2009年01月23日

2010年1月から塩分の定義が変わる!

2009年1月24日22時40分 一部修正
2010年4月1日1時5分 追記


関連記事:塩分と塩分濃度

「塩分なんてとっくの昔にちゃんと決まっていたのでは?」と思っている人が多いと思います。私も1978年に実用塩分が決められてからは、変わることはないと思っていました。しかし、そうではないようです。

「新しい国際海水状態方程式、海水の熱力学方程式2010(TEOS-10)の提案書が完成したのでコメントを広く求める」というメールがYTさんを通して16日に届いた。

国際海水状態方程式とは、国際的に定められている種々の水温、塩分、圧力の組み合わせにおける海水の密度の値の実験式(多項式、最新版はUNESCO1981版)である。一体、何がどう変わるのかと興味をもって、早速、指定された以下のURLから提案書をダウンロードして一読してみた。
http://www.marine.csiro.au/~jackett/TEOS-10/

学生時代に何気なく読んだ昭和30年代?の論文で気になっていた「海水の質量欠損」に関わる最新情報だった。具体的には、「今まで海水の比電気伝導度から実験式で求めていた実用塩分に換えて、海水中1kg中に溶けている物質の総重量(g)を表す絶対塩分を用いて、他の種々の物理量と整合性のある状態方程式を新たに定める」という提案である。順調に手続きが進むと、2010年1月からは学術論文で使用することが勧告されている。

話はそれほど簡単ではないが、以下に、この提案の簡単な説明を試みる。

2010年3月発行の日本海洋学会和文学会誌「海の研究」第19巻2号P127-137に以下の寄稿が掲載されていますのでお知らせします。
河野健:新しい海水の状態方程式と新しい塩分(Reference Composition Salinity)の定義について
http://uminokenkyu.no.coocan.jp/19-2/19-2-3.pdf

1.塩分測定の歴史
塩分(絶対塩分)は、「海水中1kg中に溶けている物質の総重量(g)」で定義される。単位はg/kgあるいは千分率(o/oo、パーミル)を用いる。日本近海の表層では33から35パーミル程度である。塩分は水温、水圧とともに海水の密度(海水1立方メートルの重さ。単位はkg/m^3(立方メートル)。約1000kg/m^3であるが、これは1g/ccであり、比重と混同される場合があるが、密度と比重は全く違うので注意が必要)を決める物理量である。海水の密度は海水の運動に関係するので、塩分は最も重要な海水特性物理量の一つであり、その効率的かつ精密な測定が必要であった。

塩分を測定する最も単純な方法は、その定義に従って、ある量の海水を煮詰めて水分を除いた残りの重量を測定し、海水1kg当たりの重量をgで表した値を求める方法である。しかし、この方法では、毎回、海水を煮詰めるのには時間がかかり、その精密な測定も難しい。

1970年代までは、世界の海の海水組成がほぼ同じであることと、硝酸銀滴定による海水中の塩素量の測定法が確立したこともあって、海水中の塩素量を化学的に測定し、それに一定値をかけることで、塩分(塩素量を含む海水中に溶けている全物質の重量)を求める方法が広く採用されていた。

しかしながら、この化学的方法でも多数の海水試料の分析には時間を要し、ほぼ一様な深層の海水のわずかな塩分の差を検出する精密な測定は難しい。このため、海水中に溶けているイオンの濃度が高いほど電気伝導度(電気抵抗の逆数)は大きいという性質を利用して、塩化カリウムの基準溶液の電気伝導度に対する実際の海水の電気伝導度の比(これを比電気伝導度という)と塩分との間の実験式から塩分を求める方法が考案された。1978年には比電気伝導度から塩分を求める実験式が国際的に定められた。これが実用塩分(PSS-78)である。実験室で実用塩分を測定する装置としてサリノメータ(塩分測定装置)が開発された。電気伝導度は塩分のみならず水温によって大きく異なる。このため、サンプルの水温の制御が極めて重要である。現在、広く使用されているサリノメータはサンプルの水温を恒温槽を用いて制御しながら、100cc程度の海水を使って、数分間の所要時間で塩分を0.0001の精度まで測定可能である。なお、水中電気伝導度センサーが長期間係留観測や鉛直分布観測で広く利用されている。

このほかの塩分測定の方法としては、精度は非常に低いが、海水の光学的性質(屈折率)が塩分によって異なるという性質を用いた装置や、海水の水温と密度から逆算して塩分を求める装置(器具)もある。また、最近では、海面からの電磁波放射強度が表層塩分によって異なることを利用して広域の海面塩分分布を測定する人工衛星リモートセンシング技術も開発されている。

参考:文科系のための科学講座、環境科学編【9】汚染を測る(1) 
塩酸と硝酸銀溶液を混ぜると、白濁する。これは、塩酸に含まれていた塩化物イオンと硝酸銀溶液に含まれていた銀イオンが結び付いて、塩化銀という水に溶けない物質ができるからである(ちなみに「塩化物イオン」と「塩素イオン」は、同じものである。どちらの用語が好まれるかは、その分野の参考書に従うと良いだろう)。硝酸銀滴定法は、塩化物イオンを沈殿させるためにどれだけの量の硝酸銀が費やされるかを測ることによって、塩化物イオンの量を測る方法である。この方法の詳細はJISで定められている。

2.海水の状態方程式の歴史
海水の密度と水温、塩分、圧力の関係は単純ではない。例えば、一方が高温低塩分な海水と他方が低温高塩分な同じ密度の2つの海水の同量を混ぜると元の海水より重くなる。このような海水の密度を求める際には、以前(私が学生のころは)には、種々の測定結果をまとめて作成された水温、塩分、圧力の種々の組み合わせに対する密度の値を示す数表が用いられていた。

このような数表を用いるのは煩雑であることから、数表に示された海水の密度を実用塩分、水温、圧力の多項式で表した式が提案された。この多項式は1981年にはUNESCOにより国際的に統一され、国際海水状態方程式1981(International Equation of State of Seawater, UNESCO1981)として広く利用されてきた。

しかし、その後、この状態方程式(EOS-81)には、以下の問題点が生じていた。
1.EOS-81は、熱力学ではなくて実験式に基づいて作成されたため、同時に定められた海水の定積比熱、海水中の音速、海水の結氷温度、その他と必ずしも整合性が失われている。

2.1970年代後半から、より精確に熱力学に基づいた純水の状態方程式(IAPWS-95)が提案されていた。また、海水の比熱、音速、密度最大温度がより精密に測定されている。

3.海水組成の違いが海水密度に及ぼす影響の海盆による違いについての理解が深まった。

4.気候変化における海洋の重要性の認識が高まるとともに、EOS-81では取り扱えない海水のエンタルピーと内部エネルギーをより精確な表現が必要になっている。

5.水温の定義がITS-68からITS-90に変わった。また海水組成要素の原子重量が改訂された(IUPAC,2005)
これらの問題を解決するために、2005年からSCOR (Scientific Committee on Oceanic Research: 国際海洋研究科学委員会)とIAPSO(International Association
for the Physical Sciences of the Oceans:国際海洋物理科学協会)の第127作業部会が改定作業を進めてきた。

注)Gibbs関数、エンタルピー、内部エネルギーと熱力学の専門用語がたくさん出てきますが、ここでは説明を省きます。

3.新しい海水の状態方程式の骨子
以下の2つが新しい海水の状態方程式の骨子である。

1.新しい海水の状態方程式は、純粋に数学的手順(偏微分)で海水の全ての関係する熱・物理学量を導出できる熱力学の法則を満たすGibbs関数(ギブスポテンシャル)に準拠する。

2.Gibbs関数は絶対塩分、水温、圧力の関数であるので、これまでの実用塩分に換えて、絶対塩分を海水の状態方程式でも用いる。

実用塩分は海水の電気伝導度に基づく量である。世界中の海水の組成が全く同じならば、絶対塩分と実用塩分あるいは硝酸銀滴定で求めた塩分は一致する。しかし、海水の組成が海盆によって異なることが明らかになったため、絶対塩分は実用塩分あるいは硝酸銀滴定で求めた塩分と必ずしも一致しない。

例えば、海水の純水の一部を同じ容積のケイ酸塩に置き換えた場合を考える。このとき、ケイ酸塩は非イオンなので電気伝導度はほとんど変わらないが絶対塩分は変化し、それに伴って密度、その他も変化する。
逆に、海水に塩化ナトリウムを加えて、同じ重量のケイ酸塩を除去すると、絶対塩分は変化しないが、実用塩分は変化する。

資料では、上に説明した骨子の延長として、以下のことが述べられているが、説明は割愛する。

1)基準海水(北大西洋のある海域の表層水と同じ物質組成の海水)の絶対塩分(基準塩分)は実用塩分の(35.16504/35)倍である。

2)採水された個々の海水サンプルの絶対塩分の測定は難しいこと、および直接測定された値を記録するのが望ましいので、今後の海洋観測データセットにおいても、実用塩分、現場水温、現場圧力の値の蓄積を継続することを推奨する。

3)採水した海水の構成が基準海水と同じであるとして得られる密度(基準組成海水密度)と実測した海水密度(実際の海水組成から得られる密度)の差(絶対塩分偏差)はこれまでの観測の結果から、緯度、経度、深度の関数として経験的に得られているが、今後、更に改訂される。

4.おわりに
昭和30年代?に話題となっていた「海水の質量欠損」とは、硝酸銀滴定で測定した海水の塩分を用いて海水密度についての数表から求めた密度よりも実際に測定した密度が小さいという現象でした。当時もその原因は海水組成の違いにあるという結論だったように記憶しています。今回の実用塩分と絶対塩分の説明を読んで、理解が進みました。

海水の塩分あるいは密度の定義といえども単純ではないことや、海水の状態方程式に熱力学や化学が密接に関係していることに面白さを感じて頂ければ、幸いです。
posted by hiroichi at 03:51| Comment(4) | TrackBack(0) | 海のこと | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
初めてお邪魔しました。懐かしさで一杯になりながら読ませて頂きました。Gibbs関数なんて既に完璧に忘れており、内容を正確に理解するのは無理でしたが、磁気テープの山と格闘していた先輩を思い出しながら、今後はこんな作業も加わるんだなあ、昔のデータもこうした話を考慮して補正すべきなのだろうか、出来るのだろうかなどと考えてしまいました。
今は海盆ごとに組成が違うということになっているのですね。原因は分かっているのでしょうか?熱水鉱床とかを考えれば微妙な違いがあるのは当然とは思いますが。
Posted by Polly at 2009年02月19日 23:22
Polly 様

コメントをありがとうございました。

>今後はこんな作業も加わるんだなあ、昔のデータもこうした話を考慮して補正すべきなのだろうか、出来るのだろうかなどと考えてしまいました。

「採水された個々の海水サンプルの絶対塩分の測定は難しいこと、および直接測定された値を記録するのが望ましいので、今後の海洋観測データセットにおいても、実用塩分、現場水温、現場圧力の値の蓄積を継続すること」が推奨されています。しかし、温位を用いたデータ解析では、実用塩分を絶対塩分に換算して、新たな国際海水状態方程式で計算される温位を用いる必要があると思います。

>今は海盆ごとに組成が違うということになっているのですね。原因は分かっているのでしょうか?熱水鉱床とかを考えれば微妙な違いがあるのは当然とは思いますが。

ダウンロードした資料によると、特に北太平洋高緯度で絶対塩分偏差が特に大きくなっています。この絶対塩分偏差はシリカの濃度の違いが関係していますので、絶対塩分偏差(海水組成の違い)の原因は、多分、プランクトン(珪藻)が大きく関与していると思います。
Posted by hiroichi at 2009年02月20日 00:59
お教えありがとうございました。納得いたしました。今後とも勉強させていただきます。
Posted by Polly at 2009年02月23日 22:10
本件についての解説記事が「海の研究」に掲載されましたので、その情報を本文中に追加しました。
Posted by hiroichi at 2010年04月01日 01:06
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