拙ブログが参加している「にほんブログ村」の科学ブログトラコミュ「科学コミュニケーション」にトラックバックされたエントリー「2008年大晦日の科学ニュース一覧」を通して、2008年大晦日のYahoo!Japan科学ニュースの一覧の中に、
*海流調査用のロボット版「ニモ」、漂流の末回収という項目が記載されているのを知った。
(人気アニメ映画「ファインディング・ニモ」にちなんで名付けられたロボットの「ニモ」が、海流の温度調査を目的にオーストラリアの海に放たれたものの、強い海流に耐えられず回収された。)
何か、的を得ない内容なので気になり、ネット検索で元ネタを調べてみると、ロイターが配信した以下の記事(ウェブ魚拓はここ)であった。
[シドニー 28日 ロイター] ピクサーの人気アニメ映画「ファインディング・ニモ」にちなんで名付けられたロボットの「ニモ」が、海流の温度調査を目的にオーストラリアの海に放たれたものの、強い海流に耐えられず回収されたことが分かった。調査プロジェクトの担当者が28日明らかにした。どうもロイターのシドニー支局が、「ニモ」という愛称で呼ばれた観測機材が映画「ファインディング・ニモ」と同じように漂流したということを面白がって配信したようだ。しかし、この配信記事を読んでも、「海流の温度調査」とか「潜水型ロボット」とか耳慣れない言葉があって、さっぱり要領を得ないので、さらにネット検索で調べた。その結果、オーストラリアの国内共同プロジェクト「統合海洋観測システム(Integrated marine Observing System, IMOS)」下の国立海洋グライダー施設(Australian National Facility for Ocean Gliders, ANFOG)とNew South Wales Nodeが2008年11月25日に放流したSlocum Glider Unit109(ニモと名付けられた)を回収したニュースであることが分かった。Slocum Gliderは海洋中を沈降・浮上を繰り返しながら移動して海洋観測を無人で行う装置であり、原理的に強流域ではその流れに乗って漂流する。この意味でロイターの配信記事は不正確である。以下にその詳細を述べる。
プロジェクトを担当した科学者イアン・サザーズ氏によると、全長1.8メートルの潜水型ロボットを使ったこの東オーストラリア海流の調査はシドニー海洋研究所主導の国家プロジェクトだった。同海流では海水温が上昇傾向にあり、地球温暖化が影響した可能性があるとみられていた。
同氏によると、ロボットの「ニモ」は渦にはまって16日間漂流した後、今月初めに回収された。
映画「ファインディング・ニモ」は、1匹のカクレクマノミが同海流を利用して移動し、生き別れた息子と再会を果たすストーリー。
1.水中グライダー
本題に入る前に、「ニモ」と名付けられたSlocum Gliderについて述べる。
Slocum Gliderは以下の資料に詳しく述べられている水中グライダーの一種である。現在、世界の海に3000個以上放流されているARGO
下の資料(1)で報告されているように、我が国における最初の水中グライダー観測は、水産総合研究センター東北区水産研究所によって2007年9月にSlocum Glider運用試験観測として行われた。資料(2)には多くの海外関係Web SiteのURLが示されているので、参考にされたい。
(1)第57回東北海区海洋調査技術連絡会議事録より、伊藤進一・清水勇吾・筧 茂穂(東北水研):水中グライダー観測の実施について.
(2)(社)日本深海技術協会会報2008年4号、有馬正和(大阪府立大学):水中グライダーの研究開発.
2.配信記事への反応
ネット検索によると、毎日JPを含めいくつかのネット上のニュースサイトがロイターの記事をそのまま掲載していた。これらの記事に対し、ブログ「マリコール」さんは、「これはどう考えるべきでしょうか?判断に迷うところです。・・・」と疑問を呈している。上に述べたように不正確なロイター配信の記事のみでは、このように感じるのが当然と思う。
ブログ「わたしのブログ」さんは、
海流の温度調査を目的にオーストラリアの海に放たれた海洋調査用ロボット「ニモ」が強い海流に耐えられず回収されたのこと。と述べている。確かに、ロイター配信の記事をそのまま読む限り、このような感想を抱くのは仕方がないと言える。しかし、事実は報道内容とちょっと違う。
やはり、人間の考える範囲より自然の力の大きいことだ。
調査用だからと限度内で行った以上であったのであろう。
自然を甘く見てはいけない。
3.ロイター配信記事の元ネタとその詳細
ロイター配信記事の元ネタは日付から判断するとSydney Morning Herald(SMH)紙の12月28日付記事(Finding Nemo in a cruel sea)のようである。このSMH紙の記事以前に、地方紙South Coast Register(SCR)が12月12日付け記事(Nemo found ? a long way from home)で今回の水中グライダー観測の一部始終を報じている。また、ブイの放流から回収までの状況がANFOGのブログで、取得されたデータと航跡がプロジェクトウェブサイトで公表されている。
これらの情報源からロイター配信記事中の「科学者イアン・サザーズ氏」とは、Iain Suthers博士(New South Wales大学教授)であることが分かった。また、今回の水中グライダー(Slocum Glider)観測の経緯はブログ、その他によると以下の通りであった。
1)11月25日 Port Stephensの沖合(南緯32度47分、東経152度12分)でSlocum Glider (Unit109)を投入。ニモと命名。今回の投入がNew South Wales沿岸域で初めて行うSlocum Glider観測。当初計画観測期間:40日間。目的:陸棚縁辺から岸近くまでの陸棚上で断面観測を繰り返し、気候変化と海洋生物生態に関わる観測資料を収集する。上の事実とSMH紙の記事およびロイター配信記事を比較すると、ロイター配信記事が理解しがたい内容になったのは、ロイターのシドニー支局から発信された英文記事(おそらくSMH紙の記事)に誤りがあったことと、その日本語訳の誤りとが重なったためと思われる。
2)11月28日 強い沿岸南下流によってグライダーが南へ流されたため、予定を変更して、グライダーがをNew South Weles南部の沖合に在る暖水渦を周回した後、岸に向うようにグライダーの予定経路を設定することとした。
3)12月9日 投入後、2週間で830km移動し、深度190mまでの水温、塩分他の鉛直分布を1000回観測。岸から最大300km離れた後、現在、暖水渦の外縁を回って、岸まで150kmの点まで接近。現在位置の北側には冷水渦があり、グライダーがこの冷水渦に逆らって北上して投入点付近に戻るのは難しい模様。
4)12月10日 強い渦の流れに逆らって北へ向かうのは不可能であり、暖水渦をさらに周回せずに11日の早朝に回収することを決定。船は午前3時にJervis Bayを発って、午前6時頃にグライダーに到着の見込み。
5)12月11日 Jervis Bayの沖合40km地点(南緯35度12分、東経151度04分)で回収。総移動距離:1000km、総観測回数:2370回。
SMH紙の記事は冒頭で「FOR 10 days, Nemo, the robot submarine, was, like its animated namesake, swept helplessly along by the East Australian Current.」と情緒たっぷりに書いている。また、このSMH紙の記事に引きずられたのか、ロイターの配信記事では、「強い海流に耐えられず回収された」と述べ、「同氏によると、ロボットの「ニモ」は渦にはまって16日間漂流した後、今月初めに回収された。」とも述べている。しかし、上のブログ記事他の紹介で述べたように、水中グライダー「ニモ」は東オーストラリア海流に沿って流された訳でも、漂流中に放置されていた訳でもない。研究者たちは常時、その位置を監視し、臨機応変に計画を変更し、その改訂後の計画を完遂している。ロイターの配信記事では、SMH紙の記事冒頭で用いられている「robot submarine」を「潜水型ロボット」と訳しているが、ちょっとニュアンスが違うように思う。「潜水艦型ロボット」あるいはSMH紙の記事の他の箇所で用いている「self-propelled "glider"」の訳である「自航式グライダー」を用いた方が良かったように思う。
ロイター配信記事中の「同海流では海水温が上昇傾向にあり、地球温暖化が影響した可能性があるとみられていた」という文の論旨が分かりにくいばかりでなく、出処も不明である。SMH紙の記事では、このような記述はなく、「サザーズ教授は、地球温暖化が海を暖め、それととともに、渦が大きくなるかもしれ知れないと述べている。また、水中グライダーの利用が海洋学研究における船舶利用経費問題を革命的に大きく変えると推定している」と述べているにすぎない。なお、このSMH紙の記述は、SMH紙の記者の勝手な思い込みのように思う。地球温暖化が進むと渦が大きくなるという説を私は知らない。SCR紙では、サザーズ教授が「今回の観測により今まで全く知らなかった情報を得ることができた。水中グライダーによって我々の気候変化研究への挑戦が大きく進展することが期待される」と述べていることを紹介しているにすぎない。
4.おわりに
まとめると、ロイターの配信記事は、以下のように書き直すのが適当であろう。
ピクサーの人気アニメ映画「ファインディング・ニモ」にちなんで「ニモ」と名付けられた自航式無人水中グライダーが、沿岸域の水温・塩分などの観測を目的としてオーストラリア東部沿岸の海に放たれ、沖合300kmまでの暖水渦周辺での観測を初めて実施した後、無事に回収されたことが分かった。調査プロジェクトの担当者が28日明らかにした。SMH紙の記事は、記者の思い込みや勝手なストーリーにこだわった、かなり不適切な内容であった。その和文要約と思われるロイター配信記事が分かりにくい内容にであったのは、元の英文記事の内容が不適切であったことと、配信を急ぐあまり、その内容と背景を十分に調査・確認しなかったためと思われる。このようなロイター配信記事をそのままネットに流したニュースサイトの在り方についても疑問を感じる。ニュース配信の担当者は少なくとも自分が配信する記事を理解していなければならないはずである。今回の事態は、理屈を考えささずに暗記させることを主としたこれまでの学校教育のために、「自分が分かっていないことを認識できない」人が増えていることを示唆しているのかもしれない。
プロジェクトを担当したニューサウスウェールズ大学のイアン・サザーズ教授によると、全長1.8メートルの水中グライダーを使った海洋調査は気候変化と海洋生物生態に関わる資料収集を行う国家プロジェクトの一環として行われた。当初の計画では沿岸域での反復横断観測を行う予定であった。
同氏によると、水中グライダー「ニモ」は、岸沿いに予想外に強い流れがあったため、当初の予定を変更して、沖合の渦の周回観測を行った後、今月初めに回収された。16日間に1000kmを移動し、その間に水温などの深度200mまでの鉛直分布測定を2400回行った。
水中グライダーは最新の海洋観測装置の一つである。世界各国でこの新装置を用いた観測が行われ、海洋の新たな姿が明らかにされようとしている。資料(1)の著者であって、私が関与しているJKEO海面係留ブイ観測にもご協力いただいている東北区水産研究所の伊藤さん達の今後の成果に期待している。
そういう経緯があったのですね。知りませんでした。
勉強になりました。ありがとうございました。
「しほのまちから」さんの記事に触発され、水中グライダーを紹介する記事を書くことができました。
これからも、宜しくお願いします。