2008年04月30日

心茶会と久松先生のこと

一部修正・追記しました 2008年5月2日02時20分、10月6日02時

前のエントリーで、管理人が学生時代に所属していた京都大学心茶会の説明として、その創立時の指導者が久松真一先生であることを述べ、先生の紹介として、先生の主要著書を論じている松岡正剛の千夜千冊:久松真一「東洋的無」にリンクを張った。このリンク先の本文および附記について、以下のタイポエラーに気付いたので指摘しておく。
FASは次の頭文字からとっている。
 To awake to Fomress self
   -> 正しくはTo awake to Formless self
 To stand on the sandpoint of All mankind
   -> 正しくはTo stand on the standpoint of All mankind
 To create Superhistoribal history
   -> 正しくはTo create Superhistorical history

附記¶岩波に『久松真一著作集』全8巻がある。
  ->正しくは岩波ではなくて理想社。
上の附記に示された『久松真一著作集』全8巻は今でも私の本棚の一角を占めている。

このリンク先で、松岡正剛は『久松真一著作集』第1巻「東洋的無」を通して、久松先生の人と成りを論じている。しかし、私にはその記述に違和感がある。

それは、松岡正剛の論調が、論じている各著述を自分の血肉としようとしないで客観的に接している彼のスタンスのためではないかと思う。「東洋的無」に関する論調でも、松岡正剛は著書の中の久松先生に客観的に接している。このため、久松先生の人と成りについても、以下に述べるように、直に久松先生にお会いした経験を有し、久松先生が指導されていた心茶会で活動していた私とは異なった受け取り方をしているのだろう。


1.心茶会の思いで
学生心茶会入会
私は、大学入学後の昭和43年4月に、色々迷った末、ライフル射撃部と茶道部(京都大学心茶会。以下では、学生心茶会と呼ぶ)に入会した。学生心茶会に入会した動機は、母が茶道を学んでいたことがあったにせよ、あまり明確ではない。どうも、自分の日頃の行動の落ち着きのなさを自覚し、その矯正を目指していたようであった(このことは、10年後に、当時の指導教官の一人であったINさんが就職先へ私を紹介する際に述べた言葉で気付いた)。

心茶会に入会するのには面接があった。誰に何を聞かれたのかは忘れたが、それまで思っていた仲良しクラブ的な団体ではないことだけは自覚した。ちょうど40年前の今頃に京大本部近くの清風荘(西園寺公望が控邸として使用した、京都大学内専用施設)で開かれた新入生歓迎茶会で、正坐の痛さに閉口したものの、初めて体験した茶会に感銘したことを覚えている。

日々の活動
学生心茶会の日常活動は、裏千家今日庵と道路を挟んだ向いにあった茶道会館での週1回の接心会、月2回の大学近くの換骨堂での先輩の指導による接心会と月1回の論究(「南方録」の輪読)であった。接心会では、初めに、正坐して「茶道箴(久松先生作の心茶会が目指す茶道を始める際の心構えを記述した文)」を唱え、約40分間の端坐(正坐)で沈思黙考した後、交替で点前稽古をし、最後に茶道小箴を唱えて終えるものだった。当番は6時の接心会開始前に稽古に使う道具、花、風炉/炉などの準備をする。約40分間の端坐は私にとって苦痛であったが、毎回、何とか乗り切った。

点前稽古は平点前のみであった。その動作の一つ一つの意味を考え、決められた点前の中に自分を表現する工夫を重ねることを私は楽しむことができた(工夫をしなくても自ずから顕わになってしまうことが多かったが・・・)。

夏休みや秋の茶会前には特別接心会として、点前稽古を集中的に行った。夏休み中の栂ノ尾高山寺での3泊4日の特別接心会(座禅・作務・点前稽古の合宿)では、先輩の指導の下、未明から夜更けまで本格的な座禅、境内の掃除、手前稽古を行った。最終日にはお寺のご厚意で茶事を体験させていただいた。夜更けに虫の音を聞きながらの金堂での座禅は思い出深い。

秋には、諸先輩、日頃お世話になっている方々、他大学茶道部他の関係者をお招きして、自分たちの修行の場とする練成茶会、年度末には卒業生を送る送別茶会、春には新入生を迎える歓迎茶会が市内の名立たる寺院のお茶室をお借りして行った。練成茶会では相国寺僧堂から修行中の方や心茶会の大先輩が参席された時の爽やかな席が印象に残っている。毎回の茶会では、茶会の会場の交渉、道具の手配、人員配置、案内状の印刷・発送、会場の準備(庭掃除、障子張替え)などを皆と分担して行った。このような事業の運営に大学の4年間に繰り返し携わった経験が、後年、海洋観測の運営に大いに役立った。

先輩・友人たち
私と同時に学生心茶会に入会したのは1・2回生を合わせて8名程度であったと記憶している。この中には、現在、鳥取県で文筆業と医業で活躍されているTSさんや、1996年5月にアメリカのサンディゴ近郊の自宅で凶弾に倒れた故斎藤綱男カリフォルニア大学サンディエゴ校教授がいた。しかし、上に述べた日常活動や、心茶会の活動内容に疑問を感じた仲間は退会し、卒業時にはOT君と私の2名のみであった。

女性の入会が認められてあまり年数が経過しておらず、先輩の女性の数は多くはなかった。学生心茶会の会員は、多士済々であったが、接心会に共に参加して養われた強い信頼感で結ばれており、学園紛争の荒波の影響も受けず、日々の活動が淡々と続いた。男3人で東山の山腹で野点を楽しんだことを懐かしく思い出す。

学部卒業後は心茶会の正会員(会員番号152番)となり、京都地区心茶会の活動に参加した。この地区心茶会の活動によって、大学院学生時代には、医学、工学、法学、文学系の研究者のみならず、開業医、勤務医、地方公務員、化学系や製鉄関係の民間企業社員などの多くの先輩のお話をお伺いする機会に恵まれた。このことが、学術の世界から外への私の窓口の一つになっていた。

2.久松先生の思いで
私が久松先生に初めてお会いしたのは、学生心茶会に入会し、当時の会長であった久松先生のご自宅に新入生としてご挨拶にお伺いしたときであった。ともかく、穏やかで気品溢れる好々爺という感じであった。現役学生の時代には、茶会の度に、茶碗、菓子、軸などの道具立てのご相談にお宅にお伺いし、その後、同行した先輩他との間で交わされる種々の清談を拝聴していた。

学部(学生心茶会)を卒業して、心茶会の正会員として入会した際には、お祝いとして短冊を頂いた。それには「死為万象主」と書かれていた。私が理学部の学生であることへのご配慮から、生(感情、直観)に対する死(理性、論理)の重要性を諭されたものであったと思う。

学部卒業後は学業に忙しく学生心茶会のお世話をすることもなく、久松先生とお会いする機会もあまりなかった。先生の旧居である妙心寺春光院抱石庵の片付けをお手伝いしたり、岐阜に帰られた久松先生をお尋ねしたりした。私が鹿児島に職を得て赴任した翌年にお亡くなりになった。

私は厳しい先生のお姿を拝見したことはなく、いつも先生の慈愛に満ちた眼差しを感じていた。このような先生のお姿に身近に接することができた幸運に感謝している。最近のチベット騒動で注目されているダライ・ラマの発言は久松先生のお言葉と重なっているように思える。

おわりに
久松先生が唱えられたFASの標語は、人の生きる道を示しているのみならず、全人類のために、自分自身を含めたあらゆることに拘らず、新たな歴史を切り開くという、科学者の道をも示していると思うこの頃である。

注:「茶道箴」と「茶道小箴」の全文が、以下のHPで紹介されているのを見つけたので示します。
1)故藤吉慈海さんの書の注釈として
http://www.nagaragawagarou.com/visualmuseum/m-d-049.html
2)心茶会の後輩(しぇるさん)のブログ
http://blog.kansai.com/cheruprifre/251
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