一部を修正・追加 2008年5月7日02時
本ブログの4月9日の記事「科学についての知識」の最後で、ブログ「ハーバード大学医学部留学・独立日記」で島岡さんが、以下の記述(原文:Chad Orzel教授、和訳は島岡さん)を紹介していることに言及した。
サイエンスについて知っておくべき3つの”定理”この記事に触発されて、Department of Physics and Astronomy, Union College, NYのChad Orzel教授のブログUncertain Principlesの記事「What Everyone Should Know About Science」(3月3日投稿)およびこの記事への4月8日までの米国内でのコメントを参考にして、文系の人も含めた一般の人向けに、PISA2006における科学リテラシーの4つの構成要素の一つである「科学的知識」の中のカテゴリー「科学についての知識」を以下のような「科学について知っていてほしい5つの事」として、私なりにまとめてみた。
(What Should Everyone Know About Science?)
1)サイエンスとはプロセスであり、単なる実験結果の集積ではない(Science is a Process, Not a Collection of Facts)ーサイエンスの本質とは”世界”がどうゆう仕組みで動いているかをシステマティックに解明するアプローチである(The essence of science, broadly defined, is that it is a systematic approach to figuring out how the world works)ー
2)サイエンスはひとをひとたらしめる営みである(Science is an essential human activity)ー芸術がひとをひとたらしめるのと同じく、サイエンスもひとをひとたらしめるー
3)サイエンスはすべてのひとのためにある(Anyone can do science)
科学について知っていてほしい5つの事
1.科学は試行錯誤の過程である。
2.科学は既存の科学の知識の集合体ではない。
3.科学は人を人たらしめる営みである。
4.だれでも科学を営むことができる。
5.科学が価値を決めることはない。
1.科学は試行錯誤の過程である。
科学は、試行錯誤を繰り返しながら、世の中の種々の事柄の仕組みについての全人類の共通理解を深める過程(以下、科学的探究過程と呼ぶ)である。
科学的探究過程は、一般に以下のような段階を経て進められる。
1)ある事柄の仕組みの何を知りたいのか(研究対象。定説で説明できないこと)を特定する(問題設定)。
2)特定した研究対象を説明する仮説(モデル)を、定説(過去の知見)を見直したり、発展させて作成する(仮説の立案)。
3)作成した仮説から
4)作成した仮説の妥当性を、その仮説から導き出した測定可能な現象の新たな実験、観測、試験によって調べる(仮説の検証)。
5)仮説が妥当であることを確認できない場合には,1)、2)、3)あるいは4)からやり直す(試行錯誤のループ)。
6)仮説が妥当であることを確認できた場合には,その結果を公表し、得た知見を他の研究者と共有する(結果の共有)。
7)公表結果を他の研究者が確認し、多くの人が同意した場合には、その時点での定説(最も矛盾のない、条件が同じならばいつでも、どこでも成り立つ説明として、広く受け入れられる説)となる。多くの人の同意が得られない場合には、「試行錯誤のループ」を再開する(結果の深化)。
上に述べた6)で成果が有名な学術雑誌で公表されても、その成果が同じ分野の多くの研究者に受け入れられていることを保証するものではない。誤った結論である場合もある。学術雑誌で論文を公表する目的の一つは、その結果についての他の研究者から批判を受けることによって、共有する成果(理解)の質を高めることにある。7)を経て定説となるのには、多くの場合、数年以上の検証期間が必要である。定説となった科学的結果でも、正しいとは限らない。後年、新たな視点の展開や新たな実験・測定装置の開発によって、更なる修正・改良作業が必要となるのが大部分である。なお、5)の否定的な結果も重要な知見であり、公表されることが望ましいと考えられているが、現状では少ない。
1)から5)に述べた過程(まとめて、科学的思考方法と呼ぶ)は試行錯誤の過程に他ならない。だれもが、この科学的思考方法を用いて日常生活を過ごしている。例えば、商店主が店の売り上げを伸ばそうとするときに、技術者が製品を開発するときに、1)から5)の試行錯誤を繰り返している。この意味で、科学的思考方法は特殊で高度な方法ではない。科学の発展は、6)と7)、すなわち、成果を共有し、お互いに批判し合って理解の内容を深化することによって支えられてきた。
2.科学は既存の科学の知識の集合体ではない。
科学は既存の個々の科学の知識(科学的結果・定説)の集合体でも、個々の科学的処理能力でもない。科学は定説を疑うことから始まる知的探究の過程である。人は科学のあらゆる分野について詳しい知識を持っている必要はない。
現在でも、科学的に未解決な事柄は多く残されている。それにもかかわらず、断定的な科学的記述を、それが導き出された科学的探究過程(前提条件、仮定、近似、試行錯誤の経緯、留意事項)についての理解なしに受け入れることは、思慮深い行為とは言えない。特に、十分に解明されていない、複数の要因が複雑に関連し合っていて、その因果関係の詳細が十分に解明されていない種々の「複雑系」の現象の仕組みを短絡的な考え方で断定的に捉えるのは、危険でさえある。「複雑系」の現象を主体的に理解するためには、焦らず、面倒がらず、じっくりと時間をかけて、幅広く科学全般についての総体的な基礎知識を身に付ける努力を重ねることが重要である。
3.科学は、人を人たらしめる営みである。
科学は、全ての人が生まれながらに持っている知的好奇心・欲求に基づく、人を人たらしめる営みである。
科学は,人類が直面する種々の限界(生死の壁,時間の壁,空間の壁,物質の壁)へ挑戦したいという,あるいは普遍的な経験知を獲得したい,経験について整合的な全体像を形成したい、人は何処から来て何処へ行くのかを知りたい、という全ての人が人類の一員として、個人的に持つ根源的、内的欲求を追及する営みである。
参考:「生死の壁」とは,人間は必ず老化し,病に伏し,死に至るという宿命にあるということである.近代以前には,これらの病,老化,死への対策を施す専門家として祈祷師がいた.「時間の壁」とは,人間は未来に起こる事象を予知することができないということである.このため,種々の占いが現在も人々の心を捉えている.「空間の壁」とは,人間は今居る場所を離れては存在し得ないということである.古来,この限界を越えることができる人として,魔術師がいた.「物質の壁」とは,何もないところからある物を作り出すことはできないということである.現代の医学,薬学を含めた生命科学分野の研究者は古代の祈祷師の,自然現象の予測を目指している天文学、気象学、海洋学、火山・地震学を含めた宇宙地球科学分野の研究者は占星術師の,航空機や通信機器を開発している研究者は魔術師の,種々の化学合成品の開発を行っている化学者は錬金術師の末裔であるといえよう.
4.だれでも科学を営むことができる。
だれでも科学を営むことができる。ただし、必ずしも、だれもが科学の全ての分野を営むことができるとはかぎらない。
科学は、基本的には、だれもが日常的に用いている科学的思考方法そのものにすぎない。科学的思考方法についての理解が十分にあれば、だれでも自分が必要とする科学的結果(科学知識の一部)を自分で導き出すことができる。ただし、そのためには、自律した人間として、他人の言動に惑わされず主体的に判断・思考する能力と十分な時間が必要である。特に、科学が細分化され、その各々が高度に発達している現在においては、ある分野の専門家といえども、自分の専門外の分野のことはほとんど何も分かっていないのが現状である。焦らず、面倒がらず、じっくりと時間をかけて、必要に応じて、関係する分野についての総体的な基礎知識を身に付ける努力を重ねることが重要である。
科学を営むのに、国籍、人種、性別、貧富、宗教は関係ない。数学が得意である必要も、大学を卒業している必要もない。社会的地位の高低、名誉の有無、学術経験の長短も関係ない。金銭と数学は、科学を効率的に行う際の手助けにはなる。また、眼前の事象に囚われない豊かな想像力、透徹した考察力、も強力な助けとなる。しかし、科学の営みの核心は、多様な価値観の存在を容認しながら厳しい倫理観に裏打ちされた「内的欲求を追求しようとする強い心」にある。
5.科学が価値を決めることはない。
科学は、判断の材料・根拠を提供するが、価値(例えば、事の善悪)を決めることはない。科学的に得られた予測結果は、その予測計算に用いられたモデル、条件、計算方法などに大きく依存している。このような予測結果を根拠として政策を定めるのは、科学者ではなくて、市民と行政・立法機関である。科学者は提供する判断材料・根拠に含まれる不確実性を市民と行政・立法機関に明示する責務がある。市民と行政・立法機関(の担当者)は提供された判断材料・根拠に含まれる不確実性を十分に主体的に理解した上で、総合的に判断して、政策を選択することが重要である。
おわりに
上に示した私案が、科学リテラシーにおける「科学についての知識」の基本事項として、必要十分であると断言するつもりは全くない。また、この私案では、科学に苦手意識、権威、不信、あるいは過剰な信頼を感じている人の心の垣根を取り壊すような構成・表現にはなっていないことも自覚している。
とりあえず、今の時点で思っていることをまとめた。今後、科学的に考える力(科学技術の知識・理解をもとにした思考力、判断力)の普及に際して有効な道具となるよう、改訂を進めたい。