科学は、基本的には、だれもが日常的に用いている科学的思考方法そのものにすぎない。科学的思考方法についての理解が十分にあれば、だれでも自分が必要とする科学的結果(科学知識の一部)を自分で導き出すことができる。ただし、そのためには、自律した人間として、他人の言動に惑わされず主体的に判断・思考する能力と十分な時間が必要である。と述べた。こうは書いたものの、「他人の言動に惑わされず主体的に判断・思考する能力」とはどういう能力なのかを十分に具体的に説明しておらず、気になっていた。こうした中、lets_skeptic(懐疑論者)さんのブログ「Skepticism is beautiful」のいくつかの記事で触発されたことを以下に述べる。
懐疑論者さんは記事「あなたが懐疑主義だと思っているものは懐疑主義ではない」で、
「自分の頭でよく考えろ」と述べているのに出会った。「他人の言動に惑わされず主体的に判断・思考する」ことと「自分の頭でよく考える」ことは、同じようなことを言っており、このままの表現では、「あまり良くない」ことに思い至った。
これもまた、懐疑論的な文脈でよく出てくる話です。確かに、他人の話を何の吟味もせずに受け入れるのは問題です。ニセ科学を信じている人の中には、考えずに信じている人が居るように見えることもあるでしょう。
でも実はですね…これ、あんまり良くないキャッチフレーズです。
それでは、より正確には、どのような判断・思考能力が、科学の営みには、必要なのだろうか?
それは、懐疑論者さんが言うところの「批判的思考」で端的に表されていると思う。懐疑論者さんの記事「批判的思考(クリティカル・シンキング)とは何か」では、批判的思考の3つのポイントを挙げ、その各々を以下のように説明している。
態度:批判的に物事を見ると言う態度がなければ何も始まりません。これは、批判的思考を求められていない場面でも発揮できるか?といった話も含みます。また、オープンマインドでいることも態度のひとつです。また、懐疑論者さんは記事「批判的思考の態度に光をあてて欲しい」で、
知識:批判的に考える対象の関連領域に対する知識が必要と言われています。もちろん知識は幅広く持っているのが好ましいです。
技術:知識を使いこなす技術です。論理的思考や統計を扱い対象を評価する技術がここにあたります。情報を集めて整理する能力なども含まれるでしょうか。
非常に不利な状況でも批判的思考を発揮するために必要なのが、批判的思考を行おうとする「態度」です。極端な話、態度さえあれば、知識や技術は後からついてくるのではないか?ということも考えています。と、「態度」の重要性を述べている。全く同感である。特に、「オープンマインド」は重要に思う。
懐疑論者さんは、記事「あなたが懐疑主義だと思っているものは懐疑主義ではない」で、懐疑主義の本質は、現実的には、「事実に拘ること」に出来る限り努力することであると述べ、そのガイドラインとして、以下の5つを示している。
1.調べる努力をせよこれら5項目は、管理人が「科学について知っていてほしい5つの事」の1番目「科学は試行錯誤の過程である。」の補足説明で述べた「科学的探究過程」と類似していると言える。ただし、上の5項目が「何をどのように信じるか」を述べているのに対し、「科学的探究過程」が世の中の種々の事柄の仕組みについての全人類の共通理解を深める過程である点で異なっている。
2.信念ではなく根拠に基づいて信じよ
3.根拠の強さに応じて確信度を決めよ
4.信じるときは間違っていることを覚悟せよ
5.根拠が不十分ならば保留する勇気をもて
「信じる」と「理解を深める」との間には微妙な相違があると管理人は考えている。科学的議論の目的は、相手を論破し、納得・改心させることではなくて、議論の対象についての双方の理解が完全ではないとの認識に立って(オープンマインドの態度を持って)、議論の対象についての各々の理解の度合を深めることにあると思う(現実の研究者間の論争では、地位や名誉が絡んで...だが)。
コメントをありがとうございます。
>きちんとした根拠が得られれば、納得するようにしています。
ある意味で「きちんとした根拠」を得るのが非常に難しいのが地球気候システムのような複雑系の変動のメカニズムです。このような対象については無理に納得する必要はないと私は思っています。
「納得する」ということには、そこで思考を停止させてしまう意味を感じてしまいます。そうではなくて、できるだけ多くの証拠をできるだけ矛盾なく説明できるような理解・解釈を得る努力を続けていくことが重要と思っています。その方法は、多くの種々の考えの人と議論しながら、興味の対象を明確にし、それに関して述べている複数の資料・文献を、提供者の地位や名声に惑わされず、客観的に比較・検討することだと思います。
ただし、理解が深まれば深まるほど、新たな疑問が生じてきます。どこかで「現時点での最良の理解」にはたどり着きます。しかし、このようにして深めた理解であっても、新たな画期的証拠が得られたら全てが逆転する可能性があるという留保付きの理解であることを認識しておく必要があると思います。