同紙6月28日付け朝刊東京版のコラム「発信箱」に掲載されている青野論説委員の「感染シミュレーション」と題する小文を読んだ。国立感染症研究所の大日康史さんらが行ったパーソン・トリップのデータを用いた新型インフルエンザの拡大伝播モデルのシミュレーション結果の概要(ネタ元はここらあたり)を紹介した後、
「シミュレーションだから現実はわからない」という見方もあるだろう。確かに、条件が変わると感染の広がり方は変わる。だが、それをいうなら、温暖化の予測とてシミュレーションによるものだ。という文章を読んで、「この文章で何を言おうとしているのか?」と疑問に思った。どうも、感染シミュレーション結果を支持あるいは受け入れるための根拠として「温暖化予測シミュレーション」を挙げているようだが、その論旨が管理人には良く分からない。
管理人には、
シミュレーションによって温暖化が予測されている。その結果は過去の気温変動をよく再現し、予測技術として広く世間に受け入れられている。したがって、「シミュレーションだから現実はわからない」という見方は、現実に起きている温暖化を再現しているシミュレーションを否定する、誤った見方である。だから、感染シミュレーションの計算結果も受け入れられるべきである。と青野委員は言いたいように読める(誤解かもしれないが、管理人には、このようにしか理解できない)。
しかし、国立感染症研究所の感染シミュレーションモデル研究と地球温暖化シミュレーション研究とでは、その目的・手法・性質が異なる。感染シミュレーションモデル研究は、感染症の拡大阻止介入の効果を評価するために現在のところ最適と思われる感染症伝播モデルにパーソン・トリップのデータを適用して伝播状況の推移を可視化あるいは数値化することを目的としていると思われる。この場合、過去の感染症の伝播を再現することは強く求められてはいない(検証のためのデータも十分にないと予想できる)。他方、地球温暖化予測数値シミュレーション研究は、過去の気温変動をよく再現する数値予測モデルによって将来の温暖化をできるだけ高い精度で予測することを目的としている。このように、その目的・手法・性質が異なる地球温暖化予測数値シミュレーション研究を引き合いに出して、感染シミュレーションモデル研究の結果を支持する根拠とするのは、無理のように思う。
管理人だったら、
「シミュレーションだから現実はわからない」という見方もあるだろう。確かに、条件が変わると感染の広がり方は変わる。関係者の方々には、現実的な条件の確定などのモデルの改善を進めて頂きたい。とはいえ、新型インフルエンザの爆発的流行のような人類が未経験の現象への対処法を予め策定しておくことは必要である。このための道具としてシミュレーションは有効な道具である。とでもする。
なお、「だが、それをいうなら、温暖化の予測とてシミュレーションによるものだ。」という表現には、「温暖化のシミュレーション予測結果は正しい」という意味合いが含まれているように管理人には感じられる。もし、そうだとすると、この認識は間違いであると言わざるを得ない。シミュレーション結果はあくまでも現在の私たちが有する地球環境変動に関わる過程についての知識の一部からから導き出したシミュレーションモデルの結果であって、完全ではない。観測によって今後得られる新たな知見を含めることによって、結果が大きく異なる可能性がある。
ところで、この技術が過去に何度か、大規模に破綻したケースがありました。ブラックスワンといわれる予測不能な恐慌や大暴落です。これらがシミュレーションできないかとえば、周期性が無い、市場にとってまったく新しい挙動だからです。過去の挙動を近似したシミュレーションで、未来の新しい挙動を予測する事は技術的に困難です。
仮にものすごく優秀な金融専門家兼数学者兼プログラマが居たとして、大暴落が始まったとたんに暴落をシミュレートする新しいプログラムを書き始めたとして、新しい事象の始まりと途中経過をどれだけ近似させられても、実際の底値と暴落の期間を予測する事は極めて困難です。これが過去の近似から未来を予測する技術の限界です。
地球温暖化シミュレーションにおいても、同様の事が言えると思います。地質学的スパンでいえば、(本当に温暖化が起こっているとすれば)変化はまだ始まったばかりでしょう?温暖化の立ち上がり変化の近似モデルから、行き着く先の全体像をモデル化するの事は、環境や数学の専門家でなくても技術的に困難である事は自明ではないでしょうか?
頂いたコメントの主旨を誤解していて、論点がずれているかもしれませんが、私の考えは以下の通りです。
>過去の挙動を近似したシミュレーションで、未来の新しい挙動を予測する事は技術的に困難です。
例え、過去の挙動を完全に再現できる数値シミュレーションモデルであっても、未来において新たな支配要因が働く場合には、未来における挙動を予測できないのは原理的にも明らかです。この点ではbobbyさんに同意します。
それでも、未来を知りたいという欲望を満たすために、このような技術的・原理的なな困難を出来るだけ克服してシミュレーション結果の予測精度を少しでも向上させるようにモデルの改良や検証のための観測を続ける過程が科学の営みだと私は考えます。
>地質学的スパンでいえば、(本当に温暖化が起こっているとすれば)変化はまだ始まったばかりでしょう?
地質学スパンでいえば、現代は長い間氷期が継続してきた時期であって、「温暖化はまだ始まったばかり」とは捉えられないと思います。
>温暖化の立ち上がり変化の近似モデルから、行き着く先の全体像をモデル化するの事は、環境や数学の専門家でなくても技術的に困難である事は自明ではないでしょうか?
全体像を完全にモデル化するの事は、困難であることは自明であることに同意します。それは、地球気候変動システムでは種々の要因が複雑に関係し合っているため、私たちは未だに地球温暖化のメカニズムの全体像を完全には理解していないことと、計算機の能力に限界があるためです。そうではあっても、モデルを改良する努力を続けることが、科学の営みだと私は考えます。
我が国は、現在、膨大な経費を費やして、このような科学の営みを続けることを推進していますが、一部の人々は異論を唱えています。異論の存在は民主主義の根幹ではあって保障されなければなりませんが、互いの理解を深めるための異論であってほしいと私は思っています。
<参照>
http://blogs.dion.ne.jp/hiroichiblg/archives/7321108.html
現在の「異常気象」すべてを間氷気の温度上昇から下降へと移る際の一時的挙動とととらえれば、そもそもこの人為的温暖化騒動は無意味となります。間氷期の上限温度近くで、たまたま産業革命から始まった人為的CO2排出が引き金となって人為的温暖化が始まったとすれば、「人為的温暖化はまだはじまったばかり」といえるはずです。
>そうではあっても、モデルを改良する努力を続けることが、科学の営みだと私は考えます。
それは仰る通りであり、私も同意します。そして、上でも述べましたように、現在の温度上昇と下降を含む異常気象が人為的なものであれば、その引き金が引かれたのは地質学的なスパンでは「極最近」の出来事であります。ですから、モデルを改良するというよりも、はじまったばかりの新しい事象を、その立ち上がりの変化だけをフォローしたシミュレーションモデルで、まだ起きぬ未来の全容を知ろうとしているのではないかと申し上げました。もちろんそれは、(人為説が正しいとして)現在の科学者が行うべき方法の一つです。
>我が国は、現在、膨大な経費を費やして、このような科学の営みを続けることを推進していますが、
一番大きな問題はここにあると思います。学会でひとつの仮説として人為説を唱えるのは科学者の仕事です。しかし、素人が考えても間氷期の挙動なのか人為的なのか、確かなところは何も証明されていない昨今の異常気象です。また、人為的とした場合、この事象ははじまったばかりで、現在のシミュレーションは確かな事が何もわからない。それなのに、これらを「前提」として政治と経済の世界で、かくも莫大な税金が投入されようとしていますが、これはまともな事でしょうか?池田信夫ブログに今日、新しい記事が出ましたが、投入された税金の分だけ効果があるのかも定かでありません。
環境を研究する学者は、上の理由で不確かなシミュレーションを前提とした、不確かな未来予測による政治的決定に異論を唱える倫理的な責任があると思います。政治家が使っているのは、何にせよ学者が作成した前提条件なのですから。
>間氷期の上限温度近くで、たまたま産業革命から始まった人為的CO2排出が引き金となって人為的温暖化が始まったとすれば、「人為的温暖化はまだはじまったばかり」といえるはずです。
同意します。私の中では「地質学的スパン」は数万年以上の長期変動と思っていましたので、「地質学的スパンでの温暖化」のことと短絡して誤解してしまいました。
>それなのに、これらを「前提」として政治と経済の世界で、かくも莫大な税金が投入されようとしていますが、これはまともな事でしょうか?池田信夫ブログに今日、新しい記事が出ましたが、投入された税金の分だけ効果があるのかも定かでありません。
科学研究と社会は強く結びついていますが、政策選択は「地球温暖化の科学」の問題ではなくて、「地球温暖化の政治・経済」の問題と私は思っています。
政治・経済的意図を持って、種々の科学的成果を恣意的に利用したり、無視したりすることは、対象の理解を深めるという科学的営みとは異なります。しかし、「地球温暖化の政治・経済」を議論する際に、専門家・学者の科学的成果という権威を借りて、自分の主張を正当化しようとている人々が多いように思います。このような行為を跋扈させないためには、皆が「地球温暖化の科学」について賢くなるしかないと思っています。
<参照>
http://blogs.dion.ne.jp/hiroichiblg/archives/7129050.html
残念ながら日本人は、「自分の頭でものを考える」懐疑的な人間が極めてすくないようです。日本人の根っこにある「村社会根性」がそうさせているからでしょうか。
たとえば以下は、実際には「嘘」であるのに、それを「信じ」込んでしまっている例です。
「心臓ペースメーカーの誤動作防止」と言われ電車の中で携帯電話の電源をオフする事。これは検索すればわかりますが、そのような事件の報道は世界中どこを探しても皆無ですし、公共機関で携帯電話を禁止しているのは私が知る限り日本だけです。
「医者専用の携帯電話」は医療機器を誤動作させないといわれ、一般人の携帯電話を院内で電源オフさせている事。これは携帯電話の仕様には「医療用」などというカテゴリーは無く、医療用といわれるテスト基準も公開されておらず、ただ医者だけが信じているだけ。
地球温暖化の特集番組で、海面上昇の危機のときにかならず流れる北極(と南極洋上の)氷が大規模に海面の落下しているシーン。これは説明の必要もありませんね。
コメントをありがとうございました。
>日本人の根っこにある「村社会根性」がそうさせているからでしょうか。
日本社会の特性という一面もあるかもしれませんが、そう言ってしまうと、個々人の独自性を否定した制度改革の議論へと進み、結局、何も解決しないように私は思います(今までの制度改革の歴史からの私見です)。
こうしてブログで議論できるなど、時代は変わりつつあります。お互いの理解を深めるために、専門家の発言に異論・反論・疑問を唱える非専門家が多数派となることが重要だと私は考えます。
>電車の中で携帯電話の電源をオフ・・・
航空機内でも電源オフを要求されることから、それなりの根拠のあることと私は思っていましたが、違うのでしょうか?
>一般人の携帯電話を院内で電源オフさせている事。
これは事実誤認と思います。医者が使用しているのは一般の携帯電話ではなくて、PHSです。一般人の持ち込んだPHSも使用可の筈です。
同意します。しかしながら、私のような者は例外で、標準的な日本人は専門家の意見を「鵜呑み」にして「思考停止」する人が圧倒的に多いのも事実です。特に酷いのが医療です。以前、みんなと食事中に医者と病気の事で(軽い)議論をしたら、以降、「医者に医療を説法する奴」といわれ続けています。
>航空機内でも電源オフを要求されることから、
これも議論のあるところです。日本で過去の携帯電話やゲーム機の無線LANによる故障といわれる記事を読むと、実は「他に適当な原因が見当たらない」為に責任を押し付けられているようです。再現性が無いからです。そもそも米国のFCCが機内で携帯電話を禁止した最初の理由は、テロ防止だと聞いた事があります。私は年に10回以上、飛行機を利用します。携帯やPSPなどのゲーム機は、離陸時にもつけっぱなしにしている光景を良く見ますが、同じ飛行機に乗り合わせて不審な飛行状態を経験した記憶は皆無です。再現性は科学の基本だと思われます。また、飛行機は雷の直撃でも電子機器に影響ないようにシールドされているのに、微弱電波である携帯で、どうして電子機器の誤動作するのかも不明です。
>医者が使用しているのは一般の携帯電話ではなくて、PHSです。
たしかにPHSを理由にしているようですね。PHSと携帯の電力差100倍ありますが、電界強度は距離の二乗に反比例するので、影響を受ける距離は10倍です。PHSで1cm以下なら携帯電話で10cm以下になるだけですから、現実的には問題になりません。
>標準的な日本人は専門家の意見を「鵜呑み」にして「思考停止」する人が圧倒的に多いのも事実です。
ちょっと意味は異なりますが、「徳、孤ならず、必ず、郭あり」という言葉があります。
批判的思考方法を身に付けた、専門家を無条件に信用しない非専門家を一人でも増やすためには、自分の思いに囚われず、柔軟に、焦らず、騒がず、諦めず、発言し続けることが大事だとを思っています。
有難うございました。
「徳、孤ならず、必ず、郭あり」
を以下のように訂正します。
「徳は孤ならず、必ず隣あり」
出典は『論語』の里仁(りじん)篇の一節でした。
確認を怠り、間違った言葉を示しましたことを、お詫びします。