1.プレスリリース
多分、極限環境生物圏研究センターと報道室の担当者が苦労して作成したのだとは思うが、プレスリリースに記載されている[概容]の記述が詳細に過ぎて、読者(この場合は報道関係者)の理解を得るのが難しかったのではないかと思う。また、その文中に脚注を必要とする各種専門用語が多数含まれていることも、マイナスの効果を持ってしまったのではないかと危惧する。
概要を私なりに要約すると、以下のようになる。
a)これまで分布や生態が不明で希少な種類とされていたアカチョウチンクラゲが日本海溝域の水深500m以深の深海に多く生息していることを初めて発見。
b)アカチョウチンクラゲの体が多様な生物の住み処あるいは幼生の成育場所として利用されていることを初めて確認。
c)大気の二酸化炭素濃度が増えて海洋の酸性化が進むと、アカチョウチンクラゲが幼生の時期において付着する巻貝の一種が死滅し、その結果アカチョウチンクラゲも死滅すると考えられている。今回の結果から、アカチョウチンクラゲが死滅すると、さらにアカチョウチンクラゲを利用していた他の多くの浮遊生物も生息が維持できなくなるという負の連鎖現象が発生することが予想される。
d)海洋の中層で浮遊する生物間の密接な相互依存を考慮すると、海の酸性化により生存が脅かされる生物群の数は予想以上に膨大であり、その影響は予測よりもすみやかに表層から深海へと広がる可能性がある。気候変動が海洋生態系や生物多様性にどう影響するかを予測するうえで現場調査による検証が不可欠。
2.報道記事
上に述べたプレスリリースは毎日新聞のみならず、朝日新聞、共同通信、時事通信でも取り上げられている。それら報道を見ると、「アカチョウチン」という名前とその姿が多くの記者の関心を呼んだことが推察される。多くの報道がアカチョウチンクラゲの写真を掲載していることは、そのインパクトの強さを示している。また、多様な生物のすみかとなっていることも言及されている。
毎日新聞では、おそらく記者会見の席上での質疑応答の結果から、プレスリリース資料で述べられていない、和名の命名者が海洋生態系変動研究グループのLindsay(リンジー)技術研究主任であることや、100時間あまりのビデオ映像の分析で60匹以上の存在を確認したことなどが述べられている。しかし、「アカチョウチン」という名前の印象に引きずられて、変に擬人化して「赤ちょうちんに引き寄せられて」と副題を付し、アカチョウチンクラゲの「海洋の酸性化」による絶滅の可能性には言及せずに、
リンジーさんは「これほど多様な生物と結びついているとは予想外だった。赤ちょうちんに引き寄せられるのは人間だけではない」と話す。という引用で終わっている。
確かに、プレスリリース資料は簡潔に要点を記述していなかったにせよ、「多様な生物のすみかとなっていること」が海の酸性化の影響評価の見直しに大きく関係していることに言及してほしかった。少なくとも、リンジーさんが強調したかったことは「赤ちょうちんに引き寄せられるのは人間だけではない」ということではない。
この点、共同通信の記事(魚拓はここ)が、
このクラゲは、今後進むとされる海水の酸性化で生存が危うくなると懸念されている。今回の発見で、クラゲに依存する生物が多いことが分かったため、チームのドゥーグル・リンジー技術研究主任は「これまで考えられていたより急速に海の生態系が壊れる恐れがある」と指摘している。と述べているのは、毎日新聞よりは優れていると思う。ただし、この文章を読んで、アカチョウチンクラゲが海の酸性化で死滅の恐れがある理由、および海の酸性化の影響がこれまで考えられていた以上に急速に海の生態系を破壊する恐れがある理由を読者が理解するのは難しいであろう。この意味で、共同通信の配信記事も不十分と言わざるを得ない。
3.おわりに
紙面の制約があり、詳細な説明を加えることは難しいにしても、研究者の説明が不十分なために理解できないのであれば、読者に代わって質問し、その結果を読者に分かりやすく伝えるのが科学記者の役目ではなかろうか? 自分が理解できないことを無視したり、表面的な説明で良しとする非科学的な態度が今の世の中には蔓延しているように思う。科学報道を通して、このような風潮を阻止する役割を果たすことを科学記者の方々に期待したい。
他方、研究者には自分の成果をプレスリリースする場合には、自分の強調したいことを分かりやすく表現する責任がある。プレスリリースを通して研究成果を広く社会に還元するためには、記者の理解と協力が必要である。今回のプレスリリース資料は、非常に熱心に作成したことが良くできた参考図を見ても伝わってくる。しかし、基礎知識に乏しい記者の理解を得るための配慮に少し欠けていたようにも思う。他山の石としたい。