2008年08月11日

「コリオリ力」は「現実の力」ではないのか?

前回の7月26日のエントリーに関連して、この2週間の間、管理人がブログ「Mutteraway」のブログ主であるBobbyさん、ブログ「佐藤秀の徒然\{?。?}/ワカリマシェン」のブログ主である佐藤さんから頂いた質問に答える形で、「海のコンベアーベルト」他について解説した。その過程で、8月7日に佐藤さんから「コリオリ力」について以下のようなコメントを頂いた。
私の問題意識は「見かけの力」というネーミングにしっくり来なかったということに尽きるかと思います。
日常的意識では慣性系だけども現実には回転座標系の世界だということの意識のギャップを修正というか翻訳するためにコリオリ力という概念が導入されたということでしょうか。
でもまだしっくり来ません。相対的に見れば「見かけ」じゃない、現実世界で作用しているのだからfictitiousじゃないという意識はまだあります。
また、この佐藤さんのコメントに続いて、ブログ「お茶の間ひねくれ読書日記・Dajiubao’s blog」のブログ主である、おおくぼさんからも以下のようなコメントを頂いた。
でもhiroichiさんの説明は、高校の理科の教科書に出てくる「コリオリの力」とは、かなり違う気がします。
私も素朴に「コリオリの力」って見えるじゃんと思うんですが・・。
ここに至って、多分、「現実に見えているコリオリ力が現実の力ではないとはどういうことなのか?」という素朴な疑問を解消しないと、「コリオリ力」の本質は理解されないということに気付いた。この素朴な疑問を解消しようとする試みを以下に述べる。


1.コリオリ力の説明
コリオリ力については、回転する円盤の中心(北極)から(赤道に向けて)投げた物体の「円盤とともに回転している人から見た見かけの運動」と「回転する円盤の外から見た実際の運動」の違いを用いた説明が良く使われます。

このとき、円盤の中心から外へ向かう物体には現実に力が加わっていませんので、円盤の外から見ると、物体は日常生活と同じように直進して見えます。しかし、円盤の中心に居て円盤と一緒に回転している人には、物体が外に向うにつれて横向き(反時計回りの円盤の上では右方向)にズレていくように、つまり、横向きの力(物体の進行方向に直角向きに働くので、向きのみを変える力:転向力)が加わったように見えます。この力をコリオリ力と呼びます。つまり、円盤の外(慣性座標系)から見ると現実に力は加わっていないのに、円盤上(自転地球に固定された座標系)で円盤と一緒に回転している人から見ると、横向きに力が加わっているように見えます。この横向きの力は現実には無いのだから、「みかけの力」と呼ばれます。というのが一般的な説明です。

2.現実世界
「現実世界」あるいは「日常生活の世界」では慣性の法則が成り立っています。ですから、この「慣性の法則が成り立っている」現実世界で地球自転の効果が表れる大規模で時間変動が小さい現象(例えば、低気圧・高気圧の周りの風の向きや偏西風・貿易風)の成り立ちを説明するときには、例えば「空気粒子は地球自転によるコリオリ力を受けて向きを変える」という説明がされていたと思います。

3.見かけの力
多分、「慣性の法則が成り立っている」現実世界で地球自転の効果が表れる現象の成り立ちを説明するときに、「地球自転による見かけの力であるコリオリ力を受けて」という、より厳密な説明を受けると生徒は、「なぜ、見かけの力で向きが変わるのか」と疑問がわき、混乱したと思います。

「見かけの力」の説明として、上に述べた回転する円盤の話を聞いても、「それでは、何故、北半休で東向きに投げた物体には南向きの力が加わっているように見えるのか?」という疑問は解消されません。

さらに、コリオリ力の大きさは速度に比例し、その比例係数(一般にfが用いられる)が2・(2π/24時間)・sin(緯度)で表される理由も分かりません。

このようなコリオリ力の詳細を一般の人が理解するためには、かなりの努力を要します。私は、運動方程式の座標変換の繰り返し(慣性座標系->回転座標系->局所直行直線座標系)で納得しましたが、ベクトル計算と偏微分の知識が必要なため、一般の人にはお勧めできません。

でも、コリオリ力が分からないからと言って落ち込む必要はありません。幸い、ネットでも種々の解説記事があります。いろいろな解説を読んでみてください。そのうちに、分かるようになります(というか、どこかで踏ん切りが付きます)。

おわりに
上に述べた説明で、「現実に見えているコリオリ力が現実の力ではないとはどういうことなのか?」という素朴な疑問が解消されたか心もとない。質問をお待ちしています。



posted by hiroichi at 01:56| Comment(35) | TrackBack(1) | 海のこと | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
前回のコメントには誤解があったのですが、でもhiroichiさんの説明は、疑問があります。
hiroichiさんだけでなく、他のネット上の説明にも疑問があります。

>「このとき、円盤の中心から外へ向かう物体には現実に力が加わっていませんので、円盤の外から見ると、物体は日常生活と同じように直進して見えます。」

最初に物体に力を加えたのでは?
だから現実に力は加わっているはずです。
この点は、問題の本質でないので、どうでもいいんですけど・・・。

         ★

>「つまり、円盤の外(慣性座標系)から見ると現実に力は加わっていないのに、円盤上(自転地球に固定された座標系)で円盤と一緒に回転している人から見ると、横向きに力が加わっているように見えます。この横向きの力は現実には無いのだから、「みかけの力」と呼ばれます。というのが一般的な説明です。」

私はもっと素朴にコリオリの力を理解しているのですけど。
例えば円盤があって、直径の線上にボールを転がします。
回っていない円盤では、精確に転がしたら、直径の線上を辿ります。
円盤を廻せば、直径の線上からズレて転がります。
この現象は、直線に進む力に対して、「現実に」別の力が加わっているからです。
実際に、計算でもベクトルを使います。
ベクトルは2つ以上の力の合成です。


Posted by おおくぼ at 2008年08月11日 11:54
私はwikiのコリオリの力の説明にあるアニメーションが、直感的でわかり易いのではないかと思います。このアニメ図を使って、コリオリの力を説明してみます。間違っていたらご指摘ください。

wikiのアニメ図を地球に置き換えてみてください。地球は自転しているため、北極点上空から見ると反時計回りに回っています。同様に赤道上から北半球を(上にして)見ると、右向きに回っています。

北極から赤道上の目標点(赤い丸の点)へ向けて砲弾を打ち出す事にします。この砲弾は地球の自転にも大気にも影響されず理想的に直進するものとします。宇宙の衛星軌道から観察すると、砲弾は北極から赤道上へ一直線に飛んで、赤道上へ着弾したように見えます。ところが、砲弾の目標点(赤い丸の点)は、地球の自転によって、どんどん南へ移動している事もわかります。

これを北極の砲弾の発射点にいる観察者から見ると、着弾点(赤い丸の点)は静止しており、砲弾が右へ曲がってしまったように見えます。

まとめると、回転系の外にいる観察者は、砲弾は直進し、目標が移動した事を目撃します。回転系の中(発射点)にいる観察者は、目標は静止しており、砲弾が右へ反れた事を目撃します。ここで、目標が反れたのか、砲弾が反れたのかは相対的な問題です。回転系の中にいる観察者の視点で、真っ直ぐ打ち出した砲弾が右にそれる理由を、仮想的な「外部からの力」に置き換えたものが「コリオリの力」です。

上記の説明は如何でしょうか?
Posted by bobby at 2008年08月11日 14:50
おおくぼ 様

>前回のコメントには誤解があったのですが

コリオリ力について多くの人の誤解を招きやすい箇所が見つかれば、今後の説明でも有効な情報となると思いますので、よろしければ、どういうふうに誤解していたのか、教えていただけませんか?

>最初に物体に力を加えたのでは?
だから現実に力は加わっているはずです。

初めに、円盤の中心から投げ出された時(物体が静止しているときから、ゼロでない速度まで加速された間)には現実に力が加わっていましたが、手から離れた後の移動中の物体には水平方向の力は加わっていません。

>円盤を廻せば、直径の線上からズレて転がります。
この現象は、直線に進む力に対して、「現実に」別の力が加わっているからです。

この現象とは
1)直径の線上からズレること
2)転がること
のどちらでしょうか。
1)はコリオリ力の説明で良く用いられる例です。円盤上に描いた直径の線からはズレますが、円盤の外から見れば、直進しています。このことを示すビデオ教材(アニメ、CGではなくて実写です)もあります(見たことがありますが所在を失念しました。見つけたら、リンクを張ります)。
2)は円盤とボールとの間の摩擦力がボールに働いているために生じた現象です。滑らかな回転円盤上を滑り摩擦の極めて小さい物体(例えばドライアイスの小片)を回転する円盤の中心から外縁に向けて滑らした場合には、直線からズレるだけで転がりません。

蛇足ながら・・・
>ベクトルは2つ以上の力の合成です。

ベクトルは2つ以上の力の合成力を求める際にも使いますが、本来は、向きと大きさを持つ物理量の総称です。ちなみに、大きさのみを持つ物理量はスカラー量と呼ばれます。

力、速度、加速度は大きさと向きを持つ物理量ですから、両方ともベクトル量です。対して、水温、密度は大きさのみを持ち、向きを持ちませんからスカラー量です。

bobby 様

>回転系の中にいる観察者の視点で、真っ直ぐ打ち出した砲弾が右にそれる理由を、仮想的な「外部からの力」に置き換えたものが「コリオリの力」です。

という最後の結論は正しいのですが、途中にいくつかの不適切な表現がありますので、細かいことですが指摘させて頂きます。

>同様に赤道上から北半球を(上にして)見ると、右向きに回っています。

これは、
逆に南極点上空から地球を見ると時計回りに回っています。なお、赤道上から北半球を(上にして)見ると、西から東へ次々と右向きに平行移動しているだけで、ある点を中心に回転しているようには見えません。
というのが正しい表現かと思います。赤道上から見た場合の記述が、ここで必要かは微妙です。

>宇宙の衛星軌道から観察すると、

これは、
「地球から遠く離れた宇宙から観察すると」
とする方が良いと思います。衛星がどのような軌道を飛んでいるのかによって見え方が異なります。

なお、wikiのコリオリの力の説明にあるアニメーションは回転する円盤上(北極点におかれた円盤上)での話であり、球形の地球上での話ではありません。次に述べるように、球とすることで、不都合が起きてしまいます。

>砲弾は北極から赤道上へ一直線に飛んで、赤道上へ着弾したように見えます。

当然のことながら、これは地球を球ではなくて、平面と考えたときの話です。北極点から水平に重力を超す強い力で発射された弾丸が一直線に飛んだ場合には、地球の球面から離れて、宇宙へ飛び出してしまいます。

>ところが、砲弾の目標点(赤い丸の点)は、地球の自転によって、どんどん南へ移動している事もわかります。

南へ->東へ の間違いです。

>ここで、目標が反れたのか、砲弾が反れたのかは相対的な問題です。

以下のように修正:
目標が反れたのか->目標が移動したのか

目標が移動したのが事実であり、砲弾が外れたのも事実です。目標が移動していないというのが「見かけ」です。この点で、「相対的な問題」という言い方に違和感があります。強いて言うならば「観察者の置かれている状況の違い」だと思います。

コリオリ力の不思議さ、面白さは、慣性の法則が成り立っている日常生活から得た強固な経験が、地球自転の力学的効果としてのコリオリ力を通して覆される点にあると思います。
Posted by hiroichi at 2008年08月13日 00:36
hiroichiさん、ご指摘ありがとうございます。

>同様に赤道上から北半球を(上にして)見ると、右向きに回っています。
>宇宙の衛星軌道から観察すると、

物理現象を言葉で説明するのは難しいですね。言葉が足りませんでした。上記のどちらも、砲弾の発射時に目標点(赤い点)があった赤道の上空約35786kmの宇宙にある静止軌道上から、地球に対して静止した状態(地表の赤い丸の点に対して静止しているのではありません)で観察したと仮定しました。それと、宇宙には上下はないのですが、感覚的にわかり易いように、「北極を上」に見るという条件を挿入する事により、地球の自転を「右向き」と表現できるようにしました。

>地球を球ではなくて、平面と考えたときの話です。北極点から水平に重力を超す強い力で発射された弾丸が一直線に飛んだ場合には、地球の球面から離れて、宇宙へ飛び出してしまいます。

仰る通りです。この説明における一番の問題点です。地球は球だし、大気層はそれほど厚くないので、北極点から赤道まで届くほどの初速の砲弾は、もしかして重力加速度を超えて大気圏外へ飛び出すかもしれない事は考えました。この場合、砲弾の質量が十分に小さければ、重力加速度以下の初速で北極点から赤道へ到達する可能性があると思います。更に、条件を単純にする為に風や空気摩擦を除くために、「大気の影響を受けない」という仮定としました。この条件なら、仮に砲弾が大気圏から「ちょっと」飛び出しても、地球の重力にひかれて再び地球へ戻ってこれる可能性はあるし、「大気の影響を受けない」という前提条件があるので、再突入による摩擦の影響も考えなくて済みます。

>南へ->東へ の間違いです。

私の勘違いでした。まったくその通りです。ちょっと混乱していたようです。

>「相対的な問題」という言い方に違和感があります。

これは微妙ですね。地球は自転しており、更に公転しています。太陽系も銀河系のなかで回転しています。銀河系も宇宙の中で膨張しながら移動しています。たとえば北極点の砲弾発射点において「静止した状態」という定義は、地球という視点では正しいのですが、静止軌道から見た時、太陽から見た時、銀河系の中心から見た時には静止していません。そういう意味で、「相対的」と書いたのですが、もしかしたら解釈が間違っているかもしれませんね。
Posted by bobby at 2008年08月13日 13:17
で、GCBに話戻しますけれど、南アメリカ大陸沿いに北に向かうGCBが南米大陸沿いに北上するのは理解できますけれど、赤道過ぎれば、東よりにそれて行くはずですね。けれど、実際には北半球北上するときも北米大陸沿いに流れているように見えます。これはコリオリ以外の複雑な力関係のなせる業ですかね。
Posted by 佐藤秀 at 2008年08月13日 14:51
bobby 様

>物理現象を言葉で説明するのは難しいですね。

そうですね。数式を使って説明できればどんなに楽かと思うのですが、そうすると数式に慣れている(数式から話題の対象をイメージできる)人にしか話は通じなくなってしまいます。日常的な言葉で説明し合うことによって、理解を深めあうことが大切だと思っています。

>上記のどちらも、砲弾の発射時に目標点(赤い点)があった赤道の上空約35786kmの宇宙にある静止軌道上から、

私はクルクル回る地球儀を見ている場合を考えていました。

>砲弾の質量が十分に小さければ、重力加速度以下の初速で北極点から赤道へ到達する可能性があると思います。

初速=初めの速度=砲弾の打ち出し速度
だと思います。他方、加速度は速度の時間変化率ですから、重力加速度と初速を比較することはできません。
北極点から発射した砲弾が赤道に届く条件は計算可能とは思いますが、コリオリ力を理解する際に、回転する円盤の端を赤道にする必要はないと思います。

>そういう意味で、「相対的」と書いたのですが、もしかしたら解釈が間違っているかもしれませんね。

bobbyさんの解釈うんぬんというよりは私の思い込みが違和感の原因でしょう。

「目標が反れたのか、砲弾が反れたのかは相対的な問題です。」というbobbyさんの表現に接して、私が「相対的」という言葉に違和感を感じたは、「目標が移動したので砲弾が外れた」という原因と結果を、「目標が移動した」かもしれないし、「砲弾が外れた」かもしれないと、2つの事象に分離し、その2つの各々を独立した優劣付けがたい対等な理解の仕方と見る、相対的な見方を取ることを是認しているように感じたためだと思います。

このような見方でないことを明示するためには、「目標が反れたのか、砲弾が反れたのかは、観察者の置かれている状況、視点の違いが原因です」と記述した方が良いと思ったということです。

佐藤 様

GCBについては、後日、別のエントリーで解説する予定ですが、ちょっとだけお答えします。

GCBはそれまでの種々の観測事実を矛盾なく説明する概念図、模式図であって、現実の流れを正確に表したものではありません。

海上風の分布により、北大西洋表層には時計回りの北大西洋亜熱帯循環があり、南大西洋表層には反時計回りの南大西洋亜熱帯循環があります。強いて具体的に説明すると、大西洋表層におけるGCBの海水は、インド洋からアフリカ南端を経由して南大西洋に入り、反時計回りの南大西洋亜熱帯循環によって、アフリカ大陸沿岸あるいは中央部を北上し、西向きの南赤道海流によって、赤道域西端に達した後、北大西洋に入り、時計回りの北大西洋亜熱帯循環により北米大陸沿岸を北上する経路をたどります。
Posted by hiroichi at 2008年08月14日 00:23
基本的な質問ですけど、北極点から赤道に向けた砲弾は西にそれる。逆に赤道から北極点狙ったら砲弾は東に(北極点から見て経度が東にずれ、北極点に届かない)それるんでしたっけ。だんだん頭が混乱してきてしまいました。
Posted by 佐藤秀 at 2008年08月14日 00:36
佐藤 様

はい、そうです。
北極点から赤道に向けた砲弾(南へ移動)は西(南に向って直角右手方向)にそれる。
赤道から北極点に向けた砲弾(北へ移動)は東(北に向って直角右手方向)にそれる。

>だんだん頭が混乱してきてしまいました。

コリオリ力を考えると、慣れないうちは、皆、頭が混乱します。そうならないためには、
「コリオリ力の向きは北半球では、物体の運動する方向に向かって直角右手側(南半球では反対方向)」
ということに慣れるしかありません。一般に丸暗記はお勧めできませんが、コリオリ力については仕方がないと私は思っています。
Posted by hiroichi at 2008年08月14日 01:14
hiroichiさん、レスありがとうございます。

>数式を使って説明できればどんなに楽かと思うのですが、

図を使えれば、より簡単に説明できるのですが。

>「目標が反れたのか、砲弾が反れたのかは、観察者の置かれている状況、視点の違いが原因です」と記述した方が良いと思ったということです。

仰るとおりです。ここで視点の違いにより、「砲弾が反れたか、目標が反れたか」の評価が分かれるという状況を、相対的と表現してしまいました。

>赤道過ぎれば、東よりにそれて行くはずですね。けれど、実際には北半球北上するときも北米大陸沿いに流れているように見えます。これはコリオリ以外の複雑な力関係のなせる業ですかね。

南赤道海流が赤道に沿って西に向かうと、南米ブラジル東岸のフォルタレザ付近にぶつかります。この付近の大陸の形状は、北西方向に傾斜していますので、海流の一部はどうしても地形なりに流れて、南米大陸東岸を北西方向へ向かってしまう事が考えられます。このアイデアは如何でしょうか?
Posted by bobby at 2008年08月14日 02:35
私の誤解は、コリオリの力が「見える見えない」の話だと勘違いしたんです。
だから「見えてるじゃん」と思ったのです。
でも丁寧に議論を読むと、コリオリの力は「見かけの力」って言うけど、実は「現実の力」じゃないの?
あるいは「見かけの力」って、どういう意味で使ってるの?・・・とだと思うのです。

それで、私も何故コリオリの力を「見かけの力」と言うのか考えたのですが、よく解りません。


         ★

質問への返答

>「円盤を廻せば、直径の線上からズレて転がります。
この現象は、直線に進む力に対して、「現実に」別の力が加わっているからです。」

>「この現象とは
1)直径の線上からズレること
2)転がること
のどちらでしょうか。」


1)の方です。


         ★

自分のコメントの訂正

>「蛇足ながら・・・
>ベクトルは2つ以上の力の合成です。

>「ベクトルは2つ以上の力の合成力を求める際にも使いますが、本来は、向きと大きさを持つ物理量の総称です。ちなみに、大きさのみを持つ物理量はスカラー量と呼ばれます。」

>「力、速度、加速度は大きさと向きを持つ物理量ですから、両方ともベクトル量です。対して、水温、密度は大きさのみを持ち、向きを持ちませんからスカラー量です。」

>「ベクトルは2つ以上の力の合成です。」


これは私の勇み足です、よく考えずに書いてしまったので言葉足らずになりました。
その後のhirochiさんのベクトルとスカラーの説明は、その通りだと思います。

だから訂正しますと・・・コリオリの力を求める場合は、ベクトル計算を使用します。
ベクトル計算を使用するのは、コリオリの力を「現実の力」と認識しており、直線に進む力とズレる力の合成と考えているからではないでしょうか?
もちろんベクトル計算だけで、正確な答えが出る訳ではありません。
ただベクトル計算を使用して、答えを出そうとする意図は、2つの現実の力の合成と考えているからではないでしょうか?

あとコリオリの力とは全く関係ないのですが、蛇足という言葉の意味は、必要のないモノを付け足して台無しにしてしまうということです。


Posted by おおくぼ at 2008年08月14日 03:36
なんか読んでいるうちにこう考えるようになりました。
地表を動く物体は、位置が変わるたびに、自転の力が変化していることに影響されている。だから、地球にいつも肩透かしを食らっている。コリオリ力とは肩透かし力と見つけたり、とか。平たく言えばそういうことになるんでしょうか。
Posted by 佐藤秀 at 2008年08月14日 23:10
bobby 様

>この付近の大陸の形状は、北西方向に傾斜していますので、海流の一部はどうしても地形なりに流れて、南米大陸東岸を北西方向へ向かってしまう事が考えられます。

赤道域の力学が専門外の私には、大西洋赤道域の海洋循環については即答しかねます。そういうことも考えられないことはないと思いますが・・・。


おおくぼ 様

ご返答をありがとうございました。

>それで、私も何故コリオリの力を「見かけの力」と言うのか考えたのですが、よく解りません。

お解りにならないのは私の説明が悪いのだと思います。どこがどう解らないのか、お知らせいただけませんか? おおくぼさんだけではなく、多くの人が解らない状況だと思いますので。

>1)の方です。

だとすると、「円盤を廻せば、直径の線上からズレて転が」るのは回転している円盤上の直径の線上からズレているだけであって、後で述べるような摩擦が働かない場合には回転している円盤の外から見ると直進するはずですので、「現実の別の力が加わっている」のではないことになります。

なお、最初にボールを押し出して転がり始めた後は、水平方向に転がっているボールは直進運動を続けるだけで、ボールには「直線に進む力」は働いていません。ただし、ボールの角運動量も保存されるため、ボールは回転を続けます。回転する円盤の表面と回転するボールの間の摩擦力が働くと、ボールは斜めに進むと思います(詳しい計算はしていませんが)。ということで、円盤上でボールを転がす場合には話は複雑になります。

>ベクトル計算を使用するのは、コリオリの力を「現実の力」と認識しており、直線に進む力とズレる力の合成と考えているからではないでしょうか?

違います。「ベクトル計算を使用して、コリオリの力を求める」方法として、どのような方法を用いているのか詳細は分かりませんが、一般には、コリオリの力を求めるとき用いるベクトルは力のベクトルではなくて、座標ベクトル(ボールの位置の原点からの向きと距離)あるいは速度ベクトルだと思います。

なお、コリオリ力を求めるのではなくて、説明するときにはベクトルを用います。しかし、これは「現実の力」と認識しているのではなくて、「見かけの力」を便宜的に「現実の力」と見なすことができるということを示すために用いています。

>蛇足という言葉の意味は、・・・

おおくぼさんがベクトルという言葉を使用したことに、上のような深い意味を含めていたとは思いもよらず、本題と関係なくベクトルの意味を訂正するつもりで、「蛇足ながら・・・」としました。
Posted by hiroichi at 2008年08月15日 00:36
佐藤 様

>地表を動く物体は、位置が変わるたびに、自転の力が変化していることに影響されている。

「自転の力が変化していること」ではなくて、「自転していること」です。

>だから、地球にいつも肩透かしを食らっている。

おもしろい表現ですね。
「地球にいつも横当たりを食らって、直進するつもりでいても、曲がってしまう」というのがより適切なような気がします。
Posted by hiroichi at 2008年08月15日 00:50
>>「それで、私も何故コリオリの力を「見かけの力」と言うのか考えたのですが、よく解りません。」

>「お解りにならないのは私の説明が悪いのだと思います。どこがどう解らないのか、お知らせいただけませんか? おおくぼさんだけではなく、多くの人が解らない状況だと思いますので。」

内容が高度な話に突入してしまったのですが、最初の疑問は、素朴な日本語の使い方です。

それは、「見かけの力」と「現実の力」という言葉の使い方です。
「現実」の反対は、非現実です。
架空とか、想像で、現実の世界に精確に対応するモノがないモノです。
「見かけ」の反対は、実際です。
見かけは、見えている姿と実際は違うという場合に使います。
例えば、「見かけは真っ直ぐ進んでいるように見えるけど、実際は曲がって進んでいる」などなど。

         ★

コリオリの力を「見かけ」や「現実でない」と言うと、存在しない力なの?と思ってしまいます。
そして存在しない力によって、物体が移動するの?と思ってしまうのです。
          
だからコリオリの力の疑問として、「じゃあ、実際にはどんな力が働いている?」と思うのです。
Posted by おおくぼ at 2008年08月15日 13:44
おおくぼ 様

ご返答をありがとうございます。

>「見かけの力」と「現実の力」という言葉の使い方です。

「見かけ」の反対は「実際」であって「現実」ではないと、「実際」と「現実」の用法を厳密に区別するのであれば、コリオリ力は「見かけの力」であって「実際の力」ではない、ということです。

「見かけの力」という言葉を誰が使いだしたのか、私には分かりませんが、種々の教科書でこの言葉が使われています。英語版Wikipediaでコリオリ効果(Coriolis effect)を調べると、fictitious force (or pseudo force)の一例である、と述べています。また、同じく英語版Wikipediaでfictitious forceを調べると、
A fictitious force, also called a pseudo force, d'Alembert force or inertial force, is an apparent force that acts on all masses in a non-inertial frame of reference, such as a rotating reference frame.
と述べています。ここで初めてapparent force(見かけの力)という表現が、「回転座標系のような非慣性座標系ですべての物体に働く見かけの力」という説明とともに現れています。

その簡単な例として、加速中の車(非慣性座標系)に乗っている時、車の後ろ側にに押される力が示されています。この力は、車が等速度運動をしているとき(慣性座標系であるとき)には感じませんが、加速中の車に乗っているとき(非慣性座標系であるとき)には「実際」に感じます。しかし、この「実際」に感じる力は加速する車内という非慣性系座標系にいるから感じるのであって、車外の慣性座標系から見た場合には車全体が前方に加速しただけであって、「実際」の力は車内の人に後ろ向きに加わってはいません。

この意味で、私のこれまでの説明は言葉不足であり、
コリオリ力は回転座標系という非慣性座標系にある物体に働く「見かけの力」であって、慣性座標系での「実際の力」ではない。
というのがより精確な記述になります。

>だからコリオリの力の疑問として、「じゃあ、実際にはどんな力が働いている?」と思うのです。

実際の力は慣性座標系では働いていません。しかし、地球に固定された回転座標系では転向力として、実際に働いています。

この説明では、ますます解らなくなってしまったのではないかと危惧しますが・・・。いかがでしょうか?
Posted by hiroichi at 2008年08月15日 19:34
>この「実際」に感じる力は加速する車内という非慣性系座標系にいるから感じるのであって、車外の慣性座標系から見た場合には車全体が前方に加速しただけであって、「実際」の力は車内の人に後ろ向きに加わってはいません。

たとえば車内の人が交通事故で亡くなったとします。裁判で「この人は見かけの力で死んだのですからこの人の死は見かけだけです。従って、事故は見かけだけですから責任はありません、加害者も見かけだけの加害ですから無罪です」と判決下されたら遺族は怒るでしょうね。
「見かけ」という以上、あくまである視点だけの話だけであって、車内の人にとっては決して「見かけ」じゃないということです。コリオリを便宜上「見かけの力」とするのはいいとしても、日常レベルで「実際の力じゃない」というのは、無理があると思いますよ。
Posted by 佐藤秀 at 2008年08月15日 23:57
佐藤 様

>「見かけ」という以上、あくまである視点だけの話だけであって、車内の人にとっては決して「見かけ」じゃないということです。

このことは、引用された箇所の冒頭で「この「実際」に感じる力は加速する車内という非慣性系座標系にいるから感じるのであって」と、「見かけ」ではないことを述べています。

>コリオリを便宜上「見かけの力」とするのはいいとしても、日常レベルで「実際の力じゃない」というのは、無理があると思いますよ。

こういう誤解を生んだのは、私の表現が不適切であったためと思います。以下のように訂正します。

訂正前:
車外の慣性座標系から見た場合には車全体が前方に加速しただけであって、「実際」の力は車内の人に後ろ向きに加わってはいません。

訂正後:
車外の慣性座標系から見た場合には、乗っている人を含めた車全体が前方に加速しただけです。

いかがですか?
Posted by hiroichi at 2008年08月16日 00:19
コリオリの力とは違うと思うのですが、実際に動いているのに、本人は動きを感じない例を思いだしました。

1)地球は自転してますが、私達は地球が動いているようには感じられません。

2) 地球が太陽の周りを回っていますが、私達には太陽が地球の周りを回っているように見せます。

3)地球は球体ですが、私達には平面に感じられます。

これらは地球の外から観察すれれば、現実がわかります。
地球の内部にいる人と、外部にいる人では、感覚に違いが出ます。
1)と2)は運動ですが、3)は厳密に運動かどうかよくわかりません。
重力と遠心力が働いているのですが・・・。

4) 地球の自転速度に合わせて動いている人工衛星は、地球から見ると止まって見えます。
          

             ★

運動における「見かけ」と「実際」の例を、連想のまま出してみました。

Posted by おおくぼ at 2008年08月16日 05:49
hiroichiさん、「みかけの力」の他の例として加速中の車の例は分かりやすくて面白いですね。車の例を、私の言葉で以下に書き直してみました。

等速度で直進走行中の「車と中の人」は、同じ速度で前方へ移動しています。このとき、車と人は同じ慣性系にいます。車が加速すると、人はこれまでの慣性系に留まろうとするが、車は人より前方へ移動しようします。この時、加速中の系(車内)にいる人は、自分が持っていた(等速度運動をしていた)慣性系が、加速する車の運動系にさからおうとする結果を、「座席が自分を前方へ押す」力としてを感じる、という事だと思います。

この例は、乗車している人が実際に「加速度」を実際に感じてしまうので、「みかけの力」の例としては混乱しやすいかもしれません。たとえば、以下の例はどうでしょうか?

長さ1.2Kmの長細い円筒状態の宇宙船があります。宇宙船は、先端から後ろへ1Kmほどは、円筒の壁に囲まれた何も無い空間になっています。この宇宙船は、進路に影響を及ぼすような質量が何も無い太陽系外宇宙空間を、前方へ時速1000kmで等速度運動しています。この宇宙船の先端に、乗客がひとり「浮いて」います。宇宙空間では、等速度運動中は無重量状態になるので、円筒の真ん中に浮いているわけです。

船も乗客も、時速1000Kmの等速度運動をする慣性系にいましたが、船だけがそこから更に、秒速1mの加速を始めました。船の1000m横で、同速度・同方向で併走中の小さな宇宙船にいる観察者の視点では、加速する宇宙船の窓から見える乗客は、自分と同じ位置を保ち、船だけが秒速1mで、前方へ移動するように見えます。この時、浮いている乗客は、前後左右いかなる方向へも、加速度はまったく感じていません。

一方、船の先端の操縦席にいるパイロットは、船と同じ加速系に居て、秒速1mで船とともに前方へ移動していますから、秒速1mの「加速度を感じる」事ができます。更に、パイロットが後ろを見ると、円筒の船の真ん中に浮いている乗客が、秒速1mで後方へ後退しているように見えます。

まとめると、船が加速するとき、浮いている乗客にはいかなる力も加わっていないが、船に固定されているパイロットは、自分の慣性系が宇宙船の加速系にさからう「みかけの力」として、加速度を感じる、という説明は如何でしょうか。

コリオリの力の例では、乗り物である地球が(こういう言い方は厳密ではないですが)等速度で回転する慣性系(のようなもの?)の球体であり、砲弾が加速系になります。一方の加速する車の例では、乗り物の車が加速系であり、中の人が慣性系(から加速系へ移行)ですから、慣性系と加速系が逆であり、単純な比較はできませんが、「みかけの力」である事には違いないですね。

おおくぼさんの言われた、
>1)地球は自転してますが、私達は地球が動いているようには感じられません。

これは、地球という乗り物と、私達乗客が、等速度で回転する「同じ慣性系」のような状態にあるからと理解しているのですが、この解釈は正しいのでしょうかね?
Posted by bobby at 2008年08月16日 13:01
おおくぼ 様

>実際に動いているのに、本人は動きを感じない例を思いだしました。

「日常生活での体験」と「事実」が異なる例の提示をありがとうございました。非常に重要な考え方、ものの見方です。

1)、2)、3)は、多くの注意深い観察結果と理論的考察の試行錯誤(科学の営み)から「日常生活の体験」では直接感知できない「事実」を導き出した好例です。

慣性座標系での力学という日常生活での経験が大手を振っている世界と「目に見えない自転している地球上に固定した回転座標系に我々はいて、その影響を無自覚に受けている」という事実とを結びつけているのがコリオリ力であると言えるでしょう。
Posted by hiroichi at 2008年08月16日 14:21
誤解していると言われますが、私を含めて誰も誤解してないと思います。ただ言葉の表現法が違うだけだと思います。hiroichiさんだって、やっと「実際の力」という表現をされ始めました。「実際」も「見かけ」も立ち位置の問題なんですね。
Posted by 佐藤秀 at 2008年08月16日 22:39
佐藤 様

私は、訂正前の
車外の慣性座標系から見た場合には車全体が前方に加速しただけであって、「実際」の力は車内の人に後ろ向きに加わってはいません。
の記述で、不用意に
「実際」の力は車内の人に後ろ向きに加わってはいません。
と述べたことが、佐藤さんの誤解を生んだと考えて、以下のように訂正しました。
車外の慣性座標系から見た場合には、乗っている人を含めた車全体が前方に加速しただけです。

より詳細に記述すると、
車外の慣性座標系から見た場合には、車と人が一緒に加速して動いているだけで、車内の人が後ろ向きに実際の力を受けて後ろ向きに動いているようには見えません。
となります。

>言葉の表現法が違うだけだと思います。

お互いの考え、認識を正しく伝え、理解し合うためには、「言葉の表現方法」については細心の注意を払いたいと思っています。

>。「実際」も「見かけ」も立ち位置の問題なんですね。

それはそうなのですが、「どうのように立ち位置が異なるのか」を認識していることが重要と思います。


Posted by hiroichi at 2008年08月17日 02:24
bobyy 様

>等速度で直進走行中の「車と中の人」は、同じ速度で前方へ移動しています。このとき、車と人は同じ慣性系にいます。車が加速すると、人はこれまでの慣性系に留まろうとするが、車は人より前方へ移動しようします。この時、加速中の系(車内)にいる人は、自分が持っていた(等速度運動をしていた)慣性系が、加速する車の運動系にさからおうとする結果を、「座席が自分を前方へ押す」力としてを感じる、という事だと思います。

以下のように、微妙に違います。
1)等速度で直進走行

慣性座標系とは、等速度で移動している座標系です。
ここで等速度運動とは速度の向きと大きさが変化しない運動です。したがって、「等速度で直進走行中」という表現は、これでも意味は通じますが、厳密には「等速度で移動中」が正しい用法です。
なお、後に言及される「等速度で回転」ということはあり得ません。また、等速度で回転する慣性(座標)系というのもあり得ません。

2)このとき、車と人は同じ慣性系にいます。

通常は、人と車は常に同じ座標系にいると考えて、人は車の中で静止しているので、人に加わる力の合力はゼロ(力がつり合っている)と考えます。
車が停止または等速度移動しているときには、車と人は慣性座標系にいます。
車が加速しているときには、車と人は非慣性座標系にいます。

3)車が加速すると、人はこれまでの慣性系に留まろうとするが、車は人より前方へ移動しようします。この時、加速中の系(車内)にいる人は、自分が持っていた(等速度運動をしていた)慣性系が、加速する車の運動系にさからおうとする

車が加速すると、車外の慣性座標系から見ると人も加速します。すなわち車の進行方向へ向いた力(F1、駆動力)を受けています。しかし、車に固定した非慣性座標系では加速してることを認知しません。このようになるためには、F1と向きが逆(後ろ向き)で大きさが同じ見かけ力(F2、慣性力)を受けている必要があります。

4)この時、加速中の系(車内)にいる人は、自分が持っていた(等速度運動をしていた)慣性系が、加速する車の運動系にさからおうとする結果を、「座席が自分を前方へ押す」力としてを感じる、という事だと思います。

座席に固定されている人がF2の力(後ろ向き)を受ける場合には、座席からF2と向きが逆で大きさが同じ力(F3、前向き、反作用)を感じます。

>この例は、乗車している人が実際に「加速度」を実際に感じてしまうので、「みかけの力」の例としては混乱しやすいかもしれません。

車を加速させる力(駆動力)は車の進行方向(前)を向いています。それに対し、乗車している人が実際に感じるのは後ろ向きの「慣性力」という「見かけの力」です。座席から受ける前向きの力は駆動力ではなくて、「慣性力」の反作用です。

>1)地球は自転してますが、私達は地球が動いているようには感じられません。
>これは、地球という乗り物と、私達乗客が、等速度で回転する「同じ慣性系」のような状態にあるからと理解しているのですが、この解釈は正しいのでしょうかね?

自転角速度が遅いのが原因のように私は思います。
Posted by hiroichi at 2008年08月17日 04:03
「見かけ」という言葉の使い方への疑問が消えません。

地球の自転の場合は、「実際に」地球は動いている訳です。
地球にいると動きが感じられず、地球の外から見ると動きが分かります。
だから観察者の立ち位置の差になる訳ですね。

では、大きな円盤の直径の端から端へボールを精確に転がす例はどうでしょうか?
円盤を廻しながら転がせば、ボールはズレます。
この時は、何が「見かけ」で、何が「実際」なのでしょうか?

          ★

私の答えは、この場合の「見かけ」の言葉の使い方は、日常用語の「見かけ」とは違う、です。

力を「慣性系」と「非慣性系」に分けて、「慣性系」を「見かけ」と呼んでいるだけに過ぎないと思うのです。
でも慣性系の力は架空の力ではありません。
だから日常用語の「見かけ」という言葉の使い方とズレると思うのです。


Posted by おおくぼ at 2008年08月17日 08:02
おおくぼ 様

「見かけ」という言葉の使い方について考え方のご提示をありがとうございました。

>力を「慣性系」と「非慣性系」に分けて、

力を「慣性系」と「非慣性系」に分けることはできません。厳密には、

同じ運動を支配している力の、円盤から離れて立っている「慣性座標系」と、円盤とともに回転している「回転座標系(非慣性座標系)」という2つの異なる座標系での現れ方の各々を比較すると、

です。

>「慣性系」を「見かけ」と呼んでいるだけに過ぎないと思うのです。

比較した結果ですので、厳密には、

同じ運動を支配している力は、非慣性座標系では「実際の力」であるが、「慣性座標系」では作用していない、すなわち実際の力は作用していない。このため、「見かけの力」と呼ばれている。

です。

>でも慣性系の力は架空の力ではありません。
だから日常用語の「見かけ」という言葉の使い方とズレると思うのです。

上での厳密な表現を踏まえると、

実際には非慣性座標系にいるのに慣性座標系に居ると思いこんでいるため、日常生活で経験する力について、通常は、慣性座標系と比較することはありません。だから日常用語の「見かけ」という言葉の使い方とズレると思うのです。

となると思います。

Posted by hiroichi at 2008年08月17日 14:02
2ヶ月半も後から失礼します。

Wikiでコリオリの力を説明している『回転する円盤の中心から円盤の端の目標に向けて玉を発射する』動画が、本当に正しくコリオリの力の説明になっているのでしたら、コリオリの力とは完全に『見せ掛けだけの力』だと思います。

これがもし逆に『回転する円盤の端から中心の目標に向けて玉を発射しても玉の発射地点から見て右に逸れて目標に着弾しない』動画や、『円盤の角速度と玉の移動速度が或る一致を見た場合、玉が発射地点に戻ってくる』動画であった場合、コリオリの力とは、『見せ掛けの力』に加えて『玉を発射する際のベクトル+発射した瞬間に回転運動から与えられるベクトル』の総合観察結果であるということになります。

要は、実際は観察者の方が移動している『見せ掛けだけの力』と『現実の(回転運動から移される)力』を、正しく分離して説明しないから解り難くなっているのではないでしょうか。

コリオリの力とは『実際は観察者の方が移動してしまっている見せ掛けだけの力』と『回転運動から移される現実の力』を総合した現象のことと理解していたのですが、これで合ってますでしょうか。
Posted by Jann at 2008年11月04日 12:26
Jann様

ご質問をありがとうございました。

>コリオリの力とは『実際は観察者の方が移動してしまっている見せ掛けだけの力』と『回転運動から移される現実の力』を総合した現象のことと理解していたのですが、これで合ってますでしょうか。

違います(私がJannさんのお考えを誤解している可能性がありますが、Jannさんのお考えは、回転円盤を用いた簡便なコリオリ力の説明から出発しているために生じた誤解のように思います)。

「移動」には等速度運動(移動速度の向きと大きさが一定)が含まれてますが、等速度運動では「見かけの力」は働きません。したがって、『実際は観察者の方が移動してしまっている見せ掛けだけの力』という表現は、厳密には
「静止または等速度運動している(慣性座標系にいる)観察者には、移動している物体に力が作用していないと認識できる場合に、回転している(非慣性座標系の一つである回転座標系にいる)観察者には、移動している物体に実際に作用しているように見える力」です。

また、『回転運動から移される現実の力』が、回転する円盤上に固定されている物体が回転運動から受ける現実の力を意味しているとするならば、これは遠心力であり、コリオリ力ではありません。

なお、角速度と速度は全く意味が違います。したがって「円盤の角速度と玉の移動速度が或る一致を見」ることはありえません。
Posted by hiroichi at 2008年11月06日 03:02
今更すみません。

スポーツに関して「コリオリの力」は
とても重要だと結論に達しています。

『真実のスポーツ動態。その解明。』 http://amba.to/pXJNHD
Posted by mimikaracoach at 2011年07月13日 09:07
mimikaracoach 様

コメントをありがとうございます。

スポーツ力学は基礎力学と日常体験とを結びつける興味深い分野だとかねてから思っています。

Wikipediaの「コリオリの力」の項に以下の記述があります。
>コリオリの力を実感するには、フィギュアスケーターのように回転しながら、重り(500g程度でよい)を持った手を「前にならえ」の要領で前に突き出したり胸元にしまったりを繰り返すと分かりやすい。左回りに回転している場合、腕を前方に突き出す時には重りが右方向に引っ張られるように感じ、腕を胸元にしまうときには左方向に吸い込まれるように感じる。この、重りの進行方向からみて右にずれる方向に働いている見かけ上の力が、コリオリの力である。

mimikaracoachさんがおっしゃりたいのは、このことと関係しているのかなとは思いますが、良く分かりませんでした。力学の理論に基づいた議論をされている記事がありましたら、お知らせください。
Posted by hiroichi at 2011年07月13日 23:42
hiroichiさん
レスありがとうございます。
フィギアスケートの例は適切では無い気がします。
コリオリがそのスポーツのパワーをほとんど支配している状態を明らかにする必要があります。

『石川遼の練習風景』
http://amba.to/iNfGm3

遼くんはマスターズの練習でもそんな姿を見せていました。その姿はコリオリが無い状態を示しています。コリオリは人間の意志で処理をしてはいけません。だから遼くんは人間の意志だけの動作を何回も刷り込んでいたのです。
Posted by mimikaracoach at 2011年07月15日 17:24
公式を考えました。

「タイガー・ウッズが普通にショットしている姿」-「ボディーターンの原型」=コリオリ力


この考え方で算出出来る「コリオリ力」は相当なパワーが想像出来ます。

某病院の医師である私の生徒は
「美しい公式」だと絶賛してくれました。

ある程度の高学歴を持っていないと理解に苦しむと思います。
Posted by mimikaracoach at 2011年07月26日 13:42
mimikaracoach 様

「タイガー・ウッズが普通にショットしている姿」-「ボディーターンの原型」=コリオリ力

は力学の公式ではありません。

コメントを頂くのはありがたいのですが、
以前、私がお願いした以下の件にお答え下さい。
そのお答えを頂かないと、議論は前に進みません。宜しくお願いします。

>力学の理論に基づいた議論をされている記事がありましたら、お知らせください。

Posted by hiroichi at 2011年08月04日 01:57
コリオリを
みかけの力と断定している以上
この公式の真意を理解することは不可能でしょうね。

スポーツには「真実の動態」と「見た目の動態」が
あるという事実は経験を経ないと絶対に理解が出来ません。

議論をするならば、
私の指示する「真実のスポーツ動態」を
経験してからでないとその一歩さえ進めません。

Posted by mimikaracoach at 2011年08月16日 08:28
慣性系に対して等速度で回転している非慣性系でコリオリ力が生ずる機構については、疑問の余地はなく、問題はそれを見かけの力と呼ぶ点にあります。

見かけの力を力学で定義してしまえば、それまでですが、多くの人は「見かけの力」を日本語という自然言語で理解します。違和感を持つのはそのためです。

力学の法則は慣性系で定式化するのが一番単純です。しかしながら、加速度運動する乗り物や回転運動している遊具または地球に乗っている人から見た場合、「乗り物」に固定された非慣性系で考えた方がより現実的です。ブログ主は海洋学者ですが、海水の運動を慣性系で議論するのではなしに、地球が回転していないとする非慣性系で常日頃議論しているはずです。コリオリ力(や遠心力)を必要とするのはそのためです。

アインシュタインは、慣性系と非慣性系を対等に扱う立場から一般相対性理論を発見しました。一般相対性理論では、重力と慣性力を区別せず、ともに観測者の座標系の幾何学的性質によって生ずる力と考えます。これらの力は物体の質量に比例します。

我々は、乗り物が急発進/急停車するとき、我々に対して乗り物の方が前方/後方にずれようとするとは考えずに、我々に対して後方/前方に力が働いたと考えてそれに対抗するように踏ん張ります。我々の日常の感覚では、アインシュタインと同じ立場に立って、ニュートン力学における慣性力を現実の力として感じていると思います。
Posted by kamokaneyoshi at 2011年09月06日 13:46
kamokaneyoshi 様

>多くの人は「見かけの力」を日本語という自然言語で理解します。違和感を持つのはそのためです。

貴重なご指摘をありがとうございました。確かに、「みかけ」という言葉の意味合いが力学を議論する場と日常生活の場で異なることが多くの人が抱く違和感の大本なのでしょうね。

いろいろなバックグラウンドを持った人が、いろいろな方法で説明することで、総体として、多くの人の理解を得ることができるようになると思います。この意味で、kamokaneyoshiさんの補足説明に御礼申し上げます。

今後とも、宜しくお願いします。
Posted by hiroichi at 2011年09月07日 00:54
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コリオリ力を説明するビデオ
Excerpt: コリオリ力(転向力)とは、地球自転の効果のために、地上で運動している物体に働いている「みかけの力」であり、大気や海水の運動のように流速の鉛直成分が水平成分に比べて十分に小さい時には、コリオリ力の大きさ..
Weblog: 海洋学研究者の日常
Tracked: 2009-06-08 01:41