4月10日01時35分 追記1
4月10日02時05分 追記2
27日に有給休暇をとって、品川の東京海洋大学で開催された標記のシンポジウムに参加した。
会場は満席ではなかったが、それなりの参加者数(80名程度?)であった。水産学会期間中の一般にも公開したシンポジウムであったが、顔見知りは5名程度であった。
8名の方の講演を聴いたが、もっとも興味深かったのは中島さんの自己紹介から始まって、漁業権の成り立ち、漁業権にかかわる訴訟、「里海」実践活動の紹介であった。また、松田さんのゴーイングマイウエィー的な活動報告も、面白かった。以下は、各講演についての感想など。
関連記事:
拙ブログ 里海
拙ブログ シンポジウム「里海の理念と水産環境保全」
1.「里海」のとらえ方いろいろ(趣旨説明をかねて)
家を出るのが遅れて、最後の方しか聴けなかったが、水産環境保全の推進母体(沿岸域の無用な開発に歯止めをかける手法)としての「里山」活動に期待し、海洋保護区(Marine Protected Area、MPA)、対費用効果を含めた、「里海」活動の特性、条件をまとめられていたのが印象に残った。
2.「里海」の理念-自然科学の立場から
柳さんは、ご当人が提案する「里海」構想に対する、多くの生態分野の人たちの「人手が加わることで生物多様性は高くならない」という反対意見に対し、「人手が加わることで生物多様性は高くなる」実例を示していた。これは、反対意見に対する反論ではある。しかし、この反論によって、「里海」の理念が従来よりも深化した訳ではいない。「里海」を提案・推進する柳さんの立場からは、あるいは本シンポジウムでの他の講演が政策あるいは実践活動に関する話題提供であったことから、このような内容となったのはやむを得ないようにも思うが、管理人としては、これまで「人手が加わることで生物多様性は高くならなかった」原因とその対策への言及が欲しかった。なお、沿岸部の人口密度に応じて、都市型里海と漁村型里海があるのでは、あるいは里海の定義をもっと易しい表現にする必要があるという会場からの指摘(柳さんの話だったかも)は、今後、里海の定義を議論し、普及させる際に重要な視点と思う。
3.地域資源管理システムとしての里海の要件
日高さんは漁業権漁場と一般海面漁場における管理の違いを述べて、行政と利用者による新たな共同管理の仕組み(ネットワーク)作りの必要性を述べた。話としては分かるのだが、具体性に欠けるというか、現実離れした机上の空論のような印象を受けた。全体の方向性を調整する要素と個別の運動主体とのネットワークを提案しているが、ここで行われるべき調整や行動が「タイト」で「クローズ」なコモンズのルールの下で円滑に進むのか疑問である。
4.海洋基本計画における里海の理念と水産環境保全
5.「里海づくり」に関する水産庁の取り組み
6.生物多様性国家戦略と里海
これらは、内閣官房総合海洋政策本部事務局、水産庁、環境省における「里海」に関わる紹介と解説であった。政策立案現場担当者の熱意と優秀さは理解できた。しかし、漁港整備事業と里海関連事業との調整や、水産庁と環境省で進めている里海関連事業の相違や統合の可能性についての、会場からの管理人の質問に対する回答では、縦割り行政の中での限界を再認識させられた。総合海洋政策本部事務局でさえ、政策の調整機能を持たないという説明には唖然とした。
7.地域ルール実態に着目した「里海」の見方
現場を見つめ続けてこられた中島さんの「里海」活動の紹介は、今後の「里海」運動推進に有用な傾聴に値する示唆に富んでいた。講演の後で中島さんとお話ししたが、現場を担う漁業者の人たちの熱意とアイデアを許容するシステムの構築が必要だと思う。
追記2
中島さんがご講演で使用されたスライドが以下のURLにアップされています。
http://www.manabook.jp/090327localrool-satoumi.files/frame.htm
8.漁師と市民,それぞれの里海.そこからの里海
時々刻々と変化する状況に飄々と対応しながら、里海活動を実践されている松田さんの講演を聞いて、力付けらる思いがした。水産庁などの補助金を受けて活動を続けて「生かさず殺さず」の状況になってしまうのを避けるために活動しているという言葉を頼もしく思うと共に、このようなに考える方々と海洋学会との「海洋リテラシー普及活動」についての連携の可能性に思いを巡らせた。
総合討論
「里海」運動を支える科学研究についての議論の中で、科学研究にける「価値観の調整をどうするか?」という質問が出て驚いた。柳さんは「価値観の調整」の必要はない、と断言された。管理人も同感である。研究者に価値観の調整を求める、あるいはその要求を現場に関わる研究者が拒否できない、現在の日本の風潮は憂慮すべきことだと思う。
今後、難しいかもしれないが、「里山」運動における漁民、都市住民、行政間の合意形成プロセスについての議論が不可欠であろう。
邂逅:
水産学会の初日ということもあって、旧職場の同僚(IさんとEさん:海洋学会員ではないのでお会いする機会はほとんどない)と3年半ぶりにお遭いし、近況を語り合った(水産学会会場に管理人がいることに驚かれた)。
追記1
本記事にコメントを頂いたbeachmolluscさんが、そのブログの記事「里海について」で「現代の「里海」について自分なりの理想」を述べられています。御覧ください。
2009年03月29日
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海洋学会会員の情報発信3件のツイート
Excerpt: 以下は6月20日にネットで見つけてツイートした3件の海洋学会会員の活動の補足 1件目は大学同期の柳哲雄さんが海洋政策研究財団 ニューズレター333号に「国際エメックスセンターの活動」紹介した寄稿記..
Weblog: 海洋学研究者の日常
Tracked: 2014-06-23 01:31
里海シンポの様子を紹介されたので、興味深く拝読しました。ありがとうございます。
本家の中島さんのひさしを借りた行政側が母屋を乗っ取るのかな、と想像していましたが、縦割り行政が相変わらず協働していないと言う状況では、単なる「掛け声運動」に過ぎないように思われます。
かなり前になりますが、里海WEB講座というものが開設された時に、その趣旨に賛同して中島さん他の投稿者に混じって私も貝類に関していくつか話題を提供したこともありましたが、読者からの反応も乏しく、講座そのものが数年しか続きませんでした。そのアーカイブもいつのまにか消えてしまっています。
自分のブログに出したばかりの話題ですが、行政がかたくなに否定し続けてきた「入浜権」という概念抜きで「里海」は存在し得ないと思っています。従来どおり漁業権放棄の手続きだけで埋立てが実行されてしまう、そのような実態をそのままにしているのが間違いの根源でしょう。
コメントをありがとうございました。
beachmolluscさんが「里海WEB講座」に関わっておられたことに気付きませんでした。世の中は狭いですね。
確かに「里海WEB講座」へのリンクがきれています。1月初めに拙ブログで記事「里海」をアップした時にはリンク先は残っていたのですが、リンク先の「盤州里海の会 」のメインページには活動を停止するとの告知が掲載されていて気になっていました。
>「入浜権」という概念抜きで「里海」は存在し得ないと思っています。
同意します。シンポでは日高さんが「コモンズ(共有資源の共同利用と管理のシステム)論を援用しながら現在の海の入会について検討し、里海の成立条件について考察」された結果を述べておられました。
貴ブログの記事「入浜権の思想と行動 (本間義人 著)」
http://beachmollu.exblog.jp/9937740/
を拝見しました。この30年間の海岸破壊活動への反省から「里海」運動が多く人の関心を集めているのだと思います。
シンポのコンビーナである山本さんも「水産環境保全の推進母体(沿岸域の無用な開発に歯止めをかける手法)としての「里山」活動への期待」を表明されていました。
これからは、水産環境を保全し、生物多様性を高めながら生物生産性を向上させる具体的方策についての合意を如何に形成していくのかが重要な課題と思います。今回のシンポは、その「初めの一歩」であったとは思いますが、まだ道は遠いという感触を私は抱きました。
種の多様性を保全する思想から国際条約が生まれていますが、多様性を生物群集の指標として「保全目標の価値」にリンクさせると不都合な問題が起きます。群集レベルの種の多様性について誤解が広まっているのです。
サンゴ礁の群集生態学が明らかにしています(他の森林生態の分野でも同様だと思います)が、群集の生態的な指標としての多様性は環境の自然、あるいは人為的撹乱の影響で変化し、撹乱を受けた後で再生中の群集はパイオニア種が多く出て多様性指標が高くなり、その後長期間安定した状態では少数の種が環境を独占して指標が低下します。流出した溶岩でリセットされた海底の上にできたサンゴ群集の多様性を時系列的に比較した実証研究も出ています。
言い換えれば、「繰り返される」撹乱を受ける系では多様性が高く、安定した系ではそれより低くなるわけです。サンゴ礁や森林は安定した状態で時間をかけて出来上がったものがすばらしい景観をつくります。価値観の問題となりますが、小さな沢山の種の造る景観はにぎやかかもしれませんが、美しくありません。
自然環境保全行政で、種の多様性を不用意に使うことは上の観点から見て不合理です。一方、里海ですが、これに種の多様性をリンクさせることは無意味だと思っています。ただし、人工干潟や藻場の造成などで系の生態としての多様性を無視して形だけ造成するようなことに対して論じる場合には意味を持つかもしれません。とにかく、生態学の基礎理論として、いまだに1960-70年代の学問の発展初期の概念をモデルに採用していることが問題です。多様性信仰もその一つです。
生物多様性についてのお考えをお知らせ頂きありがとうございました。
シンポでも、どのような海の状況を「里海」活動が目指すのかについての今後の検討と合意形成の必要性が話題になっていました。
生態系研究者の中では「人手が加わることで生物多様性は高くならない」から里海活動よりも海洋保護区を設定すべきという考えの人が多いようです。この考えを聞いて、生態系の研究者も生物多様性の確保・向上が望ましいと考えていると思っていました。
撹乱による生物多様性指標の減少とその自然回復の観測例をシンポでも柳さんが紹介されていました。環境悪化が進んだ海域では生物多様性が失われていること、あるいは成熟したサンゴ礁のように安定していて生物多様性が比較的低いといっても、ある程度の生物多様性が確保されている(撹乱に対するパイオニア種が存在している)海域は環境変動(撹乱)に対する回復機能が高い考えられることから、その生物多様性を確保・向上させることが自然環境保全に繋がると、私は素人ながらに思っていました。しかし、これこそが多様性信仰なのでしょうか? だとすれば、これらのことについて、多様性信仰から脱却した考え方とはどのような考え方なのでしょうか? ご教示して頂ければ幸いです。
私が指摘した問題点は、どのような指標を採用する場合でも、多様性指標の高さというものが群集の撹乱履歴によって「非直線的」に変化する事実があることです。横軸に自然撹乱の程度、縦軸に多様性指数をとったグラフを作ると、山型のカーブとなるようです。そして、人為的な撹乱ではその傾向は異なっているかもしれません(どのような型になるか、詳細な実証データが不足していると思います)。
多様性が高いことを「よし」とするような考えが固定観念になること(それを信仰、と呼びました)があれば、単純に指標値の高低をもって環境撹乱と環境保全の目安にはできないということです。
>ある程度の生物多様性が確保されている(撹乱に対するパイオニア種が存在している)海域は環境変動(撹乱)に対する回復機能が高い考えられることから、その生物多様性を確保・向上させることが自然環境保全に繋がると、私は素人ながらに思っていました。
サンゴ礁の場合を例にとれば、台風の波浪による基盤の破壊やオニヒトデなどによる食害が自然撹乱の代表ですが、サンゴ類の生長特性から回復に時間がかかりますが、再生産と生長で回復機能があります。パイオニア種を含めて、空間的にモザイク状に分布しているサンゴ類の「広域幼生分散」がありますので、回復が担保されているのです。
自然撹乱と違って、人為的な撹乱の多くは群集生態そのものの質的な変化をもたらすことが考えられます。人為的な環境悪化が顕著に進むと、再生産のための基盤が失われます。
例として、東京湾でハマグリ集団が消滅しましたが、他の海域からの幼生流入による回復は期待薄(近隣海域で軒並み消滅)で、成育環境が回復しても戻ってこないでしょう。
「メタ集団生態学」という分野では、このような集団の地域的ブロックの結合度などを評価し、サブ集団の消滅や回復などを論じます。個々の種についての話ですが、これを多くの種の集団から構成された群集レベルで見ることの困難さは想像していただけると思います。
種の多様性を数値化して指標にすることは行政などにとっては作業上の都合がよいかもしれませんが、生態学的にはほとんど意味を失っていると考えています。
詳細なご説明をありがとうございました。
生物多様性を環境保全の指標に用いることの問題点を良く理解できました(多分)。
>多様性が高いことを「よし」とするような考えが固定観念になること(それを信仰、と呼びました)があれば、単純に指標値の高低をもって環境撹乱と環境保全の目安にはできないということです。
複雑な事象を端的に表す目的で導入された「便利」な「指標」が、大きな誤解を招く例は多いと思います。この「指標」の問題点は、複雑な事象のカラクリを理解するための手助けとして導入した作業仮説(モデル)が独り歩きして世間に誤解を招く状況にも通じているように思います。
このような事態を防ぐために、機会ある毎に、その「指標」や作業仮説の意味や限界を人々に伝えることが、該当する分野の専門家の責務だと思っています。これからも、ご助言を宜しくお願いします。
科学研究に携っている者にとって、仮説やモデルの意味や限界は自明のことですが、行政を含む一般市民やマスコミは科学情報の信頼性について錯覚していることがあるようです。そのギャップを埋めることが科学リテラシー教育・啓蒙の目標の一つでしょう。
生物多様性について補足しておきますが、生物には群集レベル、集団、そして個体のゲノムレベルでそれぞれ多様性(そして変異性)が認識されています。そのため、異なるレベルでは多様性という一つの言葉で表現されている事象の意味が変わります。それが上のコメントで説明してきた混乱の基にもなっていると考えています。生態学の分野では、このようなあいまいな概念がかなりあります。
具体的にサンゴ礁を例にとれば、太平洋と大西洋とで造礁サンゴ類の種数を比べると大西洋が一桁近く低いのです。その他の多くのサンゴ礁生物でも大きな格差が生じていて、太平洋には普通に見られるが、大西洋に欠落しているグループがいろいろあります。その一方で、太平洋ではそれほど目立たないカイメン類や八方サンゴ類の大型群体が大西洋では景観の主役となっているので、水中景観の映像を見れば、どちら側のサンゴ礁かが一目でわかります。映画の海中シーンでいきなり太平洋から大西洋に変わって、度肝を抜かれたことがあります。
多様性の高い太平洋のサンゴ礁の方がよりすばらしい、といったような話はもちろんできません。それぞれ個性があり、同じ海洋でも地誌、地史による地域環境の差異でサンゴ類とその他の種組成が大きく変化します。そのため、生物多様性に意味を持たせることは困難であり、現在は多様性指標や指数が学術的に使われない流れになっています。
大西洋のサンゴ礁の種の多様性が低いことは、氷期のサンゴ礁域の縮小が激しかった影響だろうかと言われていますが、太平洋と一続きだったテチス海の時代の化石はほぼ共通です。
群集を構成する種の多様性がどのようにしてできあがり、変化するかというテーマは1970-1980年台に流行っていました。
海洋生物群集では、Woods Hole海洋研究所のサンダースさんが提唱したTime Stability 仮説、つまり環境が安定している空間では時間の経過で多様性が高まる、というものです。深海底の物理的環境が安定した単調な堆積物の中に多様な生物群集が形成されている事実をうまく説明できます。大西洋の多様性低下もこの概念で説明できるでしょう。
浅海部岩礁の多様性の維持には高次捕食者の存在が重要であることをワシントン大学のペインが野外実験の結果から提唱しました。これは陸上生物群集でも成立する概念のようです。その他、いろいろな説が出ていますが、複雑な現象のいろいろな側面を補完的に説明していると思います。
5日のサイエンスカフェ実施とシンポジムでの発表の準備と、その後の連日の海洋学会出席で御礼が遅くなってしまいました。
太平洋と大西洋とで造礁サンゴ類の種数が一桁ちがうということを初めて知りました。
度重なるご丁寧なご解説を誠にありがとうございました。