暗黒、低温、高圧にさらされた深海は「地球最後のフロンティア」と呼ばれる。厳しい環境に阻まれ、調査が困難を極め、未知の世界となっているためだ。6000メートルより深い超深海で、東京大海洋研究所と英アバディーン大が世界で初めて生きた魚の姿を撮影した。謎だった深海魚の生態が少しずつ分かり始めた。と、読者に海洋への興味を引き起こす出だしで、その背景と共に、大々的に成果を紹介している。ただし、細かいことだが、海底の水温について以下の表現がちょっと気にかかった。
水圧は10メートルごとに1気圧上昇し、水深7700メートルでは771気圧にもなる。温度も深さとともに低下し、1.3度しかない。
このどこが気に障るというのだろうか?と読者は不思議に思うかもしれない。以下は、その答えと補足。
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1.記事の不適切なところ
上に引用した箇所の最初の文で、「水圧は10メートルごとに1気圧上昇する」と述べている。この表現には大きな誤りはない。しかし、この文に続けて、「温度も深さとともに低下し」と述べていることが、何も知らない読者に誤解を抱かせてしまうことになる。
「水圧は10メートルごとに1気圧上昇する」ことは、水圧は深度(深さ、水深は海底の海面からの鉛直距離であり、深度は水中のある点の海面からの鉛直距離)が増すにつれて一定(1メートル当たり約0.1気圧)の割合で増加することを示しており、ほぼ正確な表現となっている。しかし、水温は深度が増すにつれて低下することは正しいにしても、一定の割合で低下するのではない。記事では、深度とともに一定の割合で増える水圧と、一定の割合で低下しない水温とを続けて記述していることが不適切である。以下のような記述だったらこのような誤解を生まなかったと思う。
水圧は10メートルごとに1気圧上昇し、水深7700メートルでは771気圧にもなる。深層の水温は海面よりも非常に低く、水深7700メートルでは1.3度しかない。
2.温度は深さとともに低下しない
海水の密度は水温、塩分、圧力によって変化する。水温が低いほど、塩分が高いほど、圧力が高いほど、海水のの密度は大きい(海水は重い)。
一方、重力が働いている海中では、重い海水は必ず軽い海水の下にある。現実の海でも、深度が大きくなるに従って、その深度での海水は重くなっている。これを密度成層と呼ぶ。もしも、海水の密度が水温のみで決められているのならば、水温が低いほど海水の密度が大きいことより、「水温は深度とともに低下する」というのは正しい。しかし、実際には、海水の密度は水温のみならず、塩分と圧力によっても変化する。このため、時によっては、下層の水温がその上層よりも高い場合がある。
3.水温逆転層
一つは塩分の影響である。水温と塩分の密度の変化の仕方が逆である。このため、塩分の違いが大きい2種類の海水(水塊)について、一方の高温高塩分な海水(水塊)の方が、低温低塩分な海水(水塊)よりも重い場合がある。これを踏まえ、以下のような3種類の水塊を考える。
水塊1:高温高塩分な水塊で密度がA
水塊2:高温高塩分な水塊で密度がBで、B>A。
水塊3:低温低塩分な水塊で密度がCで、B>C>A。
高温高塩分な水塊1と水塊2が密度成層しているところに水塊3が浸入すると、密度はB>C>Aだから、深さ方向の水塊と水温、塩分の分布は
深さ 水温 塩分 密度
上層 高温 高塩分 A
中層 低温 低塩分 C
下層 高温 高塩分 B
となって、下層の水温は中層より高温となって、水温逆転層が形成される。このように、異なる水塊が貫入したところで水温逆転層が発生する。南から黒潮によって運ばれてきた高温高塩分な水塊と北から親潮で運ばれてきた低温低塩分な水塊が出会う海域の表層下などで多くみられる。
4.海水の圧縮効果
「気体の圧力Pは体積Vに反比例し絶対温度Tに比例する」ことは知られていると思う(ボイル・シャルルの法則)。
日常生活では水は圧縮されないと取り扱われている。しかし、実際には、海水(水)も気体と同じように圧縮される。このために、圧力の増加と共に海水の密度が増える。また、温度(現場水温)も増加する。その増加率は、1000メートル(100気圧)当たり約0.1度である。このため、ほぼ同じ海水で占められている深層での現場水温は深さが1000メートル増すごとに0.1度ずつ上昇している。
水深7000メートルの海底上から深度2000メートルの海中を全く同じ海水が占めていても、海底上の圧力が深度2000メートルでの圧力よりも500気圧高いため、現場温度は0.5度高いことになる。このことは、海水は周りから加熱されなくても、深層に移動するだけで、現場水温が上昇する性質があり、保存量ではないことを表している。表層のように水温と塩分の組み合わせで水塊を区別したり、混合の度合を見積もるために、圧力に依存しない保存量として「温位(Potential Temperature )」が使われる。
5.おわりに
真水に塩類が加わっただけの海水ですが、そのことによって水温分布が大きくことなること、あるいは海洋における水圧の大きな違いが海水の圧縮を引き起こすこと、により、日常生活からは思いもかけない現象が海には出現していることに面白さを感じて頂ければ、幸いです。