東京心茶会というのは、管理人が学生時代に所属していた、禅と茶道を学ぶ京都大学心茶会という学生団体の卒業生を正会員とする心茶会の会員の中で東京地区在住者で構成されている団体である(京都大学心茶会は故久松真一先生(「東洋的無」の著者で著名な仏教学者)を指導者として昭和16年に創立された)。
総会といっても参加者は管理人を含めて6名である。とはいえ、その年齢構成は、3月に卒業したばかりのHさんから昭和19年卒業のZさんまで幅広く、管理人は若いほうから数えて3番目であった。心茶会本部の活動報告の後、東京心茶会の今後の運営について話し合った。ここ暫く休止状態である定例の点前稽古の復活の方策が主な話題であった。結局、Mさんを中心として、最近の会員動向を確認し、名簿を整理することと、点前稽古場所の確保を始めることになった。
神田に着いて、少し時間に余裕があったので、「市民の科学リテラシー」を特集している「科学」3月号がまだあるかもしれないと思って岩波ブックセンターへ行った。驚いたことに、雑誌コーナーに平積みで置いてあった。早速、購入した。
帰宅する電車の中から読み始めたが、どうにも物足らない。管理人がこだわっている「科学リテラシーの定義」を総合的に論じている記事がない。編集後記には、科学技術振興機構と理化学研究所が支援した「科学と音楽の夕べ」を紹介した後、
人の心を動かす力は科学にも芸術にもあるが、「リテラシー」を云々せざるをえないところに”科学”の苦しさがあるのだろうか。しかし、芸術を味わうにもある素養は必要のように思われる。◎一方「科学的」という言葉に人を圧する力があることも確か。それが科学の問題なのか、政治・社会の問題なのか、冷静な見極めが必要だろう。と述べている。この編集後記を読んで、納得した。どうも、世間では(「科学」編集担当者でさえ)、「科学リテラシー=科学の素養=科学の基礎知識」という理解にとどまっているようである。
心茶会の茶道は、「禅と結びついた総合芸術である茶道」を通して、「真実の自己に目覚める」ことを目指している。このような茶道の在り方についても世間の理解はほとんど普及していない。
管理人の思いでは、「科学リテラシー」と「禅と結びついた総合芸術である茶道」は矛盾なくつながっている。このことを、日々の発言を積み重ねて、少しでも広めていきたい。