報道発表内容を6日になって観測船減船に的を絞った記事を配信したのか、その事情は不明である。それはともかく、おそらく記者は「本当に大幅に観測船を削減してもいいの?」と思ったのであろう。このため、記事では、以下のような記述で終わっている。
 観測船はこれまで、日本近海や北西太平洋で水温や海流、海水塩分などを観測。凌風丸は、気候変動に影響する海中の二酸化炭素(CO2)濃度の計測も担当していた。

 近年、気象衛星ひまわりや中層フロート(浮き沈みする自動観測装置)などで、海面や海中の水温、海面の上下変動などの観測・解析が可能になり、船なしでも海の状況を把握できるようになったという。

 日本近海の観測は回数は減るが凌風丸など大型船2隻で定期的に実施するほか、中層フロートを増やすなどして対応。大型船2隻は高精度の観測機器を整備、北西太平洋でCO2などの温室効果ガス観測に従事する計画。

 地球環境業務課は「温暖化問題に対応するため、海流の複雑な北西太平洋の炭素循環など、船でしかできない観測を強化したい」としている。
取材した記者は上の記述で本当に納得しているのだろうか? 気象庁担当者の説明を紹介しているだけで、「気象衛星や中層フロート(Argoフロートのこと)が観測船以上の観測資料を得ることができる」という説明の裏を取っていない。

それにしても、朝日、読売、毎日の全国紙は観測船減船について報道していないようである。産経はネットニュースでは報じているが、紙面については分からない。これらの新聞の科学担当記者は、観測船による観測資料収集を続けることの重要性についての認識がなく、観測船減船方針の決定は報道するに値しないと判断したのであろう。怒るより前に、情けない現実に寂しさを感じる。

2.海洋観測の重要性
市民生活に直接・間接的に重大な影響を及ぼしている海洋の状況を監視・予測するために種々の海洋観測がおこなわれている。例えば、外洋に限っても
1)暴風雨をともなう台風や低気圧は、海洋から大気に供給される熱量と水蒸気量によって海上で発達する。気象庁は、気象予報に必要な、海面水温、気温、湿度、風向・風速、海洋表層混合層厚などの海洋観測を行っている。
2)船舶の燃料消費量は、波浪状況や黒潮などの海流の影響を大きく受ける。流れの向きと逆向きに風が吹くときに波浪は特に大きく発達する。また、船舶航行の障害になる氷山・流氷・流木などは海流、潮汐流と海上風の影響を大きく受けながら漂流する。海上保安庁は、海上風、波浪、海流、潮汐流を高い精度で予測して、安全で経済的に最適な航路を選択するのに必要な資料を得るための海洋観測を行っている。
3)漁海況予測などによって水産業を持続的に発展させるために、水産庁は、有用資源生物の資源量の変動にかかわる卵・稚魚・仔魚・成魚および餌生物の現存量と、その変動にかかわる水温、塩分などの観測を行っている。

海洋観測では主に専用の観測機材・装置を装備した海洋観測船が利用されてきた。しかし、巡航速度が時速30km程度の通常の観測船では、広い海域を観測するのには長い時間を要する。また、大時化の海では船舶による観測は不可能である。このような船による海洋観測の障害を克服するために、人工衛星リモートセンシング技術、海中・海面に係留した機器による長期連続係留観測技術、海中を上下する自働昇降式漂流ブイ技術などが開発された。しかし、人工衛星リモートセンシングでは広域同時観測が可能だが海面の情報しか測定できない。係留観測では細かい時間間隔での繰り返し観測が可能であるが、空間的に隣接した多数の点での同時観測には膨大な経費を要する。流れによって移動する漂流ブイは強流域に長期間とどまることはできない。このため、これらの新たな海洋観測技術が利用可能となっても、細かい観測点間隔で種々の観測を精密に行うことが可能な観測船の重要性に変わりはない。

気候変動についていえば、その予測数値モデルの予測精度の検証、その影響の監視のために、観測データを長期間にわたって蓄積する必要がある。海洋は絶えず変動を繰り返している。周期が10年程度の長期変動の予測モデルを検証するためには、30年間以上の長期間の観測資料が必要である。現在の海洋の状況を観測・記録することができるのは、今に生きる私たちだけである。私たちは、次世代の人々のために、出来るだけ正確な観測資料を残す責務がある。

拙ブログ関連記事:
2007年01月06日 共著論文原稿の校閲,海洋観測
2009年10月04日 ベニス2009年9月

3.海洋観測にかかわる科学技術政策
管理人には気象庁に勤務する友人・知人が多数いる。その人たちの今回の観測船減船の苦渋の選択を思うと、その苦労を察するに余りある。おそらく、予算削減要求の中で何とか観測船を残そうとしても、「国民への説明責任」の美辞麗句とともに、目先の成果に直結する費目の維持に目を奪われている財務省、国土交通省の担当者を説得できなかったのではないかと思う。

気象庁の平成22年度概算要求一般会計総額、676億円の内、台風・集中豪雨対策等の強化、地震・火山対策の強化、地球温暖化観測・監視体制の強化、静止地球環境観測衛星の整備の主要4施策には総額で119億円が計上されている。しかし、その中の約75%を「静止地球環境観測衛星の整備」を占めている。MSN産経ニュースの2009年11月3日付け記事「打ち上がる?次期気象衛星「ひまわり」 気象庁がコスト削減に奔走」では、気象庁が静止気象衛星経費確保に苦心している様子の一端が報道されている(ウェブ魚拓はここ)。この静止気象衛星経費確保の余波が3隻の観測船の減船に及んだと推察される。

静止気象衛星の重要性は明白である。しかし、何故、その予算確保の責任を一外庁である気象庁に負わせなければならないのか? この問題点については、ブログ「松浦晋也のL/D」2008年7月6日付け記事「気象衛星の危機的状況」がかなり詳細に論じている。

そもそも、気象衛星の運用が近年の気象庁における海洋観測業務を圧迫してきたと思われる。日本周辺の4点に展開されていた海洋気象観測ブイロボット(大型海面係留ブイ)が2000年頃に廃止された。また、2004年?には神戸海洋気象台の観測船「春風丸」は廃船され、「啓風丸」が本庁から移管された。そして、今回の3隻の廃船である。今のままの状況では、管理人のグループが開発したK-TRITONブイのような最新技術を導入した観測は気象庁には実施不可能のように思える。

予算総額の削減の折り、予算項目の取捨選択が必要なのはいうまでもない。しかし、気象庁内で、静止気象衛星を取るか海洋観測船を取るか、の選択ではなくて、静止気象衛星の維持・管理を気象庁単独から関係省庁の合同管理にするとか、次世代に残す海洋観測資料を国全体として継続的に取得する方策を確保する、という視点から、科学技術政策を決定すべきであろう。「縦割り省庁組織に絡め取られた官僚主導」ではなくて「あるべき姿を追求する政治主導」に期待したい。その中では、気象庁、海上保安庁、水産庁を統合して、米国大気海洋庁(NOAA)のような組織を創設することも視野に入れるべきと思う。なお、米国ではNOAAと米国地質調査所(USGS)とを統合することも検討されているらしい。

4.おわりに
管理人にとっては、引退する3隻の中で、長崎海洋気象台の長風丸については、特に思い入れが強い。1980年代半ばにKIさんが担当して新長風丸が完成したときの将来への期待に胸を膨らませたのが、今では懐かしい。東中国海における黒潮についての管理人の論文は新長風丸による観測データなしにはありえなかった。2001年から2005年には、長崎海洋気象台とJAMSTECとの共同研究で、毎年、九州南方海域で長風丸による観測をおこない、南西諸島の南側を北上する琉球海流とトカラ海況を通過した黒潮との九州南東海域での合流についての資料を得た。

概算要求資料では、1993年にISさんと相談して観測点を定め、足摺岬沖黒潮横断協同観測を行い、2005年までの集中観測が終了後も気象庁によって維持されていた観測定線が、2隻体制では廃止されることになっていることを、11月4日から6日に東京で開催された第2回Kuroshio Implementation Panel(KIP,北太平洋大気海洋相互作用国際研究集会)で知った。仕方がないとはいえ、残念ではある。

思い返せば、1970年代に管理人が海洋学研究に携わるようになってから、4水産系大学に各2隻付属していた大型練習船は各1隻になり、春風丸が廃船となり、今度は他の3隻も廃船となってしまう。地球環境が大きく変貌しようとしている近い将来において、細かい観測点間隔で種々の新たな装置を用いた観測を臨機応変に行うことが可能な観測船なしには、数値変動予測モデルの検証はできないと考える。

追記(2009年12月25日00時40分)
本記事をアップした数時間前にブログ「気象・歳時・防災 コラム!」に「海洋気象観測船3隻を廃止へ…気象庁」と題する記事がアップされているのに気付きましたのでお知らせします。この記事およびそのコメント欄では気象庁の対応が強く非難されている。一部に誤解があるようにも思うが、ご一読をお勧めする。

posted by hiroichi at 03:31| Comment(4) | TrackBack(4) | 海のこと | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 管理人氏、

 2点異議があります。

 @専用船

「専用の観測機材・装置を装備して細かい測点間隔で種々の新たな装置を用いた観測を臨機応変に行うことが可能な海洋観測船が必要」

 というご主張でよろしいでしょうか?新たな海洋観測技術なり最新技術を導入した観測を開発・運用可能なのであれば「専用船」である意義を感じません。

 例えば地学組では海底ケーブル敷設船や航洋タグボートを用いて電磁気探査や物理探査、ROVによる海底調査を行っています。専用船を用いなくて良いのであれば、他の船でも実施可能ということであり、それだけ観測に必要なシップタイムの融通が利くと考えますが、いかがでしょうか?

 専用船はここぞという場所に集中運用させるべきです。他の船でも可能な任務にまで用いなくて良いと思います。

@三官庁合同

 どうも「組織の機能」にしか着目しておらず、「組織の目的」を失念しているように思われます。法執行機関の場合にはその任務上、「警備活動」を行っていますが、その警備線上で観測を行った場合、そこが巡視船なり、漁業取締船なりの活動場所ということになり、警備の効果が落ちてしまいます。それをどうやって担保するのでしょうか?

 「研究に必要な海洋データは取得できたが密航・密漁は増加した」では一納税者としては許容しかねます。
Posted by HMS at 2009年11月09日 03:58
HMS 様

>@専用船
ここでいう専用船とは、一般海洋観測用装置を装備した一般海洋観測の「専用船」という意味で、用いています。
説明が粗雑でした。ご指摘をありがとうございました。

>@三官庁合同
納税者の中にも種々の考えがあるのは当然です。技術の進展を含めた新たな状況に対応した組織改革とするのか否かが問われていると思います。
一部の既得権益者ではなく大多数の国民の同意を得ることができるような選択・集中を進めるのが政治だと思います。検討の結果、現状維持ということもあるでしょうが、不断の検討が必要と思います。今までは、過去の経緯に囚われていたように思います。
Posted by hiroichi at 2009年11月13日 21:10
@専用船

 言葉が足りなかったようで申し訳ございません。例えばJAMの「かいよう」はDo-NETの作業船になるようですし、他にも船齢の高い船が何隻かいますが、これらを全部代船にするよりも、船を選ばなくて済むような観測機材の開発に建造費を回したほうが海洋観測の充実の面からも得策ではないかということです。

 例えばXCTDが(航空機投下型は一応ありますが…)有線である必然性を小生は感じないのです。XBTのように使うことが出来れば、必要なのは回収船だけで済みますし、もっと他の海洋観測に船舶を従事させることが出来ると考えます。

@組織改変

 仰るとおり、選択と集中の権限は納税者たる国民にあります。しかしながら先日の「仕分け人」なる連中の所為を見るにつけ、改悪されこそすれ、改善される見込みが無いように思われます。

 そこに「現業官庁」と「研究」を同列に並べたら行政サービス全体が悪化します。「検討するだけの能力がある人間」が判断するのでなければ、現状維持が無難ではないでしょうか?
Posted by HMS at 2009年11月15日 14:48
HMS 様
@専用船
一般海洋観測の「専用船」は、共通装備品として、各種の汎用海洋観測用ウィンチと汎用クレーン、各種音響観測装置、他を搭載しています。このような専用海洋観測船に特に新たな設備の追加なしに搭載可能な種々の観測装置(例えば、光学、CO2関係)の開発は進められています。一般船舶に、航海ごとに、各種の汎用海洋観測用ウィンチと汎用クレーンを艤装する形態も否定はしませんが、工事経費、運航計画、との兼ね合いのように思います。

XCTDはXBTと同じように使用して、水温のみならず塩分の鉛直分布を航走しながら取得できます。しかし、その測定精度や測定可能最大深度の面で、有線式(ケーブルで降下させる)CTD装置の替りにはなりません。

@組織改変
HMSさんのお考えをお知らせいただきありがとうございました。
Posted by hiroichi at 2009年11月18日 17:25
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