K-TRITONブイの緊急回収後の対応で慌ただしい1日を終えた9月6日夜に日本海洋学会MLを経て、5日夜に元東海大学教授、元千葉大学教授で我が国とアジアにおける衛星海洋学(人工衛星リモートセンシング技術を使った海洋学)の分野で大きな貢献をされた杉森康宏さん(先生と呼ぶべきかもしれないが、私は故人に「先生」と呼びかけた事はないので、ここでも「さん」とさせて頂きます)がご逝去されたとの知らせが入った。
私が杉森さんと親しくお会いしたのは、私が大学院学生(多分D2)の頃だった。それ以来、30年以上の間、以下に述べるような縁で結ばれて来た。
1.学位論文
当時、杉森さんは、東京大学海洋研究所助手を経て、科学技術庁国立防災科学技術センター(当時)の室長になられていて、学位を京都大学で取得するために、私の指導教官でもあったKH教授の元にしばしば来訪されていた。杉森さんの研究は「風波の方向スペクトル
「風波の方向スペクトル」とはどの方向からの風波がどの程度大きいなのかを方位と周波数(波長)別に定量的に示す情報で、当時はまだ十分に認識されていなかったが、波浪予報には欠かせない風波の成分波間の相互作用の効果の算出に重要な情報であった。私も「風波の上の風の場についての実験的研究」をテーマにして
杉森さんはKH教授が論文博士の学位審査の主査を務める
杉森さんの当時の所属先である防災科学技術センターは我が国における風波の研究の一角を担っていて、INさんやFYさん他の方々とは波浪研究会や海洋学会を通して、親しく意見交換をさせて頂いていた(FYさんは、その後、地震関係のお仕事をされている)。国立防災科学技術センターは、現在では波浪研究を行ってい
コンピューターが発達した今でこそ、方向スペクトルの計算は容易であるが、当時は、その計算に大変な労力と時間を要していた。杉森さんの研究はその計算を光学的に行う方法を提案し、その実用例を示すものであった。この
市栄先生は高野健三先生(当時、筑波大学教授。日本の数値モデル海洋学の先駆者)と共に1980年代に中国、韓国、台湾における海洋学の振興のため、日本海・東シナ海研究集会(Japan and East China Sea Study Workshop, JECSS)を立ち上げ、隔年に筑波大学で集会を開催された。JECSS開催期間中の毎晩の酒宴の中で知り合った米国、韓国、中国の研究者たちとの交流が私の東シナ海の黒潮についての研究の大きな原動力となっている。
1989年9月には2週間、市栄先生の研究室に滞在させて頂き、前年12月からのウッズホール海洋研究所での文部省在外研究で得た成果、その他について種々の議論をして頂いた。
2.衛星リモートセンシング
杉森さんは、1978年に東海大学助教授となられてからは、人工衛星リモートセンシング(リモセン)の研究を進められた。その頃のある日、「今度のシンポジウムで人工衛星リモセンの現状についての報告をしないか」とのお誘いのお電話があった。その時は折悪しく何かの仕事を抱えていたためお断りした。この時に依頼を引き受けていたら、私は、その後に大いに発展した衛星海洋学に深く関わることになっていたかもしれない。
3.1987年6月シアトル
世界各国で進められている世界海洋大循環実験計画を日本でも進めようとする運動の一環として、1987年6月に東京大学のNY先生を代表者とする研究者(NミッションとNY先生は後年、呼んでおられる)と米国の研究者(LTさんとかPHさん他)とが参加する日米セミナーがシアトルとワシントン大学応用物理研究所(APL)で開催された。この日本側メンバーに私も誘われた。本来ならば、ISさんが参加される会合であったが、当時、ISさんはポスドク研究員として滞米中であり、代わりに私が誘われたと理解している。ともかく、杉森さんもこのNミッションの一員であった。
杉森さんは人工衛星観測を担当した。他には、TSさん(化学分野担当)、TKさん(海洋観測計画担当)、FMさん(深層循環観測担当)、KMさん(数値モデル担当)、HKさん(大気海洋相互作用担当)、YJさん(プロセス研究計画担当)が参加し、関連する観測計画を紹介したり提案したりした。私は、ISさんと高野先生が1980年代初めに日本におけるWCRP(World Climate Research Program)の一環として提案した海洋熱輸送観測計画(Ocean Heat Transport Experiment, OHTEX)を焼き直した黒潮熱輸送観測計画(Kuroshio Transport Experiment)を提案した。この計画はISさんが代表者を務めて1993年から1995年に行われた足摺岬沖黒潮協同観測(Afiliated Survey of the Kuroshio off Cape Ashizuri, ASUKA)として実現した。
会期中のある晩、皆でプールバーに行った時、相客の一人と数ドルを賭けたビリヤードをすることになり、杉森さんが見事に勝ったことを思い出す。
4.海洋理工学会
杉森さんは、東海大学に私と同世代の海洋物理学研究者な何人かを呼び込み、東海大学を海洋物理学研究の一大拠点にされた。そのお一人でシアトルでもご一緒だったKMさんとは、衛星リモートセンシングを通して、黒潮続流域における大気海洋相互作用の研究を連携して進めているとともに、彼の教え子のTHさんが私のグループのメンバーの一人として活躍している。同じくシアトルでご一緒したFMさんとはASUKA線での観測を一緒に行った。
杉森さんは、1989年には、海洋研究分野での科学と工学との学際領域の研究を推進することを目指して海洋工学コンファレンス(Advanced Marine Technology Conference; AMTEC ) を発足させた。海洋工学コンファレンスは、年2回、シンポジウムを開催し、この内容を論文集として出版していた。杉森さんから「米国での海洋観測技術の開発状況を紹介せよ」との依頼を受けて、講演したこともある。この組織は、1994年には海洋理工学会となった。その際には、当然の如く、私も会員となって、今に続いている。海洋研究開発機構の海洋工学センターの多くの人がこの学会で活躍されている。
5.PORSEC
杉森さんは、リモセン研究者の国際組織の立ち上げにも尽力され、1992年には沖縄でこの分野に関する国際会議を開かれた。これが、現在のPan(Pacific) Ocean Remote Sensing Conference (PORSEC)である。例によって「お前も何か発表しろ」という杉森さんの依頼を受け、私の指導の下で大学院修士課程の学生であったNKさんのトカラ海峡における人工衛星で測定される海面水温(熱赤外放射計温度=表皮水温)と船舶で測定される海面水温(船底水温)との相違についての観測研究結果を、この分野をリードしていたW. Emeryの前で発表した。
PORSECはその後隔年に太平洋周辺各国で開催されたが、私の研究課題がリモセンから離れたこともあって、参加する機会はなかった。しかし、2002年にインドのゴアで開催されると聞き、インドを訪れる良い機会と思い、MAさんとともに、参加した。杉森さんとお会いして親しく語ったのは、この時が最後となってしまった。
6.おわりに
私も出席した2002年のPORSEC総会では、杉森さんのPORSECの運営などについてのおおざっぱな考え方を皆が暖かく(仕方なく?)受け入れている雰囲気を感じた。PORSECのメーリングリストでは杉森さんの訃報に対して、多くの人が哀悼の意を表している。皆、杉森さんの「大らかさ」を愛していたのだろう。
海洋研究分野の発展における科学と工学の融合と衛星海洋学研究の世界的に「ゆるやか」な協力態勢の構築は、必要不可欠である。この意味で、海洋理工学会とPORSECの設立は、象牙の塔に閉じこもった「真面目」な研究者ではなかった杉森さんの優れた功績であると思う。
昨今の厳しい研究環境を思うと、杉森さんが醸し出す「いいかげん」な雰囲気に触れる機会が二度と訪れることのないことに、一抹の寂しさを感ずる。ご冥福をお祈りします。合掌
注)昔のことで、上に記載したことに大きな誤りがあるかもしれません。その際には、ご容赦ください。