高校生のときに履修した理科は、「物理」「化学」の2科目だけだった、マイスターです。と述べている。その本文では、高校で「地学」が軽視されている現状とその理由(大学入試センター試験において物理と競合していることなど)を述べた後、「履修科目を選ぶ前に「科目選択のためのガイダンス」を実施する」ことを提案されている。以下は、この記事に関連した事項。
工業大学の付属高校だったので、こんなカリキュラムだったのでしょう。生物や地学は学んでいませんので、中学生までの内容で止まっています。
生命科学や地球規模での環境問題、宇宙開発などが重要な位置を占めているこの時代において、これでいいのかと大人になった今、よく思います。
1.理科の科目選択
倉部さんは「科目選択のためのガイダンス」について、
物理、化学、生物、地学それぞれの面白さと、「それを学ぶことで、後にどういった世界が拡がっていくのか」という話を、選択の前に伝えるのです。と述べている。
それぞれの科目の教員がプレゼンテーションをしても良いでしょうし、それぞれの科目を学んで大学に進学した卒業生達をゲストに招いても良いでしょう。
そうやって魅力を知れば、「地学が面白そう!」なんて思う生徒も、もっと出てくるのではないでしょうか。
地学だけを優遇するわけでもないので、公平です。
私は、高校時代には地学部に所属して、天体観測の他に、鉱山の見学をしたりもしたが、固体地球に興味を覚えることはなかった。このような私には、地学全般を受験勉強の対象として選ぶことは考えられず、大学受験は物理と化学を選択した。これは管理人の個人的経験にすぎないが、今の多くの高校生も地学の一分野が「面白そう」というだけで「地学」を受験科目に選択するとは思えない。望ましい状況ではないが、大学進学を目標とする高校生にとっては、受験に有利な科目を選択することを優先すると思う。その際、天文、地質、鉱物、地震、火山、気象、海洋と種々雑多な概念と知識を要求される地学は敬遠される。というか、受験勉強としての科目選択と教養・趣味としての科目選択は異なると思う。
2.地学とは
NHK高校講座「地学」のカリキュラムに示されているように、現在の高校地学は、物理学(と数学)を基礎として、生物および化学が関わる応用科学としての性格が強い。その個々の対象の時間規模と空間規模も大きく異なり、検証の難易度の大きく異なることから、研究手法も大きく異なる。このような地学(惑星地球システム科学)では、未だに独立した科学分野としての体系は確立していないと考える方が適切であろう。
参照:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の「地球科学」
体系が確立していない科学分野の教育は、断片的な記述(知識)を網羅することになる。したがって、理科4教科の中で、地学教育は他の体系化された3教科とは異なる位置付けで行う必要があると思う。もちろん、惑星地球システム科学の体系の確立を目指して各分野の研究者が研究を進めるのは学問の発展形態として当然のことではあると思う。しかし、現段階では、地学に関わる教育と研究とを明確に分離する必要があると考える。
自然界の複雑な現象の観察・観測方法、その仕組みについての理解を深めるための努力の歴史、防災のための基礎知識などを地学の授業を通して学ぶことで、それこそ、数学、物理、化学、生物を学ぶ楽しさや有用性を知ることになる。また、自分たちが生活している宇宙と地球における種々の現象について疑問を抱き、理解を深めることを通して、科学的なものの見方を身に付けることができる。このような重要性と意義が地学教育にはあると思う。このような特性を有する地学の教育を、知識の量と質を問う現在の我が国における大学入試の現状で、どのように進めたら良いのか、悩んでいる。大学入試制度の改革しかないのかもしれないが、知識の量と質を重視する大学人が大多数の現状では、それも難しいとも思う。
日本地球惑星科学連合は、昨年11月に「地球惑星科学教育の目標」を発表している。この総論的な目標にそって具体的なカリキュラムの検討を進める中で、知識の量と質を重視する姿勢に変わりがないことが明瞭になってしまうことを危惧している(最近、故あって会員にはなったが・・・)。
3.科学リテラシー教育
2007年9月に日本地球惑星科学連合は中央教育審議会に「すべての高校生が学ぶべき地球人の科学リテラシー ― 高等学校「理科」における全員必修科目 精選「教養理科(仮称)」の提案 ― 」を提出している。この提案作成にかかわった方々の労に感謝する。しかし、この提案でも「科学の知識の量と質」を重視しているように思う。科学リテラシー教育では、「科学についての知識」を伝えることが不可欠であり、そのためには、試行錯誤の歴史や方法論についての一節が必要に思う。
関連記事:
2008年04月09日 科学についての知識(拙ブログ)
4.おわりに
現在の高校地学には、気象・気候との関わりを除いて海洋学はほとんど含まれていない。極言すれば、現在の地学のカリキュラムは化学・生物学が密接にかかわる海洋学とは相容れないものになっている。このため、高校地学に関わる学会の連合である日本地球惑星科学連合には違和感を感じていた。しかし、2007年9月の提案では、従来になく、海洋における物質循環、生物過程も取り込まれている。この点では、日本地球惑星科学連合も大きく変わったという印象を持った。ただ、これは地学教育ではなくて、精選「教養理科(仮称)」だからなのかもしれない。
地学の中の海洋学の存在を気にするよりも、現在ではその意味があいまいな「科学リテラシー」と「社会リテラシー」を専門家と非専門家との対話を通して、ある程度はっきりしたものにしていく方が、もっと重要であるように思う。
今年は国際天文年と日食あるので天体観測が特に注目されていますね。
アメリカには、木星へ衝突した彗星で知られるシューメイカー氏がいました。
元は地学者で核実験にも携わりその後は変人扱いされながらもコーサイト発見から隕石衝突の痕跡を証明した経緯のビデオを見ました。
受験科目の選択は仕方ないとして、核開発の是非とは別に宇宙の始まりのことや元素の増える過程や生命が生まれた過程を基礎知識として義務付けると応用の幅が増える気がします。
国語なら文法、英語なら動詞の扱いみたいなものと認識できればと思います。
歴史の授業で履修漏れを防ぐために現代から古代へ遡る意見もききます。
理化の場合はいろんな関連性や生徒の読解する想像力と能力との兼ね合いで難しいみたいですけどね。
コメントをありがとうございました。
>核開発の是非とは別に宇宙の始まりのことや元素の増える過程や生命が生まれた過程を基礎知識として義務付けると応用の幅が増える気がします。
私は地学教育を「基礎知識として義務付ける」という方向で進めても、暗記能力のみが増強、要求されることになってしまうことを危惧します。「問題設定能力」や「探求心」を涵養するためには「基礎知識」がある程度必要なのは分かるのですが、どうしたら良いのか、答えが見つかりません。たぶん、「探究を基盤とする理科教育」の手法の材料として「地学」の各項目が非常に有効なのだと思っているのですが、具体的な方法が思いつきません。
私は計算嫌いで、公式の暗記が嫌いですが、数学自体は今でも好きです。
受験では、公式の暗記や解法の暗記、ミスが無く、速い計算を能力が必須になる場合が多いです。
コメントをありがとうございました。
>受験では、公式の暗記や解法の暗記、ミスが無く、速い計算を能力が必須になる場合が多いです。
私が大学受験生の頃の一般の大学受験数学は解法をすばやく思い出す記憶力を要求しているだけだったような気がします(受験参考書はチャート式○○が全盛でした)。今も、この傾向が続いていると思います(センター試験により強化されているとも言えます)。
暗記の対象となるような項目は参考書や辞書を調べれば分かることです。入試では、暗記量や計算能力ではなくて、大学での学びに必要な基礎的な考え方や見方・方法を身に付けているのか否かを問うものにすべきと思います。本来のAO入試はこのことを目指していたはずですが、日本に導入される際に変質してしまいました。私が大学教員の時には、受験生の選別、採点の負担軽減という理由で、より正確で詳細に暗記することを受験生に要求する大学入試を何とか変えたいと思っていましたが、国大協の横並び体制の中で何もできませんでした。
理系離れ対策については、理系離れの原因のみならず、理系離れ対策の必要性を叫ぶ動機も種々あって、明確な対策を打ち出せていないのが現状だと思います。大学入試改革が理系離れ対策の有効な方策の一つとは思いますが、受験生確保が最優先の中、大学入試制度改革も難しいと思います。東大が先陣を切って改革すれば良いのでしょうが・・・
私自身は数学という考え方は、好きなのに試験は生理的に嫌いでした。
数千年という長い時間をかけて、天才や秀才達が作り上げてきた巨大な建築を、凡人が、わずか1時間ぐらいで作り上げるのは不可能です。
だから条件反射的な暗記重視になるのは必然です。
でも数学を概念や思想と考えれば、数学は計算部分や暗記部分を軽減しても、重要であることがわかると思うのです。
現実の教育では、逆の場合が多いと思うのです。
>私自身は数学という考え方は、好きなのに試験は生理的に嫌いでした。
私が数学の本当の面白さに気付いたのは大学に入ってからでした。一時、数学に魅入られて数学科へ進学することを思ったりしましたが、仲間との勉強会(自主ゼミ)で自分の能力(センス)の無さに気付き、断念した思い出があります。
>現実の教育では、逆の場合が多いと思うのです。
同意します。
学校教育や入試では、数学のみならず他の文系の科目においても、暗記能力を重視して、「概念や思想」へのアプローチを軽視しているのが、理系離れを含めた現在の日本の風潮を招いている原因の一つであると思っています。倫理社会も歴史・地理も暗記科目に堕しています。
「概念や思想」を普及する活動の一環として、「科学リテラシー」の普及活動があると思っています。
ただ丁寧に読むとかなり時間がかかるので、受験生には読む時間がないだろうなと思いました。
小学生の理科の授業時間数を増やすか、大学や高校の受験の問題の形式と必須科目を変えないとだめだろうと思います。
特に文系希望の学生は、学習時間から逆算して、理系科目の学習時間を消去法で優先的に削られると思います。
理系の教養は、文系理系専攻に関係なく、大人になっても役立つので、勿体ないと思うのです。
>小学生の理科の授業時間数を増やすか、
小学生高学年までの理科への興味はかなり高いものの、それ以降には急激に低下しているという報告を見たことがあります。おそらく、理科に関わる種々の不思議な現象を初めて知ったり、素朴に考えるたりする段階では強く興味を持つものの、理科に苦手意識を持っている教師が多いこともあって、その後の、思考を停止してひたすら暗記することを求める授業内容のために理科への興味を失ってしまうのではないかと思います。
算数の授業についても、例えば、分数の割り算のような単元で躓いた場合に、教師が多忙なために適切な指導が行われず、算数が苦手となる生徒が多いということを聞きます。
こうして、理数系を苦手とする生徒を増やしているのが現在の日本の教育だと思います。このような状況では、小学校教育においては、「理科の授業時間数を増やす」よりも、理数系教育担当教師数の充実と教育方法の改善(探究型科学教育の普及)が「理系離れ」を防ぐために必要と思います。
注:「探究型科学教育の普及」については、拙ブログの以下の記事を参照
http://blogs.dion.ne.jp/hiroichiblg/archives/7835985.html
>理系の教養は、文系理系専攻に関係なく、大人になっても役立つので、勿体ないと思うのです。
強く同意しますが、理系離れをしてしまった(苦手な理系の教養なしに生きていこうと決意した)人・生徒には分かってもらえない説だと思います。
社会人を対象とした「義務教育やり直し講座」が、全国的にさかんになれば、教師の採用枠が増えると思うのですが・・・。
分数の割り算については自分のブログに書いたことがあります。
http://blogs.dion.ne.jp/tacthit/archives/6159286.html
これも「普通の割り算と別の概念」というか、発想を転換しないと理解できないですね。
虚数とか、非ユークリッド幾何学やトポロジーもそうですが・・・。
>「理系離れをしてしまった(苦手な理系の教養なしに生きていこうと決意した)人・生徒には分かってもらえない説だと思います。」
機械オンチというか機械恐怖症みたいな大人はいると思うのです。
パソコンが苦手な人とか・・・。
説明書を読むのが嫌いで、できるだけ触らないようにしている人とか・・。
でも、そういう人は後悔していると思うのです。
今からでも遅くないと思うのですが・・。
説明書を読む、因果関係を論理的に考える、図にして考える。
それだけで、理解度は高まります。
車の運転はできて、囲碁や将棋ができるのに、パソコンが苦手という人は結構います。
あと「健康な食事?」とは何かということを迷っている人は多いと思います。
化学的に考えるといいんですけど・。
例えば、本当に市販の飲料水は、水道水より安全か?あるいはおいしいのか?
もし、安全なら理由は?
おいしいなら理由は?
水は本来は、無味です(温度に違いで、おいしいと感じたりします)。
市販は熱による殺菌が多いです。
水道水の塩素殺菌とどちらが安全か?
などなど、日常生活に役立ちます。
巷で売れている武田邦彦先生の環境問題本も、その流れだと思います。
武田先生の本は、個人的には感心しません。
でも武田先生の本が売れるということは、それだけ潜在的な需要があったということだと思います。
この需要に注目することが大事だと考えています。
貴ブログの「分数の割り算について」の記事を拝見しました。「発想の転換」で、それまでモヤモヤしていたことがスッキリと理解できた時の楽しさこそが数学というか、科学全般の醍醐味ですね。
>理科に自信のある教師を増やすことは重要だと思いますが、少子化が進んでいる現在は、難しい気がします。
「米百俵」の話のように、教育体制の充実が未来への投資として必要不可欠だと思うのですが、目先の成果・生活を優先する今の日本の現状では難しいのでしょうね。
>この需要に注目することが大事だと考えています。
私もそのように考えて、本ブログのエントリーを続けています。最近ではネット検索で本ブログに来られる方の数が100名を超える日もあり、手ごたえを感じています。
私が気にかけているのは、理系離れをしてしまった人(というより、暗記優先の教育に毒されて、自分の頭で理解することを諦めてしまった人)です。このような人に「理系の教養は役に立つ」から「理系の教養を持っていないのは勿体ない」と言っても説得力に欠けると思います。
では、「教育改革」以外に、何をしたら良いのでしょうか? 今のところ、私が個人的にできるのは、ブログやサイエンスカフェを通して双方向の対話を地道に続ける中で、科学的な営みの面白さや楽しさを一人でも多くの人に理解してもらうことだと思っています。