2009年1月10日03時30分 追記
毎日新聞の昨年12月24日付け東京版に「「里海」創生 海を身近にするチャンスに」(Web魚拓はここ)と題する社説が掲載されていた。
「環境省が平成20年度から3カ年計画で里海創生支援に乗りだし、平成20年度は2500万円、平成21年度も2100万円の予算が認められた」ことに対応した論説である。「「里海(さとうみ)」という言葉が近年注目されている。人里近くにあり、人々がマキ拾いをしたり、キノコ採りを楽しんだりできる「里山」を海に置き換えた考えだ」という文で始まる。海洋学の普及を目指している私にとしては、毎日新聞が社説で「里海」のことを取り上げたことは嬉しい出来事である。しかし、その内容には、違和感がある。
以下では、「月刊むすぶ」の第454号(2008年11月号)に掲載されている、7月13日に山口県上関町祝島で開催されたシンポジウム「「周防の生命圏」から日本の里海を考える」における「「里海」という言葉への警告」と題する「海の生き物を守る会」の向井宏さんの講演内容他を参考に里海創成について述べる。
関連サイト:
柳哲雄著「里海論」、恒星社厚生閣
瀬戸内海研究会議 (編)、松田他著「瀬戸内海を里海に-新たな視点による再生方策-」、恒星社厚生閣
「月刊むすぶ」、ロシナンテ社
「里海」って何だろう?資料集、中島 満(フリーライター・MANAしんぶん主宰)さんのHP
平成20 年度予算概算要求新規事項:里海創生支援事業について、環境省
里海通信、全国漁業協同組合連合会
<注>
これまでカテゴリー「全エントリー」に配置した記事の総数が上限の100件に近づいたので、2009年1月以降に投稿する全記事の配置先を新設カテゴリー「全エントリー2」にすることにしました。
1.毎日新聞社説
社説では、私の学部学生時代からの友人の一人である柳哲雄さんの名前を挙げて、「里海」という言葉について、
この言葉を1998年に最初に提唱した九州大学の柳哲雄教授(沿岸海洋学)は「人手が加わることにより、生産性と生物多様性が高くなった沿岸海域」と定義している。赤潮の発生メカニズムなど瀬戸内海の環境を長年研究するうちにたどりついた概念だ。と説明し、沿岸海域の環境を改善し、健康な海を取り戻すための具体的的な方策をかなり乱暴に述べた後、唐突に、「里海づくりは市民が海を身近に考えるチャンスととらえたい」という言葉で終わっている。ここでの市民には漁民や海に関わる産業に関わる人が含まれていない印象を受け、違和感を感じた。
上に述べられた里海の定義は柳さんの定義そのものであるのだが、柳さんは「里海論」の「はじめに」で、
本書は海をよく知らない私たちがどのようにして,海を知って,海の中でも我々の最も身近にある沿岸海域とどのようなつきあい方をしていけばよいかを明らかにするために書かれている.と述べている。すなわち、社説は「里海づくりは市民が海を身近に考えるチャンスととらえたい」と結論しているが、柳さんは、(海に関わりのない)市民が海を身近に考えるチャンスとしての里海づくり提案しているのではなく、「海と人とのつきあい方を示す新しい言葉」としての「里海」を提案しているのである。なお、関連図書である「瀬戸内海を里海に-新たな視点による再生方策-」の序文では、
海と人とのつきあい方を明らかにするために,まず,人に最も身近な沿岸海域がどのような豊かさを有していて,それがどのような危機に瀕しているのかを明らかにする.次に,人が長くつきあってきた山との関わり合いの中からうまれた“里山”という山のあり方を参考にして,海と人とのつきあい方を示す新しい言葉として,「里海(さとうみ)」なる概念を提案する(柳,1998a,1998b,2005a).
本書では「里海」を「人手が加わることによって,生産性と生物多様性が高くなった海」と定義する.そして,「里海」を実現するために,私たちは今何をしなければいけないのかについて論じる.
この提言書の基幹となる考え方が,「瀬戸内海を豊かな里海(さとうみ)にしていく」ことであり,目指すべき「里海」の基本理念が,人と海との新しい共生のあり方,人の自然への関わり方を示している.この新しい関わり方のポイントは,「最小限の人の手を加え続けることによって,高いレベルでの生物生産性と生物多様性を維持していくこと」であると考えている.高い生物多様性と生産性を維持している海は,当然のことながら,環境もよく,赤潮や貧酸素水塊も発生しにくい海であり,海の幸も豊かで,さまざまな恵みを将来的に享受できる海でもある.と述べられている。この記述も、柳さん達の「里海づくり」提案は「(漁民や海に関わる産業に関わらない)市民が海を身近に考えるチャンスの提案」ではないことを示している。
したがって,この「里海」論は,単なる技術論やシステム論ではなく,「多くの人々が身近な海とさまざまな形で関わり,保全しながら利用する,あるいは,楽しみながら新しい地元の海を再構築していく,さらには沿岸の人々,産業,行政が,手を携えて参画し,それぞれの主体が協働しながら活動を進めてゆく」という運動論でもある.
このような認識の違いが生じたのは、社説は、柳さんの本を読んでも、「「里海」という言葉は、人里近くにあり、人々がマキ拾いをしたり、キノコ採りを楽しんだりできる「里山」を海に置き換えた考えだ」という最初の筆者の思い込みから脱していないことに起因しているように思う。社説の最後を「里海づくりは、沿岸の人々,産業,行政が,手を携えて、豊かな海の再構築を考えるチャンスととらえたい」としてほしかった。そうすれば、柳さんたちの意図が、より正確に表現されたと思う。
2.「里海」という言葉への警告
「月刊むすぶ」の第454号(2008年11月刊)では、7月13日に山口県上関町祝島で開催されたシンポジウム「「周防の生命圏」から日本の里海を考える」の詳細な報告が掲載されている。
この中で、「海の生き物を守る会」の向井宏さんは、「「里海」という言葉への警告」という題で、柳さん達が提案している里海と21世紀環境立国戦略などでのでの取り扱いの違いを以下のように紹介し、「それに私はちょっと危機感を持っています」と述べている。
一般のイメージ:
人の暮らしとつながっていて、人間が自由に海に行って、アサリをとったり、海藻をとったりする所
松田さん(柳さん):
人の手を加えることによって,生物多様性と生物生産性の両者を高く維持する
環境省(注):
人の暮らしと地域(里山の定義の転用)
国交省(注):
土地に接し、人の暮らしと深くかかわって、人が適切に手を加えることで良好な関係が維持されている、あるいは維持されるべき海域。自然共生型海岸。砂浜保全。なぎさ創成
さらに、「これまで海に人間が手を加えて里山のような生態系を作ったことはありません。必ず、多様性を低下させます」と述べて、いくつかの具体例を示した後、結論として、
「里海」と称して人手を入れることは環境を悪化させることでしかないので、私は海に親しむ海岸を作る-みんなが考えているような「里海」を作るには自然の海岸を守ること、これが一番大事だと思います。・・・全部のところに手を加えるなということはまずできませんから、やはり保護区を作っていく方向をこれから考えないといけない。と述べている。
私は、この向井さんの主張を理解することはできるものの、同意することには躊躇する。沿岸漁業を持続さるためには、消極的な保護区設定ではなくて、科学的な調査研究に裏打ちされた施策・行動が必要だと思う。過去の施策・行動の失敗は、科学的な調査研究が不十分であった、あるいは科学的な調査研究の成果の利用が恣意的なものであったことに起因していると思う。
向井さんは、総合討論で会場からの「海が財産物として漁協なんかで売買する場合には、海全体をどこまで取り仕切ってとかなどの基準はあるのですか?」という質問に対する回答のなかで、「漁協だけに(海を守ることを)任せず、一般の人がもっと海に関心を持って、どんどん意見を言えるようにしないといけない」と述べている。私も、今後の里海づくりの推進に際して、過去の施策で生じた問題を繰り返さないためは、「海洋リテラシー」を普及させるとともに、一般の人の意見が取り入れられる仕組みの確立が必要だと思う。これは、柳さんたちの新しい里海づくりの提案とつながっている。
注)向井さんの紹介の原典は不明。管理人が得た資料「環境省平成20年度予算概算要求新規事項:里海創生支援事業について」では以下のように述べられている。
里海創生支援事業の背景:
陸域と沿岸域の一体性について国民の理解を深めるとともに、人間の手で管理がなされることにより生産性が高く豊かな生態系を持つ「里海」の創生を推進し、人間と海が共生する豊かな沿岸環境の実現を目指す。
21世紀環境立国戦略における「里海」の位置付け:
藻場、干潟、サンゴ礁等の保全・再生・創出、閉鎖性海域等の水質汚濁対策、持続的な資源管理などの統合的な取組を推進することにより、多様な魚介類等が生息し、人々がその恵沢を将来にわたり享受できる自然の恵み豊かな豊饒の「里海」の創生を図る。
3.「里海」って何だろう?
「里海」の定義などについて「季刊里海」を刊行しているフリーライターの中島満さんがご自身のHPで詳しく論じている。この中でも、
1)里海WEB講座・特別編集編:中島著「里海【SATOUMI】って・・なあに?」
2)中島著「「里海」って何だろう?―生業と暮らしを育む里海を考える視点」(海洋政策研究財団 OPRF・ニューズレター№185掲載)
が漁業者や一般社会における里海づくり活動の概要を知るのに参考になると思われる。ただし、これらの資料では、柳さん達の定義した里海についての言及はない。
上の資料2)の冒頭で中島さんは
この数年、沿岸域の利用について「里海」という言葉が使われるようになってきた。と述べている。
その言葉の具体的な定義はまだこれからであるが、やっと施策化する時代になったといえる。
大切なのはその地域で形成された自主的ルールの存在であり、管理利用の安定度を高めるには、地域ルールを培ってきた地域の人々の存在が必要になる。
中島さんが資料1)で述べているように、里海という言葉には社会的インパクトがある。この結果、国の施策にも取り入れられるようになったと考えられる。しかし、向井さんが警告されているように、「具体的な定義」が確立しないまま、施策が進められている所に、今後の問題が潜んでいるようにも思う。
1月10日追記
中島さんのブログでの関連記事
「里海」の氾濫
「文芸春秋」にも「里海」の記事載る
全国漁業協同組合連合会は、平成19年6月より毎月1回のペースで、水産庁委託事業「環境・生態系保全活動支援・調査実証事業」の普及啓発活動の一環として、この事業の情報発信だけでなく、藻場・干潟・サンゴ礁などの特徴的な環境・生態系の保全活動を行うことの意義やその役割などについて、漁業関係者の意識改革を進め、かつ漁業者を中心とした保全活動を広く国民にアピールすることを目的として「里海通信」を発行している。
その第1号(2007年6月13日発行)の巻頭の「里海は、今・・・」と題する記事で
わが国の身近な自然である山林は高度成長期以前まで薪炭やホダ木、落ち葉の堆肥利用など産業的・自給的利用がさかんでした。これら産業が衰退した結果、人の利用によって維持されてきた2次的自然が失われ、人が関与することの重要性が再認識され、「里山」という言葉が登場しました。沿岸域の海も里山と同じ意味で人の関与によって維持されてきた2次的自然です。しかし、その利用の衰退から里山とおなじような問題が今後起こることが予測される事態となりました。と、里海に対する漁業者(漁業協同組合)の立場の認識が述べられている。
私たちは、沿岸域の自然と調和した利用を支えてきた漁業者や漁村の役割を再認識し、これらの機能が将来にわたって維持されるよう、社会変化に合わせた新たな管理の仕組みを構築していく必要があると考えます。
里海通信第17号(2008年12月26日発行)では、平成20年9月から11月に全国5か所で全漁連が主催して開催した「人と海との共生を考えるシンポジウム」で実施した「漁業者と地域住民との協働作業の必要性」についてアンケート結果が紹介されている。その結果は「地域協働は、漁業者においても、一般市民においても望まれる社会構造なのではないだろうか」と集約されている。今や、漁業者と一般市民とが協働する仕組みの確立が必要だと思う。
4.おわりに
海洋学会教育問題研究部会では、「海洋リテラシー」の普及のためにどのようにして海への関心を高めるのかを模索中である。一般に進められている「里海づくり」運動に積極的に関わるのも一つの方策かもしれないが、里海は沿岸域あるいは海岸域を対象として概念に止まっており、ここから、外洋への関心にどのように繋げるのか、その道筋を見定める必要があるように思う。
<付録>
久々に、じっくりと「月刊むすぶ」を読んだ。心茶会の先輩である汐見文隆さんが寄稿している低周波騒音問題、その他、この雑誌を読んで力が湧いていくる。発行人である四方さんのご健闘をお祈りしています。
関連記事:
http://blogs.dion.ne.jp/hiroichiblg/archives/5763118.html
http://www.jfa.maff.go.jp/j/budget/pdf/21yokyu.pdf
(漁村の)多面的機能の発揮の促進として
「ア環境・生態系保全対策(新規) 1,210( 0)
漁業者を中心とした藻場・干潟等の維持・管理等の環境・生態系の保全活動を支援するための新たな交付金制度を創設する。また、優良事例の普及等や技術的サポート等を行う。」を盛り込んだようです。
ダブっているのか、連携しているのか?
湖沼でも琵琶湖の南湖での取組みがあった、水草管理が盛り込まれるようです。こっちは里池でしょうか。
「オ湖沼の漁場改善技術普及推進事業(新規) 65( 0)
湖沼の漁場改善技術ガイドラインに即し、湖底耕うん等の漁場改善活動について、その効果を検証しつつ行う取組への支援を実施する。」
http://www.aquabiwa.jp/biwazu/56/02.html
貴重な追加情報をありがとうございました。
>ダブっているのか、連携しているのか?
関係省庁が「里海」関連で予算獲得に動いた結果で、悪いことではないとは思うのですが、向井さんの危機感が現実のものとなることを、恐れます。
環境保全に良かれと思って行う行為に潜む危険性に対する十分な配慮が必要だと思っています。
今後とも、宜しくお願いします。
お久しぶりです。
今回は正直、あまり難しい事はわかりません。
ただ、エントリーを拝見していて知識の乏しい一般人として、感じた事を書くと以下のようになります。
最近、釣りに興味を示し始めてシーズンオフのうちに淡水魚と海水魚類の情報を集めているうちに山間部から河口へ数カ月かけて流れる水の流れや水利権、河川の改修工事等に行き着いていろんな事が玉突きのようにして影響しあっている事を改めて知りました。
こういうところも漁業の方に少なからず影響があるのでしょうね。
きっと、現役の小中学生なら教わるレベルでも、大人になると関わりがなくなって忘れるんだと思います。
私は渚を作るよりも地球規模とも言われる海岸線の消失歯止めに力を入れてほしいと思います。
しかし、色んな情報が氾濫していて、一般人には大きなことから論じてしまうと難しすぎるところから整理出来ずに中々、感心が持てそうにありません。
粘り強い形で基礎からの啓蒙しかないのでしょう。
論点ズレていたらごめんなさい。
コメントをありがとうございました。
>今回は正直、あまり難しい事はわかりません。
具体性に欠ける記事になっていて、分かりにくい記事になってしまったことを反省しています。
>山間部から河口へ数カ月かけて流れる水の流れや水利権、河川の改修工事等に行き着いていろんな事が玉突きのようにして影響しあっている事を改めて知りました。こういうところも漁業の方に少なからず影響があるのでしょうね。
はい、そうです。沿岸域の環境・生態系はそこに流入する河川の陸上流域での過程と密接なつながりがあるはずだと多くの人が考えています。このことは汚染水の問題では明確です。しかし、その他の個々の事象については科学的に実証され、定説となるまでには至っていないことが大部分です。全体としての認識・対策が必要だとの認識がようやく広がり始めたところだと私は思っています。
>現役の小中学生なら教わるレベルでも、大人になると関わりがなくなって忘れるんだと思います。
教育指導要領では海のことはほとんど記述されていませんので、現役の小中学生の多くは海のことをほとんど教わっていないのが現状です。このような状況に対する危機意識から種々の関係機関が動いていますが、大きな国民運動に至っていないのが現状です。
>しかし、色んな情報が氾濫していて、一般人には大きなことから論じてしまうと難しすぎるところから整理出来ずに中々、感心が持てそうにありません。粘り強い形で基礎からの啓蒙しかないのでしょう。
貴重なご助言をありがとうございます。
確かに、個々の生物化学物理過程が全体と密接に関連しているところに、専門外の人々の「海の環境変動」についての理解を得ることの難しさがあるのでしょう。このことを念頭に置きながら、本ブログの発信を続けたいと思います。今後とも、宜しくお願いします。
このブログの記事は、とてもていねいに、「里海」論の現状について整理しておられ、小生もよく読んで、いちどきちんとコメントなり、情報の交換ができればと思います。
いま、メールを読んだところで、詳細には後ほどとします。ことしの課題を、現在整理中で、「里海」の何をさらに具体的に進めたいのかを、ブログなり、「MANAしんぶん」サイトなりで公表してみたいと考えています。
今後ともよろしくお願いします。いろいろと教えてください。
MANA・なかじまみつる
貴ブログへの私のコメントへのレスをありがとうございました。
ネット検索で中島さんの精力的なご活動振りを知り、言及させて頂きました。
お手伝いできることがありましたら、ご遠慮なく、お知らせください。