6月15日に京都に行ってきた。2年ごとに開かれる出身研究室の同窓会(洛洋会)に出席するためである。そこで、学生時代にお世話になった京都大学防災研究所白浜海象観測所のSSさんが来年で定年退職されることを知った。また、20日から今日まで出席した大気海洋相互作用研究会でHTさんによって白浜高潮観測塔における観測結果について紹介された。大学院学生時代に隣の気象学講座に所属していたHTさんとは、およそ30年振りの再会で、昔話に花を咲かせた。
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1.SSさんとの思い出
管理人が初めてSSさんにお会いしたのは、4回生か修士1年の時に、当時は助手であったINさんの波浪観測の手伝いのために白浜海象観測所へ行った時だったと思う(あるいは、SSさんが京都に打ち合わせに来られたときかもしれない)。SSさんは陸と観測塔を結ぶ船の操縦や観測機器の維持・管理を担当されていた。小船で海象観測塔に行き、波高計の設定・調整をしたはずだが、その記憶よりも、臨海実験所の水族館その他を案内して頂いたことや、観測塔の下を群泳しているコバルトスズメの美しさが心に残っている。一緒に行った友人たちのみで夜の白浜の温泉街を徘徊したのも今では良い思い出である。
その後、白浜海象観測所を訪れたのは、波浪研究会(主なメンバーは東大・東北大・京大・港湾技研・防災センターの波浪研究者)が開催された際のみであったが、SSさんとは、波面追従装置の開発・製作を一緒に行った。
波面追従装置とは、風波の発達機構を調べるために、風洞水槽実験で超小型の熱線風速計や熱線流速計を波面の上下運動に合わせて上下させ、波の山と谷の間の風速・流速変動を測定する装置である(風速計を波面の上下運動と同期して上下させないと、波高よりも水面に近いところに配置した風速計は、波の山の部分で水没してしまう)。管理人が制御システムの概念を作成し、機械工場の技官であった田中耕三郎(故人)さんが機械制御部を製作、SSさんが電子制御部を担当した。試作第1号は、スイッチを入れた途端、センサー部は降下し始め、あっという間に水没した。最終的には、SSさんが見つけたパルスモーターを用いて、周期0.5秒、波高1.3cmの波の上下運動に0.8mmの精度で追従する装置を完成させた。試行錯誤の連続であったが、3人で知恵を絞っての共同開発作業は楽しかった。
この装置の詳細と初歩的な実験結果を、京都を離れて約2年後の1980年秋発行の海洋気象学会誌「海と空」の第56巻第1号で公表した。今、この論文を改めて読み返すと、学位を取得しても就職先が定まらない不安を抱えたまま、この論文の原稿をひたすら書いていた日々を思い出す。
2.海洋観測塔
海面熱交換や波浪などの海面境界過程は絶えず変動を繰り返している。その観測には、主として船舶が用いられる。しかし、短い時間間隔で荒天時を含めた長期間、船で測定を継続するのには多くの困難を伴う。海面境界過程の長期連続観測には、船よりも海面係留ブイが有効である。ただし、海面係留ブイによる観測データにはブイの動揺の影響が含まれるので、沿岸での長期連続観測には、動揺のない海洋観測塔がより有効である。
白浜海象観測所のホームページによると、現在の高潮観測塔は1993年に新設されたとのことである。管理人が訪れた時の観測塔は1960年に完成し、1995年に撤去された観測塔であった。この旧観測塔は管理人の恩師である國司秀明先生(当時、助手)が速水先生(当時。教授)の発案で設置されたとお聞きしている。当時は、深海係留観測技術が開発されておらず、観測塔が長期連続観測を行う唯一の方法であったと思われる。その後、わが国では、防災センターが平塚沖に、九州大学応用力学研究所が津屋崎に海洋観測塔を設置し、主として波浪観測を行ってきた。しかし、近年その老朽化とともに、平塚と津屋崎の観測塔は機能を停止してしまい、現在では白浜高潮観測塔のみが稼働している。なお、韓国海洋研究開発研究所(KORDI)は、東シナ海北部に海洋観測塔を設置している。
地球温暖化予測に関わる研究の進展に伴い、その過程で重要な役割を果たしている海面境界過程についての理解の見直しの必要性が認識されている。この意味で、海洋観測塔の重要性が増しているといえよう。